藤村という名の後ろ盾
3月9日、土曜日。午後12時52分。
麗らかな春の陽気が漂うこの日、八重は友人、一ノ瀬梓の家に遊びに来ていた。1K、8畳のアパートの一室で小さな机に身を寄せ合い、昼食を終えたところである。
「はぁー……。おいしかったぁー……」
八重は久しぶりに充実した笑顔を他人に見せることができた。
「ただ茹でただけのパスタだよ? 大げさ過ぎない?」
同い年にしては少し大人びた笑みを梓は覗かせる。
彼女はとても美人だ。顔は小さく色白で、とても可愛らしい。
立てば芍薬。座れば牡丹。歩く姿は百合の花。そんな言葉がよく似合う美少女だ。長い御髪は黒く艶があり、その大きな瞳には人を引き寄せて離さない、力強く大きな魅力がある。
「そんなことないよ!! ここ最近で食べたご飯の中で、一番美味しかったもん!!」
力説する八重に梓はどこか呆れた様子で尋ねた。
「普段なに食べてるの? 毎日ちゃんと食べてる?」
「食べてるには食べてるよ。ほぼ毎日、先生のところに入り浸ってるし……」
例えそれでも今食べた、なんの変哲もないパスタがとても美味しかったのは事実だ。
「ふーん、そうなんだ。いいねー。好きな人と毎日、一緒にご飯が食べれて」
梓の言葉に八重はすぐさま否定する。
「別にそんなんじゃないよ。私にとって健太郎はただの兄弟子だから」
「ふーん。どうだかねぇー」
「いや、本当にそうだから。信じてよ」
もぉーと、八重は梓の追及に愛想笑いで誤魔化した。
彼女も八重と同じように家族を失っている。彼女の場合はハンターであった父親が外の人間たちに殺されたのだ。その為、母親が女手一つで育てていたのだが、その母に恋人ができた為、成人を期に藤村家が所有する賃貸アパートを借りたのであった。家具も一式、香織が用意し、引っ越しの際には健太郎と和人も駆り出されている。
ここまで目を掛けるのは香織が顔役で息子の幼馴染だからというだけではない。香織と彼女の父親との間で何かあった時の約束があったのだ。
「まあ、そういうことにしておきましょ。でもさ、やっちゃんは考えないの? 私たち、あと3年で結婚できる歳になるんだよ? 香織さんからはなんか言われてないの?」
言われてない。言われてないと、八重は正直に答えた。
「結婚なんて言われたことないよー。それに今は仕事で精一杯だし。別に好きな人とかもいないし。私には関係のない話かなー」
「まあ、やっちゃんは強いからねぇー。香織さんの弟子だし。仕事に生きるっていうのもありなのかもねぇー」
そっかぁーと、どこか寂し気な表情を見せる梓に八重はそういえばと、気になっていたことをこの際だからと尋ねてみる。
「そういうあずちゃんはやっぱり、健太郎と結婚したいの?」
口に出すとまるで子供の会話のようだが、この壁内では別に18歳で結婚というのは珍しい話ではなかった。理由は大きく分けて2つあり、1つはやはり父親がハンターの仕事をしている為、早くに亡くなり、不安定な生活から抜け出す為というものと、両親ともに健在であっても不安定な経済状況下にある為、藤村とその後ろ盾である梅竹を除いた金銭的余裕のある人物の下に嫁ぐ。あるいは婚姻関係は結ばずとも愛人となり、金銭的援助を受ける。もしくは複数人で共同生活を送るというケースである。
早期結婚の背景には社会的構造による進学率の低さも関係しているのだが、最終的にハンターになることを求められる現在の状況では解決の糸口は見つかっておらず、政府は諸外国から問題視されつつも解決しようとすらしていないのが現状だ。一応婚姻関係の有無に関わらず、関係を持つ際には一度、藤村の家を通さなくてはならないという決まりがあり、香織が首を縦に振らなければ認められないということで一定の秩序は保たれている。
幼子のような視線を向ける幼馴染に対し、梓ははっきりと宣言した。
「もちろん好きだよ。私は健くんと結婚したい。もちろん、やっちゃんがそれでいいならね?」
