One more chance
久しぶりに書きました。
なので、至らない点は多々ありますが、よろしくお願いします。
スーツの上にコートを羽織って、皮のカバンを肩にかけて、俺は寒空の下、帰路についている。仕事帰りの俺は、くたびれた足でコンビニに入った。帰り道にあるこのコンビニを俺はよく利用している。
さて何を買おうか。そうだ、外は寒いから、ホットのコーンポタージュにしよう。
俺はコーンポタージュをレジに持っていき、会計を済ませる。
「うぉ……さむっ!」
早速、コーンポタージュを開ける。
熱されたスチール缶が手に心地よくなじむ。冷え切った手先にじわじわと熱を持たせる。
コーンポタージュを啜りながら、路地をただ漠然と眺めていた。
すると、ふわりと長い黒髪が棚引いた。そして何故か目を離すことが出来なかった。
「……あれは」
横顔をハッキリと見ることは出来なかったが、きっと彼女だと思った。高校時代の俺の先輩で――俺の好きだった人。
声を掛けようと思えばまだ間に合う。けれど、声を出そうとしても出ない自分が居た。
それは昔の――高校時代の自分を思い出させる。あの時も、告白しようとしても、結局声が出なくて、自分の中だけに破裂しそうな思いを押し止めた。
そして今もまた……。いや、追いかけよう。追いかけるべきだ。
会って一言、「好きでした」と伝えたい。
それから俺は彼女と話したいと思った。
冷え切ったコーンポタージュを一気飲みして、それをゴミ箱へ投げ入れる。急いで追いかけるが、はるか前方に行ってしまった彼女はすでに影も無い。
「……こっち、だな」
それでも、勘がこっちだと訴えていた。よく先輩と一緒に帰った道のり、きっと彼女はここにいるだろう。
先輩を探して、俺は走る。久しく運動していなかったせいか、すぐに息が切れてしまう。
「ぜぇ……ぜぇ……」
口の中から血の味がして、とても嫌な感じがした。それでも、俺は足を止めずに前へと進む。
昔の思いをいまだに大事そうに抱いて、それで追いかける自分はなんて未練がましいんだろうか。
自分が少し情けなくもあるが、そんなことよりも先輩と会って話がしたいという気持ちの方が強かった。
必死になって走っていると、やっと先輩を見つけた。その姿は白色の街灯に照らされて、なんとも儚い印象を抱かせる。
「あの……!」
俺の声に、彼女は振り返った。人違いではなく、そこにいたのはやはり先輩だった。
「俺、大里京介です。……覚えていませんか?」
彼女に逢えた時、俺は一体どんな顔をしていたのだろうか? きっと、小さな頃に誰もいない夕暮れの神社で心細くしていると母親が迎えに来てくれた、そんな時のような大きく安堵した表情だっただろう。
「久しぶりだね。……元気だった?」
「そうですね。高校生以来だから、6年ぶりですか」
久しぶりに会った彼女は大人びてはいたが、昔と変わらない何かを感じた。
「立ち話もなんだから、座ろっか」
そう言って先輩は遠くに見える公園を指さした。
公園の隅にある、せいぜい三人座るのが限界のベンチに座る。
昔に先輩とよく座ったのを覚えている。学校の帰り道、俺と先輩は家の方向が同じで、お互いの家の分岐地点であるここで休んで駄弁っていた。
そこで俺と先輩は他愛も無い話を交わした。今は何をやっているのか、昔の思い出や笑い話……それこそ、昔なじみの同級生たちのありふれた会話。
話し込んでいたら、大分体が冷え込んでしまった。
「寒い、ですよね。何か買ってきますよ」
「じゃあ、甘い飲み物がいいかなぁ」
近くの自販機に駆け寄って、先輩には「おしるこ」を、俺は「コーヒー(微糖)」を買った。
昔は背伸びをしてブラックコーヒーを愛飲していたが、今では微糖が一番おいしいと思うようになった。苦みの中に甘さも混同していて、それが相乗効果を生んでいると俺は思う。
「はい、どうぞ先輩」
「ありがとうね」
カコッと、小気味良く缶の開く音が二つ聞こえた。
一口啜って、暖かさにホッと一息を吐いた。いつ、告白するべきかとタイミングを計る。
「ねぇ、大里くん」
その先輩の声が、何故か遠く離れた、まるで別世界からの通信のように聞こえた。
「私ね、今度結婚するんだ」
「そうですか、おめでとうございます」
やっぱり、告白などせず、自分の気持ちは押し止めておくべきだ。
自分の気持ちの中にそっと仕舞い込んで大事に抱えてしまおう。
「先輩。だったら、こんなところで他の男と居るのはマズイんじゃないですか?」
茶化すように先輩を軽く咎める。
「大丈夫だよ、大里くんなら。たとえ――ううん、なんでもない」
先輩はどんな言葉を続けようとしたのだろうか? それは聞かないでおく。
「さて、そろそろ帰るとしますか。また体が冷えるといけないし」
「そう……だね」
何故か先輩は寂しげな表情を浮かべた。俺はそれを夜が創る影の所為にして、見て見ぬふりをする。
公園を出ると、あとはお互いの帰り道が待っていた。正反対の方向で、進んでしまえばもう戻れないだろう。
「またいつか。先輩もまだ、この辺に住んでいるんですよね? だったらいつか会えるでしょう」
「ここには、親に会いに来ただけなの」
「……え?」
「だから、今度会うのは同窓会とか……かな? それか、また戻ってきた時に連絡するね」
しばらく、先輩と会えなくなるんだと思うと、呑み込んだマグマが火口まで昇ってきた。
「じゃあ、またね! 大里くん!」
そういって先輩は帰り道を歩いていく。
やっぱり言わないでおくべきか……。少し遠くに離れた先輩の背中を見て、俺は――。
「先輩! ちょっとだけ、待ってもらえませんか?」
「なに?」
先輩の口からこぼれた白い吐息が、妙に艶やかに感じた。
「俺……! 先輩の事が、好きでした!」
結婚間近の女性になんてことを言うんだと、我ながら思った。先輩を困らせてしまうのではないかと。
だが俺の予想に反して、先輩は嬉しそうな顔をした。先程見せた寂しげな表情はすっかり消えていた。
「私も! 京介くんのことが! ずっと好きだったよー!」
その瞬間、俺は高校生に戻ったかのような錯覚を覚えた。でも、そんなことはない。俺はもう立派な社会人で、先輩も……。
「また、会えますかね?」
「うん、会えるよ。絶対に」
「お元気で」
「京介くんもね」
別れの挨拶をして、お互いがそれぞれの道を進む。俺は振り返らなかった。きっと先輩も振り返ってないだろう。
とっくの昔に時効を迎えてしまった恋ではあったが、俺は先輩に告白できてよかったと思った。
手の中には、空になった甘く苦いコーヒーの缶だけが握られている。