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第二十話「シリウス君」

 二人の目が合った瞬間、カリナさんは硬直した。


 その一瞬の隙を親蜘蛛が見逃すはずはなく、畳みかけるように声を上げた。


「…おねえちゃん…あそぼ?」

「っ!」


 クソっ!

 一番避けなくては行けないと思っていた展開。


 擬態蜘蛛は擬態するまで個体差はあるが平均して十秒はかかる。

 なのに、コイツはたったの数秒で擬態に成功している。

 それも頭の表層にあった、テオ君に。


 思考を止め、俺はぬかるみを全力で蹴り、カリナさんの元へ駆けつける。

 それと同時にジェットが間に入り、蜘蛛の斬撃を受け止め、ニコが精霊術を蜘蛛の顔面にぶつけた。


 カリナさんを押し飛ばし、二人して転がる。


「大丈夫ですっ!カリナさん!大丈夫です!」

「っ……」


「深呼吸をしましょう。吸って…吐いて。もう一回!」


 捲し立てるように、でもはっきりと伝える。

 すると、焦点が合わないものもカリナさんが息を深く吸い込んだ。


 背後で魔物が狂乱する気配が伝わってくるが、俺が振り返る必要はない。

 背中を預けられる男が時間を稼いでくれている間に、俺はこの「空白」を一秒たりとも無駄にせず、彼女の魂を繋ぎ止めなければならなかった。


 昂る感情をままに、カリナさんの手首を掴み俺は顔を近づけた。


「あの皮の下にいるのは、テオ君を餌として利用してる魔物です!魔物です!惑わされないでください!」


 揺らいだ瞳がこっちに傾きかけた時、蜘蛛が再び声を上げた。


「おにいちゃん、いたいよ?……たすけて?」


 巨大な節足を軽快な身のこなしで避けながら、ジェットは吐き捨てるように鼻で笑った。


「…はっ、効かねーよそんなの」


「カリナさん!あんな偽物よりテオ君の母の事を考えてください!大丈夫です!皆絶対に無事ですから!」


「俺を―――俺を信じてください!」


 その一言にカリナさんは目を見開き俺の顔に焦点を合わせた。

 見つめ合ったまま数秒。

 永遠にも思える沈黙が過ぎると、彼女はコクリと頷いた。


「…」


 握った手を緩めると、カリナさんはゆっくりと立ち上がった。


「ソウスケさん…ありがとうございます。目が覚めました」


 剣を構えるカリナさんの瞳からは、先ほどまでの絶望は消え去っていた。

 代わりに、藍色の魔力が静かに、けど激しく燃え上がるような輝きを纏っていた。


 後ろをチラッと確認したジェットは笑みを浮かべ蜘蛛と向き直る。


「おっ。俺の出番は終わりみたいだから、最後に――ッ!」


 人差し指を立て、挑発するようにクイックイッと折り曲げると擬態蜘蛛は激高したように鳴き声を上げ、その巨大な節足を槍のような鋭さでジェットへ突きだした。


 だが、ジェットはそれを紙一重でかわすと、剣を鞘に収め、あえてその脚を抱え込むようにして、自らの回転の遠心力へと繋げる。


「―――そらよっ!」


 軍馬をも凌ぐ巨躯が宙を舞い、背後にそびえ立つ巨木へと叩きつけられる。


 轟音と共に蜘蛛の体勢が大きく崩れた。

 その隙を見逃さず、カリナさんが開かれた道を駆ける。


 そして闘気を纏った刃で斬りかかろうとしてその時、擬態蜘蛛は再びカリナさんを惑わせようと、力を振り絞った。


「…おかあさん…おかあさんは?いたいよ…?」


 深夜、月明りの下で何度も、何百回も繰り返した、あの踏み込み。

 一陣の風となった彼女は親蜘蛛の懐へ一瞬で潜り込む。


「――はぁっ!」


 放たれた一閃は、迷いを断ち切った純粋な闘気の塊だった。

 テオの顔ごと、禍々しい蜘蛛を真っ二つに両断する。


「ギ、ギギギ……ッ!!」


 耳を突き刺すような断末魔と共に、親蜘蛛の姿が泥のように溶け落ちていく。偽りの少年の姿が消え、醜悪な化け物の死骸へと戻った瞬間、カリナさんはその場に力なく膝をついた。


