第一話「バカだな、一目惚れなんてあるわけないだろ」
扉がゆっくりと開き、ひんやりとした空気が肌をなでた。 窓から差し込む薄氷のような陽光のなかに、彼女はいた 。
深い夜空のような髪、透き通る肌、そして淡い氷色の瞳 。 絵画から抜け出したようなその姿を見た瞬間、俺の思考は停止した 。
瞬時に悟り、理解してしまった。 俺、ソウスケは――一目惚れをしたのだと 。
「……っ」
情けないことに、声も出ない。
つい数時間前、森の中で仲間たちに「一目惚れなんてあるわけない」と鼻で笑っていた自分を、今すぐ殴り飛ばしたい気分だった。
―――そう、あれはほんの数時間前のことだ。 季節は春を迎えたばかり。クール王国の北方、グランデ森林の最奥で、俺たちはいつものように戦っていた 。
静謐を湛えた森を抜けたその先、空を覆うほどの巨木が連なる地帯 。
その最奥に巣食う獲物を、俺たちは仕留めようとしていた。
「じゃあ行くよ…影縫」
シリウスの足元から延びた影が、意志を持つ生き物のように蠢く。
地を這うそれは迷いなく巨猿の足元へと伸び、縫い止めた。
「雷針」
その隙を逃さず、俺の放った魔術が、胸元にある魔核めがけて一直線に突き刺さる。
状況が把握できずに口が弛緩し半開きになった猿へ続けざまに、ニコが精霊術を放つ。
「火精球!」
ニコの声と共に構えていた火精霊の指先から豪火の球が弾け飛んだ。
ボンっ!と捉えたのは迷宮ヌシの左ひざ。
いつもながら、その小さな体でよく魔力が溢れないなと感心する。
「ギィッ!」
悲鳴をあげてよろけるヌシに大剣を担いだジェットがすかさず加速する。
「ふんっ!」
自分の数倍ある巨体を俊敏な足さばきでかいくぐり、アキレス腱に太刀を振り下ろす。
悲痛な表情で平衡感覚を失った瘴猿は前のめりに倒れた。
「グギャーァァ!」
間髪入れずに俺も剣を抜き取り、うつ伏せに倒れた巨猿の首筋に刃を振り下ろす。
ザクッと入った刃に力を込めて一気に奥まで押し込む。
ミチミチと肉を断ち切る触感と猿の断末魔が鼓膜を揺らす。
完全に静止するのを待ってから俺はゆっくり瘴猿から剣を引き抜いた。
「…ふぅ」
毛皮を濡らしながらドボドボ流れ出る血を見つめていると、ジェットが拭いた剣を鞘に収めながら近づいてきた。
「ソウスケ、ちゃっちゃと剝ぎ取ろうぜ」
「そうだね」
短く刈った黒髪に、どこか挑むようなつり目。
露店の安物を適当に着回した紺の七分袖とダボついた長ズボンの隙間からは、鍛え抜かれた筋肉が覗いている。
「170ある」と本人は言い張るが、実際は168センチ。
近接戦闘を得意とする俺の幼馴染――それがジェットだ。
「これ報酬いくらだっけ?」
「うーん、魔石込みで五万ぐらいだと思うよ」
「安いなぁ」
「いや、先週が桁違いだっただけだって」
先週、ギルドに舞い込んだ高額依頼の数々。
どれも迷宮産の魔物の部位ばかり――影狼の尻尾、砕熊の嘴、あとは炎狐の肝とか。
薬の素材になるやつばっかりだったから、きっとどこかの貴族様が重病だったんだろう。
そんな高額依頼金チャンスは一昨日からぴたりと止まった。…たぶん、治ったんだろうな。
ちょっと、いやものすごく惜しい。でも、良かったのかもしれない。
「治ってるといいな」
「依頼も終わったし、治っていると思うよ。ま、治ってなかったら、もう一稼ぎできるけどな」
「…それは確かにそう」
軽く笑うジェットと顔を見合わせて笑っていると、背後から声がした。
「何イチャイチャしてんの?」
「「してねーよっ!」」
振り返れば、シリウスが静かに歩み寄ってきていた。
「俺も手伝おうか?」
彫りの深い顔立ちに、美しい曲線を描く鼻骨。大きな藍色の瞳に、掻き上げた黒髪。そして褐色の肌。
今は教師らしい、青と白を基調とした薄手のローブに眼鏡をかけている。
―――嫉妬という概念が消え失せる程の造形美だ。
昨日なんて、シリウスを見たおばさんが両膝を着いて拝み始めたぐらいだ。
それほどのイケメン。概念そのもの。それがシリウスという存在。
そんな彼もまた、幼馴染の一人。
