落ちるときは落ちるのだ
ぐすぐすとしゃくりあげる自分の声が疎ましい。
そう思うのに、少女は涙がこぼれ落ちるそれを止めることができなかった。
好きだった。
ただ好きだった。
思いを伝えることもできずに砕けた、その恋心を少女は消化しきれずに、涙として零すばかりなのだ。
そんな表現をすれば可愛らしくも見えるが、実際はただ失恋してなにも言葉にすることができなかった自分のふがいなさにイラだって、気づいてくれなかった相手へ不満を持って、幸せになった告白者へ妬みを感じて、それがまた腹が立つ。
誰にか。
自分にか、相手にか、それとも見知らぬ人にか。
全部だった。
時折鼻をすする音が混じる中で、少女は一人、部屋の中で布団にくるまって泣いていた。
辺りにはティッシュが散乱して、手に持つタオルハンカチは涙で大分重かった。
目が痛いと思うのに、勝手にこぼれ落ちてくる涙に、またじんと目が熱くなる。
それでも泣いて泣いてそれなりの時間を過ごしたからか、大分気持ちは落ち着いてきた方だ。
(……?)
不意に、音がした。
窓の方からだと気がついて、少女は顔を上げる。
こん。
こつん。
目を瞬かせる少女が、少しだけ躊躇って、ベッドから下りる。
泣き腫らした目と、ぐしゃぐしゃな紙のままカーテンを掴んでそろりと開けた。
こん、
わずかに開けたカーテンの隙間に見えたのは、小さな棒の端っこだ。
それにぎょっとしつつ、少女は見覚えある光景に目を泳がせた。
カーテンを閉めてしまおうか、そう思ったところでそんな少女の気持ちを叱咤するようにまたこつんと棒が窓を叩いた。
ゆっくりと、カーテンを開ける。
二階にある少女の部屋にある二つの窓、その一つ。隣家に面したその窓は、同じく二階に部屋を持つ、交流の薄い幼馴染みの姿が見えた。
幼い頃は、この窓を介してよく会話したものだ。
それも思春期を迎える頃から減って、今では交流そのものが薄くなってしまったのだけれど。
同じ幼稚園、小学校ときて中学校、そして高校では別々に。よくある話だ。
「……よぉ」
「ひさしぶり」
「元気だったか?」
なんともない、いつも通りの声がかけられる。
まるで話していない年月が嘘かのように――――いや、やはり違うと少女は思う。
棒を手にした彼は、目をあちらこちらに向けて少女を見ようとはしていない。戸惑い、照れくささ、今のボロボロな姿を見たことで動揺したのか、そんな風に思って少女はカーテンをぎゅっと握った。
「元気。ねえ、用がそれだけならもういい?」
割と冷たい声が出たと少女は自分でびっくりした。自分でもこんな声が出るんだと、妙に感心してしまったものだ。
けれど飛び出したその声に驚いたのは少女だけでなく、目の前の幼馴染みもびっくりした様子でこちらを見ていることに気がついて少女はばつが悪い気分になった。
「……なあ、今からちょっと出れるか」
「はあ?」
「準備あるだろうから、そうだな、えぇと……十分後に下で待ち合わせな! 暖かい格好してこいよ」
「ちょっと、待って……なに勝手なことを」
「よーし、じゃあ十分後な!」
「ま、待ってよ!」
なんて勝手なんだろう。
そう思うのにもう幼馴染みの姿は見えなくなっていた。
今日は閉じこもって泣いていたい。
でも幼馴染みが待っている。
断るにしても、下に行った方がいいんだろうか。
少女は少しだけ迷って、適当にクローゼットから服をひっつかんで着替え、帽子に乱れた髪を押し込んだ。
机の上にあるリップをチラリと見て、引き出しに放り込んで乱暴に閉めた。
言われた通り、温かい格好で外に出ると、冬の季節らしいひやりとした外気が頬を撫でる。
それが泣きすぎて火照った目元に心地よくて、少女は目を細めた。
「お、来たな。時間通り」
「ねえ、なによ」
「……久しぶりにさ、天体観測に行こうぜ!」
「はあ?」
笑顔を見せる幼馴染みは、確かになにか筒のようなものを背負っていて、自転車のサドルをぽんぽんと叩くその姿は幼い頃に見た覚えのあるそれで、だけれど今に繋がらなくて少女は目を瞬かせた。
そんな様子を気にするでもなさそうな幼馴染みは空を見上げて、息を吐く。
