第九話「バッチリ」
シリウスは息を詰め、机の向こうで契約具に自らの条件を刻みつけるルークを見つめていた。
机の上には、銀色の板――誓紋の灼印を生み出す媒体が揺らめきながら光る。
窓の外では陽光が差し込み、昼下がりの風がカーテンを揺らしている。
その穏やかな揺らめきが止まったかのように、空気が張り詰めた。
バッ!と肌が粟立つ。
斜め上から押し寄せる膨大な魔力の本流に、室内が僅かに軋みを上げた。
「……っ!」
ルークが条件反射のように身を起こした。
「なっ、なんだい…この魔力は」
シリウスが視線をあげ、静かに目を細めた。
「ニコの力ですね」
「あの子が?この魔力を?」
ルークは額に手をあて、僅かに目を伏せた。
思い出すのは女の子のような可愛いらしい体と華奢な体躯。
言葉を探すように唇が動くが、声にはならなかった。
「ええ。オルフェリアを召喚したのでしょう」
「……オルフェリアっていうのは、あの?」
「そうですね。ニコは特別な体質なんです」
シリウスが静かに口角を上げる。
その余裕ある笑みに、ルークはほんの一瞬、息を忘れた。
「…まったく、昨日から驚きの連続で反応に困ってきたよ。君たち二人にニコ君にソウスケ君に」
タハハと呆れと安堵をにじませてルークが笑う。
ジェットは何も言わず、ただ腕を組んだまま窓の方を見た。
揺れる木の葉を見つめる顔には、わずかな誇らしさが滲む。
「これだけの魔力量であれば指輪の破壊は確実ですね」
と、シリウスが発したのと同時にーー空気を震わせていた魔力の本流が静かに途切れた。
重くのしかかっていた圧が消え、部屋に静寂が戻る。
「…終わったみたいだね」
「……そうか」
先ほどまで肌を刺していた魔力の気配が、まるで幻だったかのように消え去っていた。
静けさが戻ると、ルークは小さく息を整え、再び机の上に視線を落とした。
ルークが指先に魔力を込め、光沢を帯びた面を静かになぞる。
光の線が指の動きに追随し、契約の文言が一つずつ刻まれていく。
それは魔術文字——魔道具や塔具の刻印にも使われる、精密な魔力言語だった。
「よし、確認してくれないかい?」
指を上げたルークが契約具をこちらに向けると、隣からジェットが覗き込み、シリウスが条件を口にした。
「こちらの条件は、特別推薦枠を行使し、僕たち四人を学園へ正式に転入させること。
ルークさん側は、カリナ様が次の決闘で勝利すること——それで相違ありませんね?」
「うん、ありがとう」
ルークが頷き、淡く微笑む。
二人は視線を交わし、静かに息を合わせた。
誓紋の灼印が淡い光を放ちはじめる。
ルークの掌と、刻印の中心が共鳴するように脈動し、魔力の輪が広がって二人の手元を包み込んだ。
次の瞬間——契約具がひときわ強く光り、パリン、と音を立てて砕け散った。
淡い光の粒が舞い、二人の腕に銀の腕輪が静かに嵌められていく。
「……完了しました」
シリウスが低く呟き、ルークは静かに息を吐いた。
「ありがとう、シリウス君。――あの子のために、ここまでしてくれる人がいる。それだけで救われるよ」
シリウスは小さく首を振り、
「感謝なら、全部ソウスケに言ってください。俺たちは、それに乗っかっただけです」
と、柔らかく微笑んだ。
穏やかな光が残り、二人の腕輪が静かに輝いていた。
淡い光が静かに消えたころ、廊下の向こうから軽い足音が近づいてきた。
「行けたか?」
廊下の入口に顔を覗かせたニコに、ジェットが短く問う。
ニコはにんまり笑って、親指を立てた。
「バッチリ!」
その瞬間、ルークがはっとして立ち上がった。
「カリナは!?」
そう言い終えるより早く、ルークは駆けだしていた。
ーー静かな寝室。
西陽がカーテン越しに淡く差し込み、部屋を黄金色に染めていた。
ベッドの上で、カリナさんが規則正しく寝息を立てる。
俺はその横顔を見つめながら、ほっと息を吐いた。
昨日診た時から壊せる確証があったものの成功してよかった。
治癒をかけながら長くカールを描く彼女の美しいまつ毛に見入る。
「これでカリナ様は魔力が扱えるようになられたのですか?」
優しく眠るカリナさんに布団をかけながらマシューさんが俺に尋ねる。
その声は僅かに震えていたが、無視することにした。
「はい。念のため魔力線を確認したんですけど、問題なく放出出来るはずです」
マシューさんを見ると薄っすらと目尻を濡らしながら、彼は深く頭を下げた。
「ソウスケ様。この度は本当にありがとうございました!」
「いえいえ、気にしないでください。それにーー第一関門を突破しただけですよ?まだ決闘が残ってますから」
軽く口角を上げるとマシューさんは頷き、涙を拭って小さく笑った。
その笑みの余韻が、しばし部屋の空気を包んだ。
その時ーー勢いよく扉が開いた。
「カリナ!」
振り返ると息を切らせたルークさんが立っていた。
視線が真っ先にベッドの上のカリナさんを捉える。
ルークさんもみなぎる彼女の魔力を感じたのだろう。
その顔がみるみる柔らかく緩んでいくのを、俺はジッと見ていた。
二年間、ずっと止まっていた時間が、ようやく動き出したような。
そんなひどく脆くて、温かい沈黙だった
「カリナさんは今一時的に放出した魔力のせいで気を失っている状態です。数時間もすれば目も覚めると思います。」
「……よかった。ソウスケくん、本当にありがとう」
カリナさんの柔らかな頬に指を這わせながらルークさんが呟いた。
しばらくその場に立ち尽くした後、ルークさんはカリナさんの髪を撫で、ゆっくりと立ち上がる。
「やっと…元に戻れたんだね」
その優しい声色は、長い時間をかけてようやく辿り着いた安堵そのものだった。
……いい兄妹だな。
心の中でそう呟きながら、胸の奥が僅かに熱を帯びる。
平静と、少しだけ混じった嫉妬のような感情。
それを自覚した瞬間、俺はバレないように息を吐いて誤魔化した。