普段は塔具の指輪で顔を変えているが、これにも限界がある。
高齢者には何故か効きが甘い。
だから、街中でおじいさんやおばあさんの群れが倒れていたら、それはシリウスが近くにいる証拠だ。
「いや、いいよ。俺達の服、もう汚れてるしそこで見てなよ」
洗う服が少なければ少ないほど楽だからな。
「ジェット、猿を仰向けにしてくれない?」
「…フンッ!」
言うや否やジェットは持ち前の怪力で一息で瘴猿の体勢を反転させた。
「フー、依頼は鼠径部の皮だったよな」
「えーっと、そうだね、ピンク色の所だけだね」
依頼書を取り出すと、確かに鼠径部の皮とだけ記載されていた。
「うへぇー、こんなの何に使うんだよ」
端正な顔立ちを歪めるシリウスにジェットが返す。
「財布とか?女性へのプレゼントで」
「ありそう」
「股間財布送られて喜ぶか?」
俺がそう言うと、ジェットは肩をすくめて答えた。
「わかんないぞ、恋は盲目って言うだろ?」
「一目惚れしたとかね」
ボソッと呟くシリウスに俺は鼻を鳴らす。
「バカだな、一目惚れなんてあるわけないだろ」
言い切った俺に、二人が笑い声を漏らした。
「ソウスケほんと嫌いだな、一目惚れ」
「中身重視だからな。シリウス見てりゃわかるだろ?片方だけ舞い上がっても意味ないのよ」
「じゃあ今後ソウスケが誰かに一目惚れしたらどうするのさ?」
「しねーよっ!」
―――と一蹴したあと、俺は胸を張って言ってやる。
「俺は時間と共に愛を育む紳士、ソウスケ君だぞっ!」
「じゃあ…二人とも一目惚れし合う、両一目惚れならどうよ」
「…ありだな」
三人でケタケタ笑い合っていると、後ろから大声が飛んできた。
「そこでコソコソ話さないでよ!聞こえないじゃん!」
「ニコもこっちにくればいいだろ?」
「嫌だよ!怖いもん!」
ジェットと話していると、精霊魔術を打ったニコが遠くの木陰から叫んでいた。
その迫真さに思わず鼻が鳴る。
ニコもまた俺達の幼馴染。
小柄な体躯を覆い隠す、刺繍入りのカーキのローブ。
くりっとした黒の瞳に、同色のウルフカット。
昨日は露店のおじさんに女の子と間違えられたのを、今日も根に持っていた。
「タイミングバッチリだったよ!剥ぎ取りするから、その間に精霊様に感謝しといてよ!」
「うんっ!わかった!」
目を細め、嬉しそうにニコが答えた。
かわいい奴め。
その後、股間皮と魔石を剥ぎ取った俺たちは帰路に着いた。
森林を出ると、陽はまだ高く、空は青さを残していた。
「あれ、まだ昼じゃん」と、ニコがぽつりとつぶやいた。
「今日はシリウスがいたからなー」
俺が返すとジェットが続ける。
「やっぱ魔物を止められるの、強いよな」
「どうもどうも」軽く謙遜しつつもシリウスの口角は僅かに釣っていた。
「じゃあ午後からは自由?」
クリっと目を輝かせるニコに俺は肯定する。
「その予定だね。シリウス明日は教師?」
「いや明日は確かオフだね、うん。」
「執事同行枠は狙えそう?」
ニコの質問にシリウスはお得意の一目惚れスマイルで返す。
「もちろん。俺を誰だと思ってるんだよ」
俺たち四人の当面の目標は、王都の魔術学園『アストラ・アカデミア』への入学だ。
完璧美男子シリウスは今、公爵家の令嬢に家庭教師として雇われている。
アストラ・アカデミアには、貴族の子弟一人につき一人まで執事を連れていける『執事同行枠』がある。
シリウスはそこで令嬢の執事として学園に入学する予定。
俺、ニコ、ジェットは正面から入試を受ける予定で、その学費を稼ぐために今日も森に潜っている。
「じゃあ明日も一緒に行こうよ」
諭すニコにシリウスは苦笑を浮かべた。
「明日は図書館の予定なんだよね」
「そうなの?」
「最近知ったんだけどアストラ・アカデミアには『特別推薦枠』ってのがあるみたいなんだ」
「何それ?」
「何でも貴族なら誰でも平民を学園に推薦入学させる制度があるらしくてね」
「…それは執事を一人連れていける制度とは別って事か?」
鞘ごと短刀をくるりと宙に放り、落ちてくるのを片手でひょいと受け止めながら、ジェットが問いかける。