白く染まるそれにつられて、少女も空を見上げた。
町中の街灯は明るくて、見える星は少なくて。
それでもきらきらと冬の夜空を飾るのは、確かに星だった。
「今日は流星群があるんだってよ」
「りゅうせいぐん」
「おう、ほら、乗った乗った」
自転車に二人乗り、おまわりさんに見つかったら叱られる。
親に言ってないのに夜間外出。
誰かに見られたら、男女で夜にふたりで出かけただなんて勘違いされる。
色々少女の中であったけれど、走り出した自転車に目の前の背中にぎゅっとしがみつく方が先だった。
泣きたい、だけどじっとしてもいたくない。
(……なんか、バレてたみたいで、くやしい)
ずっと離れていた幼馴染みに、自分の気持ちが見透かされていたようで落ち着かない。
だけれど、同時にどこかでほっとしていた。
失恋して惨めだったから、一人でいたいと思うのと同時に誰かに傍にいてほしかった。
仲の良い女友達たちは心配してくれていた。
男友達には、まあ、相談しにくい。なにせ片思いしていた相手とも繋がっているわけで。
そういう意味で、幼馴染みは確かに正しく、安心できる相手だったのかも知れない。
「この辺がいいんじゃね」
「……人の話聞かないで突っ走らないでくれる?」
「悪い悪い。でも、ほら」
それは公園の入り口だった。
市が力を入れている大きな公園の入り口は開けていて、夜だからか噴水は静かだ。
幾人かの人がまばらに夜空を見上げていて、きっと彼らも流星群を見に来た人たちなのだろう。
点在する街灯に、ふたりきりではない状況に少女はほっと胸をなで下ろす。
「おっ、いい頃合いだぞ。ほら見てみろ」
「なによ、もう……」
ぐいっと押しつけられた望遠鏡。
それをのぞき込んでも、よくわからない。ただきらきらしたものが、視界に広がったことは認める。
「そっちじゃない、ほら、あっち」
「どっちよ」
「いいから」
肩を抱かれて、どきりとした。
幼馴染みの手のぬくもりに、大きさに、先ほど背中にしがみついた時も感じたけれど、男女の違いを感じざるを得なかった。
「ほら、あそこ。見えるだろ」
「あ……ほんとだ、なんか、流れた」
「綺麗だろ」
「うん」
会話はそれで途切れた。
見上げた空の、望遠鏡で近づいた空に浮かぶ星々のきらめきも、星の雨も、冷たい空気も、静けさが似合う気がした。
少なくとも、少女は求めた静かな空間と、一人ではないなにかをそこに感じたのだ。
どれだけそこにいたのだろう。
流星群はとっくの昔に終わっていて、周りの人たちも数が減っていた。
「……終わっちゃったね」
「まあこの辺で見える時間帯は過ぎたからな」
「そうなんだ」
「良かったろ?」
「うん。あ、でも親に言わずに出ちゃったから、戻ったら一緒に説明して」
「うちの親経由で連絡しといた、安心しろよ」
しれっとそんなことを言う幼馴染みは、望遠鏡をしまうと少女の手を取って歩き出した。
さりげなく手をつながれて、それでも嫌な気がしないのは子供に戻ったような気分だからだろうかなんてぼんやり考える彼女をよそに、幼馴染みはポケットを探って五百円玉を取り出した。
「どれ飲む?」
「……ココア。あとで返すね」
「いらね。ほらよ」
渡された缶は冷えた指先には熱くて、手袋をしてくれば良かったと少女は思う。
プルタブを押し開けてすすれば、甘い味わいが口の中に広がった。
隣では幼馴染みが缶コーヒーを啜っている。
「……ありがと」
「どういたしまして。……んで、気分転換できたか」
「……うん」
「そりゃよかった」
「でもどうして」
確かに少女が泣いて帰ってきた時に、ばったり顔を合わせてしまったのだから落ち込んでいるのはバレていたのだろうとは思う。
だけれど、交流が絶えるまではいかなくとも、朝見掛けたときに挨拶をする程度の仲に落ち着いてしまった自分たちで、なぜと不思議に思うのは奇妙でも何でもなかった。少なくとも少女の中では。
「そりゃ約束したからな」
「え?」
「お前、すっごく落ち込んでも星が見れたら泣き止むから、大きくなって泣いてたら連れ出して……って俺に約束させただろ」
「そうだっけ?」
