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第十一話「本音」



 宿から荷物を引き上げた俺たちは、そのままフロイライン家の屋敷に戻った。

 その晩、立派な食卓に並ぶ料理を前に、ニコが目を輝かせ、俺とジェットが皿を積み上げ、シリウスが呆れ顔でため息をついた。


 ルークさんとも言葉を交わし、笑い合いながら夜は静かに更けていった。

 やがて客室に案内され、それぞれの部屋に分かれた頃には、疲れもあってすぐに眠りに落ちた――。

 ……ただ一人を除いて。


 パチリ、のどの渇きを覚えてニコは目を開けた。

 部屋の片隅のピッチャーは空っぽだ。

「ちょっとだけ水 もらお……」と小声で呟きながら、寝息を立てるジェットを起こさぬよう布団を抜け出した。


 扉をそっと開けた瞬間――

 つま先が床の敷物に引っかかって、派手に転んだ。


「うわっ、とととっ!いったぁ……うっ!」


 大きな音を立てまいと、慌てて両手で口を押さえる。

 耳をすませると、部屋の奥ではジェットのイビキがまだ続いていた。


「セーフ……」


 ホッと息をついて立ち上がろうとしたその時ーーどこかから微かに流れる魔力の気配がした。


 途端に感じていた喉の渇きを忘れ、ニコは魔力の方へ吸い寄せられるように近づいていった。


 玄関を出て、夜気の中をゆっくり歩く。

 夜風が頬を撫で、わずかな明かりを頼りに壁沿いを進んだ。

 角まで来て、ひょっこりと顔を出す。


 きらめく湖の前。

 壁の影からそっと顔を出したニコの視線の先――別荘と湖のあいだの、草ひとつない土の上に淡い月光が広がっていた。

 

 その真ん中に――カリナがいた。

 木剣を構え、ゆっくりと風を切る。

 その動きに合わせて、淡い光が彼女の周りに漂っていた。


 ニコはこらえきれず息がこぼれる。


「……綺麗」


 目を瞬かせたあと、彼は大きく口を開いた。


「カリナさん!!」

「ニコさんっ!?」

 

