第三章:愚者の病(風) ― 〃 ―
◆ 風 ― 在り処(上)
子どものころ、僕には取り柄なんて何一つなかった。
静かで、真面目で、それ以外はからっぽ。
足も遅い。頭も悪い。
容姿も、歌も、勉強も、誰にも誇れない。
「小さな声」と笑われたその声が、僕のすべてだった。
かつて友達だった人たちも、次第に僕をからかうようになった。
努力を笑われ、熱心さは「滑稽」と切り捨てられた。
それでも僕は、正しくありたいと思っていた。
やり返さず、怒らず、穏やかに振る舞うことで、
いつか誰かがわかってくれる気がしていた。
……でも、そんな願いは届かなかった。
悔しさは忘れたふりをして、眠って、起きて、また耐えて。
そうやって何年もやり過ごしていた。
けれどある日、限界が来た。
心が、音もなく擦り切れかけたあの日、
僕は、一本の尖った鉛筆を手に取っていた。
教室の片隅に転がっていた、短くなった使い古しの鉛筆。
固い氷を割るように、強く握りしめていたのだけど、
ふと気まぐれに紙の上を滑らせた線が、内側に棲む世界を映し出してくれた。
──その瞬間、世界が少しだけ、僕に答えてくれた気がした。
僕の声に応えてくれたように思えた。
誰にも理解されないなら、自分が理解すればいい。
届かない言葉の代わりに、絵で語ろう。
誰に届かなくてもいい。
僕はもう、皆の後を追うのをやめる。
この小さな声に、僕だけが耳を傾ければいい。
それから僕は、街の片隅で見かけた古い画集を真似て、誰にも見えない風景を描くようになった。
心のひび割れを線にして、憎しみも悲しみも、“作品”に変えた。
やがて僕は描くことのなかに、
自分自身の意味のようなものを見いだし始めた。
美しくなくていい。理解されなくていい。
この線は、僕だけのもの。
──僕はようやく、自分の中に居場所を見つけたんだ。




