第五話「婚約だな」
――あれ?
気づけば俺は宿の前に立っていた。
遠くから誰かの声が迫ってくる。低く、揺れるように耳を叩く。
「……スケ様、本当に……感謝……」
断片的な音だけが入ってきて、意味は頭に届かない。
ただ鈍い響きが胸の奥で反響しているようだった。
やがて、手を掴まれる。
パッと顔を上げると執事のマシューさんがいた。
顔をしわくちゃに歪め俺に感謝を述べていた。
――そうだ。
まだ決まったわけじゃない。
この国の文化とか知らないし、何だったら左手薬指に指輪はファッションでしかないかもしれない。
ファッション。
そう。
ファッショントレンドってやつだ。
……っ、いや、大丈夫。運命の出会いが、こんな形で終わるわけない。
「……ありがとうございます。ですが、今日はもう遅いですし、明日の予定をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「…これは、失礼しました。それでは明日、十時にこちらへ伺います」
我に返ったかのように顔を上げるマシューさん。
「分かりました、では明日」
「はい。本日は本当にありがとうございました」
ルークさんもそうだが、この兄妹は本当に感情が表に出やすいな。
ゆっくりと走り出す魔導車を見送りながら思った。
見慣れた宿の看板が夜風に揺れている。
華美さは一切なく、ただ古びた木の壁と小さな窓が並んでいるだけの建物。
けれど、この場所に帰ってきた瞬間、ようやく肩の力が抜けた。
「おかえりー、どこ行ってたの?」
実家さながらの部屋に入ると、三人がテーブルを囲って晩飯を食べている最中だった。
揚げ鳥の匂いが鼻をくすぐり、壁際にはジェットの剣が光を反射して立てかけられ、ニコの服は椅子からはみ出すように掛けられている。
対照的に、シリウスの本だけはきっちりと積まれていて、妙にバランスの取れた空間になっていた。
散らかっているのに、耳に届く笑い声が不思議と心地よかった。
俺はローブをハンガーに掛けながらニコに答えた。
「食べながら話すよ。俺の分ある?」
「うん、ちゃんと買ってあるよ」
「サンキュー」
揚げ鳥に炒飯にスープ。全て大盛。
おそらくジェットのチョイスだろう。
きちんと手を洗ってから俺はシリウスの隣の空席に座った。
「いっただきまーす」
買ってからしばらく経ったせいか揚げ鳥から肉汁が吹き出すことはなかったが、おいしいものはいつ食べてもおいしい。
「で?」
咀嚼しているとシリウスが背もたれに腕を置き、ニコとジェットの視線が俺に集まる。
「なに?」
「どこ行ってたんだよ、今まで。ニコ泣いてたぞ」
「泣いてないよっ!」
「いやー報酬貰いにギルド行ったらさ、一か月前の高額依頼の数々覚えてるだろ?昼に少し話した。その依頼主と偶然ばったり会ったんだよ」
「マジ?」
「そう、たまたまね。それで依頼主の人公爵家の長男だったみたいで、妹さんの容態が悪化したってことでヒーラーを探してたのよ」
「はえーよ。…てか、やっぱり貴族様だったのか」
得心したようにジェットが静かに頷いた。
「そう。ただ今まで会った貴族と違って俺にまで敬語使ってたのが気になって着いていくことにしたんだ。それにさ、あんな大金貰っておいて治ってないのって…可哀そうじゃん」
「だからはえーって。捲し立てんなよ」
シリウスの顔を見た瞬間、何気なく胸の奥に引っかかる感覚が蘇った。
……あれ、俺、何か大事なことを聞き忘れてないか?
