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第十九話「擬態蜘蛛」



 カリナさんが魔力を暴走させてから三日が過ぎ、決闘まで残り十日。


 初日に脈点を思い切り掴み過ぎていたカリナさんだったが、今では制御できる範囲で闘気を纏えるようにまで急成長を遂げていた。

 ジェットとの打ち合いでも自ら攻撃を展開して、押せるようになっていた。


 その反面、俺はというと反省の日々を送っている。

 というのも、カリナさんの優秀さが露呈するたび指導者としての下手さが目立っているように感じる。


 初めて闘気を練習するときだってそうだ。

 何も、脅しみたいに指を三本立てながら説明する必要なんてないわけで。

 むしろそんなことを言われたら弱気になってしまうのは当たり前じゃないか。


 今日の訓練を終えて俺達はテーブルを囲みながら食事にありついていた。


「カリナさん、明日魔物の討伐に向かいませんか?」


 晩御飯を食べ終わり、雑談に区切りがついたタイミングで俺は口を開いた。


「魔物は来週の予定ではなかったでしたっけ?」


 手にしたナプキンを降ろし、可愛らしくこてっと首を傾げるカリナさん。


「はい。元々はそうだったんですけど、カリナさんの成長速度的に明日向かっても問題ないと思いまして」


「いいね!じゃあ魔物も決まってるの?」


 目を輝かせるニコに苦笑する。


「うーん。決まっていると言えば決まってるかな?」


「どういうこと?」


「マシューさんに調べてもらったんだけど。ここから少し離れた所に村があるみたいで、そこが魔物の被害にあったみたいなんだよ」


「断定は出来ないってことか?」 


「いや、先週降った雨と巨木が連なる森林が隣にあることを踏まえるとーー擬態蜘蛛だと思うんだよ」


 そういうと、ニコの瞳の輝きが淀む。


「…えー、擬態蜘蛛か…いやだなぁ」


「…キモいもんな」


 ボソリと呟くジェットにカリナさんは瞬きをする。


「ごめんなさい。…私詳しくなくて」


「擬態蜘蛛は下半身が蜘蛛なんだけど、胴体からもニョキってなんか付いてて、それが目にした人とか魔物の姿に擬態出来るから擬態蜘蛛。子供でも猪ぐらいあって、親は馬車を引く馬ぐらいデカいんだよ。…めっちゃキモいよ」


「…そうなのですか?」


 うげーっと顔を歪めるニコにカリナさんがたじろぐ。


「なので、明日まず村へ出向いてお話を伺ってから討伐に向かおうと思ってるんですけど。

 大丈夫ですか?」


「はいっ、頑張ります!」


 両の拳をふんすっ!と握りしめるカリナさんに思わず笑みが零れる。


 彼女の正義感を利用している感じもするけど、これなら怖気づいてしまう可能性低くなるだろう。

 それに擬態ではあるけれど、対人の練習にもなると思う。


 食後、ニコはカリナさんと談笑を続け、ジェットは裏庭で鍛錬、俺は自室に戻り、マシューさんから手渡された地図と資料を広げた。


 広げた地図には森林の地形と過去に目撃された魔物が記されている。

 「正義感を利用する」――自分で決めた方針とはいえ、胸の奥がチクリと痛む。彼女を戦場へ立たせる動機に「村の被害」という大義名分を混ぜたのは、恐怖を誤魔化すための劇薬だ。指導者として、これが最善なのか? 自分の実力不足を、彼女の優しさに肩代わりさせていないだろうか。


 気づけば数時間が過ぎ、深夜の静まり返った廊下を通りかかった時のことだ。


 窓の外を見れば、月明かりの下で独り、何度も踏み込みの確認をする彼女の姿があった。

 闘気を纏う彼女の周囲で、淡い藍色の魔力が静かに、しかし力強く波打っている。

 そのひたむきな姿に、俺の胸は鷲掴みにされた。



ーー



 朝食を軽く済ませ俺達は屋敷を出て、マシューさんの送迎の元、村の入口までやってきた。


 村長に案内されたのは、村の集会所を兼ねた古びたログハウスだった。


 村の中は、驚くほど静まり返っていた。本来なら子供たちの遊び声が響いているはずの時間だが、通りに人影はない。家々の窓や扉はどれも固く閉ざされ、まるで村全体が息を潜めているかのようだった。


