19話「再生の朝」
夜明けの光が、砦の石壁と人々を静かに照らしていた。
あの苛烈な戦いから、一晩が明けた。
大地には、まだ魔力の余韻と焼け焦げた跡が残る。
けれど、その空気は不思議なほど澄み渡り、希望に満ちていた。
* * *
ノクティア・エルヴァーンは、静かに屋上に立って朝日を見つめていた。
昨日――“運命の魔女”としての力が暴走しかけ、
自分自身さえ制御できなくなりかけたあの瞬間。
カイラスや仲間たちが差し伸べてくれた手と声が、すべてを救ってくれた。
(私は、一人じゃない――)
胸に新しい温もりと覚悟を抱え、ノクティアは深く息を吸い込む。
足音が近づき、カイラス司令官が屋上に現れた。
彼もまた、昨夜の傷が痛々しいが、どこか穏やかな顔をしていた。
「よく眠れたか?」
「はい。……これほど朝が清々しいと感じたのは、いつ以来かわかりません」
ノクティアは、砦に集う人々の声や笑いを遠くに聞きながら、小さく微笑んだ。
「みんなのおかげです。カイラスさんも、ユーリも、リリィも、フィンも。
私に“帰る場所”をくれて、ありがとう」
カイラスは黙ってうなずき、しばらく同じ景色を眺めていた。
「お前の力は、もう誰も否定しない。――いや、“仲間”として必要としている。
これからは、隠す必要なんてない。堂々と、ここで生きてくれ」
ノクティアの瞳に、一筋の涙が光る。
それは悲しみではなく、新しい朝を迎える喜びの涙だった。
* * *
砦の中庭には、昨夜を生き抜いた仲間たちが次々に集まっていた。
ユーリは、怪我をした兵士たちの手当てをしながら、
「魔道具の研究が役に立った」と誇らしげに語っている。
リリィは、徹夜で看病した疲れを隠さず、でも、
「ノクティアさんが戻ってくるって信じてたよ」とみんなに微笑みかけていた。
フィンは後輩兵士と剣の素振りをしていた。
「昨日より強くなりたい!」と、声を張り上げるその姿に、
誰もが心の奥で小さな勇気を受け取っていた。
ヴァルドも、かつての裏切りの罪を償うため、物資庫の整理を進んで引き受けていた。
仲間の間に、もう疑いも責める声もなかった。
砦は、誰もが“新しい朝”を信じて歩み始めていた。
* * *
午前も半ば、砦の門に一台の馬車が現れた。
王都の紋章を掲げたその馬車は、重々しくも、どこか新しい時代の風を運んでくるようだった。
「王都の使者だ!」
カイラス司令官とノクティアが門まで出迎えると、
使者の中年騎士は深々と頭を下げ、厳かな口調で告げた。
「グランツ砦の皆々様、大戦の報告は王都に届いております。
特にノクティア・エルヴァーン殿の功績は、王都評議会を驚かせております」
ノクティアは一瞬たじろぐが、すぐに顔を上げる。
「王都は、ノクティア殿に新たな役割を与えることを検討しています。
辺境のみならず、王都や諸国の“魔法と平和”の要として、
魔道の研究と各地の防衛を託したいと」
砦の仲間たちがざわつく。
「ノクティアさんが王都に……?」
「また“遠く”に行ってしまうの?」
ノクティアはみんなの顔を一人ひとり見回した。
――不思議と不安ではなく、勇気が湧いてくる。
「私は、どこにいても“みんなの仲間”です。
世界のどこにでも、グランツ砦の誇りを胸に行きます。
でも……この場所が、私の“帰る家”です」
その言葉に、ユーリもリリィも、フィンも大きくうなずいた。
「どんな役割でも、ノクティアさんはノクティアさんだもん!」
「困ったときは、絶対に呼んでください。僕、何があっても駆けつけます!」
カイラスは、静かにノクティアの背を押した。
「お前が選ぶ道が、砦の誇りだ」
ノクティアは大きく息を吸い込み、王都の使者の前に進み出る。
「――私にできることがあるなら、どこへでも行きます。
でも、私はこの砦の“仲間”として、必ず戻ります」
使者はうなずき、新たな任務の辞令を手渡した。
* * *
その日、砦の食堂ではささやかな祝宴が開かれた。
いつもの硬いパンも、誰かが焼いたスープも、
みんなで笑い合って食べることで、どんなご馳走よりも心に染み渡る。
ノクティアは、自分が変わったことをしみじみと感じていた。
“無能”と罵られた過去も、傷ついた夜も、
この砦の仲間たちと分け合い、力に変えてきた。
これからは――
砦の外、世界のどこへでも、自分の歩みを広げていける。
けれど、決して一人ではない。
外の世界へと続く扉が、今、静かに開き始めていた。