一段
書き出しは何を書いたらよいのか分からず、星々が輝いていたと思ったら、
すでに外は明るくなっています。
紫式部や清少納言、和泉式部など賢くて美しく、歌や漢学にも秀でていらっしゃる
方々とは違い、わたしは筆も思うように滑らせず、字もあまり自信はありませんが、
知り合いの方々は物語や日記などを書いていらっしゃる方も多いので、
試しに書いてみようと思い始めます。
今日は藤原兼家様の息子であられる道影様の長女でいらっしゃる
雪子様の女房の候補に選んで頂けたため、
お屋敷に行ってきました。
わたしの他にも噂で大変優秀だと聞いたことがある上流階級の候補者の方が
3、4人いまして、わたしのような中流階級の出身である、いやしき者は
雪子様の女房に選ばれることはありえるだろうかと、とても苦しく座っておりました。
わたしが呼ばれ、奥のお部屋に入ると、正面には御簾がしかれ、うっすらと雪子様の
お姿が透けて見えました。御簾を隔ててのお姿でしたが、それはもう涙が出てきてしまう
ほど凜々しく、胸が苦しく、うまく話せるか心配になりながら、その場に座りました。
「はじめてお目に掛かります。従五位播磨守である天野宮隆久の娘で
ございます」
何度も練習してきたはじめのご挨拶はなんとか声になりました。
「お手紙、みましたよ。とても優しい字を書くのですね」
可愛らしいお声でした。あまり自信がない筆跡を、雪子様に褒めて頂けて、
わたしはそれでけで夢のようで、今ここではかなくなってしまってもよいとさえ感じました。
「お恥ずかしゅうございます」
「本当のことよ。他の方のお手もみたけど、なぜだかあなたのお手には大変心が惹かれたのです。
どうか、こちらに」
訳も分からず、言われるがまま御簾のすぐそばまで近づきました。
芳しい香が感じられ、ただ上等なだけではなく大変趣味のいい香をお使いになっておられるのだなと
感動しました。
すると次の瞬間、御簾が上げられて、真珠でできているのかと思うほど白く美しい小さな御手が
現れ、わたしを御簾の内に引き込んだのです。
「やはり、わたしの思っていたとおり優しくて暖かみのあるお顔の人……」
「あっ――」
顔を見られてしまいました。恥ずかしさのあまり、動揺して手に持っていた扇子も落としてしまい
拾い上げる時間さえも、あまりに恥ずかしく、袖の内に顔を沈めて隠しました。
「どうか隠さないで」
雪子様はわたしに優しく話しかけて下さり、そっと手を握って袖を顔からはがしたのです。
「ああっ、どうかご勘弁を……」
俯いているわたしの顎に御手をかけて、顔を向かい合わせました。
目の前には、小柄でとても可愛らしい雪子様が微笑んでいらっしゃり、肌は絹のように白く、眉も目鼻も
すべてが絵に描いたような芸術品のようで、髪もとても綺麗で流れる竜田川のようでした。
しばらく見つめ合ったわたしと雪子様でしたが、あまりに物語のような事でしたので、やっとのこと
正気を取り戻したわたしは再び、袖の中に顔を隠しました。
雪子様は小さいお体でわたしを包み、今考えると、それはまるで母と赤子のようでした。
とは言っても、雪子様はまだ12歳になられたばかり。わたしとは一回り以上年も離れています。
本当ならばわたしが雪子様を気遣うべきであったのですが、なんとも恥ずかしいです。
「決めました、あなたがわたしの女房になって下さい」
そう言って、恥ずかしさのあまり涙をながすわたしに、太陽のようなに輝かしく春の木漏れ日のように
暖かい笑顔を向けなさったのでした。