第1話 プロローグ
大丈夫だよ。
右耳に、吐息がかかるほど近く。
まるで内緒話をするように、かすれて、ささやくような声が届いた。
今にも消えてしまいそうな、それでいて凛とした声。
その声の主を、僕は知っている。誰よりも知っている。
銀色のサラサラとした髪が僕のほほに触れる。
顔が近いとかのレベルじゃない。
ああ、僕は抱きしめられているんだ。
震えの止まらない冷えた僕の右手には、ぬらぬらと鈍色をそなえる短剣が握られている。
大丈夫。私も一緒だから。
不意に抱きしめられていた安心感が消える。
代わりに、抱擁と同じくらいに温かい手が僕の手に重ねられた。
僕が勇者の器じゃないことは、僕は知っている。
誰よりも知ってる。
それも、十二分に、嫌ってほど知ってる。
大丈夫。怖くないよ。
それでも。少なくとも、目の前にいる人を助けなきゃならないんだ。
頭で理解していても、本能が恐怖を感じていてガクガクと震えが止まらない。
大丈夫。一人じゃないから。
なんだってこんなことになったんだ。
歯と歯の隙間から寒気とともに空気を吸う。
一瞬、肺に溜めて、ゆっくり吐き出す。
僕は、ただ。ただ、父さんと母さんに認めてもらいたかっただけなのに。
奥歯が止むことを忘れてガチガチと鳴り続ける。
大丈夫。二人で終わらせるんだよ。
握った短剣は抵抗を感じることもなく、するすると体を切り裂いて、吸い込まれていく。
ごめんね。
短剣が刺さったところから、血が濁流のように溢れて零れ落ちていく。
いいんだよ。二人だからできたんだよ。
僕の自然と漏れた言葉に返ってきた声は、僕の気持ちとはうらはらに晴れやかだった。
僕の服も足元もどんどん血塗られていく。
僕は、怖くて涙が止まらなかった。
命が失われていくことが怖かった。
命を奪った事実が
一人の命を奪った事実が
怖かった。