9話 座敷わらしと貧乏神は家族になるようです
【ハグルマ視点】
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
悲鳴を上げる私を横に、サングラスを外したアクラさんが無言で銃を撃ち続けています
凄い腕前です、私が左手にしがみついてジタバタしているのに、正確にモンスターの眉間を撃ち抜いているのですから
どうしてこうなったのでしょうか?
なんで私はトロッコに拘束されて、モンスターが溢れるダンジョンの線路を進んでいるのでしょうか
うっかり私が(仮免許ですが)冒険者だと言ったからですか?
謝って許して貰えるなら何度でも謝りますから許して下さい!
ダンジョンに入る前に綺麗なお姉さんから銃を渡されたのですが、構える所か悲鳴を上げる事しか出来ません
アクラさんが無表情で百発百殺してるのを、戦々恐々と見守るしか出来ないのです!
「また来たのですよぉぉぉぉぉぉ!」
「任せろ」
アクラさんが銃でどんどんモンスターを倒してますが、迫り来るモンスターは倒しても倒しても次から次へと沸いて来ます
ちょっと進んだら、またモニターが降りてきてモンスターが現れるのです
うひょー!首筋に座席から風が吹いて来たのです!何なんですかこのダンジョンは!
まるでダンジョンが私達をからかっているようです
禍々しい光が辺りを照らし、不気味な音楽まで響かせているのですよ
だいたいモンスターがみんなニッコリ笑って襲ってくるのも怖いのです!
銃で撃たれてパチューンと破裂するのはいいとしても、なんで点数がでるのですか?バカにしてるのですか!
『ガッハッハッハッハ、よくぞここまで来た誉めてやろう、だが私を倒せるかな?』
ふざけたダンジョンに怒りを向けていたら、大きな巨人さんが出てきました!
真っ青な巨人さんです、お目めだけがギョロっとしてとっても恐ろしいのです
「ひぃぃぃぃぃなのです!」
「安心しろ、すぐに済む」
私がジタバタもがいているのに(拘束されてるので逃げれませんが)、アクラさんは淡々と巨人さんに向かって銃を乱射してます
なんでそんなに冷静なのですか!こんなに恐ろしい巨人さんを相手に無表情で銃を撃たないでください!一人あたふたしている私がバカみたいじゃないですか!
ほら、後ろの席の高校生カップルが微笑ましそうに見てるじゃないですか!
『ぐわぁぁああああ』
あ、巨人さんが倒されました
他のモンスターさんとは違い一発ではなかったですけど、流石アクラさんです、ほとんど瞬殺なのですよ
巨人さんは殺られながらも何か喋っていましたけど、さっさと消えて下さい……すいません、お顔が怖いのですよ
モニターが上がりトロッコが出発すると、やっとダンジョンから脱出できました
ぷしゅーとトロッコは止まりましたけど、私はアクラさんの左手にしがみついて離しません
終わったのですか?もう怖いのは出て来ませんよね?
心配する私に、一人のお姉さんが歩み寄って来ました
「お帰りなさいませ勇者様、あなた様方のお陰で世界孤独を企む悪の魔神アラピンは倒されこの世界は救われました、さあ冒険の記録があちらにございます、ごゆるりとお進み下さい」
とっても素敵な笑顔ですけど、一言だけ言わせて下さい
世界を狙うようなモンスター退治に初心者を送り出さないで下さい!
鬼ですか!こんなことをしているから冒険者は3YSと言われるんですよ!
アクラさんが一緒だから良かったですけど、居なかったら間違いなく死んでましたよ!
トロッコの拘束から解放された私は、お姉さん……あぁキャストさんと言うのですね
キャストさんに抱かれてトロッコを降りると、促されるままに通路を進みます
途中自分の写真を買うことも出来たのですが、スルーして進みました───あんなみっともなく叫んでいる顔の写真はいりません……けっしてお金が無いから買わなかったわけではないですよ……アクラさんが銃を撃ってる写真はちょっとカッコ良かったですけどそれだけなのです
「楽しかったか?」
「へ?……そうですね……私に冒険者は無理だと思い知りました、せっかく魔法が使えるのに怯えてばかりで使えませんでしたから」
「いや、魔法を使うのは駄目だからな」
何故かアクラさんが冷や汗を出していますが、やっぱり何も出来なかった私に呆れているのでしょうね
これはいけませんね、次からは怖くても魔法くらい使えるようにならなくては
出来ないからと言って出来ないままだと殴られるのです
だから出来るように自分一人で頑張って習得しなければならないのですよ!
