第八話「オルフェリア」
やがて、ソウスケさんが顔をゆっくりと上げる。
「…では、二人が契約を結んでいる間に、治療というか指輪の破壊を済ませておきましょう」
その声は穏やかで、芯の通った優しさを含んでいた。
私は久しぶりに口を開いた。
「場所はこちらでよろしいのですか?」
「そうですね。うーん、出来ればベッドが近くにあったほうがいいかもですね」
「なら、私の寝室の方が良さそうですね」
そういうと、兄さんはマシューさんに顔を向けた。
「了解。じゃあマシュー、カリナについていってくれないかい?ここは僕がやっておくから」
「承知しました。」
一礼と共に私、マシューさん、ニコさんとソウスケさんが立ち上がり寝室へ向かった。
寝室へ向かう廊下。
窓から差し込む光が淡くにじんで見える。
「緊張してますか?」
「…はい。ごめんなさい、何だか心が落ち着かなくて」
静穏の中、ソウスケさんに尋ねられた私は抱えてきた気持ちを吐露しながら先導するマシューさんの後ろを進む。
「絶対に治しますから。な、ニコ」
「もちろんっ!任せてよ!」
唇を引き締めドンと胸を叩くニコさんにふと笑いがこぼれた。
チラッとソウスケさんへ向くと彼も笑っていてなぜだか嬉しく思えた。
ベッドに腰を下ろすと、私の目の前でソウスケさんが跪いた。
まるであの絵本の騎士が、誓いを立てる時のように。私の心臓は、自分でも驚くほど騒がしく脈打っていた
「ではカリナさん。これから行う『指環の破壊』、そしてその後の処置について説明します」
「はいっ!」
「もちろん、僕が隣で絶え間なく治癒をかけ続けます。ですが……それでも一瞬、激痛を伴うはずです。……覚悟はよろしいですか?」
「……覚悟は決めています」
ソウスケさんの目が柔らかく揺れた。
その瞬間、胸の奥で何かがほどける音がした。
さっきまで張りつめていた緊張が静かに溶けていくのに、
どうしてか心臓だけは逆に速く脈を打ち始める。
灰色の瞳に捕らえられたまま、息をすることさえ忘れそうだった。
冷たいはずの色なのに、不思議と温かい。
見つめ返すことも、目を逸らすこともできない。
「ありがとうございます。では、説明を続けますね」
「はい」
「まず、僕はニコから魔力を借りて、呪具の破壊を試みます。それが砕けた瞬間、カリナさんの『魔臓』に溜まっていた膨大な魔力が、一気に解き放たれることになります」
彼の声は穏やかで、ひとつひとつを確かめるように響く。
「問題は、この二年間せき止められていた魔力の奔流です。萎縮した魔管を強引に拡げながら流れることになるため、全身に凄まじい負荷がかかるでしょう。僕がその暴走を抑え、循環を整えますが……かなり、苦しい思いをさせてしまうかもしれません。……僕を信じて、任せていただけますか?」
私がこくりと頷くと、ソウスケさんは小さく微笑んだ。
「あ、それと。これ、少し珍しいやり方なんで――他の人には内緒でお願いしますね」
「はい…?」
唐突な言葉に思わず聞き返すと、彼は悪戯っぽく笑った。
「ニコは特別な体質で、それが露呈すると……ただでさえ女の子に見えて、周りのおばさま方から誘拐されかけてるんです。これ以上注目されたら困るので」
「…いや、ホントだけどさぁ!」
口をまげて叫ぶニコさんに、空気が一気に和らぐ。
「ふふ……わかりました。絶対に言いません」
私がそう言うと、少し後ろに控えていたマシューさんも頷いた。
「……承知いたしました。決して口外いたしません」
ソウスケさんはニコさんに「ごめんごめん」と笑いながらも、その灰色の瞳には確かな覚悟が宿っていた。
「では、カリナさん。お手を拝借しても?」
「……お願いします」
差し出された手は、驚くほど静かであたたかかった。
その温もりに触れた瞬間、胸の奥でまた、何かがほどける音がした。
左手を差し出すと、ソウスケさんはそっと両手で指輪を包み込むように掴み、膝をついた。
彼の睫毛が震え、吐息が空気を揺らす。
その場の空気が、まるで開演前の劇場のように静まり返る。
息をするたび、世界が小さく収縮していくような錯覚に囚われた。
ソウスケさんの魔力が動き出す。
荒れ狂うことも、圧で押し潰すこともなく、ただ――静かに、精密に形を成していく。
魔力が糸のように細く、正確に編み上げられていくのが“分かった”」。
――こんなの、知らない。
彼はまるで、音もなく繊細な絵を描くように魔力を操っている。
そこに無駄も力みもない。
数十秒の沈黙のあと、ソウスケさんが静かに息を整えて口を開いた。
「ニコ、いつでもいいよ」
「うん。じゃあ――行くよ」
ニコさんの瞳が、青く光った。
「力を貸して、オルフェリアさん!」
その名を呼んだ瞬間、空気が弾けた。
床一面に淡い蒼の魔法陣が展開され、圧倒的な魔力が空間を満たしていく。
空気が重く、肌を刺すような熱を帯びる。
――な、なに、この魔力……!?
