第四笑〜彼女の日常、彼の非日常〜
「いいか? ぜっっったい!! この部屋から出るなよ? 僕が帰ってくるまでだ! いいな、絶対だぞ!」
「はいはい、わかっていますわ聖様」
詩紅母は聖の罵声をニコニコしながら聞き流した。さすがに二週間も一緒に暮らしていては扱いも手馴れてきたものである。
聖は言葉を詰まらせ、すぐに詩紅母から目を逸らす。
「と、とにかく……大人しく留守番してろよ? くれぐれも……いいか?くれぐれも……」
おかしなことはするなよと言いかけようとして、「はいはい聖様。何もいたしませんよ。あ、これお弁当です」
ニコニコと受け流す。
聖はまたも言葉を失って……言い返せなくなったのか、聖は弁当を詩紅母の手から奪い取って扉を乱暴に閉めて学校へとイライラすつつ向った。
「いってらっしゃいませぇ〜聖様〜」
もうすでに見えなくなった聖に明るい笑顔で手を振る詩紅母。
「さて、聖様が帰ってくる間にお掃除を済ませなくちゃ!」
詩紅母は早速、聖との『何もするな!』という命令を破り始めた。
意気揚々と押入れに無造作に仕舞い込んである埃を被っている掃除機を取り出した。
「聖様ったら、お部屋のお片づけをしないのですから……ふふふ。仕方のない方ですわ」
とか何とか言いながら、詩紅母は鼻歌交じりに掃除機のスイッチをオンにした。
数時間後……。時間的にはもう昼になっていた。
粗方部屋が綺麗になると、詩紅母は次にいらなくなった新聞紙や、雑誌などを纏め始めた。
しかし、あの豚小屋のような聖の部屋を此処までよく片付けたものだ。感心してしまう。
と、詩紅母がその纏めた物を家の外に出そうと立ち上がったときだった。
「あら? こんなところにまだ本が……」
何故かベットの下に本の角が少し顔を覗かせていた。詩紅母は不思議に思いながら、その本を手に取った。
それを手にした瞬間、詩紅母は顔をカッと真っ赤にさせた。
そうして、何を思ったのベットのシーツがべランとカーテンのように垂れ下がっている部分を無造作にばっとめくった。
……そこには!!
***
さて時は同じくして、ここは聖の通う学校である。
「ひ、聖が……べ、べべべべ弁当持ってきてるぅ!!」
お昼休みの時間。渚が聖の弁当に悲鳴に似た大声を上げていた。
「う、うるさいな……べ、別にいいだろ! 僕が……その……たまに弁当……持ってきたって……」
「そ、それもそうだけど。で、でも聖はいつもコンビニか、購買でお昼を買ってる人なのに。しかも、確か聖は極度の料理音痴……どうやってお弁当作ったの?」
む、痛いところをついてくるな、幼馴染とは恐ろしくも、面倒な存在だなと聖はそう思った。
さぁ、言い訳が難しくなってきた。どうするか……できるだけ、あの女の存在は知られたくはない。
「ど、どうだっていいだろう! あ、あっち行けよ!」
そうだ、渚をいつものように遠ざけてしまえばいいではないか。それで、弁当をかき込んで……
しかい、今日の渚は一味違かった……。
「いや! 聖のお弁当みてみたい。こんな事初めてだもん」
どうやら、聖が持ってきたお弁当の中身が相当気になるのか、渚は断固として聖の机の前から離れなかった。
「な、なんだよ!」
聖は焦る。まずい……このままでは、弁当をあけることが出来ない……。
ん? そうか! 聖はあることに気がついた。
(そうだよ。弁当食わなきゃいいんだ! よし、そうしよう)
聖は、さりげなく弁当を鞄にしまいこんだ。
しかし、渚はすぐにその不自然な行動を察知したのか、聖からまだ包みを開いていない弁当箱を奪い取った。
「な、何しやがる!」
聖が食って掛かる。
「ねぇ、聖。何か隠してない」
どきりと聖は顔を強張らせた。そうして、小さな声で……
「し、してねぇよ……」
「本当に?」
ズイッと顔を近づける渚。聖は、うッと顔をしかめる。
「……ほ、本当だよ……」
顔を背けながら言う聖。
渚は納得できない様子だった。
「じゃあ……そういうなら、このお弁当あけてみてよ……」
「え? いや……それは……」
「出来ないの?」
渚には珍しく物凄い剣幕だ。
聖はそんな渚に圧倒され、仕方なく……渚から弁当を受け取り、結び目を外す。