やりますよー、これでもお部屋に出たムカデさんを瞬殺できるくらいの魔法が使えるのですから、今度あったら迷わず喰らわせてやるのです!
全く知らなかったパソコンや簿記を覚えるのに比べたら、もう使える魔法をモンスターに放つくらい簡単なのですよ
「次は何処がいい?」
決意も新たに魔法を撃つシャドーをしていたら、アクラさんがこめかみを押さえながら聞いて来ました
頭痛でもするのでしょうか?あっ、もしかしてさっきのモンスターとの戦闘が堪えてるのですか?
これはやっぱり私が頑張らないといけないみたいですね
「何処でもいいですよ、次は私がバンバン魔法で援護しますから安心して下さい!」
「…………少し休憩するぞ、大事な話がある」
「あ、はい」
気合いを入れる私にアクラさんは頭痛が酷くなった顔で答えると、海が見える公園の方へと歩き出しました
大事なお話とは何でしょうか?朝言っていた裏の事でしようか?
アクラさんの事務所で泣き出した私は、保護者……社長さんと生活していた時の事を色々聞かれたので話したのですが
全部聞いたアクラさんは大きな黒キツネに変化すると、もの凄く怒り出したのです
あれは怖かったですね、思わず失神しそうになりましたから
すぐにアクラさんは私が怖がっているのに気付いて怒るのを止めてくれたから良かったですけど
もう少し遅かったら乙女の尊厳が決壊するところでしたよ
その後すぐに社長さんの所へ連れて行かれると思ったのですが
何故か「裏を取るまで俺と一緒に居てもらう」と言われて、このデイズニートランドへと連れて来られたのです
なんでも昔の仕事で永久パスポートを貰ったそうで、下手な所より警備がしっかりしているから安心なのだそうですよ
はい、なにが安心なのかまったく分からないのですよ
遊園地にモンスターが出るくらい意味が分からないのです、少なくとも警備は間違いなく杜撰なのです
だいたい遊園地って大の大人が頭に変な帽子をかぶって遊ぶ娯楽施設ではなかったのですか?
初々しいカップルを影から指示をだして弄ぶ場所ではなかったのですか?
私も詳しくは知りませんでしたけど、とっても恐ろしい所だと認識を改めましたよ
アクラさんは屋台みたいな売店でジュースを買うと、公園のベンチに腰掛け私にジュースを手渡しました
モンスター蠢く遊園地とは思えない、とても長閑な公園なのです
目の前には柵が有りますが、その柵の向こうには大きな海が見えて潮の香りを運んで来ます
そう言えば海って初めて見ましたね、昨日頂いたクラムチャウダーとは違う匂いがします……これが本当の海の匂いなのですね
クラムチャウダーを思い出して、つい頬が緩みました
昨日は本当に楽しかったです、間違いなく人生で……いえ、世界で一番楽しい一日でした
美味しい物をいっぱい食べたのもそうですが……あんなに大勢の人に囲まれたのも初めてで、あんなに皆さんから優しくされたのも初めてでした
ギアさんに会ってから初めてだらけです、こんなにただ嬉しい気持ちで満たされる時間があるなんて、私は知りませんでした
……もう終わったのですけどね…………
初めての海に感傷的になっていたら、アクラさんが喋り始めました
「これからの事だが、だいたいの裏は取れたから今からお前の自称保護者を確保する」
「保護者って……社長さんの事ですよね?」
こっくりと頷くアクラさん
どういう事でしょう?私は社長さんの所へ連れて行かれるのではなかったのでしょうか?
