何度泣いても。
直接的なR15表現はありませんが、暴力的な出来事を想起させる部分があるのでR15としています。苦手な方はご注意ください。
昨夜、また男と別れた。
涙の向こうに見える人影はもうシルエットだけでも見間違うことのない私の無二の親友、大ちゃんだ。勝手に親友とか言うな、と言われたかもしれないけど気にしない。とにかく今日も大ちゃんは私の向かいに座って、私の話を聞いている。
「バイトだって、頑張って、バイト代貯めて、二人で旅行に行こうって。私に奢らせるんじゃ嫌だから半分だすって。」
ひっくひっくと喘ぐせいでなかなか思うように話せないのがもどかしい。
「それでバイト増やして、カテキョーも夏休みとかいっぱいいれてね。だからデートはあんまりできなくて。メールの返信も生徒に携帯触らせないのに自分がメールなんてできないって授業が終わるまでは返さないって言ってたの。なのに。なのに。」
うわーん。こみ上げてきた悲しい思いを止めようなんて理性が働く前にまた涙がこぼれた。
「なのに、その彼氏はカテキョー先の高校生の女子をたらしこんだばかりか、その姉の大学生にまで手を出して一家総出の修羅場を演じてきたんだろ?」
それ、もう聞いたよ。と大ちゃんは胡瓜の漬物を齧りながら言う。
そうか、話したっけ。話したかもしんない。かなり冒頭で。
「ひどいよー。」
「俺はひどくねえよ。」
「大ちゃんじゃないよー。」
「お前の彼氏はひどいな。毎回だけどな。」
そうなのだ。私の恋愛は毎回毎回ひどい終わり方をする。大ちゃんに言わせれば最初っから最後までひどいこともあるらしいけど、そんなことはない。最初はいつだってときめいて、これが私の運命の恋かもしれないと思うし、付き合い始めだって幸せで幸せで一人になればにやけるのが止まらないくらいだ。昨日までの恋人だって、そうだった。
私が勤める会社にオフィスサプライの納品でやってきたアルバイト君だった。明るい笑顔と大きな声でするはきはきした挨拶が清々しい爽やかな好青年だった。月に一度の納品に立ちあう内に仲良くなった。前の彼氏との別れ話の次の日、泣きはらした目が治らないまま出社した私に会って、親身に心配してくれた。5つや6つ年下だからなんだっていうんだ。恋に年齢なんか関係ない。聞けば誰でも名前を知っているような大学の学生で、将来だってちゃんと考えている。しっかりした子だった。
デートのときだって、食事を私が奢る分、お茶や映画代は自分で出すといってきかなかったし、高い物をねだられたりもしなかった。タカリにあっていたわけじゃない。
ただ、そろそろ旅行に行けるお金は溜まったかなって聞こうと思って電話したら。そうしたら。彼の電話に知らない子供が出たのだ。
「ねー、ノリ。アサミって誰?なんか電話かかってきてんですけど。私の他に何人付き合ってる女がいるわけ?」
苛立った女の子の声の向こうで、小さく彼が何か言っているのが聞こえて、間違い電話をかけてしまった訳じゃないとわかってしまった。だいたい今時携帯の発信履歴から再ダイヤルするのに、間違いなんて有り得ない。その後、呆然と電話を握りしめていたら電話のこっちはそっちのけで、向こうで大喧嘩が始まって、子供特有の高い声で叫ぶから、電話の向こうで何が起きているか皆分かった。さっき大ちゃんが言った通り。電話の向こうでは騒ぎを聞きつけたお母さんが飛び込んできたりしてもう大変。彼の電話を持ったまま激昂したらしい女の子(奇しくもアサコちゃんだった。私と一文字違い)が電話を投げた音がして、それで電話が切れた。その後メールは繋がったから、きっと電池パックが吹っ飛んだんだと思う。
