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第一笑〜触らぬ蜘蛛になんとやら〜

「なんだよ……。お前は」


鋭い冷たい瞳で、容姿端麗な青年が何かを睨みつけ問いかけていた。


着替え途中なのか、ワイシャツがはだけて白い肌が見えている。


ある日の事である。青年事、藤堂トウドウ ヒジリの視線の先には一匹の蜘蛛が畳の上に乗っかっていた。


「とっととどっか行け、さもなくば潰すぞ……」


聖は冷たくそう言い放った。


蜘蛛に声かけている辺り痛いと思うが、まぁ一人暮らしだから気がふれたとでも考えて、その辺は突っ込まないで置いてもらいたい。


だが、蜘蛛は蜘蛛。聖の言っていることが理解できているはずもなく自分がいる所から動かない。


聖はイライラとし始めて、このまま踏み潰してやろうかと、足を少し浮かせた。


それでも、蜘蛛は動こうとしない。なんというか、自分が危険という事が分かっていないようだ。


聖は、足を降ろそうとして……

――アホらしい……何を蜘蛛ごときでイライラしているのだろう。……そういえば、朝蜘蛛は殺すべからずというしな――

と、思いと止まり少し考え、「トロイ奴だ……」

顔をしかめてそう呟き、そっと蜘蛛へと手を差し伸べた。


蜘蛛は何の警戒ももなしに聖の手にひょいっと乗っかった。蜘蛛を手に乗せたまま聖は窓まで行き蜘蛛をそっと窓の桟の所に下ろした。


蜘蛛は聖の手からそろそろ八本の足を動かして本当にゆっくりした動きでのろのろと下りた。


なんだこの蜘蛛は本当にトロイ……。聖はまたいらいらし始めた。


完全に聖の手から下りた蜘蛛は何故か、聖のほうを向いて、彼を見つめた……ように見えた。


「なんだよ。ささっと出て行けよ……」


言葉が通じたのか、蜘蛛はクルリと向きをかえ、窓の外へと遅い動きで出て行った。


蜘蛛が完全に出て行くと、聖はぴしゃりと窓を閉めた。


そうして、自分がまだきちんと着替えていないことに気が付き、開けっ放しになっているワイシャツのボタンを閉めた。


全く、とろい蜘蛛のおかげで時間を食った……あの蜘蛛この先絶対長生きしないぞとか、思いながら、聖はちらりと時計を見る。


時刻は7:50を示していた。


まずい、このままでは遅刻する……。聖は慌てて、鞄に教科書を詰め、部屋を飛び出した。


階段を駆け下り、自転車置き場へと向かい、自転車に跨りぐっと足に力を入れペダルを漕ぎ出した。


このまま飛ばせば、20分位で学校に付くであろう。聖は余裕な表情を浮かべて自転車を漕いだ。


そうして、20分後……聖の計算どうり学校についてしまった。


自転車をいつも隠している路地裏に隠し、厳重に鍵をかけ聖は校門へと向った。


間に合って当然みたいな表情を浮かべ数多いる生徒達の中にまぎれて聖は校門をくぐる。


下駄箱に靴を入れ、上履きに履き替え教室に向う。


ガラガラと扉を開け中に入る。


騒いでいる生徒達を横目に、聖は自分の席に着いた。


「おはよう」


と、目の前に一人の少女が顔を覗かせる。


桃色の短い髪の毛の端っこをヘアピンで留め、大きな団栗眼と人懐っこそうな笑顔を浮かべた、決して美人ではないが、可愛らしいという印象を受ける女の子が目の前にいた。


聖は感情無しに「ああ」と答える。


少女は、少し不満だったのか頬を膨らませ聖に告げる。


「もう! ちゃんとおはようって言ってくれてもいいじゃない!」


聖はうざったそうに、少女を見つめ……


「うるさい。どうだっていいだろう。全くどうしてお前は僕にそうかかわりたがるんだ?」


少女は更に小さな顔を膨らませ、くりくりと可愛い瞳で聖を睨み、


「お前じゃない! 桃山モモヤマ ナギサって名前があるもん! 聖の馬鹿!」


少女、渚は聖の事をばしばしと軽く叩いた。


その行動を、軽く受け流しだるそうに渚へという。


「ああ……はいはい。わかった、わかったよ。挨拶すりゃあいいんだろう?」


聖はだるそうに、そうしてあまりにも爽やかじゃない低い声で……


「……おはよう……」


と、呟いた。