私が戸惑っていると、アクラさんは掌からニュルっと真っ黒いキツネさんを出しました
「うひょっ!」
思わずすっとんきょうな声をあげる私の前で、キツネさんは空中で一回転すると、ポンと煙に包まれてアクラさんに化けたのです
「アクラさんが二人?」
「「両方俺だ、俺は上限はあるが分身できる、そして今も遠く離れた俺が、お前の元居た会社の社員に話を聞いている……本社ビルで子供の泣き声や悲鳴を聞いたと言う話も聞けた、他にもお前の言葉を裏付ける証言を得ている」」
うわー、恥ずかしい記憶なのです
最初の頃は愛の鞭に耐えられなくてよく泣いていたのですよ
でも最初だけですよ、泣くと余計に怒られると悟ってからは我慢出来るようになったのですから
「だからお前の話に嘘が無いと判断しここに誘き寄せる事にした……安心しろ、お前には会わせない、このテーマパークの警備員に捕まえて貰うように手配したからな……それが済んだらギアの元へ送るから、今は楽しんでおけ」
「ギアさんの所へ……帰れるのですか……」
私の問い掛けにアクラさんはこっくりと頷きました
どうした事でしょう……またギアさんに会えると思うだけで、胸が熱くなってきました
何を誘き寄せるのかよく分かりませんが、私はご恩を返す機会を得たのですね
右手から伸びる縁の糸を胸に抱いて握り締めます
気のせいか朝よりずっと輝いて見えます、朝よりずっと身近に感じます
とっても不思議なのです
ギアさんと会って三日も経ってないのに、私はあのお家に帰りたくて仕方がないのです
そんなはずないのに、ずっと昔から一緒に住んでたような気がするのです
握り締めたギアさんの糸が光った気がしました
私は糸に誓いを立てます───ギアさん、帰ったら家事をやらせてもらいますからね、何と言われても絶対にしまからね
私は身を持って知ったのです
いつまた突然お別れになるかも知れないのですよ、だからご恩をお返しするのに私はもう戸惑いません!
「ええーい、離さんかこの底辺どもめ!私を誰だと思っている…」
人がせっかくいい気分に浸っているのに、誰ですか大声で怒鳴っている人は!
後ろを振り返ると入場門の所に警備員さんが集まっていました
数人で何かを取り押さえようとしているみたいです…………まさか……またモンスターが出たのですか!
不安になってアクラさんの方を見ようした瞬間、私は襟首を掴まれベンチから吹き飛ぶように移動させられました
そしてベンチから離れた瞬間に、それは空から降って来たのです
始めは大きな鳥さんのような姿でした、ですが地面に激突する寸前に急停止すると、カシャンカシャンとパーツが移動して人形になったのです
真っ黒い全身タイツの上に赤いプロテクター、お顔も真っ赤なフルフェイスヘルメット、炎の羽を背中から出して浮かんでいます
この人は……
「ハァハァ……やっと見つけた……ハグルマ」
ヘルメット越しにくぐもった声を出しながら手を伸ばして来ました
私は知ってます、この人が何者なのかを……
───変態さんなのです!!
春先に多く出るという変態さんなのです!
奇抜なファッションで女の子にイタズラをするという変態さんなのです!
見てください、ピッチピチな全身タイツの下で鍛え抜かれた筋肉がピクピクしてます!
プロテクターで大事な所は隠れていますけど、きっとあの下はパンツを履いてないのですよ!!
だいたい炎のデザインもカッコ悪いのです、あなたはヤンキーですか!
ギアさんを見習うのです、白銀の鎧がすっごくカッコ良かったのですから!
「これは恐怖の感情!そうかお前が犯人だなっ!」
赤い人がアクラさんを睨み付けますけど
犯人はあなたです!お巡りさんこの人です!
伸ばされた手を遮るようにアクラさんが私を背後に庇うと、大きな黒キツネさんに変化して口に咥えました
「くそっ他にも雇っていやがったか……向こうは武装している、逃げるぞ」
言うが早いかアクラさんが赤い人からダッシュで逃げ始めました
私は襟首を噛まれてぶらーんぶらーんと揺れています
「逃がすか!ハグルマを渡せ!!」
渡されて堪るものですか!
赤い人が背中の羽を羽ばたかせて猛然と迫って来ました
アクラさんは全力疾走してるのでしょうけど、向こうの方が早いです
アクラさんは小さなキツネさんを出して背中に乗せました
迫り来る赤い人を小さなキツネさんを通して見ているのでしょうか?背後を見ていないのにギリギリで赤い人が伸ばす手を避けています
ジグザグに避けて走るから、私はぶらーんぶらーんからぶんっぶらーんぶんっぶらーんに進化しましたけど
しかしこれは困りましたね
アクラさんは開けた公園から逃げて建物の中に逃げ込みたいみたいなのですが、赤い人がそれを嫌がって公園から逃がさないように回り込むのですよ
お陰で公園の中をぐるぐる逃げ回ってる状況です
あっそうだ、今こそ援護なのです!
