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全てを奪われる残酷な物語  作者: うらもり


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6話 華やかな空間

登場人物の詳細は《0話》の前書きにて参照ください。

二限終了のチャイムが鳴り響くと同時に、月乃と穂乃果は示し合わせたように素早く鞄を手に取った。 二人の視線が、無言のうちに「行こう」と合図を送ってくる。


奏多もその意図を察し、小さく頷いて席を立った。


背後からは、悠馬たちの遠慮のない笑い声が聞こえている。 彼らに再び声をかけられる前に、この空間から離れたい。三人の足取りは自然と速くなり、周囲の人波を縫うようにして、逃げるように大教室を後にした。


廊下に出て、少し歩いたところで、ようやく張り詰めていた空気が緩む。


「……はあ。とりあえず、良太と合流しよっか」


月乃が小さく息を吐き、スマホを確認する。


「良太、食堂にいるって」


結局あのあと良太は帰ってこなかった。


「ふふ、もう帰ってるかと思った」


穂乃果が苦笑しながらスマホを取り出し、彼氏である怜に連絡を入れた。


「怜くんも授業終わったみたい。食堂で合流するね」


三人は、喧騒から逃れるように足早に学食へと向かった。


昼時の食堂は、授業を終えた学生たちでごった返していた。 熱気と料理の匂いが混ざり合う空間。その窓際の一角に、周囲の賑わいから切り離されたような、独特の気だるげなオーラを放つ男がいた。


風沼良太だ。


彼はテーブルに肘をつき、ちまちまと素うどんを啜りながら、左手で器用にスマホを操作していた。 その姿を見て、奏多は目を丸くした。


良太の席には、鞄も教科書も見当たらない。あるのはスマホと財布だけ。 完全に「手ぶら」だ。


(……授業に出る気、最初からゼロだったんだ)


昨日、月乃に「来てほしい」と言われたから来ただけ。単位のためでも、勉強のためでもない。その潔すぎるほどのやる気のなさが、今の奏多には妙に心地よかった。


あの大教室で感じた息苦しさが、良太のマイペースな姿を見るだけで少し和らぐ気がする。


「良太!」


月乃が呆れ半分で声をかけると、良太は麺を啜り終えてから、ゆっくりと顔を上げた。


「……お、来たか。遅かったな」


「もう、また素うどん? 栄養バランス考えなさいって言ってるでしょ」


「天かす入れたから脂質はバッチリだ」


良太は悪びれもせずに言い返すと、月乃の後ろにいる奏多に視線を移した。 その視線は、さっきの悠馬たちのようなねっとりとした観察眼ではない。いつも通りの、平熱の眼差しだ。


「……よお。久しぶりだな、奏多」


たった一言。大袈裟な心配も、余計な詮索もない。 まるで昨日も会っていたかのようなフラットな挨拶。 それが、奏多の強張っていた肩の力をすっと抜いてくれた。


「……うん。久しぶり、良太」


「生きてて何よりだ。……まあ、座れよ」


「うん」


四人が席につき、一息つく。それから少しして、食堂の入り口付近がにわかにざわめいた。 黄色い歓声と、熱を帯びた視線が一点に集中する。


「あ、怜くんだ!」


穂乃果が顔を輝かせて手を振る。


人波を割って歩いてくるのは、雑誌から抜け出してきたような長身の美青年、桐生怜だった。 モデルとしても活躍する彼は、ただ歩いているだけで絵になる。周囲の女子学生たちが色めき立つのも無理はない。


