第58話 大人になるということ
夜の静寂に包まれた、自室の中で。
壁に掛かっているローブに視線を向けながら、僕は黙々と旅の準備を整える。
小さな鞄に入るだけのポーションとトラッパーを詰め込んで。
鞄の口を閉じ、小さく息を吐いた。
明日の朝、遺跡に向けて出発する。
平穏に、この旅が終わりますように。
そう願って、寝床に入る。
目を閉じると浮かんでくるのは、昔の記憶。
かつてもこうして旅支度を整えていたということを、思い出す。
「お兄ちゃん、仕度できたよ。見てー」
笑顔で僕の元に駆けてくるミワに、僕は冷静な目を向けた。
ミワが肩から下げているのは、彼女の愛用の鞄。
何を詰めたのか、ぱんぱんに膨らんで随分と重たそうに彼女の腰の横で揺れていた。
「……随分大きな荷物だな」
「必要なものがたくさんあったの。全部入れるのに苦労したんだよー」
「見せてみろ」
僕は彼女から鞄を取り上げて、鞄の口を開いた。
中から出てきたのは、ポーション。毒消し薬。トラッパー。食糧。それはいい。
何だ、これは。
僕は中に入っていた布の塊を引っ張り出した。
布を広げると、それは一着のローブになった。
中に包んでいたのだろう、畳まれた彼女の下着がばらばらと落ちてくる。
「あー、せっかく詰めたのに!」
声を上げるミワにローブを突き出して、僕は問うた。
「……何だ、この服は」
「何って、着替えだよ? ダンジョンではお風呂に入れないでしょ、だから入れたの」
「……余計なものを持って行くな」
僕は溜め息をついて、ローブを彼女に放り投げた。
ローブをキャッチしたミワが不満そうな声を上げる。
「余計なものじゃないもん!」
「旅の荷物は必要最小限にまとめて身軽に動けるようにすること。旅生活の基本だ。服は同じものを何日も着続ければ済む。着替えなんて必要ない」
「むー」
ぷぅっと頬を膨らませて、ミワはローブを寝床にばさっと放った。
「そう言うお兄ちゃんの荷物も見せてよ」
「何で見る必要がある」
「お兄ちゃんが余計なものを持っていないかどうかチェックするの!」
彼女は傍らに置いてある僕の鞄の口を開けた。
中に入っているのはポーションが二本と、毒消し薬が一本。僅かな非常食。それだけだ。
それを見た彼女はびっくりしたように言った。
「たったこれだけ?」
「十分だろう。今回行くのは近場のダンジョンなんだからな。日帰りで行ける場所なんだから食糧も少しあればいい」
「……お兄ちゃんって自信家なのか面倒臭がりなのか分からないよね」
肩を竦めて、ミワは鞄の口を閉じた。
僕は持っていた鞄を彼女に返した。
「とにかく。お前も一人前の冒険者を名乗るなら、必要なものと余計なものの区別くらいできるようになれ。いちいち僕にチェックさせるな」
「はぁい」
叱られてしゅんと肩を落とす妹を横目で見ながら、僕は小さく溜め息をついたのだった。
あの時は、旅支度なんて自分の魔術の腕前があれば必要ないとさえ思っていた。
それが、驕りだった。
万が一を想定した旅支度をきちんと整えていたら、あんなことが起こることもなかっただろうに──
思い出したくないことを思い出してしまい、僕は目を閉じたまま嘆息する。
もう、僕はあんな旅人にはならない。今の僕は昔とは違うんだ。
言い聞かせて、僕は毛布を深く被った。
人は、苦い経験を教訓にひとつ大人になる。
今回の旅で、僕は何を経験して大人になっていくのだろうか。