赤い人の気を反らせられたら逃げれるじゃないですか
私は両手に魔力を込めると、害虫だって一撃で倒す冷気の弾丸を作成します
……作ってから気付きましたけど……ぶらーんぶらーん揺れていて狙いが付けられません
当てる自信は皆無ですけど牽制くらいにはなりますよね?
せっかく作ったので撃つですよ……………明後日の方向に飛んでいきました
これは駄目ですね、牽制にも……
「あー!避けて下さーい!」
「ガキがっ、やっと見つキャラッゲ!」
冷気の弾丸が太った真っ黒なおじさんの顔面に直撃しました!
こっちに走って来ていたようで、鼻に当たってオーバーヘッドキックするみたいに半回転して頭から落ちましたけど……生きてますよね?
…………良かったー、生きてるのです!
顔に手を当ててジタバタしているのです
何故か胸がスカッとしましたけど、後で謝りに行きますから許してください
魔法は駄目ですね、無関係な人を巻き込みます
……そうだ無関係な人達ですよ!何故か皆さん、頑張れーと言って眺めていますけど、あの方達に警備員さんを呼んでもらえばいいのですよ!
私は有らん限りの大声をあげました
「助けて下さぁぁぁぁい!!」
↓
「応っ!すぐに助けてやるからな!」
しかし、答えたのは赤い人でした
↓
あなたには言ってませぇぇぇぇぇぇぇぇぇん!!
なんであなたが返事をするのですか!
勉強し直して、空気って漢字を読めるようになって出直して来て下さい!
赤い人は気合いを入れ直したのか、急上昇して肩の突起を伸ばしました
筒状に伸びた突起は真っ直ぐこちらに向いてますけど……まさか、ですよね?
「ハグルマちょっと熱いが我慢してくれ」
フィンフィンフィンフィンと音がして、先端に赤い光が集まり周囲の景色が熱で歪んでいきます
まさかでしたよー!
アホですか!それは明らかに人に向けて打っていい物ではないですよね
あれは危険です、とんでもない魔力を感じます!
私があたふたしていると、アクラさんがペイっと私を先に放り投げました
芝生の上をコロコロ転がってから立ち上がり振り替えると、アクラさんは人間に戻って赤い人に立ちはだかっていました
「ここは俺が食い止める、お前は近くの警備員かキャストの所まで走って保護してもらえ!」
「そんな、アクラさん!」
「行けっ!」
私の言葉を遮るようにアクラさんが叫び、無数の黒キツネさんを出して壁を作ります
ポンポンポンポンとキツネさんはアクラさんになって赤い人を地上から取り囲んでいきます
あれ?変ですよ……赤い人がなんか戸惑ってるように見えます、肩の武器で一掃するチャンスだったのに、まるで想定外の事を目の当たりにしたかのように狼狽えてます
何かがおかしいと思っているとグイッと手を引かれました
アクラさんです!どうやらボケっと立っている私に焦って分身さんの一つに命じたのでしょう
「アクラさん待って下さい、あの赤い人は…」
「無理……だ……俺は別れても……心は一つ……大勢に分身したら……あいつを警戒しながらでは……まともに……返答……出来ない……」
虚ろな目をして言うアクラさんは、まるで心ここに在らずみたいです
まともに返答出来ないとはどういう意味でしょう?
分身出来るのに私一人で逃げろと言ったのと関係あるのでしょうか?
