終わりと始まり
この一年は、人類にとって最悪の一年だった。
俺たちは、あの後ルシファーから開放された。
なぜなら、今更何をしたところで手遅れだとルシファーは知っていたからだ。
だが、人類は諦めなかった。
銀炭の増殖とマナの活性化により、世界にかけられていた魔法、『リアリズム』が消え去るまえに、人類はありとあらゆる手段を用いて銀炭を世界から排除しようとした。
燃やし、ダンジョンに送り返し、溶かし……だが、努力は実らなかった。
あまりに銀炭は増えすぎていたし、風で飛翔した少量の銀炭はまた別の場所で増えてしまっていたからだ。
それでも、当初は1ヶ月で銀炭が地上を埋め尽くすと言われていたが、努力のおかげでなんとかそれを1ヶ月と半分に引き伸ばした。
次に人類は、なんとかして「ゲート」を封印し、魔物がこちらの世界に入ってこられないようにしようとしたが、核兵器を使ってもゲートの存在は消えず、また、全てのゲートを完全に埋め立てるには時間が足りなかった。
最後の手段として、人類はこの世界にやってきた魔物と戦った。
だが、ダンジョンは世界中に果てしない数があったし、ただの魔物ならともかく、『悪魔』クラスの魔物には、近代兵器は通用しなかった。
結果、6ヶ月で人類は完全に悪魔に屈した。
ちなみに、アメリカは最後まで魔物と戦い、悪魔の手下になるくらいなら、と、大量の核兵器で自らの国を完全に破壊してしまった。
そしてそれから、世界は魔物達のものになった。
魔物達は貴族制度を現代に復活させ、『悪魔』をその特権階級に据え、『魔物』を平民として、人間たちを奴隷とした。
奴隷となった人間たちは、世界を維持するために働いた。
休みは無く、希望もなかった。まさしく奴隷であり、苦しいものだった。
病人や老人などの仕事ができない連中は殺された。
重篤な病気になったらそれで終わりだ。
だからどんどん人が死んだ。希望の無い世の中に失望した自殺者の数も数え切れない。
もはや国勢調査なんておこなわれていないから、どれくらい人が減ったのかは知らないが、魔物の数の方が人類よりも多いだろう。
ただ、奴隷である人間の人口が減っていくのに気づいた魔物達は焦りはじめて、『人間工場』の可動をはじめた。
つまりは人間は家畜に落とされた。
そんな世界で今、俺は貴族になっていた。
子爵。それが今の俺の爵位だ。
今の社会では、悪魔達は爵位を持ち、それぞれがいくらかの領地を治めている。
本来、人間は例外なく奴隷だが、悪魔をダンジョンから解き放った俺だけは例外扱い。
最高権力者の『大公』であるルシファーから爵位を授与された。
こんなものは貰いたくなかった。しかし、ルシファーの提案を断るほどの勇気も無かった。
そして今の俺の実態は……貴族とはほど遠い。
部下も、奴隷も居ない。あるのは名前だけの領地と爵位だけだ。
領地は昔で言うところの東京都足立区に該当する。
昔から治安の悪い街ではあったが、今となっては全国有数の、完全な無法地帯に成り下がっている。(それは、領主である俺の責任だが)
ドラッグ、犯罪、浮浪者の三拍子が揃った街。
水道と下水はかろうじて生きているが、電気とガスは止まっている。
なぜなら、あまりに危険すぎてゴミ収集車も来ず、電線は盗まれてしまうからだ。
そして俺は今、区内にあるとある高級マンションに暮らしていた。
やるべきことは何一つなく、俺は寝て起きて、食べて寝ての暮らしを繰り返していた。
金はあったから、食料をまとめ買いして、引きこもり生活で食いつなぐことはできた。
しかし……何を食べても、何の味もしなかった。
何も感じず、何もしたくなかった。
そんな日々が続いていくうち、次第にひとつのことが頭をかすめるようになってきた。
自殺だ。
俺は人類にとって最大の裏切り者、あるいはただの無能だ。
いや、『最悪の無能』と言うべきか。
無能な働き者ほど、厄介な存在はない。
そんな言葉があったが、まさしくそれは俺のことだろう。
素直に窓際族で満足していればよかったものを、ちょっと欲を出した結果がこれだ。
「今日こそ……やろう」
今日の俺は覚悟を決めていた。
これ以上生きていたくない。全ては俺の責任だから。
遺書はもう書いてある。全人類に向けた謝罪の手紙だ。
だが、きっとこんなものは誰も読まないだろう。
<賢治様、いけません>
(止めるなよ、メタトロン)
<……しかし>
(俺はもう、死んで責任を取る。それ以外に方法はない。だろ?)
メタトロンには悪いことをした。
というか、現在進行系で悪いことをしている。
俺のせいで、死ぬんだから。
けど……俺が許されるには、それしかない。
だから包丁を手に取り、俺は自分の腹に当てた。
見様見真似で腹にサラシを巻いているが……介錯人なしの切腹って、大丈夫なのかな。
……いや、やるしかない。
(メタトロン、みんな、俺を許してくれ)
包丁を振り上げ、後は振り下ろすだけになった。
<誰もあなたを許したりはしませんよ>
その時になって、メタトロンが突然口をはさんてきた。
今まで、一度も俺に逆らったことの無いメタトロンが口をはさんできた。
それも、やけに感情的な響きのある言葉だった。
(な……でも、それ以外に方法はないんだ)
<方法はあるでしょう。言い訳をしないでください。
あなたが自死を選ぼうとしているのは、単に臆病だからではないですか?
贖罪などではなく、戦う覚悟がないから。違いますか?>
メタトロンは解析が得意だ。
俺のことも、誰よりも知っている。
……だから、その言葉は俺の心に深く刺さった。
(でも、俺は戦おうとしたからこんな失敗をしたんだ。もうこれ以上失敗したくはない)
<だから臆病だと言っているのです。この一年間、賢治様はとんだ腑抜けになられている。
自分の失敗を責めて、自分のすること全てを責めて、結果、何もしなかったではないですか>
(……それは)
<わたしは命が惜しくてこんなことを言っているのではありません。
ただ、悲しいのです。我が主がどうしようもない臆病者だということが>
(………俺は)
俺は、なんだ?
ついにメタトロンにすら愛想をつかされたのか。
……ふふ、笑える。
なんだかいっそ、清々しい。
俺は全てを失った。
それによく考えてみると、どうせ死ぬなら……一矢報いた後でも遅くない。
(なあメタトロン)
<なんですか>
(今日からは、俺は頑張るよ。人間を救うことにする。
それが責任を取るってことだよな)
<それは素晴らしいご決断です。それに、正しい決断です>
メタトロンの声に、普段の無機質な感じが戻った。
ああ、今日で俺は死んだ。そう考えることにしよう。
そして今から、俺は生きる。
人間を奴隷に落とした大罪人ではなく、人間を悪魔達から救う救世主として。