考えるより先に喉が引きつった。
体の奥が震えるほど濃密な魔力の奔流。
ただ立っているだけで、膝が震えた。
その光景を、マシューは一歩下がった位置から黙って見つめていた。
驚きよりも、確信に似たものがその瞳に宿る。
彼は理解していた――この場に立つ者が、常識の外にいることを。
これは、私が今まで感じたどんな魔力とも違う。
まるで、大地そのものが息をしているような――。
そして、光の中心に“彼女”が現れた。
透き通る蒼髪がふわりと揺れ、月光を溶かしたような青銀の瞳がこちらを見つめる。
その一瞬で分かった。
この存在は、私のような人間とは“位”が違う。
「どうしたのかしら、私の愛しい坊や」
柔らかくも艶のある声が響いた。
まるで歌のような口調に、空気が震える。
ニコさんが少しだけ照れたように頬を掻いた。
「オルフェリアさん、僕に魔力を貸してくれない?」
辺りを軽く見回し、彼女はゆっくりと口を開いた。
「…なるほどねぇ。もちろんよ、坊や。でもそんな呼び方じゃあダメでしょう?」
「うぅ…分かったよ。オル姉さん」
ニコさんの返答に満足したのか悪戯っぽく彼女が笑った。
「ふふっ、いい子。じゃあ、どうぞ」
「ありがとう!――じゃあ、行くよ、ソウスケ!」
「来いっ!」
オルフェリアの髪が風に舞い、蒼い光が渦を巻いた。
無数の光の粒が舞い上がり、ニコさんの体を包み込む。
溢れ出した蒼光がソウスケさんへと流れ込み、彼の掌が淡く輝き始めた。
――オルフェリア?
あの本で読んだ、古の大精霊……!?
幼いころ、読んだ物語が脳裏をかすめた。
自然の理を司る精霊たちの中で、最も強く、美しい存在。
けれど、それは遠い昔の伝承でしかないと思っていた。
まさか、実在していたなんて――。
「……大丈夫です、カリナさん。少しだけ、我慢してください」
ソウスケさんの瞳が、受け取った蒼い魔力に照らされて鋭く細まる。
彼はニコさんから流れ込む、濁流のような膨大な魔力を――まるで一滴もこぼさぬように、その掌の中で精密に研ぎ澄ませていく。
暴れ狂う嵐のような力を、彼は一筋の針のようにまで圧縮し、指輪の奥に潜む呪いの『結び目』へと狙いを定めた。
力で押し潰すのではない。
ニコさんの「圧倒的な魔力」を、ソウスケさんの「神業のような制御」が弾丸へと変えていく。
その光景に頷こうとした――瞬間。
鋭い痛みが、左手から全身を駆け抜けた。
焼けるような熱が脈を逆流し、心臓の奥で爆ぜる。
視界が一瞬、真っ白に染まった。
「ッ――!」
痛みの波の中で、確かに感じた。
ソウスケさんの手から伝わる、静かで優しい魔力の波。
それが暴走する私の魔力を包み込み、導くように流れていく。
そして――。
指輪が、砕けた。
銀の破片が光の粒となって舞い上がり、
部屋いっぱいに散った煌めきが、まるで夜明けのように広がった。
塞がれていた魔力の流れが、一気に解き放たれる。
体の隅々まで温かさが駆け巡り、世界が色を取り戻す。
最後に視界に映ったのは、心配そうに私を覗き込む、あの優しい灰銀の瞳だった。
その美しさを見届ける暇もなく――世界が、静かに途切れた。
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