……考え事は後にしましょう
今はあの赤い人から逃げる事を優先します……悲しい事に、私が居ても足手まといにしかなりませんから
せっかくギアさんの元に帰れるのに、捕まりたくはありませんしね
何故か心がモヤモヤしまけど
私は夢遊病のように走るアクラさんに手を引かれながら入場門を目指して走りました
入場門を目指すのは、さっき何かを取り押さえようとした警備員さんがまだいるからです
あの人達に赤い変態さんを……なにか様子がおかしいですね、警備員の皆さんがうずくまって動いていません
周りもざわついているみたいです
「アクラさん待って下さい、何か変なのです」
私の声にも、アクラさんは心ここに在らずと無視して進みます
凄く嫌な予感がして力一杯踏ん張りますが、ズルズルと引き摺られて行きます
「アクラさんお願いですから止まって下さい!」
近付くにつれて違和感の正体がようやく分かりました……いえ、見えたと言うべきでしょうか
警備員さん達は動かないのではありません、業に押し潰されて動けないのです
ギアさんのお家を元気にした綺麗な業ではありません、逆です、人を束縛し従わせたいという汚れたヘドロのような業が纏わりついているのです
「アクラさんっ!!」
余りの気持ち悪さに堪らず絶叫してしまいました
ようやく気付いたアクラさんが私をびっくりしたような顔で見て止まってくれましたが、私はそれどころではありません
あの業には見覚えがあります、社長さんのビルに溜まり続けていた業と同じなのです
あの頃は私が毎日お掃除して外へ掃き出していたのですが、ヘドロはビルの外に纏わり付くように溜まっていき、いつしかビルを覆う程に巨大になっていったのです
私は懸命にヘドロがビルに入るのを、座敷わらしの力を使って防いでいたのですが
ある日とうとう私の限界を超えた量のヘドロが、ビルの中に雪崩れ込んで来たのです
それから暫くして会社は倒産したみたいですね
みたいと言うのも、恥ずかしながら私はヘドロが押し寄せた衝撃で気を失っていたのです
私が目覚めたのは全部終わった後でした
って、何を悠長に思い出に浸っているのですか!
要するにあのヘドロは、悪い業を払う事が出来る私でも気絶するくらい危険なのです
耐性がない人だと少しの量でも意識や身体の自由を失いかねません
掃除用具があったら私がパパッと祓ってあげられるのですけど、変態さんから逃げてる現状ではそんな暇もありませんし……
とりあえず今はあそこに近付いたら危ないのです
警備員さん達は後で助けるとして、他の場所へ助けを呼びに行くのが先決ですね
私はびっくりした顔のまま固まったアクラさんの手を引いて近くの建物へと行こうとしました
けど動けません!アクラさんが固まったかのように微動だにしないのです!
「アクラさん何を…」
「に、逃げろ……早く……」
苦し気な言葉でやっと気付きました……アクラさんはびっくりした顔になったのではなかったのです、突然の重圧に耐える為に、苦し気な顔をしていたのです
いつの間にかアクラさんの背中に張り付いているヘドロが、動きを阻害するように巻き付いていたのです
アクラさんは必死な顔で私に『行け』とばかりに手を動かしますけど
行けるはずがないでしょう!
今アクラさんは一人で満足に動けませんよね?何をカッコつけてるんですか!
こういう時には素直に助けを求めて下さい!!
「一人分くらいならハンカチで拭き取れますから動かないで下さい……」
私はアクラさんの言葉を無視してハンカチを取り出し、言葉を失いました
アクラさんと繋いでいた右手が真っ赤になっていたからです
私の血ではありません、ヘドロで気付きませんでしたけどアクラさんの手が……いえ、アクラの肩から溢れた血が指先まで垂れてきていました
思わずアクラさんを見上げると、これが精一杯という顔でアクラさんは私をトンと押しました
フワッとバランスを崩して尻餅も付く私の前を真っ黒い足が通りすぎます
「このガキが避けるな!お前が逃げたせいで会社が潰れたんだ!二度と逆らえないように躾直してやる!」
怒鳴り声にビクッとなりながらも声の方を見上げると
真っ黒い太った人がナイフを片手に怒っていました
この声は、まさか社長さん?
そう思った瞬間に私は身を丸めて固めます
真っ黒くて誰だか分かりませんけど、もしこの人が社長さんなら絶対に…
ガブンッ!と蹴られました
容赦のない蹴りで私はテンテンと転がります
やっぱり社長さんですね、とっても痛い愛の鞭なのです……身体を固めてなかったらどこか折れていたところですね
「おいガキ、このナイフが見えるか?これはお前が二度と逃げ出せないように買った魔道具だ」
「……」
ニタニタした顔の社長さんが自慢気にナイフを見せびらかしますが、ここで下手に返事をしたら更に殴られるので返事はしません
もっとも今は本当に何も喋れないくらい痛いのですが……ビルの外だからでしょうか?いつもより何倍も痛くて辛いのです
「これに刺された奴は俺の命令に逆らえなくなるんだ……お前は念入りに刺してやるぞ、もう絶対に逃げれないように足を切り刻んでやるからな!」
「ひっ」
ナイフ構えて近付いて来る社長さんに私は逃げようとしましたが、痛みで身体が上手く動きません
ナイフは社長さんの業を、ヘドロを吸収して禍々しい光を放ち始めました
まさかアクラさんや警備員さんのヘドロはこのナイフが原因なのですか?
