プロローグ1
「くそっ……なんで、なんであんな…あんな化け物がいるんだ!?」
ここは東京の下町、深川。時刻はすでに12時を過ぎ、人の気配は全くしない。日本橋や浅草と比べるとマイナーなこの町を、1人の男が駆け抜ける。
「はぁっ、はっ、はぁ、、クソがぁっ!なんで俺がこんな目に!」
男は息も絶え絶えに、それでも何かから逃げようと必死になって走り続ける。
「たかがコンビニ強盗だぞ!?それだけで、、それだけでこの仕打ちかよっ!?」
コンビニ強盗をたかがと言い放つこの男、他人が聞いていたら相当な悪だというだろう。だが、今の彼の状況を考えればコンビニ強盗など些細なことだ、と叫びたくなるのは当然のことにおもわれる。
男が走りながら右手に持っているのは、折り畳み式のナイフ。左手には奪った金が入っている、少しボロくなった茶色の財布。そのどちらも、大量の血によって赤黒く染められており、男が羽織っていた緑色の高級ジャンパーも、ペンキに突っ込んだかのように赤色が付着しており、所々が破れ、着ているのがやっと、といった状況である。
男はもう走れないと悟ると、ある程度街灯があり、見晴らしのいい公園の真ん中に立ち止まって、息を整え始めた。幸いホームレスなどの人はおらず、血まみれの服を着た、ナイフを持っている男性がいると通報されずに済んだ。いや、この場合、この男にとってはそちらの方が不幸だったのかもしれない。なぜなら、警察に通報され捕まってしまえば、これ以上、最悪に追われることはないのだから…
「これくらいの、見晴らしがありゃ、はぁっ、さすがに、はっ、逃げるこたぁっ、出来んだろっ、」
男は一部の冷静な頭で考える。
逃げ切れるか?と自分に問う。無理だ。あの化け物はいつまでも追ってくる。倒せるか?もっと無理だ。相手はナイフや拳銃を持った男の集団を30秒足らずで、しかも素手で倒した、否、殺した相手だ。そんな相手に立ち向かうなんて自殺行為だ。ならば見逃してくれるよう説得、もとい懇願するしかない。目的も、要求も、殺した手段さえわからぬ相手に?ならばそれ以外の方法があるのか?己を殺そうとする狂気に、悪魔に、最悪に、本当に懇願するだけで、命が助かるのか?
そう考えていると、ついに、最悪が、現れた。
「なんだ?もう鬼ゴッコは終わりか?まぁ、こっちとしてもそろそろ面倒くさくなってきたから終わりにしてぇんだけど」
公園の入り口から堂々と歩いて近づいてくるその青年は、月明かりと街灯に照らされてわずかに姿がわかる程度。だからこそ目の前の青年が、化け物が、より恐ろしく感じる。届くように大きめの声を出したつもりだったが、出したい声とは裏腹に、震えた、ギリギリ聞こえるかという小さめの声しか出なかった。
「…そうだな、鬼ごっこはここで終わりだ。こっちは走る体力はもうねぇからなぁ」
「なら、今度は最後の力を振り絞ってプロレスゴッコでもやりてぇってのか?」
化け物は、ゆっくりと、俺の目を指差した。その動作でさえ、心臓が押し潰されそうになる。
「お前の目はまだ折れてない奴の目だ。相打ち覚悟で戦って、運がよけりゃ勝てるとでも思ってんなら、そりゃ間違いだ」
「そうだろうな。だから今度はプロレスじゃなくて話し合いをしようじゃねえか」
そこでようやくその化け物は歩みを止めた。すでに距離はかなり縮まっていて、駆け出して手を突き出せば触れてしまいそうなほどに近づいている。呼吸を整えて、震えた声のまま、冷静さを装いながら話し始める。
「お前の目的はなんなんだ?金か?金なら全部くれてやる。俺にできることならなんでもしよう。だから、見逃しちゃくれねぇか?」
「目的ねぇ…」
めんどくさそうに頭をかきながら、少し考えたようで、
「あー、強いていうなら、せいぎのためかな」
「正義?人を殺すことが正義なわけがあるか!正義のためってんなら、警察に引き渡し、法で裁くことこそ正義だろ!?なんで殺した!?おまえみたいな化け物なら、殺さずに無力化することだってできただろ!?警察に引き渡すくらい造作もなかったはずだ!」
「自分のしたこと棚に上げて、ぬかすじゃねぇか、悪党。まぁ、できなかったかと聞かれりゃそりゃできたがな。でも、それじゃ、何も変わらない」
「なに?」
「警察は罰則を与えられない。罰を与えられるのは状況を言伝に聞いた少し法律をかじったただの裁判官。そいつらによって罪の重さが決定され、被害者は直接罰を与えられず、ただ与えられた判決を見ていることしかできない。そいつらの苦しみ、憎しみ、そういったものすべて無視して、のうのうと生きる犯罪者を前にただ見てろっていうんだぜ?馬鹿馬鹿しい、不確定要素満載、どうかしてやがるこんな国」
あからさまに苛立ち始めて、言葉を続ける。
「だから悪人は反省しない。都合のいいことばかり聞かされた、第三者によって決められた罰則に従って、本当に反省する奴なんていねぇ。だから繰り返す。根本的な解決にならない。全ては政府が、国が、いや世界が!あくまでも公平性のみを重視しただけの、無意味な法律があるから!正しい正義、真なる正義を理解していないから!真なる罰を与えられない。だからこそのクソみてぇな惨状だ。」
一拍おいて、さらに続ける。
「だから殺す。日常を壊す悪を殺す。無駄で、無意味で、無価値な世界に代わって、殺す。それが目的だ。罪の重さはどうだっていいんだよ」
「ならお前はどうなんだ!?殺人という罪を犯して、自分を正義と言えるのか!?」
「オイオイ、何か勘違いしてるみてぇだなァ」
化け物は、嘲るように笑って、
「俺は悪を殺すと言った。だが、俺は俺のことを正義だなんて1ミリも思っちゃいねぇ。俺は悪党だ。罪人だ。裁かれるべき人間だァ。だからこそ俺が、他人が手を汚す前に、全ての悪を俺が潰す。そして、すべての悪がなくなったとき、最後の悪である俺も殺す。それが俺の流儀!それが俺の悪!それが、俺が悪であるということだ」
それから凶悪な目つきに変貌して、
「もう話は終わりだ。これから、俺が悪を見せてやる。あばよ」
そう言い終わった瞬間、呼吸ができなくなった。喉が痛い。見ると首を絞められている。いくらなんでも速すぎる!あぁ、俺の仲間も同じ苦痛を味わって死んだのだなぁ、と思える精神力はもはや残っていない。強盗なんてしなければ、死ぬことはなかったのに、と後悔の念ばかり考える。
「都市伝説は、、ほ、ん、、とう、だっ、、、」
俺の意識は、人生は、ここで途絶えた。