その声に、渚は「……。」となった。


それと同時にチャイムが鳴り響いた。


今日もくだらなく無駄な時間が始まると、聖は密かに思った。


  ***


時間は流れ、昼休みになった。


購買で買ってきたこっぺパンを取り出し、口に持っていこうとしたときだ。


「ひ〜じり!」


わっとでも言いそうな勢いで、渚が耳元で大声を張り上げた。


「だぁぁぁっ!! うるさいな! なんだよ! 一体!」


「わわっ! ごめん……。でも、聖が寂しそうにお昼食べてるから、一緒に食べようと思って……」


さすがに大声を出して悪いと思ったのか、渚の声は小さかった。


しかし、聖は容赦なくそんな渚を責める。


「余計なお世話だ! 僕は一人がいいんだっ! 全く、お前の無神経にはほとほと困る……いくら、幼馴染だからってもう少し遠慮ってものをおぼえろよな」


聖はこめかみを抑える。すると、渚は瞳に涙を浮かべてポツリと呟いた。


「……ごめんなさい……」


聖は少し瞳を見開き、しかしすぐに冷淡な顔に戻して渚を静かに見つめた。


「……分かったなら。友達のところ戻れよ……僕の所にいても、お前を泣かせるだけだからな……」


渚はコクリと頷き、涙をぬぐい先ほどの涙が嘘のように明るい花のような笑顔で友達のもとに戻っていった。


聖は、何故か寂しそうな瞳で……「なんだ聖、ま〜た渚ちゃんのお誘い断ったのかよ」


いきなり話しかけられて聖は、椅子から転げ落ちた。


声の主はそんな聖を不思議そうな顔で見つめた。


「うん? なにやってるんだ?」


聖は立ち上がり、溜息を吐き出し、目の前のいかに軽そうな男子を一瞥した。


そうして、ポツリ……


「……また無神経なヤツが一人……」


聖は疲れたように呟いた。


「ん? 何か言ったか?」


「いや、別に……。それよりなんのようだ、加賀屋」


軽そうな青年事、加賀屋カガヤ 一誠イッセイは、ニヤリといやらしい笑顔を浮かべ席に戻った聖にのしかかりつつ耳元で囁いた。


「全くお前も隅に置けないなぁ〜」


加賀屋はニヤニヤといやらしい笑いを聖に向けた。


「はっ? 何のことだよ」


聖はわけが分からないといった表情で、加賀屋の顔を手で押しのけ離れさせる。


「この高校のアイドル、容姿よし、性格良しの渚ちゃんのお弁当食べよ! のお誘いをああも簡単に断るとは……。聖、お前も隅に置けないなぁ〜」


「うるさいなぁ……」


聖は、そう小さく呟き食べるのを忘れていたコッペパンを齧った。


「加賀屋には関係ないだろう。それに渚とはただの幼馴染だ」


聖は言い切る。加賀屋は目を大きく見開きワザとらしく驚いて見せた。


「お前……気が付いてないのか?」


聖はコッペパンを食べ終わったためか、お茶をストローですすりつつ、加賀屋に尋ねた。


「何がだよ」


「女の子が、一緒にお弁当食べようって言うのは一つしかないだろう?」


「だからなんなんだよ?」


加賀屋は、はぁっと溜息を付き顔に手を当てた。今にもオーノーとか言い出しそうだ……。


「まぁ、いいや……いずれ分かるさ」


加賀屋は聖の肩をぽんぽんと手の平で叩いた。


聖は最後まで「?」な顔して、首をかしげた。



さて、放課後になった。聖は素早く教科書を詰め込み、掃除もそこそこに教科書を飛び出した。


「ちょっと、聖! 掃除はぁ〜!」


「そんなの、お前等がやっておけばいいだろう……。僕はやりたくないからな」


「聖ぃ〜〜!! ちょっと!! 待ちなさい!!もう……」


走り去り、見えなくなった聖に、渚は溜息を吐いた。


***


聖は自転車に飛び乗り、意気揚々と漕ぎ出した。彼がこんなニコニコしているのは珍しかった。


いや、むしろ気持ちが悪いこと限り無しである……


ともかく、聖は家にこもることを至福の喜びとしていた。そう、彼はいわゆるヒッキーなのだ。


家の中にこもり、パソコンをやる。適当に生活して適当に過ごす。


おかげでご近所さん関係は最悪。会っても挨拶一つしない。まさに駄目人間を体現したような中身が彼の全てだった。


容姿はいいのに……なんて事をナレーションに思われてるとはつゆ知らずに聖は家につく。