この時になってようやく社長さんが何で真っ黒いか気付きました
この黒いのは全部ビルに溜まっていたヘドロが収束したものです
きっとビルが社長さんの物でなくなったから、業がビルから直接社長さんに移動したのですね
ビルを覆う程の大量のヘドロが凝り固まって、誰だか分からないくらいに真っ黒になっていたのですね
「貴様が、貴様さえ逃げなかったら会社は潰れなかったんだ!全部お前のせいだ!お前が会社を潰したんだ!」
ナイフを振り上げる社長さんに、私は後退りながら小さく首をふりました
違います、全ては怨みを買い続けたあなたの業のせいです
私は逃げていません、私がビルに居るのに気付けなかったのは、社長さんがビルから拒絶されたからです
───私が戻っても何も変わりません、何故ならあなたはもう、お家を持てない程に汚れてしまっているのですから
「お前がぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
絶叫と共に振り下ろされるナイフを、私は睨み付けます
アクラさんが懸命に手を伸ばしますが間に合わないでしょう
社長さんは気付いていませんけど、あれに刺されたら足と言わずに私は消えてしまいそうです
お家に拒絶されるくらいの汚れに刺されるのですよ、お家と共に生きる座敷わらしの私には猛毒なのです
───でも絶対に死んでたまるものですか!私はギアさんのお家に帰るのですから!
「ハグルマぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「ぶべっ!」
「え?」
私が必死に身を捻って避けようとしていたら、社長さんは殴られて飛んでいきました
《1カメ》
「ハグルマぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
緑の糸を握り締める私の前に、大声を出しながら高速で飛来した赤い人がその勢いのまま社長さんを殴り飛ばします
社長さんはキリモミしながら飛んで行き、建物の壁を人形にくり貫いて気絶しました
《2カメ》
社長さんが私を蹴り飛ばした時、赤い人は包囲していたアクラさんの頭上を飛び越えて行きました
大勢のアクラさんも私の方へ駆け出します
ナイフを振り上げた社長さんを見た赤い人は、このままだと間に合わないと悟ったのでしょう
貯めるだけ貯めていて使わなかった両肩の突起を後ろに向けて発射したのです
「ハグルマぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
爆発的な加速で私の前にたどり着いた赤い人は、その速度を全て乗せ、社長さんを殴り飛ばしました
まるでゲージマックスの必殺技を受けたかのように、社長さんはとんでもない速度で吹き飛ばされて、壁に穴を開けて成敗されたのです
《3カメ》
「ハァ~~グゥ~~ルゥ~~マァァァァ~~~~~~~!!」
炎を両肩から吹き出しながら、赤い人の拳が社長さんの顔面にヒットしました
スローモーションの世界で、ゆっくりと拳が社長さんの顔を波立たせるように埋没していき、ぶぅぅぅぅべぇぇぇぇぇぇぇと間延びした叫びと共にぶっ飛んでいきました
二回転三回転……出ました四回転半、四回転半です!
着地も完璧です、まるでアニメのように顔面から壁にぶち当たってくり貫きました、これは芸術点も高そうですね
「え?」
突然の出来事に思考が混乱していたようです
死にたくないという願いは叶いましたけど、ナイフの代わりに赤い変態さんが目の前に居ます
一難去ってまた一難なのですよ
「ハグルマ大丈夫か?今蹴られてたよな、すぐに病院に行くぞ!」
「ま、待って下さい、あなたは誰なのですか?だいたいアクラさんの方が重症なのですよ、病院にはアクラさんから連れて行って下さい」
伸ばされた手を叩こうとして、手が止まります
私の右手に繋がっているギアさんの縁の糸が赤い人の左手に伸びていたからです
私は恐る恐る口を開きました
「ギアさん……なのですか?」
「まさか気付いてなかったのか?……なるほど、だから逃げたのか」
どこか納得した声を出しながら、赤い人がフルフェイスヘルメットに手を当てると、カシャッと音を立ててヘルメットが消えてしまいました
中から出て来たのは無精髭を生やしたおじさん───ギアさんです!
私は痛む足を無理矢理動かして飛び付きます
ギアさんです、ギアさんなのです!やっと会えた、もう会えないかと思ってたのですよ、でも会えたのです!
