プロローグ2
正義は必ず勝つ。
よく聞くアニメやドラマのテンプレートだ。主人公が主人公らしく、物理的に、あるいは法的に、苦難を乗り越えながらも、誰がどう見ても悪とみなすような輩を成敗する。見ていて清々しいし、何よりアニメやドラマは基本、主人公が勝つように設定されているので、安心して見れる。
だが、実際はそうではない。世界は悪に満ちている。しかもタチの悪いことに、そのほぼ全ては表向きは正しいと判断できる、そうでなくとも、悪とはみなされないような、あるいは悪事をしているということを隠すようなスタイルだからである。
正しいことと正義であることは少し違う。同じように、悪いことと不善であることは違う。故に、正しさと不善は両立できるし、悪さと正義も両立できる。この世界はそんな複雑な善悪を内包している。
真の正義とは、いや、正しさとは何か。今の世界の正義は本当に正しいのか、また、悪事とみなされていることは本当に悪なのか。考えたことはあるだろうか。
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朝、目を覚ますと体が重かった。なにかこう、上に乗っかられているような感覚だった。少し違和感を覚えたが、その理由はすぐにわかった。
「…おい、どけオッサン」
違和感の正体は酔い潰れて寝ている中年男性。よだれをたらしながら、もう無理、勘弁してくださいとうわ言のように呟いている。言っていることとは裏腹に、満面の笑顔なのが癪に触る。
ここは深川のとある公園。ベンチに仰向けになりダンボールで風よけを作って寝ていたところ、このオッサンが倒れ込んできたようだ。
とはいえ、乗っかっているのは上半身のみ。気を遣ってオッサンを起こさないように、ダンボールとベンチの間からするりとぬけだした。少し失敗して、オッサンの顔がのっているダンボールごと、ベンチからはみ出て落ちそうになっていた。
「…クソが。おかげで4時間くらいしか寝てねぇじゃねぇか」
公園に取り付けられた時計を見てため息をつく。昨日はなんやかんやあって寝たのは結局2時過ぎだった。現在の時刻は6時12分。ただまぁ、オッサンのせいで早起きしたとはいえ、普段寝ている時間と対して変わりはない。
黒いBluetoothコネクタを取り出してイヤホンにつけ、スマートフォンを操作してラジオ体操の音楽を流す。ラジオ体操の曲がイヤホンからではなくスマートフォンから流れたので、コネクタの電源を入れていなかったことに気づき、少し恥ずかしく感じた。コネクタの電源をつけてラジオ体操を開始したが、なんとなく後ろで寝ているオッサンに意識が向いてしまい、途中でやめてしまった。
6時45分を過ぎたところで公園を出て、最寄りのコンビニで明太子のおにぎりと麦茶を購入し、公園に戻ってそれを食べた。普段ならもう1、2個ほどおにぎりを買っていたところだが、今日はなんとなく食欲がなかった。
7時15分ごろからは、ちらほらと人通りが出てきてうるさくなってくる。いつも通りに活動していればこの時間帯はちょうど食事をとっている最中なのだが、早起きと少ない朝食のせいで、何もすることがなく周りの人の声が妙にうるさく感じる。
7時35分。ついに公園から出て移動する。向かう先はとある高校。とは言っても、別に通っているわけではない。正確には、通っていたが正しい。事情があって途中でやめてしまったが、友達とはなかなか親しかったと思う。そんな母校(と言っていいかは分からないが)を眺めてから仕事場へ向かう。最初は学校に未練があったからだとは思う。しかし、今ではこれが日常、ルーティーンの一種にまでなっている。
仕事場に向かう途中に電気屋があった。そこに置いてあるテレビは常についていて、ニュース番組がやっている。昨夜2時ごろ、路地裏で6人組のコンビニ強盗犯のうち5名が死体で見つかったという。奪われた金銭と仲間の1人が行方不明になっているため、その男が金を独り占めするために仲間を殺したのではないかと報道していた。それを見ていた女子高生たちが、 やっぱりあの都市伝説、本当なんじゃない? そんなわけないでしょ、 でもこんなに出るなんておかしいよね? それはまぁ、 じゃあやっぱり! と興奮した声で喋っている。
悪党殺しの都市伝説。それはこの下町、深川発祥だが、いまや全国的な広がりを見せる都市伝説の一つ。
