第十三話「悩み」
魔導車が地平線に沈み、ふぅと息を吐いて振り返ろうとしたときーー背後から俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「ソースケ!」
振り返るとニコが俺の所へ小走りで向かってきていた。
「え?二人とも、もう行っちゃたよ?」
軽く肩で息をするニコが俺の足元を見る。
「そうじゃなくて。ちょっとソウスケには話さないとって思って」
「何かあったの?」
首を傾げるとニコがポツポツと語り始めた。
「昨日の夜さ、僕ピッチャー取りに行ったらね、外で素振りしてるカリナを見かけてさ。裏庭でちょっとお喋りしてたんだよ」
「あっ、そこで仲良くなったのか」
なるほど、合点がいった。…嫉妬はするけどなっ!
「そうそう。そうなんだけどね。そこでカリナに聞いたんだよ、決闘、勝ったらどうしたいの?って」
「…うん」
「そしたら、自分でもどうしたいのかが分からないって言われてさ。
…でさ、このまま始めちゃっても多分辛いだろうからさ。
ちょっと話聞いてあげてくれない?」
「俺が?…お前でいいじゃん」
ニコの言葉を聞きながら、ニコ以外の適任者がいるとは思えない。
ましてや俺よりもシリウスの方が得意だろう。もういないけど。
何て考えはあっけらかんと口を開くニコによって打ち消された。
「いやぁ、それがね。僕もうソウスケに任せたら何とかなるって言っちゃったんだよ」
「…は?何それ。聞いてないぞ」
二ヒヒと笑いながらごめんごめんと繰り返すニコに怒りより呆れが先に来る。
もう慣れたものだ。
ただそれならさっき受けていた視線攻撃の説明がつく。
…揺れているということは、王子との婚約が嫌という事なのだろうか。
ふいに胸の奥がじんわりと熱を帯びてきた。
可能性に縋りたい自分。捨てきれない自分。
違う。
そういうんじゃない。
それに仮にそうだとしても、別に貴族で好きな人がいるとかだろう。
そう言うことにしておこう。
断じて俺じゃない。
深呼吸を幾度か繰り返し、火照った体を戒める。
そうだ。…揺れたままじゃ、カリナさんは絶対に前に進めない。
なら、話すしかない。俺が。私情を捨てて。
両手で頬を一度叩いて覚悟を決める。
「…分かったよ。じゃあ、今から話してくるか」
「うん。ありがとう、あーよかった。正直昨日あんまり寝れなくてさ」
今更目をこすりだすニコに俺は鼻で笑ってしまう。
「あんな食ってたのに?朝飯」
「それとこれは別だよー。いやーでもよかったー」
「まだ何にも解決できてないぞ?」
「ソウスケならなんとか出来るよ。僕には難しいんだよ」
そう言いながらニコはほっぺをぷくっと膨らませた。
肩の荷を全部俺に乗せ終えたからか、先ほどまでのぎこちなさは消え失せ、普段通りのニコに戻っていた。
その姿に少しシンミリしていた気分が晴れた。
屋敷まで歩いていると、ニコは何故か扉の前で方向転換をした。
「おいちょっと待てよ。どこ行こうとしてんの?」
キョトンと振り返るニコ。
まるで全てを忘れ去ったかのような純朴な顔に俺も思わず首を傾げる。
「え?どこって?裏庭じゃないの?」
「カリナさん、もう移動したの?」
「ん?まだ部屋で着替えてると思うよ?」
「…じゃあ行くぞ?」
「どこに?」
何を言ってるんだろうか、この子は。
「カリナさんの部屋だろ?」
「えっ!?僕も行くの?」
「あったりまえだろ!逆に俺が一人で行くのか!?」
「…違うの?」
「違うに決まってんだろ!緊張で口回んねーよっ!」
結局何ターンか会話を続けたすえ、ニコは俺に手を引っ張られる形でカリナさんの部屋の前まで辿り着いた。
こいつは人に事をなすりつけた途端に全てを忘れる節があるからな。
たまには手伝ってもらわないと困る。
ーーーー
腕にはまだ兄上の残した熱が僅かに残っている。