私はギアさんに抱き付きながら顔を胸に埋めます、溢れる涙を擦り付けてマーキングしまくります
「遅くなって悪かったな、だけど約束通り助けに来たぞ」
「はい、約束通りワンパンでした!」
いつの間にか片手で抱き上げられており、背中をポンポンと擦られてました
また子供扱いなのです……でも今だけはいいです、ギアさんならいいです
「は?ワンパンって…………もしかしてあの男が社長だったのか?」
「気付いてなかったのですか?」
私の問い掛けにギアさんは明後日の方を向いて答えました
「……いいかハグルマ、ナイフで子供を襲おうとする人間の顔なんかはな、殴ってから確かめたらいいんだ」
「気付いてなかったんですね…………あの、アレ生きてますよね?」
いくら正当防衛でも、私はギアさんに人殺しとかして欲しくありません
「あ、ああ……壁がクッションにでもなったんだろ、ピクピク痙攣しているから生きてると思うぞ…………止め刺しとくか?」
「刺さなくていいです!そんな事よりアクラさんです、それに警備員さん達も刺されてるから、早くお医者さんを呼ばないと」
ギアさんに会えた喜びで忘れていましたけど、アクラさんはいっぱい血を流してたのです
あっそれにヘドロも祓ってあげないといけません、あのままでは身体に悪いですよ
「俺なら大丈夫だ、ナイフが砕けたみたいで身体の自由は戻った」
後ろからの声に振り替えると、アクラさんがヨロヨロとこちらに来ていました
背中のヘドロは消えてるみたいですけど
肩からの血が止まってないのに大丈夫なはずないでしょ!
「アクラさん動いちゃダメです!ギアさんお願いです、救急車を呼んで下さい」
「その必要はない今治してやる……こいつくらい体力があるなら大丈夫だろう」
治すって、ギアさん治せるのですか?
私が信じられないという顔をしている内に、ギアさんは腰の袋から一本のガラス瓶を取り出すとアクラさんへ差し出しました
「飲めポーションだ、一般人にはキツイだろうから座って飲めよ」
「すまない、後で返す」
礼を言いながらアクラさんがポーションを飲むと、肩から流れていた血が止まり顔色が良くなっていきました
でもその代わりにとってもしんどそうです
聞いたことがあります
ポーションは怪我を治す代わりに体力を消耗するから、ダンジョンに潜りレベルを上げた冒険者ならまだしも、一般人が飲んだら危険だと
そのせいで、ゲームのイベントシーンでは死にかけている一般人にはポーションが使えずに、なにも出来ないまま放置するしかないという常識が蔓延したとか
恐るべしポーション!
あのマッチョなアクラさんをぐでっとさせるとは、中々侮れません
今度アクラさん家にお礼に行く時には持参して、ぐでっとなった隙にお世話するのも手ですね
「別に返さなくていい、それより携帯を持っているなら貸してくれ……ハグルマが見付かった事を教えてやりたい奴がいるからな」
ギアさんはニッコリ笑って私に問うように言うので、私をも精一杯の笑顔で答えます
「はい、私もゲッウェイさんに心配かけたと謝りたいです」
「バカだなハグルマは、そこは「ただいま」と言えば良いんだよ」
───
──
─
その後やって来たアクラさんの集団は、倒れている社長さんをロープでぐるぐるにしてから警備員さんに引き渡しました
思いっきり喚いていたので、怪我は大したことなさそうですね
良かったです、ギアさんが人殺しにならなくて
警察も来て事情聴取を受ける事になったのですが
問題は事情聴取が終わった時に来たゲッウェイさんです
「ハグルマちゃぁぁぁぁぁぁん!良かったぁぁぁぁ無事だったのねぇぇぇぇぇぇ!!」
来るなり私に抱き付きながら泣き出して、手に負えません
「私がバーベキューに浮かれて警備を配置するのを忘れてたばっかりに……ごめんねぇぇぇ!怖い思いをさせてごめんねぇぇぇ!怖かったでしょぉぉぉぉ!」
泣き喚きながら抱き締めるゲッウェイさんの背中をタップ……もとい、ポンポンと叩いてあやします
世のお母さんは凄いです、子供を育てるって本当に大変そうです
これ本当にどうしましょう?
戸惑っているとギアさんが私の頭をポンポンと叩きました
見上げると顎をクイッとしてゲッウェイさんを指します
……これはさっきのを言えと言ってるのでしょうか?
