プロローグ
「完成だ、漸く完成した!」
『対象の沈黙を確認。非戦闘モードに移行』
二〇XX年。某国『LBA研究所』の試験室。
その一室に佇む隈なく黒一色の強化外骨格を纏った二メートル強の鋭角な人型。
人型は右手の全長一メートルの高周波ブレード、左腕の強化外骨格と一体化している四十四口径機関銃、同じく固定された対LBA用単発式四十ミリ砲を非戦闘状態に切り替える。ブレードはスライドし半分程度の大きさになると、人型は腰のケースに収納した。宛ら、古き日本の侍のようにも見えなくも無い。
人型は目の前にある前足を断たれ額が強化外骨格ごと巨大な物でもぶちあたったように飛び散り、深々と刻まれた傷跡が痛々しいそれ――アフリカ象に強化外骨格と人工筋肉を使用した敵地破壊用LBA『EF=TYPE:P』の死体を視界に収めたまま直立不動を貫いていた。
耳のような探索用アンテナが特徴的なフルフェイスヘルメットの中を窺い知る事は叶わない。
その凄惨な試験場を見る特殊防弾ガラス越しの目は、心底嬉しそうだった。そうとしか、形容しようがないのだ。
顔は気持ち悪いくらい鮮やかに赤くなり、身に着けている真っ白な筈である白衣には、これまで使い潰してきた命の数だけ赤く染まっている様に見えた。されどその目に浮かぶ感情は、正しく――愛。
「失敗に学び成功を上書きし研究に研究を重ねる事苦節五年。どれだけこの時を、今を待ち望んだか……」
「主任、落ち着いてください。データ取り終わったのですから、運送する準備を済ませなければ」
「……はあ、白けさせないでくれ」
「寧ろこっちとしては焦ってるんですよ。何時ガタが来るか分かったもんじゃない。国もさっさと提出しろと煩いんですし。
人間をベースに反射神経や情報処理能力向上の為に通常スペックの二倍相当の数のチップを積むのは分かります。骨を強化カーボン素材の物に置き換えるのもね。人工筋肉を多く使うのも、まだ理解できますよ。
――ですが、実験的に代謝を利用してその熱をMDの稼働エネルギーに変換するなんて、とてもじゃ無いが不可能としか思えないんです。……そもそも、弾は何処にしまっているんですか」
「いやなに、人工血液とかナノマシンとかも沢山入れておいたしある程度はもつだろうさ。エネルギーの方はあの子の武器全部の熱も利用しているから意外と如何にかなるものなのだよ」
どんな風に作り上げればそうなるのか。もしかしてこの人また学会に提出とかしないで新技術を作り上げたりしたのではないだろうか。
いやでもそう思わされる言葉を聞いて、研究員はげんなりしていた。
「というか、普通に考えれば弾を何処にやったかなんて見当つくだろう? 弾はあの子の消化器官を取っ払って、腹筋の裏側に補強骨格を入れて、その残りのスペースを弾倉として使っている。四十ミリの方はどうにもならなかったけどね」
まあ、いくらマグナムでも致命傷にはなり辛いだろうけどさ。
そう言葉を付け加えた。
「それから、外部から点滴の栄養補給をしてやれば理論上十年は生きていられるよ、あの子。そんな軟に育てた作った覚えも無い」
「アンタなあ……兎も角、あれ……じゃなかった。『MD』は今日付けで輸送しますからね?」
「……はいはい。わかったよ」
部下の不躾な言葉使いを聞き流し、心底残念そうな表情を浮かべた白衣の女――主任は部下がこの場を去るのを見計らって中指を天に突き立て試験室に向かった。
試験室とは名ばかりの、ドーム状の施設だ。これだけで数十年前の国家予算に匹敵するのだから恐れ入る。
単身試験室に向かう彼女を誰も咎めようとしない。
「それにしてもMD……『Murder』、ね……」
今から自分がやろうとしている事、これまでのMDの生涯を思って、それなら識別名は『Victim』の方がしっくりくるな、等と通路を歩きながら彼女は考えていた。
(MD? 生体兵器? 十年しか生きられない? 自分でやっておいてあれだけど――――反吐が出る)
エレベーターに乗り、数十年前から解決される事の無い独特の浮遊感を味わいながら扉を開けここに所属している者しか知らないパスワードを入力し、試験室の分厚い鉄板の扉が開ききる前に突入した。