自転車置き場に自転車を置き、階段を上がり自分の部屋の前に来る。


鍵をあけようと、鞄を弄り鍵を探す……と……。


ガチャリと、何故か鍵が開いた。


「???」聖の頭に沢山の?が浮かぶ。


なんだ? 何故鍵が勝手に開いたのだ? 泥棒か? いや……泥棒なら、逃げるか居留守を決め込むはず……。では、何故鍵が開いたのだ? 


扉を開けるのが憚られる……。しかし、入らなければゲームもパソコンも出来ない……。


そうして、思いなおす。


(何を遠慮しているのだ。ここは僕の家ではないか……。そもそも何故得体の知れない他人に僕が遠慮などをしなければならないのだ。)


聖の脳内では恐怖より、パソコンとゲームへの愛情が勝ったようだ。


素晴らしいオタク魂だ。と、ナレーションがあきれていっても聖にはどうせ伝わらない。


聖はいつものように、王様たる堂々とした態度でノブに手を掛けた。


扉を開くと一声、

「誰だ! 勝手に僕の部屋に入り込むやつは!」


怒鳴った。


と、だれも居ない……。


「あれ?」


何故だれも居ない。聖がキョロキョロと部屋を見回す……そうして下を見た。


何かが丸まっている。それはどうやら、正座をして頭を下げているようだ。


聖はというと……。


「誰だお前は!」普通に怒鳴った。もう少し、驚いたり出来ないのであろうか……。


その人物は顔を上げずに、慎ましやかなる口調で、

「お待ちしておりました……聖様」

そう呟いた。


聖は突然自分の名前を呼ばれ、言葉を失った。


そりゃ、突然知らない人物に自分名前を呼ばれたら驚くであろう。


謎の人物はゆっくりと、背景があるなら桜が舞いそうなとてもしなやかな動きで顔を上げた。


それは、とても美しい少女だった。長い髪を一つの団子にまとめ、金色の豪華な装飾の蜘蛛の巣を象った簪を挿しており、夕日のような紫色のこれまた蜘蛛の柄が刺繍されている高そうな布で出来た着物を着た、可憐な少女が可愛らしいほほ笑みを浮かべて聖を見つめていた。


聖は一瞬でこの少女に惹かれた。さっきまでの態度が嘘のように、今は大人しい。


「お待ちしておりました……聖様……」


少女の声で聖はハッと我に返った。そうして、驚きとともに、

「うわぁぁぁぁぁぁ!! だ、誰だお前は!!」


飛びのきつつ、一度外に出て、そっと扉から覗いて、指をさして叫んだ。


そう、それが正しい反応というものだよ青年!


少女は、大きな声が驚いたのか、困った顔をしてまた頭を下げた。


「も、申し訳ありません! 私ったら聖様を部屋にお通しもせず、どうぞお入りくださいませ。聖様……」


おしとやかに端によけ、ニコリと聖を家の中に促す。


「お前に言われなくても入る! ここは僕の部屋だからな!」


驚きもすぐに薄れ、聖は元の優しさのかけらを全く持って感じさせない傲慢な態度に戻り、靴を無造作に脱ぎ捨て、ずけずけと部屋に入る。


そうして、鞄をその辺に放り投げどんと、座り込んだ。


少女は、幻覚の桜をヒラヒラ舞わせながら、聖の前に淑やかに正座した。


つっけんどんに聖は少女に尋ねる。


「それで、お前誰なんだよ。僕の部屋に勝手に入り込みやがって……なんだ、ストーカーかお前は」


いくら、部屋に勝手に侵入されたからって初対面の少女をいきなりストーカー呼ばわりとは、デリカシーも何もあったようなものではない。


少女は何かに気が付き、まぁとばかりに口元に手を当てまた深々と頭を下げる。


「も、申し訳ございません! 私ったら、ぼんやりしていて……自分の自己紹介もしていませんでした!」


聖はウザそうに少女を見つめ。きつい口調で少女に言った。


「謝罪はいいから、早くお前が誰か説明しろ……」


「は、はい」


少女は一呼吸おき、

「私、女郎  詩紅母ジョロウ シクモと申します。このたびは命を助けていただいた聖様にご恩返しをしたくやってまいりました」


少女、詩紅母は大人しい口調で言った。


「は? 恩返し?」


聖の頭に再び?が舞う。


こんな、女を助けた覚えは自分には無い。この女は何を言っているのだろうか?


