告白
「――そっか」
落とすように、戸塚は言った。視線が下がり、膝の上で浅く組まれた自分の手を見下ろす。
そっか、ともう一度言った。
三度、そっか、と言ったとき、戸塚は不意に立ち上がった。どうしたのかわからず黙って視線で追う俺に構わず、戸塚はゆっくりと歩いて窓際まで行く。
遠く稜線を縁取る夕日を望んで、戸塚は小さく吐息した。
「……うん、知ってた」
「え?」
突然の戸塚の言葉に、俺は思わず驚きの声を上げた。俺がようやくたどり着いた俺の気持ちを、戸塚が知っていたとはどういうことなんだ?
戸惑う俺へ振り返って、戸塚はまたそっと笑った。
「私も、菅生に謝らなきゃいけないことがあるんだ」
そんなことを言う。どんなことだろう。俺に心当たりはないのだが……。
御免、と戸塚は言った。
「私、菅生にひとつ、嘘ついたんだ。……御免ね」
戸塚の表情は、逆光になっているせいではっきりとは見えない。けれど、言葉は明確に届いた。
「菅生が悩んでたとき、憧れなのか好意なのかって悩んでたとき。私は、それは憧れだよって言った。……でも、あれ、嘘。あのときにはもう知ってたの。ああ、戸塚はその先生のこと、好きなんだなあって」
どうして、と反射的に問うた俺に、だって、と戸塚は答える。その声が、わずかに濡れていることに、俺は気付いた。
「だって、それを認めちゃったら……私の世界が、終わっちゃうんだよ」
だから、嘘をついたの、と戸塚は言う。
御免、と繰り返す。
その意味が、俺には咄嗟に理解できない。
それはつまり、どういうことなんだ?
困惑する俺を前に、戸塚は続ける。
「私はもっと前からだったのに、結構アピールとか、してきたつもりだったのに。菅生は全然気付かないで、他の誰かを好きになっちゃったみたい……本当に、怖かったよ。なにもかも終わっちゃうと思った」
終わっちゃえばいいとさえ、思った。
戸塚は言う。
「い……いつから。なんで」
ようやく呑み込み始めた俺は、逆光の戸塚へ問う。
「俺は、全然」
「気付かなかった? うん、気付いてなかったよ。ずっとはっきりしてなかった私も悪いんだけどさ……だから、こんなことになっちゃう。いや、そうでなくても、きっとこうなってたんだよね」
落とすように、吐息する。
「いつからかなあ。いつの間にか、だよ。なんで、って訊かれても、はっきりとなんて答えられないよ。菅生だって、その先生が好きな理由、はっきり言えないでしょ?」
戸塚の言葉に、俺は口をつぐんだ。確かに、訊かれたって答えられない。
だよね、と戸塚は笑った。そんなものだよ、と。そして口を閉じる。
沈黙。
俺は、なんと言葉をかければいいのかわからず、けれどなにか言わなきゃと思い口を開き、
「――ねえ」
機先を制するように戸塚に声をかけられてまた口をつぐんだ。
戸塚は、俺を窺うように、問う。
「菅生は、本当に、その先生が好きなんだよね」
問いというよりは、確認のような言葉だった。
俺は、深く頷く。
否定することも、疑うことも、もうない。
そっか、と戸塚は吐息して、小さく笑った。
ねえ、と。
「私、ずっと菅生に言いたかったことがあるんだけど――いいかな」
それが、なんなのか。さすがの俺にだってここまでくれば、わかる。
その上で、俺は頷いた。
ありがとう、と戸塚はまた笑った。
そして、言う。
「私、ずっと、菅生のこと好きだったんだ。よかったら――付き合って、くれないかな」
戸塚の表情は見えない。けれど、それは濡れた声だった。
その言葉を聞いて、受け入れて――俺は、首を振った。
「御免」
俺は言う。
「ありがとう。凄く嬉しい。けど、御免。俺――好きな人が、いるんだ」
その答えに、うん、と戸塚は頷いた。
「知ってる」
ありがとう、と戸塚は言った。
「聴いてくれて、ありがとう。答えてくれて、ありがとう。菅生――大好きだよ」
その言葉に、俺には返す言葉が見つからない。
戸塚は、くるっと身を回してまた窓の向こうを向いた。逆光の中ながら、俺の目にうっすらと戸塚の背が映る。
「あーあ、フラれちゃった」
残念、とつぶやく調子はわざとらしいほどに軽さが装われていて、明らかに濡れており、だから俺は思わず、
「――戸塚」
「やめてね」
短く、小さく、けれどはっきりと、戸塚は言った。
「慰めとか、そんなことは言わないで。今は、今だけは――浸らせて」
大丈夫、と戸塚は言った。
「私の世界は、まだ終わらないよ。菅生が聞いてくれたから、答えてくれたから……終わらない。けれどもう少しだけ、菅生のこと、好きでいさせて」
戸塚の言葉に、俺はなにも返せない。戸塚が俺に抱いてくれたという感情が、俺が伊咲さんへ抱く感情と同じものであるのなら、俺にかけられる言葉のあろうはずもない。
再び、沈黙が訪れる。けれど今度も、俺からなにかを言うことはできず、沈黙を破ったのは戸塚だった。
ふ、と吐息して、身を回し、つかつかとこちらへ大股に歩み寄って来る。
そして、ずいっと腰を折って俺と視線を合わせた。
「腱鞘炎、ちゃんと治しなよ」
「……え?」
突然の行動に驚いて身をすくめる俺に、戸塚は言う。
「保健室の先生が言ってた通りに、ちゃんと二週間は絶対安静。そしたらきっと治るから。それから、リハビリも兼ねてちょっとずつ練習を再開すること。焦って急ぐとまたぶり返すから。時間がなくたって、足りないなんてことはないよ。菅生ならできる。私が保証する。――『カノン』、弾いてみせるんでしょ」
戸塚の言葉に、俺は頷いた。
に、と戸塚は笑った。
「頑張って。応援してる」
その笑顔は、今ではもうずいぶんと懐かしい――初めて気まずくなるより以前と同じ、屈託のない笑みだった。