 カリナが驚いて振り返る。

 ニコは勢いよく駆け寄ると、そのままぴょんと両手を広げて言った。


「カリナさん、よかったねっ! 魔力、戻ったじゃん!」


 まっすぐな笑顔。

 転んだ痛みも、のどの渇きも、全部忘れて。

 カリナは少し呆気に取られたように瞬きをしたあと、唇を強張らせて呟いた。


「……はいっ。つい、確かめたくなって」


「ほんと、よかった!うんうん。ちゃんと魔脈も回復してるね」


 あどけない笑みを浮かべるニコに、カリナは胸がきゅっと縮むのを感じた。

 喜びの言葉を受け止められない自分に嫌気がさして、視線を伏せる。


「…ありがとうございます。皆さんのおかげです」


「どーいたしまして!」


「……」


「…どうしたの?」


「いえ…何でもないです」


 風が二人のあいだを抜けていく。

 カリナは視線を落とし、言葉の続きを飲み込んだ。

 ニコは少しだけ眉を寄せて、それ以上は聞かずに笑みを作った。


「そっか。素振り、すっごい綺麗だったよ」 


「…これしかやってこなかったですから」


「僕、剣術ダメダメなんだよね。ジェットに教わっても怒られてばっかでさ」


「そうなんですか?」


「だって、怖いじゃん。構えると体が勝手に引いちゃってさ。この前なんて「次やったら叩ききるぞっ!」ってジェットに怒鳴られてさ」


 カリナが思わず口元を押さえ、クスクスと笑う。

 その声色にニコはホッと胸を撫でおろした。


「ニコさんは精霊術を扱われるんですよね?」


「ニコでいいよ?」


「え?」


「皆そう呼んでるし、カリナさんも僕のことをニコって呼んでよ」


「…分かりました…ニコ。不思議な感じですね」


「え、この国の貴族って名前そのまま呼ばないの?」


「いえ…そういうわけではないんですけど…」


「じゃあ…」


 両手を広げ、ドンと胸を打つニコにカリナの笑みが零れる。


「わかりました、ニコ」


「うん!じゃあ僕もカリナって呼ぶね。」


「ふふっ。お願いします」


「あ、精霊術だよね?」


「はい。精霊術はエルフの方たちにしか扱えないと聞いてたんですけど」


「そうみたいだよね。ソウスケも変だって言ってたけど、僕は昔から精霊さんと話せてさ。魔力を貸してくれるんだよ」


「ではお昼に見せてくれた、オルフェリア様も?」


「うん。いつも僕のことを坊やって呼んで恥ずかしいんだけどね…」


 照れくさそうに頬を掻くニコにカリナは続けた。


「たしか、オル姉さんと呼んでましたよね」


「あぁーもうやめてよー!恥ずかしいんだからさ!」


「ふふっごめんなさい」


「いいよ。許す」


 ニコの言葉に二人は一緒になって笑った。


 それからコロコロと会話を転がしながらふと、ニコはあることに気づいた。

 ソウスケの話題を出すと途端にカリナが挙動不審になるのだ。

 名前を出すたびにピクッと表情が動くし、その頬は夜の冷気にも負けないほど、うっすらと赤く染まっていた。

 けれど、細かいことを気にしないのがニコのいいところだ。

 彼は首を傾げたあと、すぐにいつもの笑顔に戻っていた。


「ーーでもね、僕らの中で一番すごいのはソウスケなんだよ」


「っソウスケさん…」


 まただ。カリナ、ソウスケの話になると表情が柔らかくなる。


「うん。本人は魔力量が少ないとか、全部中途半端とか言ってるけどなんでも出来るんだよ?」


「やはり…そうですよね。あれほど繊細な魔力操作、初めて見ました」


「でしょ?ソウスケさまさまだよ!ま、言ってもどーせ、いやいやまだまだだよと言うんだよきっとさ」


「謙虚な方ですね…理想のような」


「…そーいえば、僕たちあの後ルークさんに決闘の事を聞いたんだよね」


「っ…」


 その話題を出した途端にカリナの体がこわばった。

 ニコはその変化に気づきながらも、声の調子を崩さずに続ける。


「それでさ、カリナは決闘に勝ったらあの指輪を送った人と婚約を続けるか選べるんだよね」


「…そうですね」


「カリナはどうしたいの?」


 ニコのまっすぐな眼差しに、カリナの胸の奥で張りつめていた糸が柔らかく緩む。

 茶化すような軽さはそこになく、ただ自分を案じてくれる温かさだけがあった。

 冷たい夜風が二人の間をすり抜けても、目は離れなかった。


「…先ほど目が覚めて。体の中を駆け巡る魔力を実感した時、居ても立っても居られなくて…私、ここに来たんです」


 ポツリと語り始めたカリナにニコは耳を寄せる。


「素振りをしてたら涙が止まらなくなって……私、久しぶりに泣いたんです。

 …皆さんに出会うまでは正直、負けてもいいかなって少しだけ思ってしまっていて」


「……」


「でも、皆さんとお話していると勝てる未来が見えて…想像してしまったんです。でもそしたらどっちを選ぶべきなのか…公爵家の娘として…でも、私は…」


「……」


「…破棄するのが正しい、と…分かっています」


 言葉が、喉で引っかかるように続く。


「でも私が選ぶと、また家族に迷惑を……って考えてしまって。…勝てると思うほど、余計に…」


「…そっか」


「……ごめんなさい。こんな話しちゃって」


「全然だよ!…僕にも答えは分からないんだけどね」


 タハハ、と顔を僅かに伏せてニコは笑った。


「…そう…ですよね」


「でも…ソウスケなら何とかしてくれよ」


「…?」


「いつだって、僕たちが困った時はソウスケが何とかしてくれたんだよ。だからカリナの思いもソウスケなら何とかしてくれるよ。絶対」


 確証なんてひとつもないのに、ニコは迷いなく言い切った。

 それでも――その揺るぎない信じ方が、胸の奥をそっと震わせる。

 カリナは気づけば、小さく頷いていた。


「信頼…されているんですね」


「もちろん!親友だからね!」


「……」


「だからソウスケに任せれば絶対になんとかしてくれるよ。なんたって僕たちあの「塔」を踏破してるんだよ?」


 胸を張ってニコは続ける。


「それにさ、学園ってさ、文化祭とかあるんでしょ?お祭り。そこにさ、カリナとも一緒に行きたいんだよね、自由なカリナと。なーんてね」


「ふふっ、確かに。確かにそうですね。ニコ達と行けば楽しそうですね」


 こらえたはずの目尻を拭くカリナにニコは最大の笑みで返した。


 湖の方から、ひとしきり強い風が吹き抜けた。

 カリナの髪が揺れ、夜気の冷たさに二人は同時に肩をすくめる。


「あぁーさむっ!そろそろ帰ろうよ」


「はい。でもその前に、ニコ。今日はありがとうございました」


「?うん、任せてよ!なんたって僕はニコだからね!」


 深く頭を下げるカリナを一瞬不思議そうにニコは見つめたが、ハッと気づくや否や胸を張り再び叩いた。


「それ…だとニコのままじゃないですか?」


「あっ、そっか…なんてったって僕はニコ様だぞ!こうだね!」


 カリナと別れ、ベッドに潜り込んだニコは胸に僅かなしこりを感じた。


 相談に乗るのって大変なんだなぁー。

 でも、カリナ笑ってくれたし…良かったのかも。

 明日ソウスケに相談しよ。


 そう思いながら、ニコは静かに目を閉じた。



 その後、再び喉の渇きを思い出し、ニコはピッチャーを取りに向かうのであった。


最後までお読みいただきありがとうございます!今日から毎日更新していきます。


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