小心者な私の美容室での対応
男子が美容室に行く事も珍しくなくなった昨今。かく言う私も美容室に通う今時の男子だったりする。
美容室と聞くと華やいだイメージを持つ人が多いと思うが、逆にその雰囲気に苦手意識を感じてしまう人もいるのではないだろうか。実を明かすと私も後者の人間なのだが、これが美容室に通えるようになるまでが大変だったのだ。
私が生まれて初めて行った美容室はどこにでもある普通の(あくまでも片田舎に住んでいる私の基準ではあるのだが)特に有名というワケでもない店だった。が、当時高校生だった私はようやくお洒落に目覚め始めた頃で、その時の美容室の華やいだ雰囲気に私は圧倒されてしまったのだ。正直、入店した直後に「どえらい所に来てしまった!」と狼狽したものだ。
だが試練(?)はそこで終わらず、次の問題は美容師さんの方だった。
何と言ってもその外見。やたらお洒落なのである。眩しいほど素敵オーラを発しているのである。相手は至って顔の造りは十人並みなのにこの違いは何なのか。これでは泥にまみれた芋と、綺麗に洗われて店頭を飾っている林檎くらい違うじゃないか! いやあくまで例え話で、決して芋が林檎に劣るとかそういった事を述べたいわけではないのだが、そんな比喩を使いたくなるくらい差を感じたのである。私みたいな地味な奴がこんなお洒落な美容室に来てごめんなさいと何度心中で謝った事か。むしろ生まれてきてごめんなさいとも言いたくなったくらいだ。
そんな素敵美容師さんが仮にもお客様である私に危害を加えようと思っているハズがないに決まっているのだが、終始美容師さんに話し掛けられても挙動不審な態度を取るばかりで、まともに返事すらできなかった。
結局、会話もろくにできずにその日は黙って髪を切ってもらうだけで終了した。別に向こうは客商売なので無理に話す必要はないのだろうが、常日頃から愛想には愛想を返すべきだと考えている私には、大変苦痛な時間であった。
それ以降、しばらくは美容室に通う事はなかった。どうしてもあの時の記憶がトラウマになって躊躇してしまっていたのだ。
しかし私もお年頃。同じクラスのモテる男子は皆一様にして美容室に通っている。私もモテ男子みたく女の子からチヤホヤされたい。ならば美容室に通うしかあるまい。美容師に行けばモテるとは限らないのだが、私はそう信じて疑わなかった。何だか理由が邪だが、思春期の男子ならばよくある願望なのでご容赦願いたい。
そう決意して、私はしばらく敬遠していた美容室にまた通う事にしたのだった。
前回は美容室の雰囲気に圧倒されて及び腰になっていたが、要は自分に自信を持てばいい。自分はダサくない。むしろこれから美容師さんの手腕により、蛹から蝶へと華麗に変身するのだ。そう思えば恐れるものなど何もないのだ。
そう意気込んで美容室に行くまでは良かった。入店して美容師さんと本格的に相対するまでは。
意気揚々と美容室へとたどり着き、何とか面と向かって自分の希望するヘアスタイルを担当の美容師さんに説明するまでは普通に出来た。前回は向こうにお任せするままに自分の意見を言わなかったので、そこは多少前進したと言えよう。
が、問題はここからだった。髪を切ってもらうには多少なりとも時間が掛かるものだが、その間にも美容師さんがニコニコ笑顔で話しかけてくるのだ。趣味から食べ物の好み。果ては学校生活の事や好きな女の子の好みまでも。前回は男性の美容師さんで今回はその人とは別の男性美容師さんだったのだが、初めて来た時と何ら変わらない対応であった。
さて。ここで敢えて述べさせてもらうが、私は生粋のオタクだ。四六時中、好きな漫画やアニメの事しか考えておらず、趣味の合う友人ともそんな話ばかりしている。それは社会人となった今でも全く変わっていない。
そんなインドア派な私が、いかにも外で遊ぶ事でしか知らなさそうなアウトドア派風の美容師さんと話せねばならないのだ。いや無理だ。口の上手い人ならば話を合わせる事も容易だろうが、口下手な私では絶対無理だ。なんせ話題が漫画かアニメくらいしか出せないのである。これでは相手を引かせるだけに終わるに違いない。まだまだオタクに対する世間の風当たりが強いこの世の中。そんな簡単にオタク趣味を暴露するわけにもいかない。