電話が切れて、しばらくぼうっとして、部屋が寒くなってくしゃみしてはっとして、「さっきの何?」そうメールしたら何時間も後に返信があった。
「ごめん。別れよう。」
だって。ばーか。こっちから別れてくださいだよ。何子供に手つけようとしてんだよ。捕まっちゃえばいい。
ぐずぐず泣きながらごぼうの漬物に手を伸ばす。漬物の盛り合わせでは胡瓜は大ちゃんのもの、ごぼうは私のものだ。
「うう、んぐ。ばかあ。」
「お前なあ。」
こうやって呆れられた回数なんて数えられない。
「食うか泣くか喋るかどれかにしろよ。」
そうやって呆れ果てながら大ちゃんはもう一杯お酒を頼んで、まだ私の話に付き合ってくれるらしい。ほら、やっぱり親友じゃないか。
「まあ、年下好きなら朝美狙いも分からなくはないかもなー。」
焼き鳥の串を銜えてぷらぷらさせながら大ちゃんは言う。私の方が彼より6つも年上だったのに。
「お前、とってもアラサーには見えない。悪い意味で。」
「どういう意味よー。」
「だから悪い意味だよ。」
大ちゃんは新しいジョッキを傾けて一気に三分の一も開けてしまう。よくそんなに炭酸を一気に飲めるもんだと思う。
「少しは学習しろよ。何度できの悪い男にひっかかれば気が済むんだか。今回のロリコン大学生の前だって。」
「昔の話はしないで!」
慌てて両手を前に出してストップのポーズをしたが、大ちゃんはそんなことでは止まってくれない。
「どっかの業者のヤンキー崩れの兄ちゃんの復縁結びしてきてたし。」
確かに。バツイチの彼だった。若い頃に結婚して、子供もいて、でも別れて子供は奥さんのところにいる。そういう人だった。年は私とそんなに変わらなかったと思う。それなのに子供はもうすぐ小学生だったんだから、かなりの早婚だったはずだ。もう別れて何年も経っていて、もう奥さんと子供に未練はないと言ってくれていた。不安ももちろんあったけど、でも子供にとっては父親は彼しかいないのだから、小学校の入学祝をしてあげた方がいいって悩んでいた彼の背中を押してしまったのは私だ。彼は泣きそうになって私に感謝して、必ず帰ってくるって約束して郷里に帰って行った。小さな運動靴とへんてこなおもちゃを持って。果たして彼はちゃんと帰ってきた。それはそうだ。家がそこにあるのだもの。蒸発するのでもなければ必ずそこに戻ってくる。でも彼は本当の意味では帰って来なかった。彼の心は、別れた奥さんと、知らぬ間に大きくなった息子のところに戻ったきり。結局一度も私のところに帰ってくることはなく。そして別れた。最後に、勇気を出させてくれて感謝していると泣かれた。そんな感謝されたかったわけじゃない。私はきっと変な顔をしていたことだろう。怒っていいのか、彼と家族の未来を祝福してあげるべきなのか分からなかったから。
大ちゃんは、どなり散らして一発くらい殴って、未練なんてこれっぽっちも残らないようにしてやるのが一番自分もすっきりするし、相手にも優しいと言ってた。そう言われてみればそうかもしれないけど、そういうことは彼と私が向き合っている時に聞かなければ意味が無い。時すでに遅し、だ。
「その前は、鬼畜の会社の先輩だろ。」
