⑤慣れとは反応速度とは
連載形式と短編形式では何が違うのか、長期連載を取り組んでらっしゃる方、もしくは短編をより多く取り組んでらっしゃる方には、当然の話なのかもしれませんが、連載形式の場合、当然ながら『いつ、終了するかという目安を掴みづらい』ことが挙げられます。
私は、短編と言っても、具体的には詩や場面を切り取った短編ばかり書いてきたので、しっかりと一つの短編で終わるミステリーのような作品を書いたことは一度も無いので、短編作家の方にしてみればなんちゃって短編を書いていた奴か。という理解に収まってしまうような書き手だと思いますが、それでも私は、短編の方が、『いつ終了するかの目安を掴みやすい』と、考えています。何故かというと、短編というのは、手のひらに収まる分量であるからです。
……何が、手のひらに収まるのか、と、言えば、展開のバリエーションが、……ということになります。
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一つの短編で、一人ひとりの細やかな心情描写や、何回転もするストーリー展開をしたら、短編そのもののリズム、というのか、型を崩してしまいます。よって、短編の場合、手のひらで収まるだけの展開のバリエーションとなり、人間関係もそこまで複雑にはよってなりづらく、……そのように区切っていくと、『いつ終了するか』を明確に決めてからストーリーを作成しやすいのです。
万が一、明確に決めていなかったとしても、終了させるのはストーリー通りに進めていれば自然と終了に向かうパターンも多く、私は、とても書きやすく、その為、プロットを作らずとも形そのものに困ることは無かったと言えます。
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つまり、短編の場合、大まかな括りで設定を創っていてもストーリーの流れと雰囲気で自然の流れに持っていける幅が大きいというのか、幅にゆとりがあるのです。だから、比較的設定を詰め込まなくとも雰囲気で押し通せる。
※ミステリーなど考え抜かれた短編を書かれる作家の方には頭が下がります。……今の私にはとてもそのようなストーリーの設定を創造することすら出来ない。次元が違い、想像すら追いつきません。
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そういった私のような緩めの短編のようなもどきを書いていた人間が、長編小説の連載に取り掛かると、一番初めにぶつかる大きな壁というものが存在します。
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次のページでそれを思考して参りたいと思います。