9話「呪われた森の冒険」
王都の監査官が去ってから数日が経った。
グランツ砦には久々に穏やかな空気が流れていたが、外の世界は相変わらず厳しかった。
そんなある朝、作戦室で新たな指令が下された。
「明朝、補給物資の護衛任務にあたってもらう。行き先は“呪われた森”の向こうにある前線観測所だ」
カイラス司令官が淡々と地図を指し示す。
私はその地名に、ほのかに胸の奥が冷たくなるのを感じた。
「呪われた森……」
兵士の誰かが、小さく息を呑む。
「噂では、森の中で迷ったり、魔獣に襲われたりする者が後を絶たないとか」
「夜になると、木々が動き出して人を連れ去るって話も……」
それでも、砦には補給が不可欠だった。
前線の観測所には医薬品や保存食、魔道具などが必要だ。
物資の運搬に加え、森の中で新たな危険や罠が待っている可能性も高い。
私はリリィとユーリに目を向けた。
「二人とも、大丈夫?」
リリィは不安そうに唇を噛みしめたが、すぐに小さく頷いた。
「ノクティアさんが一緒なら、怖くない……」
ユーリも笑顔で応じる。
「森の地図は僕が調べておくよ。できるだけ安全な道を探しておくから」
こうして、私は仲間たちと共に新たな冒険へと踏み出すことになった。
* * *
出発は翌朝の夜明けだった。
砦の裏門から馬車に物資を積み込み、ノクティア、ユーリ、リリィ、そして数名の護衛兵で編成された小隊が静かに森へ向かう。
森の入り口は、まるで別世界のようだった。
古い木々が絡み合い、昼間でも薄暗く、空気は湿った苔と枯葉の匂いに満ちている。
鳥の声もほとんど聞こえず、不自然な静寂が漂っていた。
「……なんだか、背中がぞわぞわする」
リリィがそっと私の袖をつかむ。
「大丈夫。どんな罠でも、きっと突破できるから」
私は優しく微笑み、歩みを進めた。
ユーリは地図を広げ、森の奥へ進む道筋を探る。
「この辺りは沼地に見えるけど、季節によって乾いたりぬかるんだりするらしい。慎重に進もう」
しばらく進むと、周囲の景色が急に歪んだような気配がした。
「……待って、何か変だ」
私は立ち止まり、周囲に魔力を張り巡らせた。
微かな“幻惑”の気配――
木々の根元や枝葉の隙間に、幻影を生み出す魔法陣の痕跡が残っていた。
「幻惑結界……。この森、普通じゃない」
私は静かに呪文を紡ぎ、“視界強化”の魔法を展開した。
「《視界開放》」
瞬間、木々の間に隠された罠や偽りの道が、淡い光の筋となって浮かび上がる。
本来の小径は右手の茂みを抜けた先に続いていた。
「こっちよ。地面に“幻”の裂け目が仕込まれてる。下手に踏み込むと、沼に引きずり込まれるわ」
リリィとユーリは私の指示に従い、慎重に足元を確かめながら進んだ。
護衛兵たちも顔を強張らせていたが、誰も反論はしなかった。
やがて、森の奥で不気味な咆哮が響いた。
「魔獣だ!」
茂みの奥から、黒い毛並みを持つ獣――
巨大な“斑虎”が姿を現した。
目は赤く、よだれを垂らしながらこちらに狙いを定めている。
「リリィ、呪文の準備を。ユーリ、私の合図で右手に回って!」
私は素早く魔道具を取り出し、呪文を紡ぐ。
「《障壁展開》!」
魔法の障壁が仲間を守り、斑虎の鋭い爪が弾かれる。
リリィが震えながらも呪文を唱え始めた。
「《閃光――ライト・フラッシュ!》」
強烈な光が獣の目をくらませる。
「今だ、ユーリ!」
ユーリが携帯していた捕縛用の網を投げると、斑虎の足に絡みつく。
私は魔力を集中し、古代語の呪文で“眠り”の魔法を付与した。
「《夢の囁き(スリープ)》!」
斑虎は一瞬よろめき、やがてその場に崩れ落ちた。
護衛兵たちが歓声を上げる。
「すごい……あっという間だ!」
「ノクティアさんがいてくれてよかった……」
* * *
さらに奥へ進むと、森の中ほどに不思議な輝きを放つ草花を発見した。
「この薬草、王都でもほとんど見かけない“銀霧草”だ。解熱や毒消しに使える、貴重な素材よ」
私は慎重に採取し、リリィも興味津々で見守る。
「こうやって採るんですね……!」
ユーリは、木の根元に埋もれていた古い箱を発見した。
「ノクティアさん、これ……魔道具みたいです!」
箱の中には、魔力の回路が複雑に絡む小型の杖や護符が入っていた。
「これは古代式の“幻惑除け”……。ここに残っているなんて」
森の主を眠らせ、貴重な草花と魔道具を手に入れた私たちは、無事に前線観測所に物資を届け、帰路についた。
* * *
夕方、グランツ砦に戻った私たちは、みんなから拍手で迎えられた。
「呪われた森を突破したって!?」
「しかも、魔獣を倒し、希少薬草まで持ち帰ったのか!」
カイラス司令官も微かに笑みを浮かべて言う。
「よくやったな。君たちのおかげで観測所の補給も滞りなく進んだ。加えて、貴重な素材と魔道具の発見――
この成果は、砦にとって大きな価値がある」
ユーリとリリィも誇らしげに胸を張る。
「ノクティアさんがいたから、ここまで来られました」
「ううん、三人だったからよ。みんなの力が合わさったからできたこと」
私は静かにうなずき、砦の仲間たちの輪に加わった。
(ここでなら、本当に誰かと“共に生きていく”ことができるかもしれない)
森の奥で手に入れた薬草と魔道具は、すぐに砦の備蓄や医務室で活用された。
兵士たちの間で、私たちの冒険は語り草となり、砦の空気も一段と明るくなっていった。
ノクティア・エルヴァーンとして、“仲間”とともに歩む日々が、また新しい一歩を刻み始めていた。