「あのゲッウェイさん……」
「なにハグルマちゃん、恐がらせたお詫びに私が出来ることなら何でもするわよ」
涙目で迫るゲッウェイさんにちょっと腰が引けますけど
お詫びなんか要りませんよ、ゲッウェイさんが謝る理由なんか無いじゃないですか?
でもやって欲しい事ならあります……また一緒にお散歩して欲しいのです
また一緒にお月様を見ながら歩きたいのです
だからゲッウェイさんに言って欲しい言葉はごめんなさいじゃなく……
私はギアさんに言われたからではなく、自然とその言葉を口に出しました
「ただいまなのです」
「っ!………………うん、お帰りなさいハグルマちゃん」
はい、正解なのです
ゲッウェイさんに今度は優しく抱き締められました
どっちにしろ抱き締められるのですね……でも、とても嬉しいです
ただいまと言って、お帰りなさいと返されただけなのに……こんなにも暖かい気持ちになるのですね
羨ましいなー
私は自然発生型なので家族がいませんけど、家族が居たならこんな気持ちを毎日味わえるのでしょうか?
私もいつかは家族を作りたいです
冒険者には成れるか分かりませんけど、新しいお仕事を早く見付けて、ギアさんにいっぱい恩返しをしたら
ギアさんみたいなお父さんと、ゲッウェイさんみたいなお母さんを見付けて、幸せな家庭を築いてみたいものです
……あはは、私は何を考えているのでしょうね
素敵な旦那様じゃなく、お父さんとお母さんを見付けようだなんて……そんなの無理に決まっているのに
「ハグルマちゃんどうしたの?いきなり泣きそうな顔をして……やっぱりあのアクラって男に何かされたのね!待っててハグルマちゃん、すぐに私の全権力をもって抹消させるから!」
「違います!違いますですよ!何もされていません!むしろご飯を頂いたり助けて貰って感謝してるのです!」
本能がヤバいと警報を上げたので、慌てて弁護しました
因みにアクラさんは現在、不法侵入と誘拐の疑いで取り調べを受けています
アクラさん曰く、証拠は残してないから心配するなと仰ってましたけど……それはそれでどうなのでしょうか?
私が慌てていると、今度はギアさんが覗き込んで来ました
「ならどうした?言いたいことがあるなら遠慮せずに言え……一緒に住んでる家族なんだからな」
「っ!」
ぶっきらぼうに言うギアさんの言葉に、私は思わずギアさんを見詰めます!
ギアさんはポンと私の頭に手を乗せると、優しい笑顔で口を開きました
「子供はな、嫌なことがあったら全部親に話してぶん投げればいいんだよ、それが子供の特権なんだから……言ってみろ、力になるぞ」
何ですかそれは、ズルいです!
いつもいつも私を子供扱いして、そんなんだから私は我慢出来なくなるんじゃないですか!
ギアさんのせいですよ、ずっと我慢して考えないようにしていた幸せを、ギアさんが考えなしに与えるから
私の心がどんどん言うことを聞かなくなっていくんですよ!
「私は……ギアさんと家族になりたいです」
心の涙が勝手に言葉を紡ぎました
欲しい物を欲しいと言えなかった心が、痛いのを痛いと泣けなかった心が
ギアさんのせいで私の制止を振り切って走り回ってます
「は?一緒に住んでいるからもう家族だろ?…………あーそうか学校だな、安心しろ、怪我が治ったら行けるようにしとくからな」
「ギア、あなたねー」
ゲッウェイさんが呆れた声を出しました
私も余りに間の抜けた返答にポカーンとしてます……でも、ギアさんの中では私は……もう家族だったのですね
私は右手をギアさんに伸ばします
縁の糸が真っ直ぐギアさんの左手へと伸びています
まるで手を繋ぐように、私とギアさんを繋いでいます
「はい!私はギアさんの家族です!これからも宜しくお願いするのですよ!」
縁の糸を手繰るようにギアさんの左手が伸び、私の右手を握りました
大きな手です、ゴツゴツして可愛い所が一つもない手です
……だけど
私の大切な家族の手なのです
「おう、これからも宜しくな……とは言え、怪我が治るまで絶対安静だけどな」
「そんなー、恩返ししたいのですよー」
今回のサブタイトルが、最初に設定したタイトルだったりします