詩紅母と聖の間にビュウッと風が吹き、そうして沈黙。


詩紅母がオズオズと聖に尋ねる。


「あ……あの……覚えてらっしゃいませんか?」


聖は即、頷く。


詩紅母にガーンと背景が桜から雷に変わった。


およよと詩紅母はしくしく泣き出した。何故か幻覚の桜をまわせて。


「ひどいでございます、聖様……」


「酷いといわれても知らないものは知らない。大体お前どうやって僕の部屋に入り込んだんだよ! 鍵は掛けてあったはずだぞ!」


詩紅母は泣くのをぴたりとやめやんわりと微笑み、

「それでしたら、そこから入りましたわ」

詩紅母は何故か開いている窓を指さした。


聖は示された場所を見て、ピシリと怒りマークを浮かべた。


「ふざけてんのか! ここはアパートとはいえ3階にあるんだぞ! それを昇ってきたなんて信じられるか! 嘗めているのかお前は!」


詩紅母はびくりと身体を震わせ、聖を怯えた瞳で見つめて弁解する。


「だって、本当なのですよ! 私は、本当にそこから入ったのでございます!」


それが本当なら、真実はどうあれ立派な不法侵入だと思うのだが……この、お惚け天然少女にそんな考え露も考えていないようだ。


必死に説明する詩紅母に、聖はだんだん頭が痛くなってきた。


「お前……それを僕に信じろって言うの?」


疲れたような声音で、詩紅母にそう問う。


「はい! 信じてくださいませ!」


詩紅母は強く主張する。


聖は思った。駄目だ、この女頭がいかれていると。


しかし、詩紅母は真剣である。


聖は溜息をつき。


「ああ……分かった……お前のいう事信じてやる……」


一言そういうと、詩紅母の表情はぱっと明るくなった。


「本当にございますか!」


聖は、珍しく明るい笑顔を湛えて、「ああ!」と答えた。


「ありがとうございます!」


詩紅母がぺこぺことお辞儀をしている間に、聖はニコニコと電話に手を伸ばし……


110……とボタンを押す。


そうして、笑顔から無表情に戻し……

「もしもし、警察ですか? 何か、変な女に不法侵入……」


詩紅母が慌てる。


「わぁぁぁぁぁ!! 警察に通報しないで下さい!」


電話を奪い取り、誤魔化して電話を切った。


「ひ、聖様何をするのでございますか!」


「ちっ……」


聖は本当に残念そうに舌打ちした。


詩紅母は眉毛を少し吊り上げ、聖に初めて怒った口調で話しかけた。


「もう! 聖様は、私が誰だか本当にお分かりにならないのですか?」


聖はイライラしていたが、こいつに怒っても疲れるだけだと、落ち着けと自分に命じ冷静な口調で、彼女に言った。


「だから、何度も言うが……僕はお前が誰かなんて分からない……」


詩紅母はハァッとでっかい溜息をはいて、肩を落とし、仕方ないという風に、

「分かりました……本当は元の姿に戻るの嫌なんですけど……」


今度は何をする気だ。本当にこの女は得たいが知れない。「今度は何をする気だ……」そう言おうと口を『こ』の字に開けようとしたときだった。


ハラリ、パサッ……


何か布が床に落ちる音がした。聖は自然と音のした方へ視線を向けた。


そこには、紫の着物が落ちていた。


ん? これは先ほどまで詩紅母が着ていた服ではないか? 確かに、この蜘蛛の柄の着物は詩紅母が着ていたものだ。


では、今詩紅母はどうなっている? 着物を脱いでしまったのでは、もちろん下着だけになっている……そこまで考えて、聖は顔をカッと上気させ、

「バ、馬鹿! いきなり服を脱ぐヤツがあるか!!」


とっさに後ろを向いた。それと同時に困惑も。


一体本当にこいつは何なんだ! やはり、警察に連絡するか? 不法侵入と猥褻容疑で……。


とか思いつつも、自然と首が後ろに。女というものが縁がないせいか、やはり気になる身体の構造……。


しかし、理性がそれを留める。


