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カノン(伊咲貴音音楽教室)  作者: FRIDAY
参 告げる想いに響く音
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励まし

『え、菅生今こっちにいるの⁉』

 いきなりの大声に俺は思わず顔をしかめながら通話口から耳を離した。それでも戸塚の声ははっきり聞こえてくる。


『なんでもっと早く教えてくれない……ああもう、そんな急に休み取れないし……』

「いや、そんな気にしないでくれよ」

 俺は月地と黒槇さんにも話した内容を戸塚にも話す。すると戸塚も月地と同じように不満そうな反応だった。


 実家でピアノを見て、業者に預けた後、俺はその日のうちに自分の新居へとんぼ返りしていた。その特急のデッキでの通話だ。

 一通り確認したところ、実家に置いていたピアノは思っていた通り健在だった。その点は母に感謝しなくてはなるまい。今回はほぼ入れ違いになったけれど……両親とは夕食を同席しただけでまた出てきてしまった。けれど別に俺の家の家庭環境が荒んでいるとか、家族関係が冷えているというわけではなくて、両親は共働きで時間がないし、俺も引っ越しやらなにやらで時間があるわけでもないから、卒業祝いなどはそのうちゆっくりやろうという話になっただけだ。まあ、確かに両親は両親とも割とドライな考え方のふたりではあるのだけれど。


 ドア窓からなんとなく外を見るが、闇に沈んだ景色に見えるものはない。

「月地とも話したんだけどさ。俺も身の回りが落ち着いたら時間が取れるから、それから予定合わせて、飲みにでもいこう」

『それは勿論、いいけどさ。発表会だってまだだったじゃん』

 どうやら戸塚はしっかり覚えていたようだ。俺もそれを誤魔化すつもりとかはなかったから頷く。

「それも、さ。時間が取れてから。同窓会も兼ねてやろう。……ああ、でも黒槇さんも月地と一緒に来るから、お酒ばっかりにはできないかもしれないけど」

『晴夏ちゃんもか。そうだね。この間街で会ったけど、元気そうだったよ。――もともとしっかりした子だったけど、もう高校生になるんだね。輪をかけてしっかり者になってた』


 確かに、電話越しの会話も物腰がしっかりとしてて、芯の強さはグレードアップした感じだった。あれは、将来月地は尻に敷かれそうな感じがする。

 ふふ、と戸塚は笑った。


『菅生が大学行ってる間、なかなか連絡も取れなかったけど、元気そうだね。よかったよ』

「ああ、戸塚も」


 大学を卒業して、月地は民間企業、戸塚は市役所に就職した。ふたりとも堅実に足場を固めている。それに対してみると、まだはっきりとしていない俺は我が身がちょっと不安になる。

 音楽教室を開いたばかりの頃のあの人も、こんな気持ちだったのだろうか。


『私は元気だよ、相変わらず。彼氏のひとりもいませんけどねー。――あ、菅生。あんたまさか浮気とかしてないでしょうね?』

「浮気って、いや、ないけどさ」

『そう? ならいいけど。……私をフッていったんだから、簡単に気持ち薄れたりしないでよ。ずっと想い続けるのも、簡単じゃないだろうけどさ……』


 戸塚の言葉に、俺はなんと返したものかわからず答えられない。そりゃあ勿論、忘れてなんていないけれども。

 それで、と戸塚は明るい調子に戻って言った。


『先生とは連絡取れてるの? 音楽教室始めますよって、連絡入れた?』

 戸塚の問いに、俺はちょっと、詰まって、いや、と首を振った。

「まだ」

『え、どうして』

「んー、なんというか……」


 連絡先は知っている。手紙のやり取りだって結構あった。勿論、ようやくめどが立った時にはその旨を知らせようとも思ったのだけれど……なんとなく、躊躇われた。


 俺が、ちゃんとできているのかなって、心配になってしまって。

 なにひとつ恥じることなく堂々とできる有り様に、俺はなっているだろうか。

 俺は伊咲さんと、正面から向き合うことができるのだろうか。

 そこにほんの少しだけ、不安が生じた。


 けれど――なに言ってんの、と戸塚はそんな俺の憂いを鼻で笑った。

『そんなの、心配するようなことじゃないよ。大丈夫、菅生はしっかりやってる。ちゃんとできてる。正々堂々正面から向き合えるよ』

 別に俺は、決闘しようとしているとかじゃないんだけど……どうして、戸塚の方が当の俺より自信たっぷりなんだろう。

 そう問うと、戸塚はこれにも当然のように、こう答えた。

『だって、私が好きになった菅生が、そのくらいのことできないわけないもの』

 ……俺はなんと返せばいいんだって。


 ありがたいやら申し訳ないやら気恥ずかしいやら。俺が黙ってしまうと戸塚は小声でぶつぶつと『いい加減私も卒業しなきゃいけないんだけどなあ』などと言っている。


 とにかくも。


『折角ここまでやってきたんだから、しっかり自信持ちなよ。先生に披露するより先に私たちが発表会観るわけにいかないから、さっさと話を進めなさいよね。わかった?』

 うん、と俺は頷いた。ありがとう、と言うと戸塚はふふっと笑った。

『頑張って。私だって応援してるんだから、ちゃんとやり遂げなさいよね』


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