第六話 アンゼリカ
「私の弟は、いつ妻帯したのか?」
キオの姉、アンゼリカ·クリフトフル侯爵夫人は入ってくるなりそう言った。
アンゼリカは母譲りの赤髪に蒼い瞳だが、以前はキオも姉と同じ色をしていた。
キオの漆黒色の髪は忘却魔法の使用のせいで変色したものだ。
伯母のノーマもかつてそうだったように、この国では忘却魔法の使い手は黒髪が多い。
実家の侯爵家は姉が従兄を養子に迎えて継いでいた。
王宮魔導士の父クリフトとは違い、隠密任務専業の魔導騎士になったからだった。
アンゼリカはリオと子ども達を遠慮無い視線で見つめていたが、破顔してオーとリリを両手に抱き上げた。
「双子か?」
「そうです。はじめまして、リオです」
「ああ、よろしく。突然義妹と姪ができて嬉しいよ。エリオットも喜ぶだろう」
エリオットは、アンゼリカのもうすぐ四歳になる息子だ。
「お前の上司から仔細は聞いている」
「そうですか。父上達は息災ですか?」
「ああ、相変わらずイチャイチャしているぞ」
南の辺境伯から嫁いだキオの母は武人のような人だったが、父クリフトとは相思相愛で今も仲が非常に良い。
そういう姉も騎士団に所属する男勝りだが、 ジュリアン伯父上の息子で幼馴染み、なおかつ夫でもあるヒューゴ様とは、見ている方が恥ずかしくなるほど仲がいいのだ。
それは子どもの頃からずっと変わらない。
伯母のノーマも伯父のレノも独身を通しているから、キオも自分はそれでいいと思って来た。
「姉上、今日はどうしてこちらに?」
「ミンス博士が行方不明になった」
アンゼリカは、リオとマチルダに双子を手渡した。
「オリィが行方不明?」
「事故か遭難かはわからないが、我が騎士団に捜索への協力要請があった」
「博士の護衛達は?」
「気を失っていただけで無傷だ。博士だけが見つかってない」
必死に捜索にあたっているが、既に5日が経っているという。
「どこかに避難しているということは?」
「私も探しに行きたい! 森のことなら私の方が詳しい」
リオの存在は、まだ騎士団にも知られるわけにはいかない。
「ダメだ」
「どうして?」
「君たちも狙われているかもしれないからだ」
「どうして私が狙われるの?」
「君たちが絶滅危惧種だからだ」
狙うのは密猟団だけとは限らない。
こちらの情報が漏れているのは確かだ。
「それでだが、リオ達をクリフトフルで預かりたいのだが」
「それは助かります」
リオ達とマチルダが支度を終えると、アンゼリカは魔方陣を展開した。
「姉上、よろしく頼みます」
「可愛い義妹と姪だ。必ず守ろう」
「リオ、姉上を信じろ。博士は必ず見つけ出してやる」
「う···ん」
キオはそれでも不安気なリオを落ち着かせようと抱きしめた。 リオもキオを力一杯抱きしめ返した。
「待ってる」
「ああ、任せろ」
リオ達はアンゼリカと共に転移した。
キオがカヤナの森へ急行すると、樹齢三千年を越えるカヤナの巨木の洞の中でミンス博士が見つかったという知らせがあった。
騎士団が見つけたらしく、目立った怪我などもなく、無事保護されて今は騎士団の医務室で眠っている。
翌日目覚めた博士に事情を聞くと、行方不明になっていた5日間のこと、行方不明になる直前のこともよく覚えていないと言う。
「お前はどう思う?」
「博士の出自と身辺を早急に調べる必要がありますね」
「フッ、そう来たか」
アンゼリカは笑った。
「以前の彼と印象が違う気がするのです」
「別人だと?」
「違和感があります」
それでまだリオには報せていない。騎士団にもまだ伏せるように指示した。
リオに現時点で報せる者がいるとしたら、その人物こそが内通者だ。
「ミンス博士、リオに会いたいですか?」
「ああ、できるだけ早くお願いしたいですね」
「申し訳ありませんが色々手続きや事後処理がまだありまして、もうしばらくお待ちを」
「ええ、承知していますよ」
顔と声は似ているが、ミンス博士とは言葉使い、言葉選びが微妙に違うような気がする。
それに、俺への表情が固い。緊張を誤魔化しながら笑顔を見せているような感じだ。
オリヴァー·ミンス、彼はもっと自然に笑っていたと思う。
彼との付き合いはまだ短いが、それでも心に通じるものがあったような気がしている。
彼はミンス博士ではないと、自分の全感覚が告げていた。
彼が偽物ですり替わったとして、本物のミンス博士はどこにいるのか?
その方が重要だ。
できるだけリオ達に偽物の博士を会わせたくない。
調査報告によるとオリヴァー·ミンス博士はミンス子爵家の次男で、ネイサンという年子の兄がおり、風貌や背格好が双子のように似ていると言われている。
ネイサンは生物の研究ではなくて、薬学博士になっていた。
ネイサンがオリヴァーにすり替わった目的は何か?
彼もリオの生態に興味を持ち、何かしら自分の研究に利益になる、利用できると思ったからなのか?
兄弟で共有するのではなくて、弟から奪い独占しようとしているのだとしたら、ネイサン·ミンスは、オリヴァー·ミンスとは真逆の人間のようだ。