おばさん
高齢障害者が、40年来の妻に、夕食時言われたきつい言葉。
妻の身内は、おばさんだけが生者。両親は2人とも他界。
おぼさんは、姪とその旦那のわたしの離婚にショックで、元の鞘に戻って欲しいと望む老婆。
おばさん
ご心労をおかけします。
猛暑ですね。
秋分の日が近づいています。
過ごしやすい季節に期待しています。
子が2人、孫が3人。おかげさまで、皆、健康。
ふさよ様、輝夫様、正義様、私の両親、順序を乱さず、お看取りを出来たこと、感謝しています。
親世代のおばさんに心労をおかけしているのが、一番の苦悩です。
元の鞘の件ですが、退院し千葉の家(おばさんに金銭的支援を受けた)で夕食中に、親や兄姉から言われたことのない言葉を耳にしました。
私が障害であることが起因だと認識しつつ、この恐怖な言葉を私は墓場まで持っていくことを決めました。今まで、友人知人、兄姉にも、お墓の前でも、決して、口にしていません。今は自責と納得しつつ墓場まで封印します。
叔母さんのご心労には、頭が下がります。
私は私で、自責を回想しつつ、あの姉妹には、厳しい言葉を投げつけられました。
弟には、泥棒、それも香典泥棒、呼ばわりされました。
その姉からは、障害者になったら、恐怖の言葉、二連ちゃん、この一族には、嫌われているようです。
原因は自責でしょう。
私は、悪魔の言葉を墓場まで持っていくつもりです。
おばさんの優しい御心に添えないことお詫びします。
私は父母兄姉から遠い沖縄の地で終活をさせていただきます。期待に添えず、申し訳ないです。
おばさんもご自愛願います。
カズヤさん、私とA子の気質は異なる。
私も、もうニケ月、あの姪とは、会話していない。
あなたにキツい言葉を投げたのも、想像できる。あの姪の気質なら、いいそうな気がする。
わたしももう、七十六歳。旦那にも先立たれ、孤独な身。迎えの時を待つだけ。
親しい介護士や看護師に聞くと、日々、老人を診て世話している彼女や彼らがよく言う。
「わたしらは、七十五で迎えに来てもらいたい。この年齢を超えると、世話が大変やし、介護士や看護師さんらに迷惑をかけたくない。七十五を超えると、病気も治癒しない。苦しい、痛い、辛い、本人が一番可哀想。日頃診ているわたしは七十五で十分。
あと五年あと十年、辛いことが続く。
わたしらは、七十五、と仲間内で確認しあっている。
だから、やりたい事、伝えておきたい事、七十五までに、やり尽くさないと後悔する。
と、教えてくれる。
毎日、朝昼晩と診ている方々が言う事は、大いに参考にすること、仏陀の前で先だった旦那に伝えた。
旦那は、「おまえに口では言えない以上の世話をしてもらった、感謝している。もうお前も十分行きた。やりたいことをやって、いつでもこちらへ来い。焦らず慌てず、俺の側に来れば良い。ご苦労さんやな。
yaやはり旦那のいる処へ行きたい。
産まず女だが、旦那の匂いが安心。
旦那の弱まった男根でも慰めてもらいたい。
男根を上の口で下の口で味わいたい、娘時代のように。
わたしはばばーになっても女。
旦那に抱かれたい女で、旦那の処へ行きたい。
夜が寂しい。独りで食べても美味くない。
旦那が欲しい、男根欲しい。
もう、いつでも、あの世へ行ける。
この世は十分に楽しんだ。
そして受分に悲しんだ。
もう、あの世で、旦那の側で静かに眠りたい。
わたしはおばさんの心情は痛いほど理解しつつ、元妻の言葉は墓場まで持ち込むつもり。
高齢障害者が、煩わしいだけの存在なのは理解する。
元妻を恨まないのか?よく尋ねられる。
わたしは自責だと判断。
離婚し、周りの人他人の世話にな地ながら。^_^、もう少しこの世にお世話になる。