DAY 2 アネット=マイヤー
どこかで俺の名が呼ばれているような気がする。
「ショータ! ショータってば!」
はっ!
「あ、気がついた? ショータ大丈夫?」
目の前にはマイユの顔があった。
俺は一体……ああそうか、ダブリン商会で、大男にぶちのめされて店の外に放り出されたのか。
辺りを見回すと、そこは、さっきの大通りから南へ折れた細い路地を少し入った場所だった。
「あ、俺のバッグ! ショルダーバッグは?!」
「はい、これ」
焦って叫ぶ俺を見て、マイユがショルダーバッグを差し出してくれた。
なんでも俺がけり出されるのを見て、急いで近くへ走り寄ったとき、ショルダーバッグも一緒に捨てられたのだそうだ。
それをマイユが拾ってくれたらしい。良かった、もし盗まれでもしていたらほとんどゲームオーバーだった。
コアを持ち歩かなければならないというのは、思ったよりもずっと危険なことなんだと実感した。
「ふう、助かった。マイユは俺の恩人だな。いつつっ……」
顔は一発も殴られていないようだが、腹と背中は執拗に攻撃されていた。気絶したのは後頭部への一発か。あれは人を痛めつけるプロだな。
「ううん。私が変なお店を教えちゃったから」
「マイユのせいじゃないさ、気にするなよ」
俺は建物に寄りかかりながら半身を起こし、マイユの頭をなでてやった。
涙目だったマイユは、少し赤くなりながらその行為を受け入れていた。
おお、中々懐かないネコの頭をはじめてなでたときのような、ちょっとした感動があるな。マイユは犬系の獣人に見えるけど。
「あんたら、うちの店の前でいちゃつくのはその辺にしておいて貰えるかな?」
唐突に女性の声が聞こえてきて、俺は、思わず辺りを見回した。
「店の前?」
ここは南門通りの裏手にあたる、細い細い路地の入り口だ。こんなところに入り口がある店なんて……
「あったよ……」
後ろを見上げれば確かに入り口が開いていて、その上には「マイヤー商会」と書いてあった。
見た感じこの店は、路地を挟んでダブリン商会の隣に位置しているようだ。
当然南大通りにも面しているわけで、なんでこんな細い路地の方に入り口があるんだかさっぱりわからない。
「どうもすみません。あつつっ……見ての通りちょっとすぐには立てそうにないので、しばらくこのままで居させて下さい」
「ふん。客が来たらどいて貰うからね」
客なんか来るのか? ここへ?
「あ、今、客なんか来るのかと思っただろ?」
う。鋭い。
「まあそうなんだよなぁ。俺が店を始めてから、まだふたりしか客が来てないんだよ。しかも冷やかし。なあ、なんでだと思う?」
まさかのオレッ娘は、そう言って店先に椅子を持ってくると、俺たちの隣に腰掛けた。暇なんですかね? まあ、暇そうですけど。
暗がりから出てきた彼女は端的に言って美人だった。それもずば抜けて。
凄腕の彫刻家が削りだしたかのように美しく整った顔立ちに、象牙のような肌と少し赤味の強いストロベリーブロンドの髪がよくマッチしている。
どんな表情をしていても、見る人を虜にしそうな魅力に溢れていて、ほつれ毛が風に吹かれるだけで、まるで妖精が踊っているようだった。
女性らしいプロポーションも大きすぎず小さすぎず、まさに神の造形といえる。
なのにまさかの俺っ娘、いや、俺女か。
「あなたが店番しているだけで繁盛しそうですけど」
「お? 中々言うじゃないか。アネットだ」
「翔太です」
俺は痛みに顔を引きつらせながら、差し出された手を握った。
どうやら握手の習慣もあるようだ。
「なかなか口の達者な男のようだが、俺の相手をするには、少し人生経験が足りないな」
しかも、おじさま好きかよ。
「はあ、さいで」
俺はやる気がなさそうにそう答えた。
「で、お前ら、一体隣で何をやらかしたんだ?」
美しい瞳が好奇心に彩られている。
ああ、わかった。この凄い美人は、いわゆる残念美人というやつなんだ。
「いえ……特に変わったことは……」
俺は体を動かせるようになるまでの時間つぶしに、店先の借り賃みたいなつもりで、事の顛末を話して聞かせた。
「なんだよそれ。ものを売りに行ったら、密室でぼこぼこにされて叩き出された?」
「まあ端的に言うと、そう言うことですね」
「どこの武闘派暴力クランの本拠地だよ。お前が行ったのはダブリン商会なんだろ?」
