第三話「呪蝕の指環」
青天の霹靂――そんな言葉が脳裏をよぎったのも束の間。
張りついたように固まった空気を破ったのは、カリナさんの一言だった。
「...…ソウレン王子」
「…え?」
「い、いえ。何でもありません」
零れ落ちるように呟かれたその声を、俺が聞き取ることはなかった。
ルークさんも同じだろう。
カッと頬を染めるカリナさんよりも自分の事で精いっぱいだった。
――やばい。なんだこれ。
これが一目惚れってやつか? 心臓がうるさい。
落ち着け、俺。
これは仕事だ。
治療と報酬のため。目的を見失うな。
視線を無理やりカリナさんから外し、ルークさんへ戻すと、彼は少しだけ首を傾げた。
「どこかで会ったことある?」
「いえ…初めてです。」
「そっか。えっと、彼がさっきギルドで出会ったヒーラーのソウスケ君。ソウスケ君、彼女が僕の妹のカリナ」
その名を聞いた瞬間、彼女の目が微かに見開いた。
こちらを見つめたまま、頬をわずかに赤らめ、緊張したように唇を動かす。
「...初めまして、カリナ・フロイラインです。本日はよろしくお願いしましゅ…す」
噛んだ。
完璧な外見と、わずかな動揺。
そのギャップに撃ち抜かれる。かわいすぎる。
表情を凍らせた彼女は、小さく息を吐いて姿勢を正し、胸に手を添える。
「……失礼しました」
視界の端では不思議そうにカリナさんを見つめるルークさんが目に入ったが、俺としては気が気じゃなかった。
腹に力を込め、震えそうな声を抑えながら返す。
「初めまして、ソウスケです。本日は回復魔法をかけさせていただきます。」
「...…よろしくお願いします」
彼女の視線が、なぜか泳ぎながらも離れない。
――あとになってカリナから聞いた話だけど、このとき彼女は、自分の胸の高鳴りが何なのかまったく理解できていなかったらしい。
「緊張だと思い込もうとしても、どうしてもあなたから目が離せなかった」と。
「大丈夫?」
「い、いえ。大丈夫です。...…ふぅ。もう大丈夫です」
心配そうに顔を覗き込んだルークさんにカリナさんは頷いた。
「じゃあ、ソウスケ君。カリナに治癒をかけてもらえるかな?」
「はい!よろしくお願いします」
一歩、二歩と彼女に近づく。
胸の奥で何かが決定的に変わった気がした。
この子を、放っておけない――そんな直感に似た感情。
改めて向き直った彼女――カリナさんは、やはりどこか儚げな印象をまとっていた。
淡い氷色の瞳が伏し目がちにこちらを見つめ、頬には赤みが差す。
群青に近い髪は背中まで流れ、袖口から覗く手は細くしなやかで、剣を振り慣れていることが見て取れた。
「……お手数をおかけします」
筋が浮かび、無駄のない力がそこにあった。
そして、その白魚のような指の付け根に―――金色の指輪がひとつ。
俺はカリナさんの言葉に軽く会釈してから静かに目を閉じ、手を翳した。
「癒光の旋律」
白銀の光が掌からあふれ、静かにカリナさんを包み込む。
光は糸のように揺らぎながら空気へ溶け、肌に触れるたび淡い温もりを残した。
微かな鈴の音めいた響きが、静まり返った部屋に溶けていく。
指先から流した魔力が、彼女の体へ馴染んでいく。
雪解け水が大地に染み渡るような感触。
魔力の流れに合わせて、カリナさんの呼吸が少しずつ落ち着いていくのがわかった。
「...…ん?」
妙だ。
一点に集中した魔力が、別の力に引き込まれるように逸れていく。
強制的にガコンっと車線変更させられる、不快な感覚。
「...カリナさん、体調はどうですか?」
「……ええ、軽くなりました。けれど……やはりすぐに戻ってしまうのですね」
彼女はにこりと笑った。
だが、その笑みの奥に確かな翳りを見てしまう。
それは諦観に染まった表情で、胸が強くざわついた。
不快だ。
彼女を悲しませるそのすべてが許せない。
当たり前のようにそう思った。
「………」
「そ、そうか。ありがとうソウスケ君」
ルークさんが小さく頷き、腰を浮かせかける。
だが、その動きを無意識に声で遮った。
「……待ってください」
自分でも驚くほど強い調子だった。
ルークさんの視線がこちらに戻る。
カリナさんの横顔に影が落ちるのを見て、もう迷う理由はなかった。
「すみません、少しだけ魔力の通りを診させてもらいます」
そう言って、俺はゆっくりと息を吸い込む。
もう一線を越えるしかない。
「識律彩眼」
世界が反転する。
視界に広がるのは、色彩を帯びた魔力線の網目。
カリナの魔核は淡い水色に輝いていた。
けれどその八割ほどが黒い魔力に覆われ、侵食されていた。
その根源は――指の付け根に光る指輪。
「ソウスケ君、それは……?」
「…僕の固有魔術です。魔力線が見えるんですよ」
驚く二人を他所に俺は続ける。
「カリナさん、お手を拝借してもよろしいですか?」
「? あ、はい」
差し出された滑らかな手を取ると、指輪から伸びる黒い魔力が体へ絡みつくように広がっているのが見えた。
植物の根のように。
…これはただの指輪じゃない。