(くそ……手が震える……ただ、蓋を開けるだけだというのに……)
いつまで経っても蓋をあけない聖に痺れを切らしたのか、渚は告げた。
「もう! 何してるのよ、もう私があけてあげる!」
聖はあっと、目を見開いた。
世界がスローモーションになった。何秒かして。
パカッと……運命の扉が開いた……。
開かれたその弁当は、二人が驚愕する内容だった……
その中身はというと……まず目に入ったのは、ご飯の上に桜澱粉で描かれたハートの上の海苔で切り張りされたメッセージ……『愛する聖様へ』だった……。
そうして、まるでそのメッセージを飾るかのような可愛らしい色とりどりのおかず……。
それは誰がどうみても……愛妻弁当だった……。
その瞬間、聖の世界は……氷点下零度の極寒の地になっていた。
渚が、笑顔を引きつらせながら冷え切った声で、こう呟いた。
「聖……これはどういう事……?」
もはや、言い訳ができない。
それでも聖は最後の足掻きと、言い訳を並べる。
「いや、これは……そ、そう。は、母親が作ったんだよ!」
「……嘘だね……。聖のママはお仕事が忙しくて、聖に会う暇がないもん。それに、聖は今一人暮らしでしょ!」
「ぐっ……」
聖は確信をつかれ、言葉を失った。
と、そこに騒ぎを聞きつけてか、加賀屋が面白そうなことになってるとでも言いたげな表情で聖達のところにやってきた。
「どうした、どうした? 聖が押され気味とは明日は吹雪か、大嵐か?」
そんなわけの分からないことをほざきつつ加賀屋は、聖の机の上をみた。
そうして、一瞬言葉を失い、
「な、なんじゃこりゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
数秒の大絶叫を発した。
その場にいた全員が耳を押さえるほどの大絶叫。少し離れた人間が、耳を塞ぐほどだ。側に居た聖や渚にはたまらないだろう。
渚なんて、クルクル目を回している。
キーンと耳鳴りがして、クワンクワンと加賀屋の声が頭を駆け回る中、聖はなんとか言葉を発した。
「……な、なんだよ……耳元ででっかい声を発するな……。身体にも心にも悪いだろうが……」
そんな事お構い無しに、加賀屋は聖を席から立たせる。
「ちょっと、こっちに来い……」
「な、なんだ……離せっ! 馬鹿野郎っ!」
加賀屋はズルズルと無理矢理聖を廊下へと引っ立てた。
「なんなんだよお前はっ!」
そんな聖の言葉など意に介さず、加賀屋は聖の肩をガシッ強く掴んだ。
聖は少し動揺しながらも、「……何だよ……」と、小さく呟いた。
「……聖……あれは、なんだ?」
「何って……べ、弁当だよ……」
「そんなもんはみればわかる! 問題はあの弁当に書かれているメッセージだ! 聖、あれは誰が作ったんだ? 正直に答えろ……」
ようやくいつもの調子を取り戻したのか、聖は離せと無理矢理加賀屋を引き剥がし答えた。
「お前に関係ないだろう! どいつもこいつも……」
「聖……」
珍しく真剣な表情で、加賀屋は聖を見つめた……。そうして、一言……。
「おめでとう!」
「はっ?」
いきなり加賀屋は聖にそう告げた。一体何がおめでとうなのだろうか……。
意味が分からないと驚いた表情を加賀屋に示すと、加賀屋はニンマリ笑った。
「いやぁ〜。お前にもとうとう彼女が出来たかぁ〜」
「はい……?」
どうやら加賀屋はあれを本当に愛情弁当だと思い込んだらしい。
「で、いつの間に出来たんだ? 相手は誰だ? まぁ、あの様子じゃあ、渚ちゃんはないな……誰なんだよ? 隠さずに教えろよ」
聖はハァ……と溜息を吐いた。
そうして、一言……
「お前……馬鹿だろう……」
そうして、聖はけだるげに教室に戻った。加賀屋は、待てよと聖の後を追いかける。
自分の席に戻ると、渚は今の今まで放心していたらしく、聖の姿を見てハッと我に返った。
聖は、仮・愛情弁当を見つめ、そうしてハァと溜息を吐いて、箸を鞄から取り出し、一口ご飯を口に持っていた。
今だに、渚と加賀屋が問い詰めてきていたが、聖が「うるさい……」と冷たく言い放つと、その剣幕に負けてか二人は黙り込んだ。
相変わらず、この弁当の主の料理は美味しかった。
聖は帰ったらまず即文句を言ってやろうと仮・愛情弁当をかきこんだ。