「隣の建物がそうなら、そうです」
「ふーん。じゃ、よっぽど変なものを売りに行ったのか」
「いえ……砂糖ですよ。ちょっと変わってますけど」
「砂糖?!」
アネットは驚いたように目を丸くした後、苦笑するように言った。
「そりゃちょっとタイミングが悪かったな」
「タイミング?」
「話すと長くなるんだが……」
そう前置きした後、アネットは現在の王国の砂糖を巡る話を始めた。
「貴族の間では、お茶会は当主夫人や娘の仕事として重要な役割を担っているんだ。ドレスの流行の発信地は大抵がパーティだが、それ以外の流行についてはお茶会発が多い」
「それはまあ、何となくわかります」
「そしてそれは、時に貴族の力関係にも影響を及ぼすわけだ」
「はあ」
「ここのところお茶会で使われるお茶の流行は、年々淡い色彩のものに変わってきている」
なんだか話が全然見えないが、まだ動くには辛いし、もうしばらくは付き合ってもいいか。
「それでも去年はローズ系の茶葉だったんだが、今年はなんとクリスタルだ」
「クリスタル?」
「完全に透明なお茶なんだよ」
透明なお茶なんてあるのか。白湯にしか見えなくて、不味そうな気がするんだが。
「ところが砂糖はあの色だからな、普通に入れてしまうと、去年のローズ系のものと変わらない。つまりは流行遅れっぽく見えてしまうのさ」
「ふーむ」
「有力貴族はなるべく高品質で色の薄い砂糖をこぞって買い集めたが、最良の物でも淡いピンクになってしまう。そこで、発想を変えたのがベルファスト公爵夫人だ。彼女は、自分のところの陶工に、なんと黒い磁器のティーセットを焼かせたんだ」
なるほど。ワインのテイスティングにも色を分からなくする黒いグラスとかあるもんな。色も味わいだから、遊び以外では意味がないとは思ったが。
「黒一色の磁器を、金細銀細で美しく彩ったそれは、なかなかに高貴なデザインとなっていて、かの夫人の趣味の高さを彷彿とさせる逸品だ。結構流行っているらしい」
「なるほど。色が付くのが嫌なら最初から分からなくしてしまえと言うのは面白い発想ですね」
「そうだ。しかし、それに与することが出来ないのが、ハーバル侯爵夫人のグループだ」
「ハーバル侯爵夫人は、王国を代表する趣味人の一人で、多くの芸術家のパトロンになったりもしている。お茶会も流行の最先端なのだが、ベルファスト式の茶器を使うのは派閥的に抵抗がある」
「はあ、難儀ですね」
「だから、ベルファスト黒器はあくまでも詭道だと言い放ち、対抗してハーバル白磁を発表してしまった。磁器はあくまでも白が基本、というわけだ。どうやらクリスタルを楽しむために、カップの底に花が咲いているらしい」
「それはわかります。ボーンチャイナとかありますし」
「ボーン茶? なんだそれは?」
「あ、お気になさらずに、それでハーバル侯爵夫人はどうなさったんですか?」
チャイナが理解できるはずがない。つい口走ってしまった元の世界の名詞をごまかして、先を促した。いかんいかん、注意しないと。
「それはまあ侯爵だからな。御用商会に密かにお触れを出したのさ。クリスタルをクリスタルのまま楽しめるものをな」
「なんともふわっとしてますね。流行の発信者を気取るなら、それを自分で考えて、その素材を商会に発注するものだと思うんですが」
「まあそれはそうだが、なにしろベルファスト黒器をけなした手前、早急になにかをあつらえねばならないわけだ。そろそろ結果を見せなければ今まで築いてきたポジションにも影響が出る」
「大変ですね」
「大変なんだよ。そして、とうとう先日、御用商会以外からも広く買い付けるお達しが出たところなのさ」
「へぇ」
「御用商会連中にとっちゃ、自分達の立場を脅かされかねない大ピンチ。それ以外の商会にとっちゃ、一世一代のビジネスチャンスだ。そんな現状だから、御用商会の焦りを利用して、その何かにかこつけた詐欺同然の商品を売りつける輩が大量に発生しているのさ」
「もしかしてお隣は」
「御用商会のひとつなわけだ」
なるほどねぇ。つまりはあり得ないほど白い砂糖は、なんらかのサギだとみなされたわけか。
グラニュー糖があれば、このピンチも乗り切れたのに、バカなやつらだな。もう絶対に売ってやらないけど。
「色が付かないだけなら、水飴とか蜂蜜とかあると思いますが」
あるよね?
