100話「また会う日まで――物語は未来へ」
春の空は、淡い雲がほどけるみたいにゆっくりと流れていた。
村の学校の庭には野花が咲き、木製の校門には色とりどりの布飾り。
今日は卒業式――小さな村の、小さな学び舎の、けれども世界一大切な旅立ちの日だ。
「整列ー!」
ガルド先生が胸板に響く声を張る。元冒険者のその背中は、どこか頼もしく、そして少し寂しげだった。
ミーナ、フローラ、ルーク、レイ、ハルト、ユイ、ティア――“未来の冒険団”の面々に加え、翼人のケイル、機械人のパル、ちょっと年上のユウトたちも並ぶ。
村の皆が、家族が、精霊や幻獣までもが、庭の周りをぐるりと囲み、笑顔と涙を湛えていた。
「代表挨拶、ミーナ」
呼ばれた名前に、ミーナは一歩前へ。緊張で喉がからからだ。けれど、桜の蕾のふくらみに背を押されるみたいに、まっすぐ顔を上げる。
「わたしたちは、この村で“冒険”を学びました。剣の振り方や魔法だけじゃなくて、誰かと手をとる勇気、失敗してももう一度立つ力、そして――帰る場所のあたたかさを」
言葉を重ねるごとに、胸の奥が熱くなる。
「お弁当が消えちゃった日も、光の花が暴走しちゃった日も、宝探しも、おつかいも、卵を守った日も……わたしたちの“宝物”です。ここで育ててもらった勇気を持って、それぞれの道へ進みます。いつか、もっと大きくなって――また、ここで会いましょう」
拍手がひまわりみたいに一斉に開いた。ノクティアは両手を胸に重ね、うっすらと笑い、カイラスは腕を組んだまま、こっそり目元をぬぐった。
「よく言った」
彼は小声で呟く。「立派だったぞ、団長」
式のあと、子どもたちは一人ずつ“卒業記念の紋章”を受け取る。ガルド先生が夜なべで彫った、小さな木のバッジ――中央に星、周りに葉冠、そして裏にはそれぞれの合言葉。
ミーナの裏面には《また会う日まで》と彫られていた。
「先生……これ、一生の宝にします」
ガルド先生は大きな手でミーナの頭をぐしゃりとかき回した。「お前たちの旅は、これからが本番だ。怪我する前に泣け。無理しそうになったら笑え。困ったら――帰ってこい」
笑いと涙の交じる庭の片隅で、リリィはユイを抱きしめ、ユーリとカミラはレイの肩を叩き、サラはハルトの槍の先を布で磨いてやっている。
リゼは少し離れた木陰で帽子のツバを指で弾き、片目を細めた。「約束を、忘れないで」
「もちろん。黒衣のお姉ちゃんも、ちゃんと来てね」
「……お姉ちゃん、ね」リゼは照れ笑いを浮かべ、風に溶けた。
昼下がり、村人たちは丘の上へ向かう。桜の根元――十年前に埋めたタイムカプセルのそばに、新しい銘板が据えられた。
《十年後、またここで》。前の銘板の隣に、同じ約束が刻まれる。世代を越えて受け渡される、二重の誓い。
「開けるのは、ずっと先だね」
ティアが尻尾を揺らす。
「うん。でも“いつか”は、今日を照らしてくれるから」ミーナは頷いた。
傍らでソラが「きゅるる」と鳴き、花びらが一枚、早生まれみたいにひらりと舞った。
丘を下りる道すがら、ケイルは空へ翼を広げ、パルは工具の入った鞄のベルトを締め直し、ユウトは新しい鎧の留め具に指を這わせる。
それぞれの旅立ちの仕度――それぞれの未来の重み。
夕刻。村の入口に各地行きの馬車と、空路の便に乗る者のための見張り台、川沿いには小舟が並ぶ。
「ケイル、風向きはいい?」
「上々! 雲の縁が輝いてる。最高の飛び立ち日和だ」
パルは「機械都市のギルド、一番厳しいって有名だけど、負けない」と笑い、ユウトは「境の道を、誰のものでもない道にする」と静かに言った。
ルークは旅の地図をぎゅっと握りしめ、フローラは薬草籠を抱え、ハルトは槍袋を背負う。ユイは村の診療所の腕章を自ら巻き、「留守番だって冒険だよ」と胸を張った。