そんな、聖の様子を誰が不思議に思わないだろうか……。
渚と加賀屋はお互いの顔を見つめた。
***
さて、所変わってここはオンボロアパートの『305』号室。つまり聖の部屋である。
「そ、そんな……聖様が……こんな、こんな破廉恥なものを……」
詩紅母は手に持った雑誌を握り、赤面し、固まっていた。
今詩紅母が覗いている雑誌は、明らかに……×××な雑誌だった。健全な男性諸君にはこれだけで理解できたであろう。もうこれ以上は説明の仕様がないので、あまりこの件に関しては突っ込まないように。
と、突然詩紅母がテーブルの上にのっかているビニール製の紐を半ば、無造作に掴んだ。
そうして、ベットの下を覗く。やはり、暗いながらも何十冊かの雑誌が確認できた。
詩紅母は手を伸ばし、ベットに隠してある雑誌を全て光の当たるところへと掻き出した。
その何十冊かの雑誌を束にして重ね、詩紅母はビニールの紐をそれを括れるくらいの長さにきった。
そうして、重ねてある雑誌を新聞紙を括る要領で結んでいった。
他の本の束にも同じことをしていく。
そうして、その雑誌の束を外に出してある古新聞や雑誌のとなりにおいた。
そうして、パッパと手を払って、部屋に戻った。
その数分後……。
家に帰ってきた聖は驚愕した。
「な、なんだこれは!! どうなってる! 何故ここに僕の夜のお、おかずが……」
綺麗にごみとして出されている、『夜のおかず』をみて聖は叫び、赤面する。
「くそ! きっと、あの蜘蛛女の仕業だな……大人しくしてろと言ったのに……ああ! しかも、保管してあった雑誌まで……あ、あの女……っ!!」
聖の怒りはとうとう頂点に達した。マボロシか、聖の体が燃えている。
聖は、乱暴にドアを開き、入るなりいきなり怒鳴りつけた。
「おい!」
「あ、聖様。お帰りなさいませ」
相変わらず詩紅母は動じず、ニコニコと笑顔だった。
「これ、どういう事だよ! 何勝手なことしてるんだ! 僕は大人しくしていろと言ったはずだぞ!」
詩紅母は小首をかしげる。
「へ? 私は何もしていませんわ? 聖様がおっしゃったように、お部屋で大人しく過ごしていましたが……」
「じゃあ、これはなんだ!」
聖は手に持っていた雑誌を、さながら水戸○門の印籠のように詩紅母へと突き出した。
詩紅母はああっと感嘆の声をあげ答えた。
「今日お部屋のお掃除をしたんです。それで、その雑誌などがお部屋のお邪魔をしていたので、片付けたのですよ。どうですか? 綺麗になったでしょう?」
詩紅母はのんびりとした口調でそう告げた。
その瞬間、聖の中で何かがプチリと切れた……
「な、何が綺麗になっただ……ふざけるなよ……。僕のオアシスをことごとく壊しやがって……。お前何様のつもりだ! 勝手なことするな!」
「あ……。も、申し訳ありません……」
詩紅母はうなだれた。
しかし、それでも聖の怒りは止まらない。
「それから、なんだあの弁当は! おかげで周りの連中に誤解されただろう!」
「あ、あの……感謝の気持ちを込めたつもりだったのですが……ま、不味かったですか?」
「その感謝が迷惑なんだ!」
聖は詩紅母に鋭く、冷たく言い放った……。
詩紅母の瞳に涙がわいた。
「わ、私は……聖様に喜んでいただこうと思って……」
そうして、聖はとうとうトドメを刺す言葉を詩紅母に投げかけた。
「それが迷惑だって言ってるんだよ!」
その言葉は詩紅母の胸の深い部分に刺さった……。気がつくと、詩紅母の瞳からは大粒の涙が流れていた。
聖もさすがに、しまったと口を押さえたがもう遅かった。
と、詩紅母が無言でエプロンと三角巾を外した。
「ごめんなさい……聖様……」
聖は何も答えられなかった。
その日、二人はずっと黙っていた。
さすがに、あの後では気まずいのであろう。
夕食も、寝る時ですら詩紅母は何もいわなかった。
聖は何故か違和感を覚えた。この天然すっとぼけ蜘蛛少女が静かになって、自分の生活が元に戻り始めているというのに聖は落ちつかなかった。
自分はどうしたのであろう。どうしてこんなに後ろ髪を引かれているのだろうか。
わからない。
青年は気がついていなかった。
詩紅母を×××になってることを……