魔王様みーつ白靄―――選択の世界。
誰もが幸せな世界であったら、戦など起きなかったろうに。
誰もが幸せな世界であったら、悲しみに泣く者などいないだろうに。
世界は少女に幸せだけを与えてくれるものではなかった。
月がすべてを見守る時刻には、そこで動き回る者は既にいなかった。
そこはむせ返るような香りで満たされ、これからの行為を予想させる部屋であった。窓という者はここにはない。更にはこの部屋に入るための扉さえも開かぬようになっており、換気しようにもできなかった。
部屋には机、椅子などといったものが邪魔にならないように配置され、それらの中心には大きな寝台が存在していた。そこには虚ろな瞳で少女が横たわっている。
彼女には鎖がつながれていた。それもただの鎖ではなく、少女自身を封じ込むような。
これから彼女はある人間の男に再び汚される。行為自体は慣れてしまったが、それでも行為を受け入れたいとも思っていなかった。心を無にしなければ、狂ってしまう。汚されることは嫌だが、意地でも最後に一目『彼』に会いたかった。恥さらしと言われようとも、そこは譲れない。
『こんばんは、月が見ごろね』
ふいに、虚ろだった少女に声をかける者が現れた。
『…あら、返事がないの?まるで屍のようね』
ふざけたようなことを呟く侵入者の声に、少女はゆっくりと顔を上げた。そして自分とあまり変わらぬ年齢であったことに驚く。
―――もうすぐあの男がやってくるというのに!
女とあらばどんな存在も喰らうあの男に、彼女も目をつけられてしまうかもしれない。そうなる前に逃がさなくては。
少女は、自身よりも他人である侵入者に気を配る。――――――すると、一つ頭に引っかかった。
(何故、この場に自分以外の者がいるのだ?)
侵入者の背後は、厚い壁が広がっている。立ち位置は、ちょうど扉の反対側である。それに、扉を開ける際には耳障りな金属のこすれる音、蝶番の外れる音などが響くはず……となると、彼女は何者で、どんな理由でここに来たというのだ。
『考えは纏まった?
それにしても空気悪いわねー、ここ』
侵入者はうっとうしげに右手を払う。すると室内は清涼な空気で満たされた。
魔封じの効果があるというそれの中で、自由に力を使えるということに、少女は警戒心をあらわにした。
「貴女、何者?」
『そういう貴女は、黒竜国の魔王の婚約者さんであってる?』
「どうして、それを…」
人間はだれ一人として気づかなかったというのに。
何故、知ってるのだ。
『うんー?そこらへんは、一連の流れからかなあ……まっさか白靄とは思わなかったけれども、まあ並べればちょうどいいのかなあ…?
まあいいや。で、何者の答えだっけ。私はユウです。』
「白靄?」
『あ、そこは気にしないで。こっちの事情だから。』
「ユウさん?と仰いましたか。
何故、ここに…。ここは危険です、もうすぐ危険な者がやってきますから、早くお逃げください」
震える少女の声に、ユウは苦笑して少女の髪を撫でた。
『あはは、典型的いい人発言ありがとう。……まあ、ソイツは今日は来ないから安心して。
それで理由だっけ。』
言葉を区切り、ユウは少女の髪から手を放し、少しだけ距離をとった。少女はそれに首をかしげる。
ユウは、唐突に語った。
『貴女はね、二年後その男に捨てられて、更に悪環境なところに売られて死ぬよ』
少女の顔が固まった。それを無感情で見やり、ユウはさらに続ける。
『貴女は死の瞬間にさえ恋人に会えず、思い出すことさえ出来ない。彼が目にするのは、食材となった貴方だけ。……ああ、もちろん人の姿じゃなくて、本来の姿の方ね』
「何故、どうして・・・」
『薬で精神を破壊されたからと、途中で人の姿をとることが出来なくなってしまったからかな。
…どうする?あなたは否定する?いいよ、私の戯言だと受け取っても。そこまで私、おせっかいじゃないし』
残酷な自分の未来図に、少女は顔色を失う。何をいきなり、戯言だというのなら話しかけないでと叫びたくなったが、相手の顔にそんな色は見えなかった。震える唇に力を入れ、侵入者に問いかけようと口を開く。