 村の入り口に近い畑では、数人の若い男たちが農作業に精を出していた。

 けれど、その様子はどこか不自然だ。

 

 鍬を振るう合間にも、彼らは何度も何度も背後の森を振り返り、互いの位置を確認し合っている。その腰には、農具とは別に護身用の古びた短剣や太い薪が括り付けられていた。


「……見ての通り、若い者たちは恐怖に耐えながら畑に出ております」


 村長は震える手で淹れてくれた薄い茶を啜り、深く溜息をついた。


「ギルドへ出すための『報奨金』を募ろうにも、明日の食い扶持すら危うい家ばかりでしてな。……神隠しだ、祟りだと泣き寝入りするしかなかったのです」


 その言葉に、カリナさんが痛ましそうに瞳を伏せた。

公爵令嬢として育った彼女にとって、この村の窮状は想像を絶するものなのだろう。


「……事情は分かりました。村長さん、魔物の正体は恐らく僕たちが睨んだ通り『擬態蜘蛛』です。今から森へ向かって、片付けてきます」


 俺が静かに告げると、村長はハッとしたように顔を上げた。


「お、お願いします...! ですが、その、お礼を差し上げる余裕が………」


 申し訳なさに言葉を詰まらせる村長に、俺は軽く手を振って遮った。


「お金のことは気にしないでください。ギルドへの正式な依頼の手続きと費用は、僕の方で済ませておきます。……もともと、僕たちが自分たちの目的のために動いていることですから」


「そんな……見ず知らずの我々のために、そこまで……」


「いいんです。気にしないでください」


 少し気恥ずかしさを覚えながらもそう言うと、カリナさんがこちらをじっと見つめているのに気づいた。

 その瞳には、驚きと、それ以上の熱い信頼が宿っていた。


 村長に礼を告げ、俺たちは村の境界へと向かった。

 森の入口が見えてきたその時、背後から泥にまみれた女性が駆け寄ってきた。


「……お願い、これを持って……っ! これを見て!」


 彼女はカリナさんの腕にしがみつき、震える手で一枚の、色褪せた似顔絵が描かれた紙を差し出した。

 そこに描かれているのは、赤い帽子を被り、屈託のない笑顔を浮かべる幼い少年だ。


「うちの……うちのテオなんです。まだ、たったの六歳で……。この子が、一体何をしたって言うの……」


 しがみつく指先の震えが、カリナさんの腕を通して伝わってくる。彼女の目に、一瞬にして強い意志の炎が灯った。


「……テオくんですね。安心してください。必ず連れて帰りますから」


 カリナさんは女性の手を優しく、けれど力強く握り返した。

 その横顔には、もう「特訓の一環」という迷いはなかった。


「……行きましょう、ソウスケさん」



ーー



 森林の入口。

 巨木が壁のように立ち並び、その隙間から溢れ出した薄暗い霧が、俺たちの足元を這うように覆っていた。俺たちは気を引き締め、慎重に最初の一歩を踏み出した。


「……ソウスケさん。子供たちは……あの子は、本当に無事なのでしょうか」


 カリナさんが不安そうに、けれど微かな期待を込めて尋ねてきた。


「無事なのは間違いないですよ。習性上、あと三日ぐらいは問題ないはずです」


「……あと三日、ですか」


 安堵からか、カリナさんの肩から僅かに力が抜ける。けれど、俺の説明の続きを聞くと、その表情はすぐに引き締まった。


「はい。擬態蜘蛛は対象を昏睡状態にした上で自身の魔力で作った糸で対象をグルグル巻きにして、生かしながら魔力をゆっくりと吸い上げるんです。回復したら吸うというのを繰り返す魔物なんです。だから生きているのは間違いないです」