けれど、そよ風程度で軽く飛んでいってしまいそうで、思わず自分を抱きしめた。
温もりが逃げないようにーーそう願ったのに、その熱はゆっくりと薄れていった。
思い直してクローゼットから服を取り出して、着替える。
朝食後は軽く体を動かしてから特訓に入ると、ニコから聞いた。
姿見の前に立ち、自分を見る。
この身体は、見られるために整えてきた。崩れないように、隙を作らないように。
「男好みだ」などと、すれ違いざまに囁かれたこともある。
そのたびに、胸の奥が冷えた。吐き気さえした。
…なのに。
彼に私はどう映っているのだろうか。
そんなことを気にしては何故か胸が熱くなる。
一昨日からずっと、うまく落ち着かない。
呼吸の仕方を忘れたみたいに、ふいに鼓動だけが早くなる。
今朝なんてまさにそうだ。
用もないのに、彼の顔を追ってしまって。
兄上にしか、気づかれていないのが救いだ。
昨夜、眠りに落ちるまで頭の中に浮かんでいたのもーー彼のことだった。
声。指先。あの目。
呪いが解けて、ようやく息が出来るようになったその瞬間の、確かな感触。
兄上やお父様に向ける感情に近しいけれど、遠い何か。
きっとこれはーー勘違いだ。
助けられた反動で、心が勝手に縋っているだけ。
そう言い聞かせれば、少しだけ楽になれるのに。
それでも、胸の熱さは消えない。
これを”恋”と呼んでしまうのが、怖い。
名を与えた途端、戻れなくなってしまいそうで。
私は、貴族。公爵家の長女。
そしてこの身は、すでに“縛られている”。
だから昨日、寝る前に考えていたのは、ありえない仮定の話。
もし、私が自由だったら。
もし、私がただの一人の少女だったら。
もし――それでも、彼が私を見てくれるのなら。
私は……何がしたいのだろう。
コン、コンーー
「カリナさん、今大丈夫ですか?」
胸の火がまた灯った。
ーーーー
扉を数回トントンと叩くと、カリナさんが現れた。
彼女は俺とニコの姿を確認すると、「どうぞ」と中に入れてくれた。
その姿に俺は三度、目を奪われる。
カリナさんはこれまでのドレス姿とは異なり、袖口にストライプの入った群青のウインドブレーカーに淡いグレーのスウェットに白の靴下と履いていた。これが彼女の運動着なのだろう。
さっきとは印象がガラッと変わって、かわいい。
髪の毛も上でキュッと結んでて、かわいい。
うん。今までは圧倒的に綺麗寄りだったけど、これはドップリ可愛い寄りだ。
眩しすぎて目が潰れそう。
目のストックでもしておきたい気分だ。
「…ど、どうかされたんですか?」
と俺の視線を感じてか、もじもじとスウェットを触るカリナさん、かわいい。
マジ何なんだこの人。
もし売ってたら箱買いだな。
「…ねぇ。ちょっと何してんの?」
「ん?あ、俺?あっ、すまん」
ニコからのジト目に目を覚ました俺は咳ばらいを一つ。
紳士、紳士。金言、金言。
「コホンっ。いや、ごめんなさいカリナさん、大丈夫でしたか?」
「いえいえ!気にしないでください」
穏やかに吹く風がフローラルな香りを鼻腔に届ける。
スーッと深呼吸をするだけで、緊張してしまう。
「…ありがとうございます」
軽く頭を下げて俺は続けた。
「さっきは聞けなかったんですけど体はどんな感じですか?魔線が痛いとか、筋肉痛とかはどうですか?」
「バッチリです。…実は昨夜少し魔力を流してみたんですけど、痛みもなく流せました」
「あ、そうなんですね。良かったです。じゃあ念のため、ちょっと魔力の流れ見させてもらってもいいですか?」
「はい。もちろんです、どうぞ」
俺とニコは椅子に、カリナさんはベッドに腰を下ろし俺は再び目を閉じた。
「《識律彩眼》」
この固有魔術は生物の魔力線を映し出す物で、魔力の色と流れを視ることで相手の行動を正確に予測することにも役立つ優れモノ。
一変した世界の中。
