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カノン(伊咲貴音音楽教室)  作者: FRIDAY
壱 その指先で手繰る音
6/57

シューベルト『魔王』

「あ、ようこそー。よく来たねー、上がって上がって」

 実のところ、どさくさ紛れに部屋に入った前回と違って、改めて訪ねるという状況に少なからず緊張していたのだけれど、伊咲さんはなんの屈託もなく俺を迎え入れた。


「本当に来てくれるとはねー、嬉しいよー」

「いえ、まあその、暇だったもので……他にも、人来てるんですか?」

「うん、来てるよー。さすが、近所に小学校があるだけあって、思ったよりたくさん集まってくれた」

「そうですか。それはよかった――」ん、小学校?


 それについて俺が深く考える前に、答えが先にやってきた。

 キィ、と伊咲さんが戸を開けた先。あの、グランドピアノが置いてある部屋だ。

 そこには、確かに結構な人数がいた。

 ただし、


「あー、もうひとりいたのー?」

「おー、それも、でっかいにーちゃんだー」

 君たちは小さいな。


「この子は菅生真幸くん。皆と一緒にピアノを練習する――かも?」

 かもかもー? と少年少女は唱和する。

「えーっと」

 ちょっと戸惑って頬を掻く。


 いや、ちょっと考えてみれば、これくらいは予想できてしかるべきだった……音楽教室というと、すぐに想像するのは有名なピアニストを養成するような、少なくともその道に専門として習うようなものだけれど……そういう音楽教室を開いているのは、もともと大なり小なり名の知れた人だろう。そもそも伊咲さんは、(こういうと失礼だけれど)そんなに凄そうな人には見えない。


 ん。

 というか、初めに言ってたっけか。

 これは……ひとりだけ歳が違いすぎるなあ。


 部屋の中に十数人、好き勝手に散らばって座っているのは、小学校に入学したばかりかといった年齢層の少年少女だった。

 下手をすると十歳違う。


「――さて。予定だとこれで全員かな。それじゃあ改めて。――ようこそ! 私の音楽教室へ!」

 ちゃららー、と自分で効果音を言いながら、伊咲さんは拳を突き上げた。なぜ突き上げるのかわからないが、同じく絶対にわかっていないであろう少年少女がノリノリで真似をしたので俺もつられて唱和する。


「で、私は先生をする伊咲貴音です! よろしくお願いします!」

 ぺこり、と頭を下げると、よろしくお願いします、とちびっこたちもそれぞれにぺこぺこ頭を下げる。なかなか、礼儀を知った子供たちである。

「えっと、一応菅生君以外はお父さんお母さんから、通うことは決まったよって聞いてるんだけど……ピアノ。皆見たことはあるよねえ。触ったことある人はいる?」


 ぐるっと伊咲さんが見回した中で、手を上げたのはやや年長の女の子だった。

「お、ハルカちゃん、ピアノ触ったことある?」

「あるよ。学校で吹奏楽部に入ってて、オルガンとか弾くの」

「おお! それじゃあ弾けるわけだね! 楽しみだねえ。――あとの皆は初めてなのかな」

 伊咲さんの問いに、子供たちはそれぞれに頷く――と、その中で先程ピアノは弾けると言った女の子が俺の方を見上げた。

「おにーさんは、ピアノ弾いたことないの?」

「え、俺?」


 急に、しかも思わぬ方向から問われて驚いた。俺は……鍵盤ハーモニカなら小学校で必修だったから弾いたことはあるけれど、あれはノーカウントかな。

「ないかな」

「へー、おにーさんピアノ弾いたことないんだあ」

 にまあ、と満面に笑む。え、なに、嬉しいの?


 戸惑う俺を余所に、伊咲さんは流れを戻すように軽く手を叩いた。

「はいはい、それじゃあ……まあ今日は一回目だからね。レッスンはしないけど。皆の歓迎会ってことで私からサービスしよう。なんでも好きな曲を言ってみて! 弾ける限り弾いてみせるよ!」

 似たような展開を見たことがある。けれどどうやらそれは俺だけだったみたいで、ピアノの前に座る伊咲さんを見て、おお、とどよめいた子供たちは手を上げ口々にリクエストする。やれ某アニメの歌だの戦隊ヒーローのテーマだのが飛び交う中で、またもあの女の子が一際大きな声で、


「『魔王』! せんせー、私『魔王』が聴きたい!」


 と叫んだ。それは俺もさすがに知っている。中学校の授業で鑑賞させられたが、あれか……できるんだろうか。伊咲さんを見ると、明らかに口角がひくついている。

「『魔王』って……もしかして、あの『魔王』? シューベルトの?」

「そうだよ! あの怖いやつ」

 大いに頷く女の子は、やはり俺も知っているあの『魔王』を御所望のようだ。最初は面食らっていた伊咲さんだが、よし、と頷いて腕をまくった。


「御了解。あ、でも全部は弾けないから、途中までね」

「え、ほんとに弾くの?」

 自分で言ったくせに、いざ鍵盤に取り掛かろうとする伊咲さんを見て女の子は驚いた声を上げた。甘く見ていたのか、さすがにできまいと思っていたらしい。しかし伊咲さんは譜面も出すことなく手を鍵盤に添えて、にやりと不敵に笑って見せた。

「弾きますともよ。――では」


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