「そうなんだよ、それとは別にもう一つあるみたいなんだ。でも入学試験は受けないといけないみたいだから使用したケースはまだないってさ」
執事同行枠だと執事の能力は問われないため、筆記と実技試験が免除されるが、こっちは必要なのか。
「へぇー」
ニコが相槌を打つ。
「それは入学期間じゃなくてもか?」
「ああ、通年いつでも編入できるとのことだ。だからひとまず俺もこれから調べるけど、皆も貴族様と仲良くなってあわよくばって事を頭の片隅に入れといてね」
ジェットの剣回しに見惚れながら俺は頭に浮かんだ感想をそのまま口にした。
「貴族の友達かぁ、難易度高いなー」
するとジェットが俺を見やってボソリと呟いた。
「……俺は一人いるけどな」
「そういえば俺もいるなぁ」
「確かに。僕にもいる」
ほくそ笑みながらシリウスとニコが続ける。
「ざけんなっ!」
食い気味にツッコむと笑いが起きた。
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ダラダラ話しながら町へ戻り、皆とは露店街の前で別れた。
ジェットとニコは露店へ、シリウスは早速「特別推薦枠」を調べるため貴族夫人のもとへ向かった。
ギルドで依頼を受けたり、報酬を貰いに行く役割はいつの間にか俺の役割になっている。
二人は人ごみとギルド特有の熱気が嫌いらしい。
うん。俺もだけどなっ!
とはいえ、幸運なことに今はまだ昼過ぎ。
ギルドに入ると受付までの列には数人の冒険者しか並んでいなかった。
普段は入口まで伸びていることを思うと、悪くない。
四番目に並んでいると、突然後ろから肩を叩かれた。
ボーっとしていたのもあって、体がビクッと跳ねた。
「ずいぶん若いな。いくつだ?」
振り返ると、三十代半ばの巨体が立っていた。
「え?…十七ですけど」
「十七?もしかして、グランデ森林に入ってるあのイカレタ連中か?」
何かを察したのか訝しげに見下ろす大男。
俺は、少しだけ気まずく笑って肯定した。
「はぁ……まぁ多分?」
イカレタ連中って呼ばれてるのか、俺達。
でも、そうだよな。普通は、こんな歳で森林に潜る方がおかしいしな。
…何か嬉しいのと嫌なのが半々。
「そうか。お前らがそうなのか、すごいな」
「いや、偶々が続いているだけですよ」
「ま、浅層の魔物しか狩ってない臆病者の言葉なんて聞く耳持たないかも知らないが」
「?」
「誰しも命は一つしかないからな」
腕に刻まれた無数の古傷。
きっとこの人も、昔はグランデ森林に通っていたのだろう。
おっちゃんの言葉には凄みが含まれていた。
「…心に留めておきます」
「ありがとうな」
彼はフッと口角を上げて呟いた。
そんな奇妙な会合も、列が進んで自然と終わった。
思えば、他所の冒険者と話したのなんて初めてだったな。
出だしキョドったの、バレてないよな……
やらかした…背中がむず痒い、でももう振り返れない!
あー死にたい。
五分ほど顔を引きつらせたまま棒立ちしていると、ようやく順番が来た。
俺は急く気持ちをままに受付のお兄さんへ依頼品と共に報酬を受け取った。
お金を腰袋にしまい、ギルドの扉に手をかけた瞬間―――バンッ!と勢いよく反対から扉が押し開けられた。
「誰かっ!ここにヒーラーはいないかっ!」
まるで叫びにも似た、張り裂けそうな声がギルド内に響き渡る。
目を向けると、この場に不釣り合いな、やけに整った顔立ちの青年が立っていた。
整った髪型、金の刺繍が施されたコート、それに土埃とは無縁の光沢を放つ革靴。
どこからどう見ても、上流階級の人間――貴族だった。
「頼むっ!妹が倒れたんだ!診てくれるヒーラーはいないかっ!」
必死に呼びかける声は、冷静さの欠片もなかった。
声は震え、喉が擦れ、それでも藍色の瞳は輝いていた。
―――この時の俺は、まだ何も知らなかった。この叫びに足をとめたことが、俺の運命を大きく変えることになるなんて。
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