カリナさんの体は淡い藍色に発光している。
昨日まであった黒い靄のようなものはなく、魔臓から体の隅々まで魔力が循環していた。
ホッと一息ついて俺は固有魔術を解いた。
「うん。問題ないですね。完璧に治ってますよ。これなら今日から魔力を練る練習を始められますね」
「よかったね、カリナ!」
「はい。…ありがとうございます」
そう呟いた彼女だったが、やっぱりニコが言うように影が見えた。
幸薄い笑みを浮かべる彼女にかける言葉を逡巡しながら俺はゆっくりと口を開いた。
「……カリナさん。勝った“その先”のこと、決めきれてないですか」
バッと顔を上げるカリナさんの顔にはありありと困惑が描かれていた。
「ごめん。昨日のこと、ソウスケに話しちゃった」
「……いいえ。大丈夫です。むしろ、ありがとうございます」
俺は小さく息を吸って、言葉を選ぶ。
「責めたいわけじゃないです。ただ――勝てるようになった今、今度は“勝った後”を選べる。そこが、怖いんじゃないですか」
カリナさんの指先が、シーツをきゅっと掴んだ。
「………」
「僕の勝手な推察ですけど、カリナさんは選択を迫られて家族に迷惑がかかるのが…怖いんですか」
「………」
言葉こそなかったものの、項垂れるカリナさんは僅かに肯定の意を示した。
カリナさんは勝てば継続か破棄かを選ばないといけない。
その二択で破棄を選びたいけど、そのせいで家族に災難が降り注ぐかもしれない。
継続を選べば、何も変わらないけど…ってことか。
しばらく、部屋の音が消えた。
ニコの不安そうな視線と、カリナの膝元――淡いグレーのスウェットに、涙が染みを作っていくのを見て、俺は腹を括る。
「……俺たちの師匠が言ってたんですけど」
俺はゆっくり言葉を選ぶ。
「人って、どの道を選んでも、多分どこかで後悔する。でも――自分で選んだ後悔と、流されて残る後悔は、全然違うって」
カリナは俯いたままだ。拳がほどけない。
「カリナさんの悩みがどれだけ重いか、俺には全部わからないです。わかった顔はできない」
それでも、目だけは逸らさずに続けた。
「でも一つだけ。俺たちは、カリナさんが選んだほうに付く。必ず。勝って破棄でも、勝って継続でも。何が起きても、味方です」
赤く腫れた瞳が、ほんの少しだけこちらを向いた。
俺は、少しだけ笑ってみせる。
「それに――最悪、逃げればいい」
「え……?」
「逃げるって決めろって意味じゃないです。逃げ道が“ある”って知ってるだけで、気が楽になりませんか?」
そこでニコが、ぱっと顔を上げた。
「そうそう! もしほんとにそうなったらさ、旅しようよ! 温泉卵が名物の国とかあるんだって。あと、でっかい木の上で暮らしてる人たちとか!」
「ニコ……」
「二セルツね。鎮火した火山の中で暮らしているボーロもいいよな」
「うんうん。だってさ、カリナさん。世界って、思ってるより広いよ」
カリナの口元が、かすかに揺れた。笑いか泣きか、まだ判別できないくらいの、小さな揺れ。
でも、その一瞬だけ、さっきまでの固さがほどけた気がした。
「…ありがとうございます。」
彼女の緩んだ拳を確認してから、俺は立ち上がった。
「じゃあ、僕ら裏庭で遊んでいるんで、もし整理が着いたら来てください。」
ドアノブに手をかけて俺はカリナさんを見つめるニコに視線を向ける。
「ほら、ニコ。行くぞ」
「うん。じゃあカリナまた後でね」
ひらひらと手を振るニコを外に追いやり、扉を閉める。
廊下に出て、床に映る窓からの陽光をぼんやり見つめる。
さっきの言葉が、本当に力になれたのかどうかは分からない。
それでもーーなれたらいいなと思いたい。
「さすが、ソウスケだね」
「…ほんと?うまく言えた気がしないんだけど」
自嘲気味にそう呟くとニコは真っすぐ俺を見据えて言った。
「よかったと思うよ」
「そっか」




