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感情の具現化

放課後の喧騒が遠ざかり、校舎に静寂が訪れる頃、僕はいつものように屋上へと足を運んだ。錆びたフェンスにもたれかかり、夕暮れの空を眺める。僕の名前はハル。この「星見ヶ丘学園」の2年生だ。


星見ヶ丘学園は、少しばかり特殊な学校だった。ここでは、ある時期になると、生徒たちの「感情」が具現化する現象が起こる。それは、強い喜びや深い悲しみ、あるいは抑えきれない怒りといった感情が、一時的に物理的な形となって現れるというものだ。具現化されたものは、数時間から数日で消滅してしまうけれど、その間は確かにそこに存在し、触れることもできる。


僕はこれまで、一度も感情を具現化したことがなかった。周りの生徒たちが、小さな花を咲かせたり、ふわふわした雲を生み出したりするのを見ては、どこか他人事のように感じていた。感情の起伏が少ないわけではないけれど、きっと僕の感情は、具現化するほど「強く」ないのだろうと、漠然と思っていたのだ。


その日も、特に変わったことはなかった。ただ、明日に控えた期末テストへの漠然とした不安と、早く夏休みが来てほしいという微かな期待が、僕の心の中で揺れていた。


その時だった。ポケットに入れていたスマートフォンが、突然熱を帯び始めた。慌てて取り出すと、画面がぼんやりと光り、やがてそこから、手のひらサイズの小さな「星」が浮かび上がった。キラキラと瞬く、まるで夜空を閉じ込めたかのような美しい星。それが、僕の初めての具現化だった。


「…星?」


僕は呆然と呟いた。不安と期待、そのどちらがこの星を生み出したのか、僕には分からなかった。ただ、その星は僕の手のひらで、確かに温かく輝いていた。


翌日、僕の具現化の噂は瞬く間に広まった。なぜなら、具現化されたものは大抵、その感情を象徴するような形を取るからだ。怒りなら炎、悲しみなら雨粒、喜びなら花。しかし、「星」というのは前例がなかった。


放課後、僕は見慣れない生徒に呼び止められた。彼女はミコトと名乗り、僕と同じ2年生だという。そして、こう告げた。


「ハルくん。あなたの具現化は、少し特殊なものかもしれないわ。私たち、『感情管理委員会』に来てくれないかしら?」


感情管理委員会。それは、具現化された感情が引き起こすトラブルを未然に防ぎ、生徒たちの感情を「管理」するために存在する、という噂の謎の組織だった。僕は半信半疑ながらも、ミコトに連れられて、旧校舎の奥にある薄暗い部屋へと足を踏み入れた。


部屋の中には、ミコトを含め数人の生徒がいた。彼らは皆、どこか冷静で、感情を表に出さないようにしているように見えた。委員長だというアキラ先輩は、鋭い眼差しで僕の具現化した星を見つめ、言った。


「その星は、ただの具現化じゃない。これは、『未来の可能性』を具現化したものだ」


未来の可能性?僕には全く意味が分からなかった。アキラ先輩は続けた。「この学園では、稀に、特定の強い感情が未来の出来事を予兆する形で具現化することがある。あなたの星は、まさにそれだ」


僕は自分の手の中の星を見つめた。この小さな輝きが、僕の、あるいは誰かの未来を示しているというのだろうか?


感情管理委員会での日々が始まった。僕は彼らと共に、具現化された感情の調査や、時には暴走した感情の鎮静化に協力することになった。彼らは皆、過去に何らかの形で「特殊な具現化」を経験し、その力をコントロールするためにこの委員会にいるのだという。


ミコトは、普段はクールで感情を表に出さないけれど、時折見せる優しい笑顔が印象的だった。彼女の具現化は、触れると心を落ち着かせる「静寂の霧」だった。アキラ先輩は、常に冷静沈着で、彼の具現化は、あらゆるものを切り裂く「思考の刃」だった。


僕の星は、僕が未来について深く考えたり、選択を迫られたりするたびに、その輝きを増したり、色を変えたりした。ある日、星が強く青く輝いた時、僕は期末テストで予想外の高得点を取ることができた。また別の時には、星が赤く脈打った後、僕は友人のトラブルを未然に防ぐことができた。


しかし、委員会での活動を通して、僕はある疑問を抱くようになった。感情を「管理」することの本当の意味とは何だろう?感情は、時に人を傷つけ、トラブルを引き起こすこともある。けれど、同時に、人を動かし、新しいものを生み出す原動力にもなるはずだ。


ある日、学園全体を巻き込むような大規模な具現化現象が発生した。それは、卒業を控えた3年生たちの、進路への不安と、未来への希望が入り混じった、巨大な「迷いの森」だった。森は校舎を覆い尽くし、生徒たちはその中で道に迷い、混乱していた。


感情管理委員会は、この事態を鎮静化するために奔走した。しかし、アキラ先輩の「思考の刃」も、ミコトの「静寂の霧」も、この巨大な感情の具現化には歯が立たなかった。


その時、僕の星が、これまでになく強く輝き始めた。七色に変化する光は、迷いの森の暗闇を照らし、生徒たちが進むべき道を指し示しているようだった。僕は無我夢中で、星の導くままに森の中を進んだ。そして、森の中心で、僕は一つの光る扉を見つけた。


それは、未来への「選択」の扉だった。


僕は扉に手を触れた。その瞬間、星は僕の手から離れ、扉の中に吸い込まれていった。そして、迷いの森はゆっくりと消滅し、学園には再び、いつもの穏やかな光が戻った。


事件が解決した後、僕は感情管理委員会を辞めた。僕の星は消えてしまったけれど、僕はもう、感情を管理することだけが全てではないと知っていた。感情は、時に予測不能なものだけど、それこそが僕たちを前に進ませる力なのだと。


それから、僕は以前よりも少しだけ、自分の感情に正直に生きるようになった。そして、未来に何が起こるか分からなくても、自分の手で選択し、切り開いていくことの大切さを知った。


星見ヶ丘学園の日常は続く。今日もどこかで、誰かの感情が具現化しているかもしれない。それは、小さな花かもしれないし、きらめく光かもしれない。そして、もしかしたら、僕の心の中にも、まだ見ぬ新しい星が、静かに輝き始めているのかもしれない。

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