失恋にかかる虹
中学校の卒業式で卒業証書をもらった帰り道、春雨が降る中、二人の男女が相合傘で歩いている。
「冷二。三年間楽しかったね」
女は長い髪を後ろで結び、よれよれのセーラー服を着てリュックを担いでいる。その手に持った丸い筒が濡れないように傘の内側に寄せる。
「これで、岬音ともお別れか」
男は右肩にリュックを背負い左手でビニール傘を持ち、岬音が濡れないように傾けている。田園が広がる歩道では走る車も少なく、ただ雨音を弾く音が二人の沈黙を埋めた。
ふと道端に咲く紫色のスミレが二人の視線を奪う。
「綺麗だな」
「え?」
ぽつりと低声で呟いた冷二に岬音が顔を上げると、彼の視線を追ってため息を零した。
「紛らわしいこと言わないでよ」
色褪せた黒のローファーで小石を蹴り飛ばす。
その声は怒っていたが、どこか縋るようにも聞こえる。
冷たい風が吹き、冷二はおもむろに学ランの胸元へと手を伸ばすが、そこに本来あるはずのボタンがなかった。
「ねぇ、誰に第二ボタンをあげたの?」
鼻水をすすりながら、岬音の控えめな声に、
「女子の後輩だよ。欲しいって言われて断る理由もなかったからあげただけだ」
明後日の方向を見て、どこか言い訳がましく答えた。
遠くに見えるはずの稜線は白い雲がかかりぼやけている。
「女の子に優しいんだね。この女たらしめ、顔だけは良いんだから。一体どれだけの女子に手を出したのよ?」
棘のある言い方に冷二は唇を引き結び、左手で傾けていた傘を無言で直立させた。
「ちょっと! 濡れるじゃないの」
「知るか」
不満顔の岬音にぶっきらぼうに言い返すと、彼女はピタッと身を寄せてくる。
冷二はそれを振り払うこともなく、視線を一度倒すだけだった。
傘に落ちる雨粒の間隔が徐々に短くなっていく中、車道を走る車が水たまりを波のように飛ばしてくる。
咄嗟に背を向けた冷二の学ランとリュックは水浸し。
「あっ、大丈夫?」
「平気。どうせ、この制服も今日までだし。いくら汚れても関係ないよ。むしろ、最後に役目を果たせてこいつも本望だろ」
岬音に水がかかっていないのを確認して、二カッと笑顔を見せる。
「そういうところだよ」
迷う様に動いた唇から出た言葉はツンとしていた。
「何がだよ」
「だから、そういうところなの」
「意味わかんねえ」
感謝の言葉を期待していた冷二は舌打ち一つ。それがやたら大きく響き、横目で隣を窺うが俯いた岬音の表情は垂れる黒髪に阻まれている。
代わりにそっと傘を傾けて、彼女を覆った。先ほどよりも強まった雨が体を打つも、彼の表情はどこか誇らしげだ。
徐々に近づく横断歩道に二人の歩幅は小さくなる。
十字に伸びる交差点は別れの合図。
「また明日」がもう言えない、一方通行の分岐点。
「雨強くなってきたな」
「うん」
あからさまに歩行速度を落とす冷二に岬音も合わせるがコンクリートに足を取られて、体勢を崩す。
「わっ」
後ろで結んだ髪が揺れる。
即座に右手を伸ばすが、両手を飛行機のようにしてバランスを保つ岬音に目的を失った右手は宙をさまよった。
「とっとと、危なかった」
「まったく、気をつけろよ」
「うふふ、運動神経には自信があるのだよ。知ってるでしょ?」
勝気な表情を見せる岬音は小さく胸を張る。
「それはいいけど、もっと足元を見るんだな。もうちょっとで水たまりにダイブするところだったぞ」
「それは……だって、急に冷二が止まるんだもん」
「いや、水たまりがあったから避けようとしただけだ」
冷二は早口言葉のように言い放つ。それが面白かったのか、岬音はくすっと笑った。
「じゃあ……もう行こうよ」
「……そうだな」
岬音が冷二の傘に入る。お互いの腕が当たる距離で傘を打つ雨音は激しさを増した。もう立ち止まる理由もなくなった冷二は再び歩き出す。
交差点にたどり着くと、どちらともなく足を止めてお互いに見つめ合う。
「傘入れてくれてありがと」
「別に……せっかくの卒業証書が濡れるのも最悪だしな」
「ほんと女の子に優しいよね冷二って」
岬音の大きな瞳が柔らかく細められ、思わず頭を掻く。
「買いかぶりだよ。あのさ……」
「あっ! 見て! 虹が出てる」
突然の大声に遮られ、彼女の指さす方向に顔を向けると、いつの間にか雨があがり、田んぼを跨ぐようにカラフルなアーチがかかっていた。
「……とても綺麗だ」
冷二は雲間から覗く光柱に照らされた彼女の横顔をじっと見てそう呟いた。
「でしょ、でしょ」と目を輝かせている岬音はそれに全く気付くことはなく、冷二は傘を閉じる。
「雨止んだな」
「そうね。それじゃ、またどこかで会えたらよろしくね」
「ああ、またどこかで」
その返事にどこか吹っ切れた顔の岬音は交差点を曲がっていく。
自販機を通り過ぎ、公園の花壇に咲いているチューリップに立ち止まる後ろ姿を見えなくなるまで追いかける。だけど、彼女は一度も振り向かなかった。
信号機が赤から青に変わる。
横断歩道を渡るでも別の道を行くのでもなく、冷二はただその場で田んぼにかかる虹を仰ぐ。
「美しい景色って、なんでこうも感動的なんだろうな」
学ランの胸元を固く握りしめる拳に涙粒一つ。雨上がりの土の匂いを嗅ぎながら空に向かって言葉を投げると春北風が駆け抜けていった。




