16話「決戦の前夜」
裏切りの事件から数日が経ち、グランツ砦には再び平穏が訪れているように見えた。
しかし、誰もが心の奥底で“嵐の前の静けさ”を感じていた。
遠方からは、敵勢力の動きが活発化しているという報告が届き始めていた。
王都の派閥も混乱を増し、辺境の砦に送られる密書には、不穏な暗号が刻まれている。
――そして、古代遺跡の封印に対する外部の関心も、日増しに高まっているのだった。
ある夕方。
私は砦の屋上で、風に吹かれながら西の空を眺めていた。赤く燃える夕陽が、石壁と遠くの森を黄金色に染めている。
「ノクティア、こんなところにいたのか」
低く静かな声に振り返ると、カイラス司令官が階段を上ってきた。
その顔にはいつもの冷静な表情と、どこか影を落とすような憂いが同居していた。
「……今日、前線から新たな報告が届いた。敵軍は大規模な戦力を集結させている。
恐らく、明日か明後日にはここに本格的な襲撃がくる」
「やはり……」
私は胸の奥がきゅっと強く締めつけられるのを感じた。
「恐ろしいか?」
ふいにカイラスが尋ねてきた。
「――はい。怖いです」
私は、素直にうなずく。
「でも、それ以上に……“負けたくない”って思っています。
ここで出会った皆を守りたい。自分の居場所を、失いたくないんです」
カイラスは小さく笑みをこぼした。
「お前も、だいぶ変わったな。王都で“無能”と言われ、最初にここへ来た時のお前とは別人だ」
「司令官こそ……。私は、あなたがいつも強い人だと思っていました。
でも最近、時々不安そうな顔をされていると気付きました」
カイラスはふっと視線を遠くに投げる。
「……俺も、かつて王都で栄光を欲しがっていた。
だが、仲間を救えなかった“過去”がある。
それ以来、無茶な野心や出世欲は全部捨てて、ここに来た。
……それでも、誰かの命が自分の選択で失われるかもしれない――
そう思うと、今でも夜中に眠れなくなることがある」
「弱さを認めるのは、恥ずかしいことじゃありません。
私はこの砦で、みんなの強さと優しさを知りました。
カイラスさんの覚悟や、誰かを守る責任の重さも……」
カイラスが、珍しく真剣なまなざしで私を見た。
「ノクティア。俺は、お前を“戦力”として信頼している。
だがそれ以上に、“仲間”として、お前を信じているんだ」
その言葉に、胸の奥が熱くなる。
「……ありがとうございます。私も、司令官を信じています。
どんな困難があっても、みんなで乗り越えられる――そう信じたいんです」
長い沈黙。
空には、一番星がまたたき始めていた。
「明日は、決戦だ。お前も、よく休んでおけ。……皆にも伝えてくれ」
「はい。司令官も、どうかご無事で」
カイラスは小さくうなずくと、屋上を後にした。
* * *
その夜、私は食堂に集まった仲間たち――ユーリ、リリィ、フィン、そして多くの兵士たちの前に立った。
「明日、敵軍の大規模な襲撃が予想されます。
でも、今ここにいる全員が“本当の仲間”です。
一人でも欠けては絶対にいけない。
どんなに怖くても、必ず一緒に生きて帰ると約束しましょう」
リリィが震えながらも、力強くうなずいた。
「ノクティアさんと一緒なら、どんな戦いだって――絶対に負けません!」
ユーリが皆を見渡して続ける。
「僕たちには、ノクティアさんやカイラス司令官がいる。
それだけで勇気が湧いてくるんだ」
フィンも、剣の柄をぎゅっと握りしめて叫ぶ。
「明日は必ず勝とう! 俺たちは仲間だから、絶対に誰も置いていかない!」
他の兵士たちも、次々に声を上げ始める。
「おう!」「必ず砦を守るぞ!」
不安も緊張も、皆で分け合えば、
それは確かな“士気”へと変わっていく。
私はその輪の中心で、
一人ひとりの顔をじっと見つめた。
王都で傷つき、失った自信を、
この砦で少しずつ取り戻してきた日々。
今なら、はっきりと言える。
(私はもう、“無能”なんかじゃない。仲間と共に生き、誰かの力になることができる――)
夜が更けていく。
外はまだ静かだが、確かな決意が砦の中に満ちていた。
私は静かに祈った。
どうか明日、誰も失わずに、この“家”を守れますように。