第3話 屋内プールの怪
運悪く連続して赤信号につかまり、河村が区民体育館に到着する頃には、25分ルールぎりぎりの時間になってしまっていた。河村は心を落ち着かせるためにラジオを付けた。深夜放送では、リスナーからの手紙をパーソナリティが読んでいた。今夜のテーマは『転職』についてらしい。河村にとっても実に興味深い話題だ。
区民体育館の敷地に入り、駐車場に車を停めると同時に携帯電話が鳴り、出てみると本部管制からの電話だった。
「25分になりますが現着(到着のこと)してますか?」
「はい。信号のタイミングが悪くて、今現地の駐車場に停車したところです。これから外周巡回に入ります。」
「わかりました。お願いします。」
警備業法で定められているため、25分厳守と言う決まりがあるが、実際には守れないこともある。何といっても緊急車両扱いではないし、ここのように駐車場が使えない物件も数多くある。酷い時は、1キロ以上離れたパーキングから奪取することだってあるのだ。本部管制は、事業本部内において、各パトロール員がどこにいるのか、また、誰をどの対象施設に送ればいいのかコントロールする部署のことだ。河村の担当は北区だが、担当パトロール員よりも近ければ、隣の板橋区、豊島区、荒川区、文京区などに出向くこともある。
物件の鍵を取り出すと、再びライトと警棒を手に、区民体育館の外周を歩いた。この区民体育館は、バスケや卓球ができる屋内体育館と、隣接した屋内温水プール、屋外には野球場とサッカー場にテニスコートまである。全部を合わせると相当な広さだ。
外周を見ていくと、建物のちょうど裏側、ここは屋内温水プールの更衣室に面した排煙窓が開いているのに気が付いた。それ以外に異常はなかったので、どうやらこれが原因ではなかろうかと当たりを付け、正面入り口に迂回すると、鍵を開けて建物内に入った。入ってすぐの事務室に入り、機械警備の警戒状態を解除すると、明かりを付けようと分電盤を探した。
しかし、分電盤はあったものの扉が硬くて開けられない。変にいじって壊れても問題になるため、河村は諦めてヘッドライトと腰のライトの明かりをつけた。プールや体育館側に行かない限り、この分電盤のスイッチは必要ないかもしれないと判断したのだ。
万が一を考え警棒も取り出し、共用部の天井等を付けた。ここは生きているらしい。賊がいてもいいように十分に警戒しながら慎重に更衣室の扉を開けた。男子更衣室は異常がなかったので、女子更衣室の扉を開けると、ライトで中をうかがいながらそっと中に入った。
念のため、更衣室のロッカー廻りを一周して誰もいないことを確認すると、設置されている人感センサーを確認した。赤く点灯しているのがわかったが、排煙窓が開いているくらいではセンサーは働かない。何が原因かを探らなければいけないのだが、更衣室はロッカーのほか、長椅子になっているベンチと、シャワーブースしかない。センサーにかかるようなものは見受けられなかった。女子更衣室内をあれこれ詮索しているのもなんだか気恥ずかしい話だ。調べていると、排煙窓から夜風がすぅーっと室内に入ってきた。
「あ、そう言うことか。」
河村はシャワーブースのカーテンが揺らめいたのを見逃さなかった。どうやら、利用者が何らかの理由で排煙窓の起動ボタンを押したため、ワイヤーの固定が緩んで窓が開き、そこから入ってきた外気がシャワーカーテンを動かしたのだ。
「まったく、子供がぶつかったのか?」
物件によっては、排煙窓が開くと事務室のセンサーが鳴動することがあるが、ここは古い建物のため、そんな機能はないようだ。排煙窓の開閉ボタンまで行くと、設置してあるハンドルを取り付け、クルクルと回して窓を閉じた。これでもう外気は入らないはずだ。
報告書を書いて引き揚げようとしたが、ふと、プール側に明かりが付いているのが見えた。更衣室は共用部からの出入り口と、直接プールへ抜ける出入り口がある。すりガラスから差し込んでいるのは、街灯ではなく建物内の明かりのようだった。
河村は警戒しながらプールへの扉を開けた。室内プールは明かりがないためにわずかに入ってくる街灯の光でうっすらと暗い。水辺と言うのは暗いだけでこんなに不気味なものかと思った。プールには、全体的にブルーシートがかけてある。室内プールの水温低下を防ぐためだと聞いたことがあるが、どれほど効果があるのだろうか。そんなことを考えながら明かりの元と思うを探すと、室内プール脇に設置してある休憩室の電気が付けっぱなしのようだ。排煙窓と言い、休憩室の電気と言い、ここのスタッフはあまりしっかりした管理はできていないらしい。
休憩室内に入り、誰もいないことを確認すると電気を消してプールサイドに戻った。わずかな光もなくなったため、プール内は一層暗くなった。なんとなく心細くなり、河村は歩みを速めて事務室を目指した。その時、
『ぴちょん!』
と、水滴の音がしたために思わず飛び上がってしまった。怖さを我慢して共用部に出ると、蛍光灯の明かりがずいぶんありがたいものに感じた。
念のため体育館側も確認したが、当然誰もいるわけでもなく、事務室に戻ると、机を借りて報告書をまとめた。また、排煙窓の他、プールサイドの休憩室が付けっぱなしだったことも明記し、消灯したことを報告した。相手はクライアントのため、強くは言えないが、こうやって報告することで少しでも意識を高めてくれればいいなと思った。
報告書を事務室長席に置くと、警備を入れて消灯して外に出た。ふと腕時計を見ると午前1時を回っている。移動と中の確認でだいぶ時間が経過してしまったようだ。本部管制に完了したことを報告すると、ようやくロックエバーマンションへ戻ることができる。途中、コンビニに寄って夜食と飲み物と煙草を買うと、河村は車の窓を全開にして走らせた。本当はいけないのだが、この時間なら誰に見られるわけでもないので、タバコを吸いながら運転したのだ。会社では固く禁止されているが、チームの4人は全員喫煙者のため、暗黙の了解で吸うことにしている。
紫煙を燻らせながら、ふと区民体育館でのことを思いだした。
「あ、あれ?」
そう言えば、プールはブルーシートがかけてあった。窓も閉まっていたために風も入ってこないはずだ。それなのに、なぜあの時、水滴の落ちる音がしたのだろうか。
言いようのない不安な気持ちになり、河村はアクセルを踏み込んだ。気のせいだ。きっと気のせいだ。何か水滴が垂れるようなものでもあったのだろう。そう自分に言い聞かせることにした。
河村は知らぬことだが、15年ほど前、スタッフが誤って排水のスイッチを入れてしまい、排水溝に吸い込まれて身動きが取れなくなった小学生女子が溺れ死んだ事故があったのだ。それから、消したはずの照明が付いていたり、突然、排煙窓が開いたり、ロッカーや分電盤の扉が開かなくなったり、不可解な現象が多発していると言う。。。