ここからは、聖の脳内の会話である。


『ダメだ聖! 何をしているんだい? ここは大人しく警察に連絡して、彼女を引き取って貰うのが今するべきことではないのかい?』


聖の理性。聖天使の弁解である。


『何馬鹿なこと言っている。ここは、保健のお勉強という事であの女の観察をすることが男として正しい、今すべきことだ!』


聖の本能。聖悪魔の意見である。


『こんな奴の意見を聞いてはダメだ聖! 君は清く正しいオタクな青年だろう! 女の子の身体なんて、PCの18禁ギャルゲーだけにして置きたまえ!』


天使なのに、発想がオタクである。ま、聖だからね。


『あんな、バーチャルを見て何が楽しい。聖、男だろう! ちょっと振り返れば済む話だろ?』


悪魔が耳元で甘く囁く。


そうそう、振り返れば和風美人が……

『聖! しっかりしろっ! ダメだ! 悪魔に唆されちゃ!』


聖天使が髪を引っ張り、まわしそうな首を何とかもとの位置に戻す。


ハッ危ない危ない。


『見ちまえよ? 減るものじゃないだろう?』


悪魔も聖の髪を引っ張り始めた。


『邪魔するな! このいやらしい悪魔め!』


『そっちこそ! 聖の大人への階段を邪魔するな! このむっつりスケベが!』


『誰が、むっつりだ! いいから、その手を離せ!!』


『ギャルゲーをやること自体がむっつりだ! お前こそ手を離せ!』


天使と悪魔が壮絶なる口げんかをしていると、詩紅母の声がかかった。


「聖様、こちらを向いてください」


悪魔が天使にニヤリと微笑む。


『ほら。女の子からのお呼びだぜ?』


天使は顔をしかめ、悔しそうにうぐぐ……とか、うめいた。


『し、仕方ない。彼女が呼んでいるのならば……』


天使が手を離す。


と、そこで二人の会話は途切れた。


現実に引き戻された聖は、どぎまぎしながらも、ゆっくりと首を回した。


そこには裸体の美少女が……っ!! なんてことはなかった。


それよりも、もっと驚くべき自体がこの狭苦しい6畳間で起こってしまった。


なんと、詩紅母が消えていたのだ。


「なっ! き、消えた??」


こんな、マジカル展開がこの現実に起きていいのだろうか? しかしもう起きてしまったのだから仕方がない。


そんなことより詩紅母だ。彼女はどこに消えたのだろう……辺りをキョロキョロ見回すと、突然詩紅母の慎ましやかなる声が響いた。


「聖様、此処でございますわ」


此処? 此処ってどこだよっと、下を向いた瞬間にそれは居た。


なんていうか……蜘蛛が居た。畳の上にちょこんと、小さい蜘蛛が乗っていた。


「蜘蛛……?」


聖が小さな声で呟いた。それと同時に朝の出来事が思い起こされた。


そういえば……朝に一匹蜘蛛を助けた覚えが……。


どことなく、朝の蜘蛛に似いるような……そうじゃないような……。


と、また詩紅母の声が響いてきた。


「お分かりいただけましたか?」


その大人しい口調に、聖はまさかと思った。


突然、身体にいいようのない寒気を覚えた。


聖は、震える口調で、咽から搾り出すように、一語一語区切って尋ねた。


「ま、まさか……お前は……あの時……助けてやった……」


詩紅母の声が肯定する声を上げた。


「はい。その時のトロイ蜘蛛にございます」


その明るい声は、やはりこの蜘蛛のほうからした。


サーッと聖の身体から血の気が引いた。聖の心に吹雪が吹き荒れた。


その吹雪によって、聖はものの見事にカチコチに固まった。


「あ、あの……聖様……?」


詩紅母の困り気味の声が聖の名前を呼んだ。


固まりながら、聖はこんな事を思ったそうな……ああ、助けるのではなかったと、あの時素直に潰すべきだったと……。

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