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全てを奪われる残酷な物語  作者: うらもり


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7話 瀬戸内梨央奈

登場人物の詳細は《0話》の前書きにて参照ください。

学食のテーブルには、食べかけのパスタと、氷が溶けて薄まったアイスティー。


周囲では友人たちの甲高い笑い声が飛び交っているが、瀬戸内梨央奈の耳には、それらが水槽の外の出来事のように遠く響いていた。 彼女の視線は、膝の上に置いたスマートフォンの画面に吸い付けられたままだ。


そこには、たった一行のメッセージが表示されている。


『今夜、空いてるか?』


送信者は、柏木悠馬。


梨央奈が「彼氏」と呼んでいる男であり、同時に自分を「都合のいい女」として扱っている男だ。


「……梨央奈? どうしたん、さっきから顔死んでるけど」


向かいに座る派手なメイクの友人が、ストローを噛みながら訝しげに声をかけてきた。 梨央奈は咄嗟に画面を伏せ、作り慣れた愛想笑いを張り付けた。


「え? ううん、別に。……ちょっと彼氏と予定合わなくて、揉めてるだけ」


「うわ、また柏木? あいつマジでないわー。梨央奈もよく付き合ってるよね」


「あはは、本当だよねー……」


友人の言葉は正論だ。梨央奈自身、痛いほど分かっている。 大切にされていないことくらい、肌で感じていた。


悠馬とのセックスは、いつも乱暴で一方的だ。梨央奈の快感など二の次で、彼はただ自分の欲望を吐き出すためだけに体を求めてくる。 そして終われば、さっさと背を向けてスマホをいじり、「帰る?」と冷たく促すのが常だった。


デートらしいデートなんて、もう何ヶ月もしていない。 会う場所は決まって悠馬の部屋か、人目のつかないホテル。


それでも、梨央奈は彼を拒めなかった。 たまに見せる気まぐれな優しさや、あの暴力的なまでのオスとしての魅力に、どうしようもなく惹かれてしまっている自分を否定できなかった。


(……行くべきじゃ、ない)


頭の中では、警報が鳴り響いている。 ここ最近、悠馬からの連絡はぷっつりと途絶えていた。


女の勘だ。他に夢中になれる「新しい女」を見つけたことは明白だった。


悠馬はそういう男だ。新しい玩具を手に入れたら、古い玩具は箱の隅に放置する。 それが今、急に連絡を寄越したということは、その新しい女に飽きたのか、あるいは一時的に相手にされなくなったのか。


どちらにせよ、私はただの暇つぶし。 断るべきだ。「もういい」と突き放して、別れを告げるべきだ。


分かっているのに、指先が震えて文字を打てない。 『ごめん、無理』の一言が送れない。


それどころか、『いいよ、何時?』と打ち返そうとする自分を、必死に理性で抑え込んでいる。


(……相手は、誰だったんだろ)


ふと、そんな疑問が過った。


悠馬がこの数週間、私を放置して夢中になっていた相手。 学内の子? それともマッチングアプリ? 悠馬の好みは分かりやすいようでいて、時折ひどく残酷なチョイスをする。


思考が泥沼にはまりかけた、その時だった。


キャアッ、と食堂の入り口付近が華やいだ歓声に包まれた。 梨央奈が顔を上げると、周囲の女子学生たちが一斉に同じ方向を見つめ、色めき立っているのが見えた。


その視線の先にいたのは、桐生怜だ。


長身で、整いすぎた顔立ち。歩く姿だけで周囲の空気を変えてしまうその存在感。


(……相変わらず、王子様って感じ)


梨央奈は冷めた目で彼を目で追った。 怜のことは知っているが、興味はない。彼は「そっち側」の人間だ。綺麗で、正しくて、梨央奈のような手垢のついた女とは住む世界が違う。


怜は手を振りながら、窓際の一角へと歩いていく。 そこには、彼の彼女である花村穂乃果と、その友人の広瀬月乃、そして風沼良太がいた。


学内でも有名な、トップカーストの美男美女グループ。 彼らの周りだけ、照明が一段階明るいかのようにキラキラと輝いて見える。


眩しいな、と梨央奈は視線を外そうとした。 だが、その瞬間。


その光の輪の中に混ざっている、一つの「異質な影」に目が留まった。


(……あれ)


中島奏多だ。


けれど、梨央奈の記憶にある彼とは別人のようだった。 頬はこけ、肩を丸め、まるで幽霊のように生気がない。


そして何より、決定的な違和感があった。


隣に、いない。 いつも彼の影のように寄り添っていた、あの片宮凛の姿が。


カチリ。 梨央奈の脳内で、バラバラだったピースが音を立てて動き始めた。


(そういえば……最近、見てなかった)


奏多と凛のツーショットを、ここしばらく学内で見かけていない。 いや、違う。 凛だけは見た。


数日前、講義棟の裏手で、一人で歩いている彼女を見かけた。 あの時、凛はどこか思いつめたような、あるいは何かに怯えているような顔をして、スマホを握りしめていた。


そして、悠馬が私への連絡を絶っていた期間。 奏多があんなにやつれている理由。 悠馬の、今日の唐突な呼び出し。


まさか。


いや、でも……悠馬なら。 あの「人の大切にしているものを壊すのが好き」な悠馬なら。


梨央奈の背筋に、冷たいものが走った。


もし、悠馬が夢中になっていた「新しい女」が、あの片宮凛だとしたら? あの潔癖で、奏多一筋だった聖女のような凛を、悠馬が?


梨央奈は、震える声で友人たちに問いかけた。


「……ねえ。あそこにいる中島と、片宮凛のこと……誰か何か聞いてる?」


唐突な質問に、友人はポテトを口に運びながら不思議そうな顔をした。


「え? ああ、あの子たち? ……そういえば、なんか別れたらしいよ」


「……え」


「二週間くらい前かな。急に凛ちゃんの方から振ったんだって。結構有名な話だよ? あんなに仲良かったのにねー」


――二週間前。


その言葉を聞いた瞬間、梨央奈の中で、不吉な推測が「確信」へと変わった。


悠馬からの連絡が途絶えた時期と、完全に一致する。


やっぱり、そうだったんだ。 悠馬は、あの「聖域」に手を出し、喰い荒らしていたんだ。


そして今、私に連絡が来たということは……。


(……飽きたのね。あるいは、壊し終わったのか)


梨央奈は再び、遠くの席で力なく笑う奏多を見た。 彼の絶望の理由が、自分の彼氏であるという事実に、目眩がした。


酷い。あんまりだ。


けれど、そんな悠馬の残酷さを知りながら、梨央奈はスマホの画面に指を走らせていた。


『いいよ。何時に行けばいい?』


送信ボタンを押す。


凛が捨てられたのなら、悠馬はまた私のところに戻ってくる。 その最低な安堵感と優越感が、梨央奈の胸の奥で、黒く、甘く渦巻いていた。

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