「はぁ…はぁ…」


 荒い息を繰り返すカリナさんにジェットが声を掛ける。


「大丈夫ですか?」

「はい…なんとか…」


「素晴らしい踏み込みでしたよ」


「あっ、ありがとうございます」


 と二人の間にニコが飛び込む。


「カリナ!やったね!最高!」


 ぴょんぴょん飛び跳ねるニコにカリナさんが口角を上げる。

 そして、振り返った彼女は俺を見つめて満面の笑みを溢す。


「やりました!ソウスケさん!」


 燦燦と美しく光輝くカリナさん。

 高い湿気に飛び散る内容物からの異臭。


 そのギャップのせいなのか、危うく俺もさっきのカリナさんみたいに固まりかけたが何とか…辛うじて抜け出すことに成功した。


「おめでとうございます」


 それから識律彩眼を使って辺りを探索していると、小さな洞窟を見つけた。


 そこにはグルグル巻きにされた繭がいくつも転がっていた。

 急いで駆け寄り、俺が短剣で糸を裂くと、中からぐったりとした、けれど確かに呼吸をしている赤い帽子の少年が姿を現した。


「……テオ君。テオ君!」


 カリナさんが少年の肩を抱き寄せ、その名前を呼ぶ。ゆっくりと目を開けた少年が「……おねえちゃん、だれ……?」と弱々しく呟いた瞬間、彼女の目から大粒の涙が溢れ出した。



ーーー



 助け出した村人たち一人一人に治癒魔術を掛け、村へ戻ると、そこには地獄から一転したような歓喜の渦が待っていた。


「テオ…テオっ!!」


 カリナさんの後ろからばつが悪そうに顔を覗かせるテオ君に母親が、地面に膝をつき、テオ君を目いっぱいの力で抱きしめた。


「ごめんなさい…ごめんなさい」


 むせび泣く母親の背中を、テオ君もまた涙を溢しながら小さな手でぎゅっと抱き返している。


 それを合図にしたかのように、村のあちこちで歓喜の声が爆発した。


 静まり返っていたはずの村は、今やあたたかな涙と、感謝の叫びで溢れかえっていた。


 その光景を、俺達は少し離れた場所から見つめていた。

 ちらりと、横を向くとカリナさんは喜びを噛みしめるように掌を握りしめていた。


「…ソウスケさん。私、戦ってよかったです」


 ポツリと呟いた彼女の瞳が輝いて見えた。

 その清々しい横顔を見た瞬間、俺もまた、達成感で胸がいっぱいになった。


 もしも二人きりだったら血迷ってここで、告白でもしていただろう。

 俺は心の中で久しぶりにニコとジェットの存在に感謝したのであった。


 その後、村長との協議の末、箱一杯分の野菜を報奨金として貰うことに決定した。

 魔物の討伐よりもこっちの押し問答で疲弊するとは思ってみなかった。

 …あいつが待ち遠しくて仕方がない。


 それから、四日が過ぎた。


 実戦を乗り越えたカリナさんの成長は、目を見張るものがあった。

 魔力操作の精度、闘気の密度。そして何よりその立ち振る舞い。

 かつて「無能」と蔑まれていた頃の影はどこにもない。


 この四日間カリナさんからの要望で、追加で二回魔物の討伐にも出向いた。

 二回目となる擬態蜘蛛の集団が一回と、二頭犬と呼ばれる魔物への討伐だ。

 どちらもあっさりと倒す彼女に俺達はサポートに徹するまでだった。


 そしてその急成長の副産物として、屋敷の台所は各々の村から「報奨金」として押し付けられた山のような野菜で埋め尽くされ、俺達は暇さえあれば野菜にかじりつくはめになっていた。


 カリナさんは虚無顔でポリポリ生野菜を食べる俺達を見て慌てて謝っていた。



 そして、決闘まで残り一週間となった夕暮れ時。

 変わらずカリナさんと共に訓練に勤しんでいると、入口の方から物音が聞こえた。


 急いで裏庭を出るとそこには一台の重厚な魔導車が停まっていた。

 豪華絢爛。金の無駄遣い。貴族の遊び。


 それらすべての言葉を凝縮したような魔導車から―――目が潰れる程のイケメン一人。


「シリウス君、帰還」


 軽口を叩きながら颯爽となぜかシルクハット被ったシリウスは、出迎えた俺達の中心に立つカリナさんを一目見て、驚いたように口角を上げた。


「…あ、変わりましたね。カリナさん」


「ありがとうございます。皆さんのおかげです」


 カリナさんが頭を軽く下げるとニコが割って入る。


「そんなことないよ!カリナが凄いんだよ。僕なんて何もしてないもん!」


「…それを誇んなよ」


 シリウスの言葉に俺達は笑うのであった。



 翌朝、朝食を食べ終えた俺達は裏庭に集まり、シリウスが成果の発表を始めた。



 決闘まで残り六日。


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