大ちゃんはそこで心底嫌そうな顔をした。私も嫌な顔になる。思い出しても嫌な思い出だ。本当に怖かった。会社で会うときは優しくて、なんなら少し抜けてるくらいの、お兄さんだったのに。いざ付き合ってみたら、夜になると豹変するタイプの人だった。付き合いだしたその日に既に耐えられなくて逃げるように別れ話をして走って家に帰って、しばらくブルブル震えていた。震えたまま電話をかけたら大ちゃんがすっとんできた。慌てた大ちゃんがドアをどんどん叩くから、彼が追ってきたかと思って、助けてって大ちゃんに電話して。ドアの向こうから「俺だ、バカたれ!」と叫ばれた時は安心し過ぎて腰が抜けた。おかげで大ちゃんのためにドアをあけるまで随分時間がかかっちゃって、まだ寒い季節だったおかげで大ちゃんは風邪をひいたと言っていた。急いで会社を飛び出したからコートも忘れていたんだって。
「あんなに怖い人だと、思わなかったもん。」
そういうと、ずいと大きな手が伸びて来て、頭をぽんぽん叩いて行った。
「怖かったよな。」
自分も怖かったみたいに大ちゃんは言う。
でも、たぶん本当に怖かったんだと思う。ついにドアを開けた時に顔をあげた大ちゃんは寒さのせいだけじゃなく真っ青だった。私の腕や足についた色んな痣を見てしばらく震えてた。そのまま夜のうちに身支度をさせて、大ちゃんは私を大きなホテルに連れて行ってしばらく家に帰るなって押し込んで帰った。そのホテルは明るくて快適で。痣が全部消えるまで、ホテルで暮らして、そのまま前の家には戻らずに引っ越した。会社も辞めた。もう二度と顔を見たくなかった。今でも見たくない。
「あれは見抜くの難しいかもしんないけどよ。」
少しだけトーンダウンして大ちゃんは続ける。
「46歳の独身とかは、なんかあるだろうとか警戒できるだろう。」
お気に入りだったカフェの素敵な店長さん。渋くて無口で。でも笑顔が可愛くて。店長さんを見ているだけで幸福で、通い詰めた。まさか付き合えるなんて思ってもなかった。だから駄目もとで告白して、3日後にOKもらったときは狂喜乱舞した。それからもカフェに通っているばっかりだったけど、これまでのお客さんじゃなくて、彼女としてこの席に座っているんだと思ったら、すごく嬉しくて、笑いが止まんないくらい。土日も夜遅くまで営業するカフェと普通の会社員の私では時間がなかなか合わなかった。やっと二人の休みが重なって、念願のお外でデートって思ったらまっすぐ彼の実家に連れていかれた。真面目な人なんだって感動して、結婚できるかもって舞い上がった。電車の中で、この服大丈夫かな?おうちに行くと思ってなかったからワンピースとか着て来なかったよってずっと彼に聞いてた。
おうちは普通の一軒家。ピンポーンって彼がチャイムを鳴らして、ドアがあくまでドキドキして彼の指を一本だけぎゅって握って待ってたことまで良く覚えてる。ドアが開いて、70歳くらいの綺麗なおばあちゃんが出てきて、家に上げてくれた。にこにこ。にこにこ。彼が私の紹介するのを聞いてた。私のつたない自己紹介も黙って聞いてくれた。だから、お茶どうぞって出されたものが最初なんだか分からなかった。
おばあちゃんと彼の湯呑には綺麗な若葉の色の美味しそうな緑茶。私の湯呑には濁って茶色いなんだか嫌なにおいのする何か。
彼は私の湯呑をちらっと見て、「母さん」って小さい声で。それだけ。
絶対飲み物じゃないと思ったから手をつけなかったら、おばあちゃんはにこにこして「飲まないの?」って。「じゃあ、下げましょうね。」って湯呑を取って私の胸めがけてバシャーン。湯呑の底に泥みたいなのがこびりついてどろりってなってた。私は我慢できなくなってお家を飛び出したけど、彼は追いかけて来てくれなかった。知らない街を走り回って迷子になったのに彼にはもう電話も繋がらなくなっていた。しょうがないから見かけた交番に寄って、道を教えてもらって、汚れた服を変な目で見られながらおうちに帰った。