けれど、怜の瞳は穂乃果たちのテーブルを見つけると、ふわりと優しく細められた。


「お待たせ。……やあ、みんな」


怜は爽やかに挨拶し、そして奏多の姿を認めると、その完璧な笑顔をさらに柔らかく崩した。


「奏多! 来てたんだね。よかった……本当に、会えて嬉しいよ」


怜は奏多の肩に手を置き、真っ直ぐに目を見て微笑んだ。 その笑顔には、悠馬のような裏表や、海莉のような嘲笑は微塵もない。


どこまでも純粋で、清潔な、「友人の帰還」を喜ぶ心だけがそこにあった。


「……怜くん。心配かけてごめん」


「謝らなくていいよ。またこうして一緒にご飯が食べられるなら、それだけで十分だ」


怜の言葉は、月乃や穂乃果と同じ成分でできていた。 温かくて、優しい。


さっき教室で浴びせられた泥のような言葉たちが、怜の光によって洗い流されていくようだった。


「よし、じゃあ私たちもご飯買ってこよっか。奏多君は何にする?」


「僕は……カツ丼にしようかな」


「お、いいね。精つけないとね!」


良太以外の四人は席を立ち、食券売り場へと向かった。 それぞれがトレイを持って戻ってくると、五人でのランチタイムが始まった。


話題の中心は自然と奏多になったが、誰も核心――凛との別れの理由や、悠馬たちのこと――には触れようとしなかった。


「そういえば、来週のゼミの課題、結構ハードらしいよ」


「えー、嘘でしょ? 私まだ参考文献も読んでないのに」


「僕が持ってる資料なら貸せるよ、ほのちゃん。あとで纏めておくね」


「さすが怜くん! 大好き!」


他愛のない会話。穏やかな笑い声。


良太は会話にはほとんど参加せず、スマホをいじりながら時折相槌を打つだけだったが、その沈黙すらも拒絶ではなく、場の一部として馴染んでいた。


奏多は、温かいカツ丼を口に運びながら、目頭が熱くなるのを感じていた。 家に一人で引きこもっていた時は、世界中が敵に見えた。


でも、ここにはまだ、僕を受け入れてくれる場所がある。


だからこそ、守りたいと思った。 この温かい聖域を。


さっき悠馬たちと話した時に感じた、あの肌に張り付くような不快感や、得体の知れない悪意。あんなものが、この場所にまで入り込んでこないように。


食事がひと段落したタイミングを見計らって、奏多は意を決して口を開いた。


「……あのさ、良太」


「ん?」


良太がスマホから目を離さずに応じる。


「あとで、少し時間くれないかな。……二人で、話がしたいんだ」


テーブルの空気が一瞬だけ止まる。 月乃と穂乃果、怜が心配そうに奏多を見るが、良太は表情一つ変えずにスマホをポケットにしまった。


「いいけど。……放課後はダメだぞ。今日はイベクエの更新日だから、定時で帰ってログインしなきゃならない」


あまりに良太らしい断り文句に、奏多は思わず吹き出しそうになった。


「……そっか。じゃあ、次の三限はどう? 僕、ちょうど空きコマなんだ」


「三限か。……俺は確か『現代社会の倫理』とかいう必修が入ってた気がするな」


「え、じゃあダメじゃん」


「いや、いいよ。どうせ教科書も持ってきてないし、出るだけ無駄だ。サボる」


良太は事も無げに言った。手ぶらで来たのは、最初から講義に出るつもりなどなかった確信犯の証拠だ。


「月乃たちは?」


「私は三限あるよ。穂乃果と怜くんもだよね?」


「うん。残念だけど、私たちは教室に行かなきゃ」


話はすぐにまとまった。 三限の時間、月乃たちが授業を受けている間に、奏多と良太は二人きりで話をする。


「じゃあ、そろそろ行くね。……奏多、また後でね」


「うん。ありがとう、みんな」


月乃、穂乃果、怜がトレイを片付け、手を振って去っていく。 その背中を見送りながら、奏多は胸の奥に灯った小さな温もりを噛み締めていた。


あの大教室での孤独感とは違う。 一人じゃないという実感が、凍りついていた心を少しずつ溶かしていく。


少なくとも、あのゴミだらけの部屋で膝を抱えているよりは、ここに来てよかった。 心からそう思える時間が、そこには流れていた。

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