「どうして、どうしてそのことを貴女は…」
『聞いたから。ついでに見てきたから。
でもまあ、私のことなんてどうでもいいでしょう。
私がここに来たのは、自己満足に浸ろうと思って』
自己満足?この者は何を言っているというの。
少女は懐疑の視線を目の前の人物に浴びせた。
「私の未来を変えるということ?」
『それは無理。結末を望みどおりのモノに変えることは誰もできないよ。結局、最後は全く同じになる。
でもね、話の道筋を変えることはできるんだ』
ユウは、色々な感情が入り混じった笑みを浮かべて、少女に告げる。
『貴女の子の父親を、変えることが出来る』
「父親?…っ、まさか」
『ご明察…と言いたいところだけれども、ちょーっと違うんだよね。貴女は、貴方の嫌う男の子供を産まずに捨てられるの。…私ね、女は好きな人の子供を産むべきだと思うんだ。
だから、あの男には自分の子だと思わせて、本当に好きな人の子供を産んでみない?』
うふふふ、と笑う姿は、内容は国家反逆罪だというのに悪戯好きな少女の片鱗を思わせた。
「子供を産んだら、私の最期は変わるの?」
『いいえ、あなたの結末は変わらない。結局、子供を取り上げられて貴女は売られてしまうわ』
(ああ、やはりあの人と会うことは叶わないのだ)
少女の瞳から涙があふれる。
それに少々驚いた表情を見せた侵入者は、慌てて言葉を付け加えた。
『ただし、その布石の配置は換わるよ。』
黒に近い髪を持つ少女は、白の髪を持つ少女に問いかけた。
『……ねえ、そのまま何も残さぬまま終わってもいいの?
愛する人をそのまま苦しめて逝ってもいいの?
ついでに言うと、貴女の恋人は貴女恋しさに魔王としての禁を犯すよ。』
白の少女はその言葉に首を振る。
嫌だ、そんな結末は望みたくなどない。
彼は、誇りある魔王だったの。私が原因で、泥など被ってほしくないの。
結末は変わらないとは判ってる。それでも、全てを知った彼がこれ以上傷を負わなくなるのなら
『さて、貴女はこの未来を否定する?』
「ええ、」
たとえ目の前で嗤う少女の正体が何であったとしても、私と彼の証を残せるのだとしたら
「どんな結末になろうとも」
藁にもすがる思いで、少女の提案を受け入れる。
『じゃあ、否定するんだね』
「ええ、否定するわ」
黒の少女が白の少女を立たせ、向かい合うように対峙させる。
『』
『』
そうして、まばゆい光に包まれ、白の少女が目を瞑っている間、黒の少女は愉悦を含んだ声色で呟いた。
『ご利用ありがとうございます。
これにて、あなたの現状は<否定>されました。』
光がすべておさまった後。恐る恐る目を開いた先に、黒の少女は存在しなかった。
「きえた……?」
どうやって?
思考しかけた白の少女は、すぐにゆるりと首を振った。どうやって侵入したかもわからないのに、判るわけがないと。
(それにしても、)
不思議な少女だった。すべてを知っている風な、まるで運命を司っているかのような言動。
結末を変えることはできないけれど、自分に生きる希望の欠片を与えてくれた。
少女の未来は決して明るいものではない。むしろ、暗いものだ。それでも、
(私の夢は一つ叶ったのだから)
本来は、叶うはずのなかった夢。
囚われてから、諦めた夢。
(彼の子を宿すことが出来たのだ)
最後の術で判ったことがある。
・彼女が月竜国の者であること
・月と星に誓いをかけて術を行使していたこと
月竜国の者が、月と星に誓いをかけることは命を懸けることであった。破れば、その者の命を奪う。
それをしてくれるなんて。
「友達になりたかったなあ…」
こんな誠意を見せてくれる者なんて、そうそういない。
彼ともう会えないことと同様に、彼女と友人になれないことが死ぬことの未練となりそうだ。
前回の更新で、何件かお気に入りを外されてしまったのがかなりショックでした……。
うん、前回本気で意味わからなかったよね。
今回で少しは緩和されたんじゃないかな。
勇者編は次回でさらに秘密が明らかになります。
二人の子供は誰か、とかね。
ついでにあの男は誰か、とかね