ティアはミーナの手を握り、金色の瞳でまっすぐ見つめる。「わたしも勉強して、いつか“家族”って言える場所を増やすね」
ノクティアは一人ひとりの頬に祝福の口づけをし、カイラスはぶっきらぼうに握手を交わす。
「いいか、迷ったら三つ数えろ。息を吸って、空を見て、最後は笑え」
「それ、パパの家訓?」
「今日からはお前たちの家訓だ」
別れのときは、思っていたより静かにやって来た。
最初の馬車が走り出す。ミーナは追いかけたくなる衝動を、ぐっと飲み込んだ。
ケイルは見張り台から大空へ跳び、羽音が夕焼けを震わせる。
パルの舟は川面を滑り、ユウトは境の道を背に受けて歩き出す。
それでも、声は届く距離にあった。
「また会おう!」
「星祭りの夜に!」
「桜の季節に!」
「そして、十年後に!」
交錯する約束が風に束ねられ、村の鐘がやさしく鳴った。
暮れゆく庭で、ミーナは校舎の壁に背を預ける。
ノクティアがそっと隣に立った。「泣いてもいいのよ」
「……だいじょうぶ。泣きそうだけど、泣かない。だって、約束したから」
「そうね」ノクティアは肩に手を置く。「約束は、ここ――」
ミーナの胸のあたりを、軽く、二度、叩いた。
「そして、ここ」
額にも、ことり。
カイラスが不器用に笑って、ミーナの背をぽんと押す。「前を見ろ。未来はそっちにある」
焚き火が小さくはぜ、木の香りが夜気に溶ける。村の灯りが一つ、また一つと点っていく。
今日、たくさんの“さようなら”があった。けれど、同じ数だけ“またね”があった。
やがて、人の声が静まった広場で、桜の根元に小さな影が集まる。精霊と幻獣たちだ。
リリーが花びらをすくい、くるりと空へ放る。
花びらは星の粉みたいに瞬き、ミーナの足元へ舞い降りた。
「さ、ミーナ。最後に、あの言葉で締めましょうか」
ノクティアが微笑み、カイラスも頷く。
ミーナは胸に手を当て、深く息を吸い込んだ。
そして、春の夜空に向かって、はっきりと――
「家族で、仲間で、また集まろう!」
声が風に乗り、村じゅうの屋根の上を越えていく。遠くの道を進む仲間の耳にも、きっと届くだろう。
焚き火の灯りが、頷くみたいにゆらいだ。
* * *
――ここからは、ミーナの視点で。
わたしは明日の荷物をもう一度だけ確かめた。
背負い袋のいちばん上に、木のバッジ。裏には“また会う日まで”。
その下に、ノクティアお母さんがくれた羊皮紙のしおりと、カイラスお父さんの短い手紙。
どちらも読み返すたびに勇気が湧いてくる。
窓を開けると、夜風が髪を撫でた。星は近く、手が届きそう。
思い出が胸の奥で光ってる。お弁当が消えてみんなで笑った朝も、魔法が暴走して手を握ってくれた手のぬくもりも、宝探しのわくわくも、おつかいのどきどきも、卵のやさしい体温も、反抗して泣いた夜も、タイムカプセルの約束も――
全部が、背中を押す力になっている。
明日、わたしは隣村の学舎へ行く。
勉強して、修行して、たくさんの人に会って、知らない世界を見たい。
でも、一番大事なのはきっと、誰かと手をとる勇気と、帰る場所があるという心の形。
星を数える。いち、に、さん――息を吸って、空を見て、最後に笑う。
お父さんの家訓、今日からはわたしの家訓。
いつかきっと、みんなで、桜の下で。
その“いつか”が、今この瞬間のわたしを明るくしてくれる。だから怖くない。
さあ、行こう。
わたしの物語は――ここから、また始まる。
「また会う日まで」
小さな声でそう言って、窓を閉じた。
夜の村は静かで、やさしかった。
明日の朝日が、もう遠くの山の端を金色に染めはじめている気がした。