「……なんて趣味の悪い」


 カリナさんはその説明に唇を噛んだが、その視線は真っ直ぐに森の奥を見据えていた。


「擬態蜘蛛は大体四、五匹のグループで行動する魔物です。今回もそうでしょう」


 森の奥へ進むにつれ、湿気はさらに濃くなっていった。

 日光を遮る巨木の天蓋のせいで、足元はひどい泥濘と化している。一歩踏み出すたびに嫌な音が響き、油断すれば靴ごと持っていかれそうな感触に、俺たちはさらに神経を尖らせた。


「親蜘蛛一匹と子供蜘蛛三、四匹のグループだったよね?」


 ジェットの後ろを歩きながら俺はニコの問いに頷いた。


「そうだね。子供蜘蛛は生まれてからの日数によるけど、大体弱いんだよね。擬態も習得できていない場合が多いね」


「カリナさんにはどれと戦ってもらうんだ?」


「子供蜘蛛を一匹だけにすると、身を隠してすぐ逃げちゃうから親蜘蛛かな」


 ジェットに答えるとカリナさんが声を上げる。


「が、頑張ります!」


「大丈夫だよ、カリナ。皆ジェットより弱いんだし、今のカリナなら楽勝だよ」


「何か、その心得ってあったりしますか?」


 口を挟もうと思ったが、ここはジェットに任せることにした。


「前提は変わらないです。臆さないこと。ただ、ここ数日よりも何倍も気合を入れることです」


「分かりましたっ」


 後ろでカリナさんが拳を握ったような音がした。


 数十分ほど、沈黙のなか歩いていると、目の前にポッと魔力の反応が現れた。


「…見つけた。三十メートル先、五体」


 俺の言葉に呼応してジェットが剣を鞘から抜刀し、カリナさんがそれに続いた。


 俺は声を落として、続けた。


「このまま、見つからないようにゆっくり進んでいきます」


「ジェットが視えたタイミングで俺の肩を叩いて、それで飛び出そう」


「わかった」


「五体いるので、僕たちが子供蜘蛛四体、カリナさんには最後の一体を倒してもらいます。いいですか?」


「分かりました。」


 僅かに声が上ずっているが瞳からは覚悟が感じ取れた。


「では、僕たちが先陣を斬るので、付いてきてください」


 じりじりと身をかがめ、音を消して進む。


 俺の識律彩眼を透かして見る世界は、一変する。

 霧の向こうで蠢く五つの魔力は、どろりとした赤黒い粘性を帯びて映し出されていた。

 それは、捕らえた人間から無理やり吸い上げた魔力が、蜘蛛と混ざり合って変質した汚濁の色だ。

 その毒々しい輝きが、ドクン、ドクンと、森の静寂に合わせるように不気味に拍動している。


 隣を歩くカリナさんの呼吸が、一瞬、強張るのを感じた。

 俺はそっと彼女の視界に入るように位置を変え、短く頷いてみせる。


 そしてーー五メートル程の距離になったその時、肩を叩かれた。


 肩を叩かれた瞬間、思考が加速した。 闘気を爆発させ、弾かれたように泥濘を蹴る。


 その瞬間、蜘蛛たちは気配を感じて振り向いたがニコが真っ先に魔術を放つ。


「火精球っ!」


 というニコの鋭い声と共に、霧が一気に焼き払われた。


 爆ぜる火炎。切り裂かれる肉の音。


 猪ほどもある巨躯を震わせて子供蜘蛛が跳ね飛ばされる。その隙を逃さず、俺とジェットが左右四体の蜘蛛を瞬く間に切り刻んだ。


「今っ!」


 俺の声と共に、闘気を纏ったカリナさんが放たれた矢のように地を蹴る。


 その行く手に立ちふさがるのは、軍馬をも凌ぐ巨躯を誇る巨大な親蜘蛛。

 泥をはね上げ、風を裂き、彼女の剣が最高到達点に達した、その刹那ーー。


 カリナさんの目が、微笑ましそうに笑みを浮かべる少年、テオ君と合った。


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