「カリナさんが魔力を出せない原因は、この指輪ですね」
目を凝らして続ける。
「この呪いの術式、ただ奪うだけじゃない。何層か…三層ですね。偽装工作が施されています。だから原因不明と診断されたんでしょう。魔力線が見えない限り分からないほど緻密に編み込まれてる…」
「……指輪が、ですか?」
「え...…」
二人が目を見開く。
「この指輪が魔力の放出を妨げています。これは塔具です」
塔具――塔でのみ発見される、再現不能の魔道具。
人の魔力を奪う仕組みを人為的に作れるはずがない。
間違いなく塔具だ。
「カリナさん。この指輪、外せますか?」
「...…なんで」
「...呪蝕…の指環」
ルークが顔を伏せ、低く呟いた。
その一言で、断片だった情報が一気につながる。
「っ! もしかしてこの黒い宝石、元々は淡い赤色でしたか?」
問いかけに、カリナさんは小さく肩を震わせた。
視線が泳ぎ、ほんの一瞬ためらったのちーー唇を微かに動かす。
「……はい。赤色の宝石でした」
「やっぱり!これは呪蝕の指環で間違いないはずです!」
以前読んだ「塔記録誌」の記述が頭をよぎる。
そこに描かれていたのは赤い宝石の指輪。
黒く変色した理由に、ようやく合点がいった。
続けざまに説明しかけたとき、ルークさんの声が割り込む。
「...…呪蝕の指環。魔力を奪い、身を蝕む塔具。一度発動したら――解除された例は、ない」
依然床を見つめ呆然と告げる声に、カリナさんもポツリと呟いた。
「...…そう。そうだったのですね」
「そうか…これがそういう意味だったのか。くそっ!」
ルークさんは苛立ちを押し隠すように立ち上がり、扉へ向かう。
「すまないソウスケ君。ここまでありがとう。報酬はすぐに―――」「―――え?」
反射的に声が漏れた。
自分でも信じられないくらい強く胸を突かれた感覚。
「待ってください、壊さないってことですか?」
振り返ったルークの目が驚きに見開かれる。
俺は困惑を隠さず、そのまま問いかけていた。
「えっ?」
「…ん?」
互いに理解できず立ち止まる俺とルークさん。
すると、背後からカリナさんが口を開いた。
「ソウスケさんなら壊せるとおっしゃられているのですか?」
「え、ああ、はい。そのつもりだったんですけど……」
「なんだって!?」
「そうなのですか!?」
二人の瞳が大きく揺れた。
だが信じ切れる顔じゃない。
無理もない。二年間、誰も解けなかった呪いなのだから。
言葉を終えるや否や、ルークさんが一気に間合いを詰め、俺の両手をつかんだ。
それは驚くほどの力だった。
その視線は、軽々しく希望を持たせることを許さない、とでも言いたげに鋭かった。
「どういうことだ。これは解呪できないのだろう!?」
「いえ、解呪された例がないだけで、今診てみた所出来ると思いますよ」
握られた両手に力が籠り、真剣な眼差しで見つめるルークさんに俺は続ける。
「こういった類の塔具は、吸収の許容量を超える魔力を流せば器が耐えきれなくなって瓦解します」
「魔道具と同じということですか?」
小首を傾げた瞬間、青みがかった髪がふわりと肩から滑り落ちる。
その柔らかな光沢にまたしても目を奪われた。問いかける声は真剣なのに、仕草はどこか無防備で――反則級に可愛らしかった。
クッソ。ずる過ぎだろ。
「は、はい。『塔記録誌』だと解除された事例はないはずですけど……それは、この塔具の魔力耐性がとても高いからなんですよ」
「信じがたいと思うので、証拠をお見せしますね」
俺の言葉に、ルークさんは掴んでいた手をようやく離した。
その視線はまだ俺を射抜いていたが、構わずカリナさんの指へと手を伸ばす。
カリナさんの指をそっと握り、その宝石へ意識を集中させた。
槍のように鋭く、針のように細く、練り上げた魔力を全力で流し込む。
ーーカッ。
黒く濁っていた宝石が、一瞬だけ淡い赤色に染まった。
まるで脈打つように光り、けれどすぐにまた黒へと戻ってしまう。
「……!」「今のは……!」
カリナさんが息をこぼし、ルークさんも固唾をのんで凝視していた。
「ふぅー。ご覧の通り、確かに反応はします。ただ……僕一人の魔力量だと壊すには至りません」
額に張り付いた汗を拭いながら俺は返答する。
「じゃあ、どれぐらいの魔力があれば壊せるんだい?」
「今、僕の固有魔術で見た感じだと……精霊一人分、全部、です」
「……そ、そんなにですか」
落ち着いて答えようとしたが、カリナの視線はわずかに泳いでいた。
強がろうとする横顔に、不安がにじむ。
「でも、僕を引き留めたということは――」
あくまで淡々とした調子。
だが、その瞳は藁にもすがるように俺を射抜いていた。
普段の飄々とした態度が嘘みたいに、切実さがにじみ出ている。
「――はい。壊せます。」
カリナは小さく息を呑み、驚きに目を見開いた。
その瞳にわずかに宿った輝きは、消えかけていた希望が再び灯った証のように見えた。
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