それは、この深川で犯罪を犯した者は、単独犯でも複数犯でも関係なく、一晩とたたないうちに誰かに殺害されているというもの。死体の死因はバラバラであったが、深川で相次いで犯罪者のみが死体として発見されてしまったため、都市伝説化したようだ。
その殺害犯は悪党ばかり殺しているため、悪党殺しの異名を名付けられた。悪党殺しの特徴は、男であること。そして、黒い髪の毛に一筋の赤メッシュ。灰色のジーパンに、黒い長そでのシャツ。足が速く、人間とは思えないほどの喧嘩の強さ。朝は苦手で、夜しか活動せず、深川以外の土地勘がない。意外と甘いものが大好きで、ドーナツが大好物である。など。
主にネットやSNSでの反響を呼び、女子高生を中心に話題が展開しているので、尾ひれにはひれが付きまくって、半分デマともいえる悪党殺しの人物像が作り上げられている。
そんな都市伝説があったなぁと考えていたら、仕事場についた。ちょうど8時だった。俺の仕事は少し危険なものを取り扱うので、仕事場は地下にある。地下のほうが周りに迷惑をかけないし、何よりこちらも安心して仕事に取り組むことができる。
地下へと続く扉の鍵を開け、中に入った。動物が死んだとき特有の血なまぐさい異臭と、重い空気。いるだけで嫌になる圧迫感。それは仕事場の中央で椅子にきれいに座っている彼のものであった。
「なぁ、調子はどうだ?血は落ちたか?」
「・・・」
「まぁ、みりゃわかるか。お前も大変だなぁ。一躍有名になっちまってよ、外に出ることもできなくなるなんてな」
軽く雑談をしながら、早速仕事にとりかかる。仕事場においてあるペンチや金づち、糸鋸と一緒に、無造作においてあるチェーンソーを取り出す。あまり使ったことはないが、今回の獲物は結構大きいので、これくらいのものを使わないと時間がかかりそうだった。
「おいおい、こっちを見るなよ。やりづらくなるだろ?」
「・・・」
「まぁ、気になっちまうのはわかるけどよ。安心しな。俺もお前と同じように、この界隈じゃ、ちょっとした有名人なんだぜ?腕に関しては気にするこたぁねーよ」
解体作業に取り掛かる。まず頭を切り取り、特徴的な耳をそぐ。肩と股の関節をチェーンソーで切り崩す。血しぶきが飛ばないように、血を抜いておいて正解だった。血なまぐさいのも許容できるってもんだ。
「そういえば、お前、家族がいたらしいな。財布に貼ってあった写真、娘と嫁だろ」
「・・・」
「お前も不幸だな。こんなに有名になっちまったら、もう家族とは会えないし。会話することもできなくなっちまったな。」
すべての解体作業を終えた後、部屋の中を見渡す。解体し終えたやつは袋に入れ、きちんと縛って部屋の隅に。消臭剤を撒いておいたから、血なまぐささはどこへやら。部屋はすっかり片付いて、座っていた椅子と工具以外は一切何もない。
「でかけるか」
部屋の隅に置いておいた袋を持ち、車に乗り込む。本来、この年齢で車に乗ることはできないが、免許証自体は持っているし、運転しているうちに慣れた。
運転中にもう一度イヤホンをコネクタに装着し、音楽を聴きながら目的地に向かう。途中入ってくる広告がうっとうしい。広告を消そうとスマホを開いたら、時間は12時を過ぎていた。解体作業に案外時間がかかってしまったらしい。
江東区の荒川沿いを進んで、港に着いた。正直、そこまで行く必要はなかったが、念には念を、というやつだ。
風がいつもと違ってかなり静かだ。波もほとんどない。嵐の前の静けさというやつか、なんとなく、これから思いもよらない事件が起こるんじゃないかという、根拠のない予感がしていた。
車から降りて、袋を片手に、海沿いを区切るフェンスの近くまで来た。あたりに人がいなかったので、気にすることなくそのまま袋を海に投げ捨てた。ドブンと大きな音が鳴る。すこしそのままぼうっと立っていた。
振り返って、近くのコンビニまで歩いて向かう。そこまで遠くはなかったし、なんとなく、車に乗りたくなかった。時刻は12時54分。ちょうど小腹もすく時間だ。
コンビニであたたかい肉まんと、ココアを購入。そのまま車に戻って、後部座席に置いておいたドーナツを一つ取り出し、食べる。腹ごしらえを適当に済ませ、エンジンをかける。
その直後、大きな音を立てて車が爆発した。港に響く大きな音。かろうじて即死を免れていたようだが、長くはないだろう。燃え盛る炎の中、遠くに怪しげな人影を発見した。
まちやがれ、と叫ぶこともできずに、現場から去っていく男をにらみ続ける。殺す。明確な殺意を持って、俺は死んだ。
13時24分、悪党殺しの伝説は途絶えた。