「だから、私は別にいいって」
あくまでも第三者を気取る八重に梓は溜息をつく。
「ま、やっちゃんがそれでいいならいいけどね」
「どうぞ、どうぞ」
「そう言われると、なんかムカつく……」
プイとそっぽを向いた梓に八重は慌ててご機嫌を取る。
「ごめん、ごめん。許して、あずちゃん」
「知らない」
ツンとした態度は崩さないものの、本気で怒っている訳ではないことは伝わって来ていた。しかし八重は、確かに自分は生まれた時から能力にプラスして気を操ることができ、ハンターの道をある意味自信を持って選択することができたのだが、能力面などの理由からそうすることができない。そもそも心理的にしたくない。という選択肢を選んだ、あるいは選ばざるを得なかった女性能力者が今後どんな選択を迫られるのか。
それを考え始めると我を貫ける自分はなんだかとても恵まれているように思え、急に梓に対して申し訳なくなってくる。
皆、色々考えてるんだな……。
先のことなど何も考えていない自分はなんて子供なんだと思え、なんだか恥ずかしさも覚えてきた。
「なんか、ホントごめん……」
「おっと……。どしたの急に」
「いや、なんとなく…………」
子供が母に甘えるような態度に梓は唐突にウズウズとし始める。
「ホント可愛いなあー、やっちゃんはっ!! ずっとそのままでいて欲しいっ!!」
「ぐえっ」
力強く抱き着かれ、ゆっくりと押し倒された。
「お、重い……」
「失礼な!! 標準体重だわ!!」
キャッキャ、キャッキャとはしゃぎ、お互いの体温、胸の感触、甘い香りを混ぜ合わせる。八重はその柔らかさと香りに包まれ、どこか不思議な心地の良さ、安堵感を覚えていた。
なんか嫌な感じが遠のいていく……。
モヤモヤと考えていたことなどどうでもよくなり、このまま眠りにつきたいぐらいだ。
「やっちゃん、いいにおーい」
梓はクンクンと小さい鼻で、首の右側をくすぐってくる。
「ちょっと……。止めてよ。くすぐったいって」
「いーじゃん別にー」
そういって梓の右手が尻や太ももをズボン越しに撫で始めた。
「ちょっと、あずちゃん!」
「なんで今日スカートじゃないのー……」
ブーと不満も漏らす梓にスカートじゃなくて良かったと心底思う八重である。
「知らないよ、そんなの」
はい、もうお終いと彼女の肩を叩くと、梓は耳元でこんなことを囁き始めた。
「私はやっちゃんとだったらいいよ。このまましても……」
「え?」
そう言って彼女は顔を上げ、その長い髪を左耳に掛けると、ゆっくりと桃色の唇を八重に近づけてきた。
「…………」
「んー…………むぎゅっ」
梓はもう少しのところで見えない壁に阻まれる。八重の能力だ。
「むぐぐぐーっ!!」
「もうこれ以上は駄目ッ! 私たち、友達でしょっ!」
ぷはっと不可視の壁から逃れた梓は体を起こし、馬乗り状態になる。
「なんでやっちゃん!! 私のこと嫌いなの!?」
私を拒絶するなんて……。涙目で情に訴えかけてきた。
「嫌いじゃないけど、いきなり何すんの!?」
「えっ!? だって、そういう流れだったじゃん……」
「絶対そういう流れじゃないよっ!!」
「えーそうかなぁー……」
「そうだよ絶対……」
「…………」
「…………」
2人は見つめ合い、思わず吹き出す。一体、何をしているのだろうか。しかし、そのお陰で八重の心に掛かっていたモヤがいつの間にか晴れていた。
「まあ、私は別に正妻じゃなくても、やっちゃんとならこうして3人でいちゃいちゃするのも悪くないなーって思ってるよ……」
「それなら私は、いちゃいちゃしてる2人を陰ながら見守っているよ」
ふぅと溜息をつき、とりあえずこの話は終わる。
結婚か……。
健太郎のことは確かに好きだが、上手く言語化できないモヤモヤが彼女の心を大いに乱す。
みんな早過ぎるよ……。
そう思うしかない八重であった。