あ。
「あ、てか今思い出したんだけど、俺すっかり特別推薦枠の事聞くの忘れてたわ」
「えー、らしくないな」
「まぁ一目惚れで動転してたからな、気が」
「「え?」」
「へぇー」
骨周りの肉をかじりながらニコが軽く相槌を打つ。
「ま、明日聞けばいっか」
「え、明日?治療したんじゃないの?」
ギョッと目を見開く二人を無視してニコの問いに続けた。
「いやー、それがねルークさんの妹、カリナさんって言うんだけど——」
「俺の一目惚れした人」
「「…は?」」
「呪蝕の指環って塔具を何故か着けててさ。で、指輪を壊すにはニコの魔力が必要でさ。だから明日、一緒に来てくれない?」
「「は?」」
数秒前からピシリと固まっていたシリウスとジェットを他所にニコは「うん、いいよー」と即答した。
「お前今何て……?」
シリウスが眉をひそめる。
「呪い?」
「その前その前」
「ああ、一目惚れ?」
「そこそこ!」
「え、何?」
「は?何ってなんだよ」
「……そりゃお前、するだろ。誰だって一目惚れぐらい」
平然と装ったつもりだったのに――
「いや、装えてねぇから。顔真っ赤じゃねーかお前!」
シリウスの即答に、心臓がドクンと跳ねた。
「っ………」
グッと言葉が詰まる俺を、審議をするようにジェットは黙って睨んでいた。
これまで「一目惚れなんてありえない」と散々言ってきた俺が、よりによって今その真逆を口にしている。
大人ぶった自分が恥ずかしくてたまらない。
「た、たしかに…ホントだぁ」
「………」
ぽつりと漏れたニコの声は驚きに震えていた。
「…マジか。一目惚れ完全否定派のお前が…」
沈黙する俺を見て確信を得たようにゆっくりとシリウスが言葉を紡ぐ。
「ちょっとまて…ソウスケ頭ごちゃごちゃだからもう一回詳しく話してくれ、一から」
ジェットの低い声にうなずき、俺は最初から順に語り直すことにした。
依頼のこと、ルークとの出会い、そしてカリナさんのこと――。
……で、気づけば食卓は再び沈黙していた。
「しっかし公爵令嬢かー。年は?」
最初に口火を切ったのはシリウスだった。
「……同い年」
「あーそしたら相手がもうすでにいる可能性高いなぁ」
シリウスの呟きにジェットが尋ねた。
「そうなのか?」
「貴族様ってのは小さいころから婚約相手がいるものさ。それに公爵ともなると…相当」
胸に響く鈍痛に耐えながら、俺は縋るような思いで問いかけた。
「ち…ちなみにさ、シリウス」
「ん?」
「左手のさ…薬指にさ…指輪ってなんか意味あるの?…この国で」
固唾をのみながら俺はジッと濃い赤のブラシで一筆書きされた美しいシリウスの結ばれた唇を願いを込めて見つめた。
シリウスは目を閉じて首を捻り一瞬間をおいてからポツリと、呟いた。
「……婚約だな」
「………そっかぁ」
一目惚れの大望…破れたり。
その言葉は胸に杭を打つみたいに重かった。
「あーあ、死にたい」
「ま、一度あったら二度目もあるさ」
ジェットが軽く慰めるが、胸の痛みはまだ残っていた。
「…でもお前の説明だと、その薬指についているのが「呪蝕の指環」なんだろ?」
「ったしかに!」
考えるより先にテーブルを叩きながら俺は立ち上がる。
婚約者に呪いの指輪を渡すバカがいるはずがない。
いるとしたらーーー
「…でも相手も二年前なら知らずに渡した線が濃厚だなー」
「…次上げて落としたら殺すからなぁ!」
図太い蚊のように飛び回るシリウスに俺は嘆息した。
ジェットが笑いを堪えつつ尋ねる。
「とはいえ、明日治療しに行くんだろ?」
「行くよ。流石に言った手前、取り返せないし」
一度言葉を切ってから、俺は続けた。
「…それに、特別推薦枠のこともあるし」
「どうもあんま素直に喜べないな。そんなこと言われても」
「「確かに」」
「何言ってんだ。三か月の努力の結晶だろうが。俺の一目惚れの代わりにチケット手に取ったんだぞ!喜べよ!」
「いやぁ、そう言われてもなぁ」
「「…うん」」
「もういいや、何でもいいからなんか面白い話してくれよ」
「今のお前より面白い話なんてどこ探してもねーよ!」
「死ねっ!」
一緒に笑っていると胸が少し軽くなった気がした。
しょうがない。次もあるさ。その言葉を信じようと思う。
でなきゃ正気なんて…正気なんて。
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