ならばどうするか。このまま黙って髪を切ってもらうのはかなり耐え難い。前にも述べたが、愛想には愛想を返さなければならないというルールじみたものが私にはあるのだ。このままでは、今度こそ二度と美容室に来れないようなトラウマが生まれてしまう。そうなれば死ぬまで床屋さん通いだ。これでは女子にモテモテになるという私の計画が丸つぶれになってしまう! いや、何ともくだらない上に馬鹿馬鹿しい話ではあるが、その時の私にとっては切実な事だったのだ。
そこで私は考えた。合わせる話題がなければ、嘘でも吐いて話題を作ればいいのではないかと。
では嘘を吐くとして、例えばどんな嘘にした方が無難か。なるべくなら、向こうも知っていて、なおかつ反応が良いものにしたい。
そう思案し、ちょうど美容師さんとの話が途切れた所を見計らって、私は試しにこう尋ねてみた。
「僕、野球が好きでよくプロ野球も観ているんですけど、野球はお好きですか?」
無論、これは嘘である。インドア派のオタクである私が、野球などという野外スポーツに興味なんてさらさら無い。むしろ外に出る事すら億劫に感じるくらい、私は出不精な人間なのだ。
だが、そこはみんな大好き野球。私のような例外もいるが、基本的には野球が嫌いな男性なんていないだろう。しかも相手はいかにもスポーツが好きそうな爽やか男子。プロ野球ならばニュースや新聞などで試合結果を目に入れているし、適当に話を合わせられる。そう思っての嘘だった。
そして、こちらの読み通り相手は良い反応で野球の話題に食いついてくれた。きっと彼も野球は好きな方だったのだろう。私としては大助かりだ。これで野球が嫌いだったとしたら、もうどうすれはいいか困惑していたところだ。後はプロ野球の話もしつつ、好きな守備位置や野球の素朴な疑問なので場を繋げばいい。
そう考え、必死に野球のネタを掘り起こし、どうにかその日は会話をあまり途絶えさせる事なく円滑に終える事ができた。あの時ほど野球という存在に有り難みを感じた事は無い。野球よ、ありがとう。
この経験もあって、いつしか美容室に行く前には何らかのネタを事前に収集をするという習慣ができてしまった。具体的に述べると、ネットや雑誌等でいかにもアウトドア派な美容師さんのウケが良さそうなもの……スポーツ関連や車、最近流行っている芸人などを調べては、適当に嘘も混ぜつつ話を合わせるのである。勿論その時は愛想笑いを忘れずに。これはこれでドッと疲れるのだが、お互い沈黙を保つよりは気が楽なので特に後悔は無い。
そしてそれは、社会人となった今でも何ら変わっていない。私が現在通っている美容室は過去に通った所とは違い女性が多いので、女性ウケしそうなネタを用意しては話をしながら髪を切ってもらっている。あろうことか、居もしない恋人の話なんぞをでっち上げてまでだ。きっと私の交友関係よくを知る者がこの事を知ったら「え? 女友達すらいないのに?」と嘲笑する事であろう。絶対知り合いには口外できない。
こうして、私は当初の苦味意識をある程度克服して、美容室へと通えるようになった。今も苦手意識が無いと言ったら嘘になるが、どうにか美容師さんと話を合わせられるくらいには成長したのだ。成長と言えるかどうかは疑わしい限りだが。
とは言え、やはり愛想を振りまくのは疲れる。叶うならば、客の希望通りに髪を切ってもらえる、全自動型のロボットでも製造してもらいたいものだ。それ以前に、自身のコミュニケーション能力の無さをまずどうにかしろという話でもあるのだが……。
余談ではありますが、口頭だけでカットを指示するお客さんを見ると「やっべ、まじやっべ」と素直に感心してしまいます。どうやったらそんな事が出来るんだと。貴方達は天才なのかと。むしろ神なのかと。ホント、俺には絶対真似できねい。
それ以前に、やばいのはお前のコミュ力の方だろうという話なんですがね……orz