「皆、大好きだったんだもん。幸せになれると思ったんだもん。」
「だから、お前は子供か。もう27歳だろう。男と別れる度に呼び出されて、毎回信じがたくヘビーな別れ話聞かされる俺の身にもなれ。もう会社の女の子達の噂話聞いても何も驚きもしねえよ。お前のおかげでな。むしろお前の伝記を書いて食っていける日が来そうだよ。」
大ちゃんはいつも私の恋が駄目になると一緒に飲んで、くだを巻く私に付き合ってくれる。無二の親友なのだ。嬉しくなってでへへと笑うと大ちゃんは「この酔っ払いめが」と忌々しげに吐き捨てた。そんな嫌そうにしないでよ。せっかく親愛の情を確認してるのに。
「お客様、申し訳ありませんが閉店になりますので。」
本当に申し訳なさそうに店員が声をかけに来くる。お会計、お会計。お財布、お財布。カバンをごそごそやっていると頭をはたかれた。
「会計なんてとっくに終わってるっつーの。お前が泣き叫んでる間に。」
大ちゃんは大きなスーツを羽織って大きな靴を履いて、黒い鞄をもったらいっぱしのサラリーマンだ。
「あはは、会社員みたい。」
「お前はいつものごとく飲み過ぎだ。おれはだいぶ前から立派な社会人だ。いい加減覚えろ。いつまでも大学生じゃないの。ほれ、立て。帰るぞ。」
なんとか上着を羽織ってヒールに足を突っ込む。ふらふらと二、三歩歩いて手ぶらなのに気が付いた。
「かばん忘れちゃった。」
「もう持った。携帯も仕舞わせていただきましたよ。お嬢様。おら、だからとっとと歩け。俺はもう眠いんだよ。」
背中を小突かれて壁に捕まりながらなんとかお店を出た。朝5時まで営業の居酒屋が私達の定番だ。もうすぐ初電も走り始める。
人も車も少ないひんやりした空気が気持ちいい。両手を広げてクルクルしてみる。目が回って気持ち悪いから一周半で止めた。
「お前、見ろよ。夜が明けちまったじゃねえかよ。」
少し怪しくなったろれつで大ちゃんが怒鳴る。東の空がうっすら明るくなっている。私は慌てて反対側を向いた。
「ほらみて、こっち。大ちゃん。まだ星出てるよ。まだ夜だよ。もう一杯飲もうよ。」
空に残っている星を指さしたら、肩をぐいと掴まれてぐるっと向き直らされた。
「目を逸らすな。もう朝だ。いつまでも昨日のことをぐだぐだ言ってんなよ。」
うう。唸り声しか上げられなくて唸っていると、背中から体吹っ飛ぶくらいの大音量で大ちゃんが叫んだ。
「おら、いくぞー!」
あはは。大ちゃんが大学生の頃やってた部活の掛け声だ。酔っぱらうと最後はいつもこれだ。
「もういっちょー!」
「おし、こーい!」
楽しくなって私も一緒に叫んだ。
「いくぞー!」
「いくぞー!!」
「まけねーぞー!」
あれ、そんな掛け声あったかな。ま、いっか。
「いくぞー!!」
二人でお酒のせいだけじゃなくて顔が真っ赤になるくらい叫んで、十分周り中の注目を集めてから大ちゃんはタクシーを止めた。
「朝美。ほら、帰れ。」
先に私のカバンを放り込んで、私に車を譲ってくれる。
「いつもありがとー。元気出た。」
「少しは引きずって反省しろ。」
大ちゃんは嫌そうにそう言って車から離れる。「行ってください」と運転手さんに声をかけて小さく手を振ってくれる。そのときだけは優しい顔をしてる。それをみるとホッとして、私は笑顔になれるのだ。明日からの元気を取り戻せるのだ。
何度泣いても、私はまた恋をする。
あなたの力を借りて、また新しい朝に向かって走り出す。
恋こそ全て。
そう信じて走り続ける私が、すぐ傍にある恋に気が付くのはもう少し先のお話。