二段
さっそく出仕することになり、房で支度を済ませてから雪子様のもとへ参ります。
するとすでに多くの女房たちが控えておりまして、わたしなど取るに足らない
新参者だと、ひっそりと部屋の隅へ向かっていると、
「あら、天宮式部じゃない。そんなところにいないで、こちらへ」
女房たちの視線が集まりましていてもたってもいられず、逃げ出したくなりましたが、
なんとか雪子様の御前へ向かいました。
「遅かったじゃない。どうしたの?」
「いいえ。申し訳ございません」
「そう? 今、歌を詠んでいたところだったのですよ。式部もひとつお願い」
急な申し出に、混乱していたところ、すぐそばにいた少将の君さんが言いました。
「式部のお父様は、たしか学者でしたよね。大変、学識に優れ歌もお上手だとか」
雪子様は、
「これ、それでは恥ずかしがり屋の式部が房に籠もってしまうでしょう」
少将の君、
「歌をよんでいますから」
皆さん、お笑いになって、わたしも可笑しくて緊張もすこし和らぎます。
「式部」
雪子様の微笑む姿を見たわたしは、自然と口が開いていました。
~今わたしの目の前では美しい花が座っていますが、家には橘の花が咲いていました。
ここに来て時間もあまり経っていませんので、花の香りが恋しいのです~
雪子様はわたしを近くに寄せ、優しくみすぼらしい手をなでて下さり、
少将の君さんたちも袖を濡らしていました。
ここにきて父が学者ということもあり、すこし堅苦しい人物だと思われていたのでしょう。
房にいてもお話しする人もおらず、苦しくて、
それに、乳母や女房ぐらいしか顔をみせたこともなかったので、
こんな大勢の前に、ましてこんなに可愛らしい雪子様の御前にいるなど
消え入りそうなほど恥ずかしく、もう家に帰りたいと思ったのです。
雪子様の返歌は
~橘の香りが恋しいのはわたしもよく分かります。ですが、あなたの側に咲いているお花で、
どうかしばらく満足してください。きっとこの香りも気に入りますから~
女房たちはよりいっそう涙を流しました。
雪子様はわたしを残し、ほかの女房たちを房へとお返しになりました。
ポロポロと涙をながすわたしを、雪子様は赤子をあやすように抱いてなだめてくれました。
「式部、無理矢理連れてきてしまってごめんね」
「そんな、わたしは雪子様にお仕えしたく出仕したのですよ」
「ここにいるわたしの女房たちはみな、気立てがよくいい人ばかりよ。けれど、お父様がお選びになった方しかいないの。
だから、本当の親友みたいな女房が欲しくて式部を呼んだのよ」
雪子様の頬にも一筋の涙が薄く伸びていきます。
このような高貴な方といってもまだ若すぎる姫。きっと寂しく辛いこともあったのだろうと思いました。
それなのに、わたしは、雪子様にお世話されてばかりで本当に恥ずかしい。
「姫、どうか涙をおとめ下さい。こんなわたしでよければ、わたしは未来永劫、姫様だけの女房でいます」
「ああ、式部……」
雪子様とわたしは強く抱き合いました。姫様の香がこころを落ち着かせます。
間違っても殿方には聞こえないよう、声を押し殺しながら涙が涸れるまで泣き合いました。
解説 (間違ってたらすいません)
少将の君の台詞に笑ったのは古事記でも有名な天岩戸から引用し、
ちょうど歌を詠んでいたらやってきた天宮式部がまた房に籠もっても
歌を再開すれば問題ないとのこと。
式部の歌は、橘・雪子様が掛かっています。
ここも素敵ですが、自宅が恋しいのですね。
女房たちも共感しています。
時間が経つ(たつ)とも掛かっています。
雪子様の返歌も見事ですね。百合好きとしては胸が躍ります。
天宮式部をいたわりつつ、やっぱりここにいて欲しいのですね。