他の生物兵器の死体を前に無言で佇むMDの間に到達するのに、三十秒もかかってしまう。こういう時にこんなにも広い此処が恨めしいと思いながら、荒くなった息を整える。その間にMDは彼女の方を振り向いていた。彼女が此処に入った事――もっと言えば、此処に向かおうとしていた事に気が付いていたのだろう。
息を整え終わった主任は、清々し過ぎていっそ気味が悪いくらいのいい笑顔でMDと向き合った。
「やっ。気分はどうだいマーダー??」
「……ゥウ」
「おお、今日は返事を返してくれたね! お母さん嬉しいぞ?」
部下には見せなかった、本当の親らしい一面。その顔の笑顔が作り物では無い事はこの職場で働いている者なら誰でも知っている。
MDは内側からすり出すような返事を返す。これまでの実験の過程で声帯にダメージが出てしまい、こんな声しか出せなくなった。
LBAは生物を素体として、兵器とする。その過程で知性や理性は邪魔になりやすいのだ。
対応策として、遠隔操作用チップを用いる事で感情を喪失しているに等しい生体兵器の素体となる。
今現在のような、抑制されている状態であっても目の前の小柄な女にだけはLBAのコンセプトにそぐわぬ生物らしい、人間らしい感情を見せる事がままある。イレギュラー、と呼べる所謂廃棄品相当のものだ。
しかし、この研究所には時間が無かったのも事実であり、感情表現を見せるのが主任に対してのみだった為、廃棄されることは無かった。
まるで、親を前にした子供のよう。
「……ウァウ」
「あはは、ごめんね。MDはお母さんの言ってる事を理解してくれてるけど、お母さんはMDの言ってる事が理解できないんだ。……ごめんね」
「……ウゥウウ」
「さて、今日来た理由はね……お別れのあいさつ、かな」
「……ォオ」
「私の、私達の理由で勝手に作って、これから相手を殺して死んで来い、なんて、お前に命令しちゃってさ。ほんと、親失格だよね」
「……ヴゥウウア!」
MDが咆える。ベースが人とは思えぬ重々しい獣のような声が、試験室全体に響く。まるで、主任の言葉を否定するような荒々しい声。子供の癇癪にも、似ていた。
主任は驚いた。MDの開発が始まって一年と三週間と二日が経って、今までこうあからさまに分かるくらいの感情表現をした事が無かったMDが、目の前の『数十人目の息子』が機械的では無く、まともに『人間らしい』仕草を見せた事に。
数秒の沈黙が試験室を支配する。口を再び開いた主任の顔には、どうしてか。涙が伝っていた。
「……ふふっ、そうだね。MD。ありがと。……でも、尚更渡したく無くなっちゃったよ」
「……ウゥ……ウァ……」
「だからさ、今なら何となく一昔前の日本人の親とかの考える事が分かる気がするんだ。『この子を置いていく位なら、この子ごと――』ってやつ。本当、私の可愛い子供達が死に目を見るなんてもう散々……お別れの挨拶だとか言っておいて、矛盾しているようだけど――」
主任は懐から、ある物を取り出した。それは一見携帯電話のようで、MDの心臓に取り付けられている自爆装置を強制爆発させる為の。国にすら、ましてや研究所の職員にも知られていないそれのスイッチ。
此処で使えば、試験場は愚か、研究所すら巻き込んだ大惨事になるだろう。でも、主任にはどうでもよかった。これ以上、馬鹿な事に付き合せて新しい息子達を作る訳にもいかない。でも、せめてこの子MDだけは手放したくない。
純粋で歪み切った愛が此処に一つ。
「私と一緒に、死んでくれるかな。MD」
「……ウゥ……」
MDは一つ唸ると、左腕を主任に向けた。大小二つの砲口が、向けられている。
駄目、だったか。あーあ、残念。
そんな事を思いつつ、可愛い我が子に殺されるならそれも本望かなと考えた所で、掌から持っている物を奪った。すぐに、カチッと何かを押すような音が耳に届いた。
「ウゥウウ……ゥアウ」
「……え……そっか、ありがとう」
MDを見れば、刃物の如き親指でスイッチを押していた。
どうか、目の前の我が子に、人が授けたその命に。次の生で、どうか、幸運がありますように。主任はそう願う。
その祈りが届いたかどうかは分からず、次の瞬間には、音無くして一人と一つの意識は、完全に吹き飛んでいた。
「へえ、おもしろうだ」