「それは、有象無象の貴族家が最初にやった。しかし、クリスタルはあくまでもクリアさが売りだから、水飴や蜂蜜では雑味がありすぎて興ざめというわけだ」
「果汁は?」
「どうしても濁るし、香りがつくからダメだな」
「いっそのこと砂糖を入れずに楽しめば?」
「仄かな甘みがなければクリスタルとは言えないそうだ」
なんとも面倒な話だが、趣味の世界というのはそういうものだ。困難な事象を前に皆が躍起になる気持ちも分かる。
「それで、ショータの砂糖はこの問題を?」
「解決できると思いますよ」
それを聞いたアネットはにやりと笑って立ち上がると、「少し待っていろ」と言って店の中に引っ込んだ。
「ねえショータ」
アネットが居なくなると、いままで黙って控えていたマイユが尋ねてきた。
「よくわからなかったんだけど、大丈夫なの?」
「大丈夫。さっさと用事を終わらせて、マイユの妹……そういや名前なんていうんだ?」
「シャロン」
「シャロンのところにお見舞いに行こうな」
「うん!」
しばらくするとアネットが木箱を足で蹴っ飛ばしながら戻ってきた。
「そら、これがクリスタルだ」
木箱の上に、温められた、アンティーク然とした非常に高価そうなカップが3つ並べられた。
その瞬間、俺はアネットが結構好きになった。ぼろを着ているマイユをちゃんと人としてみていると言うことだ。
アネットは慣れた手つきで3つのカップにお茶を注いでいく。
俺はショルダーバッグの中から取り出すように見せかけて、収納から砂糖の壺を取り出すと、用意されていたシュガーポットに移し替えた。
「これがショータ糖か」
「何ですか、その名前は」
アネットはふふふと笑って、シュガーポットからシルバーのスプーンで一匙すくうと、自分のカップへとそれを入れて、ティースプーンをくるくると回転させた。
俺はマイユと自分のカップに、同じことをして、ひとつをマイユに差し出した。マイユはおそるおそるそれを受け取って口をつけると、思わず、「美味しい!」と声を上げた。
クリスタルは本当に繊細で美味しいお茶だった。これは、たしかに水飴でも蜂蜜でもダメだろう。
しかしグラニュー糖なら――
「完璧だ」
目を閉じてその余韻を味わっていたアネットが、一言ぽつりと口にした。
当代の並みいる大商会を混乱のるつぼにたたき込んだクリスタル問題は、この瞬間、狭く薄暗い路地裏でその解決をみたのだ。
「もちろん売ってくれるよな?」
「それは構いませんけど、ハーバル侯爵夫人とやらのところに持って行くのはやめませんか?」
「どうしてなのか聞いても?」
アネットにとって見れば、酷い目にあったハーバル侯爵家の御用商人であるダブリン商会の鼻を明かせるチャンスを棒に振るのが不思議だったに違いない。
「もちろん現状ではハーバル侯爵夫人のところが一番高値を付けるでしょうけど、なんだか性格があわなそうなんですよね」
「性格があわない?」
「はい」
「それだけ?」
「はい」
アネットは、性格が合わなそうという、ただそれだけの理由で大商いを平然と投げ捨てる男の顔をまじまじと見た後、思わずと言った体で吹き出した。
「ショータは爺ちゃんみたいだな」
「は?」
「いや、なんでもない。それで何処へ持って行けばいいんだ?」
「それはもちろん――」
◇◇◇◇◇◇◇◇
しばらく後、ベルファスト公爵夫人のところで行われたあるお茶会が、社交界の大きな話題をさらった。
そこではいつものベルファスト黒器で普通にお茶が提供された後、場所を庭の美しい花が咲いている木の下に移して、当代随一の白さを誇る茶器でクリスタルが提供された。
そのお茶は何処までも透明で、添えられた仄かな甘みが、後々まで完璧なクリスタルとして語り継がれることになった。
カップには、その透明さを確認するように一枚の美しい小さな花びらが浮かべられ、その影がカップの底に映り込むのを皆で楽しんだという。
そのとき添えられた砂糖こそが、マイヤー商会のショータ糖。のちにショ糖と呼ばれるようになる逸品だった。
DP:38 (debt:-10,000) RD:31,530
金貨 3, 銀貨 1, 小銀貨 5, 銅貨 3
落ちが付いたところで、そろそろ1話更新になります(たまに例外あり)
お気軽にお楽しみ下さい。