「そうだよ。何度も何度も約束させられたってのに、言い出しっぺが忘れてるとかねーわ」
「ご、ごめん?」
そんな記憶の彼方の話をされても少女としては困るのだが、どうやら自分がお願いしていたのだと理解してとりあえずの謝罪をする。
それでもどこか釈然とはしないのだが、確かに気分転換にはなったのだ。
察して、幼い頃の約束を守りこうして連れ出してくれたその行動力に驚かされるものの、嫌な気分はしなかった。
その上ココアまでこうして奢ってもらったのだから、文句を言ってはバチが当たるのだろうと思う。
ただ、説明なく連れ出されて私が従わなかったらどうするつもりだったんだろうと少女は思うところだが。
まあその時には約束を守ったのだからそれ以上彼も行動をしなかったに違いない。そう、結論づけた。
「それじゃ帰るか」
「あ、うん」
あまりにも律儀な幼馴染みに、それがなんだかおかしくて笑いが出た。
堪えた分、変な音になって出たそれに彼が振り向いて、嫌そうな顔をした。
「なんだよ」
「あ、いや、うんごめん。私も忘れてたのに、約束守って律儀だなあって」
「……どうでもいい約束なら、忘れてるけどな。それよりお前、この約束には続きがあるんだが思い出せないか?」
「続き?」
少女は立ち止まって、幼馴染みを見上げた。
がらん。分別のゴミ箱に缶を捨てた音が、ひどく辺りに響く。
見下ろしてくる幼馴染みは、すっかり男の顔をしていた。
一つ上という年齢差が、随分大きく差になって出てきたものだと妙なことを考える。
ああ、でもそうだ。
不意に思い出す。
(そうだ、確かに私はお願いしたっけ……辛いときとか苦しいときに、助けに来てねって。星空が好きだから、望遠鏡を持って一緒に見てねって……)
だけど、続きは思い出せない。
その様子に、幼馴染みが笑った。
「かっこいい男の子になって、リードできるオウジサマみたいな男の子になって」
「え」
「自転車に乗せてくれて、星のことを教えてくれて」
「え」
「……思い出せない?」
そうだ、一つ年上の彼に、色々わがままを言った。
一個しか違わない年齢に、当時はなにも考えていなかったけれど無意識に甘えていたのかも知れない。
彼も末っ子だったから妹ができたみたいな気持ちだったんだろうかと思うと、恥ずかしくなってくる。
「ご、ごめん。子供の頃だからさア」
「で、思い出せない?」
「……えっと……」
くすっと笑われて、少女は恥ずかしくなってきた。幼い頃のことを持ち出され、なにかを思い出せと言われるのに思い出せない焦りと、そんな焦っている姿を面白がられているのだなという気恥ずかしさ。
それでも怒りは湧かず、かっこよくなった幼馴染みという現実を認識した途端に照れてしまった自分が恨めしい。
少女は失恋したばかりであって、目の前の青年のことは途中経過をなにもしらない。
でも約束を覚えていてくれて、こうして星を一緒に見て、なんとも言えない気持ちになった。
「お前は言ったんだよ、『わたしはオヒメサマになるから、オウジサマになって迎えに来てね』って」
「は、はあ……!?」
「それじゃあ帰るか、オヒメサマ」
「えっ、ちょ、えっ」
「ちょっとくらいのよそ見は許してやるよ。俺も受験終わったし、明日っからは覚悟しとけ。まったく、束縛しすぎも可哀想だと思って甘やかしすぎた自分が情けなくなるよ」
「ちょっとまって不穏」
「いいから戻るぞ、さすがにうちの親から戻って来いって連絡がうるさい」
捕まれて絡められた手が伝えるぬくもりに、少女はばくばくと早鐘を打つ心臓が、危機感からかときめきからか、判別できずにいた。
それでもなんとなしにぎゅっと力を込めれば、それに応じるように握り直された手に安心する。
(単純だなあ、私)
失恋して泣き通そうと思っていたのに、気がつけばこうしてドキドキしているのだから現金だ。
自分に呆れつつ、見上げた夜空に足を止めた。
「どうした?」
「今、流れ星が落ちた」
流れ星と一緒に、恋に落ちたんだなあ。
なんとなく、少女はそう思ったのだった。
こちらは「書き出し祭り」で作者宛を成功させた方のリクエスト作品です。
天体というリクエストでした!