天然系女子
結論から言うと、部屋は一通り片付いたものの、予想以上に苦戦した。
過程を言ってみると……伊咲さんは片付けに関して、まるで役に立たなかった。それはもう、びっくりするくらい、いっそのこと邪魔だった。出したものは、とりあえず手近なスペースに置く。本棚に本を仕舞おうにも、まずは平積み。不定形なぬいぐるみやら置時計やらはなぜか山にする。
なんでだ。
「御免ねー……なんか、全部やってもらっちゃった……」
「いえ、もう、なんか、いいです……」
こんなに疲れたのは久し振りだぜ……汗だくだ。反面、中盤からほとんど動いていなかった伊咲さんは比較的涼しげではある。
動いていなかったというのは、決して伊咲さんがサボっていたという意味ではない――俺が言って、壁際に控えてもらったのだ。俺が片付けたものを、それも悪気なく荒らし回られてしまうのだから、それならいっそ動かないでいてくれた方がありがたい。伊咲さんは本当に申し訳なさそうだったけれど、そしてこちらとしても申し訳ない気持ちもあったけれど、背に腹は代えられない――伊咲さんが置物になることで俺がそれまでの二倍動くことになり、どうして俺がこんなに頑張っているんだろうと何度か我に返りかけたけれど、とにかく、普通に生活できるであろうレベルには空間を作り出すことに成功した。
誰か褒めてくれ。
「そ、そろそろお昼だし、お礼と言ったらまだ足りないけれど、お昼食べてって。冷やしそうめん」
どう? と小首を傾げて訊いてきた伊咲さんに、俺は頷いた。帰っても、食べるものはないからな。そうしてもらえるとありがたい。よしよし、と頷きながら伊咲さんは立ち上がった。なんの曲かはわからないがなにかのはなうたを歌いながら台所の方へ入って行った。その間に、俺は壁際に立てかけられていた座卓を出して部屋に置いた。器やなんかは、もう出して片付けてあったはず……と、思いながら俺はがばっと台所に立つ伊咲さんを振り返って見た。必ずしも関係があるとは言わないが、片付けがこれほど壊滅的な伊咲さんって、料理の方は大丈夫なのか……? 冷やしそうめんはほとんど茹でるだけなのだから、奇想天外なミスをしない限りは問題ないはず、だ。少なくともこうして見る限り、台所に立つ伊咲さんの様子に異変はない。
大丈夫、かな?
一応、大丈夫だと思うことにして、それからちょっと落ち着いた目線で部屋の中を見回してみる。そう言えば、女性の部屋に入るのは初めてだ。とんだ初めてになってしまったが……なんだろう、少女漫画や女性雑誌も多いのだけれど、他にも音楽系の本が少なからず混ざっている。音楽雑誌や、情報誌、楽譜などだ。
「……伊咲さんって」
何気なく、言ってみる。
「音楽、好きなんですか?」
「んー……?」
距離と、そうめんを茹でる音でよく聞こえなかったんだろう、曖昧な返事が返ってきた。まあ、そこまで深く聞いてみたかったわけでもないからいいんだけれど。いや、それよりもむしろ、
「あっ……!」
という伊咲さんの小さな悲鳴の方が大いに気になる。
なんだ、なにをやらかした。
だけど、それを俺が確認する前に伊咲さんは器を載せた盆を持ってこちらへやって来てしまった。
「で、できたよー、お待たせー」
あはあはと笑う笑顔がわざとらしい。やはりなにかやらかしたか。
だが、見ている分にはおかしいことはない。氷水に浸けられているのは確かに冷やしそうめんで、焼きそばに化したなにかではない。おかしなところは……。
だが、それを見た後で再び伊咲さんの顔を見やると、まだ不自然な笑みが張り付いたままだ。む、と三度盆の上を見る。二人分のガラスの器、箸、大きなガラスの器に山盛りのそうめん……んん。
「あの……」
「な、なにかな?」
俺の向かい側に、なぜか正座して引きつった笑みでこちらを見る伊咲さんを、見る。
「……めんつゆ、は」
「あ――あはは! ど、どこかなー?」
なぜ歌劇風。
じと、と見ると、ついっと脇に視線をそらした。
「な……なかった」
「なかった?」
「か、買ってなかったんだよぅ! ほら、引っ越しして間もないから!」
「引っ越しして間もないのに、どうしてそうめんそのものはあったんですか」
「それは、ほら、引っ越し挨拶の贈り物用で……」
「まさか贈り物を⁉」
「あ、いや、そこは違うんだ、これは贈り物の余りで。どんぶり勘定で買ったら思いのほか余っちゃってね。ひとりじゃ消費しきれないから、ついでに処分しちゃおうかと……」
顔の前でぶんぶんと両手を振りながら、ついでに余計なことまで口走る伊咲さん。
まあ……この程度で済んだのなら、いっそ安堵することか。
ため息をひとつつきながら、俺は立ち上がった。えっと、と俺を見上げる伊咲さんに、座ったままでいるよう手で示しながら、俺は部屋を出て行った。
「俺んちにめんつゆあるんで、取ってきます」