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4. そして、はじまり(イギリス艦ウォ―スパイト登場)

かって彼女たちは自らの国に生きる老若男女の魂すべてをおのが身に背負っていた

その背中にある魂は時として彼女たちの未来を縛る枷となる

だが心優しい彼女たちはすべての魂を背負い続けようとするだろう...

三人の目の前に白人の女性が一人立っていた。ウェーブがかったブロンドの髪の毛を肩の少し下まで伸ばしている、目のパッチリした貴婦人だ。彼女は温和な笑みを浮かべながら金剛に話しかけた。

「金剛シスタ―、お連れした?」


挿絵(By みてみん)




金剛がそれに答える。

「おおウォ―スパイト、人間の世界から異界に移る時のショックが少しだけ心配じゃったがきちんとわしらの力で守ったから安心するが良い」



金剛にウォースパイトと呼ばれた貴婦人は微笑みながらわたしに話しかけた。

「ようこそ我らがフリートの根拠地へ。わたくしはロイヤルネイビーの戦艦HMSウォ―スパイトです」

するとこの女性が第一次・第二次世界大戦で活躍した歴戦のイギリス戦艦、グランド・オールド・レディと呼ばれたあのウォ―スパイトが人間の女性として転生した姿なのか。彼女の分身である戦艦ウォ―スパイトは先ほど港で目撃したっけ。金剛や榛名よりも豊満なバスト...では無かった15インチ砲につい視線が行ってしまう。


ウォ―スパイトは金剛に視線を向けて

「あの事はお話したの? 金剛シスター?」


金剛が答える。

「いやまだじゃ」


するとウォ―スパイトは軽くうなずいてわたしに声をかけた。

「人間の方には慣れない航海でお疲れになったでしょう。すぐ近くにラウンジがありますのでしばらくお休みになりますか? もしよろしければご案内しますわ」


異界の港にはラウンジまであるのか。 少し興味がわいた。

「じゃあ一休みさせてもらうとありがたいですね」


港のラウンジはフカフカのソファーが置いてある。止まり木みたいで落ち着かないカウンターの丸椅子、座っているうちにお尻が痛くなるようなプラスチック製の椅子などは一脚も無い。腰かけてもたれかかると疲れが取れてくるようだった。


ウォ―スパイトはわたしにメニューのリストを渡す。

「わたくしたちブリテンの食べ物が日本の方のお口にあうかどうかわからなかったので、今回はチャイニーズの飲茶で統一しましたわ。カンバーランドやベルファストのようなチャイナに長く赴任した経験のある艦がフードコーディネーターを務めましたから、お味のほうは本場に近いと思いますが」


わたしがみんなで食べられるものはどれがいいだろうと迷っているとウォ―スパイトは

「今日のシェフを務めているベルファストのおすすめのスイーツは豆花ですわ。それを中心に何種類かの点心を見繕って作らせましょう」


そしてフルーツポンチのような容器に入った豆花や杏仁豆腐が運ばれてくる。わたしの食べる分を榛名が取り皿にとって差し出してくれた。なお、ウェイターはゴーレムだという。確かに表情が人間とは違う。


黒糖シロップがかかった甘い豆花を味わう。日本の料理でいえば豆腐なのだが中華では甘味として調理するのか。日本の豆腐のように生姜や醤油をかけて食べるのとはまた違った美味しさがある。そんな事を考えているとウォ―スパイトが話しかけてきた。


「今、金剛シスターから聞きましたが、あなたさまは歴史に造詣が深いのですね。大学院では歴史学をご専攻なさったのですか?」


わたしは答える。

「あ?...ああ...歴史学の本流では無いがそれに近い分野ですね。一応博士(文学)号は持っていますよ。課程博士が量産される過渡期のドタバタの中でもらった学位だけど、歴史学や文献学の査読誌に採用された論文をベースにした博士論文なので学術的な信頼性なら最低限はあるはずですよ」


わたしは修士課程は史学科だったが教官には全く評価されなかった。博士課程は別の大学に行ったが、そこは厳密に分類すれば史学科では無い。ただ、そこで出会った恩師がわたしに目をかけてくれ、英語圏にも知られている著名な全国誌に論文を掲載されるところまで指導してくれたのだ。わたしの研究者人生の中でもっとも晴れやかな時だった。同世代のエリート研究者にとってはキャリアのスタート地点に過ぎなかったが。


ウォ―スパイトの目の色と表情が変わった。

「まあ! ドクターでいらっしゃったのですか! 」

そういえば欧米での博士号取得者への信用は日本とは異なると聞いた。でもあまり買いかぶると後で失望するんじゃないかな?


するとウォ―スパイトがちょっと考え込んだ表情で

「わたくしたちの故国グレートブリテンも今では国力が衰え覇権国だった時代は遠い昔になりました。それとともにわたくしたちが生きていた時代に対する評価も批判的...時には辛辣なものになりました。日本語圏のSNSでわたくしたちのことを「ブリカス」と罵るユーザーを見たことがあります。確かにわたくしたちのインドをはじめとする植民地や中東への政策はそのような評価を受け入れざるを得ない面もあります。あなたさまはどう思われますか?」


わたしも考え込む。これはかなり深刻な問題だ。軽々しい答えを出すわけにはいかない...

「ボクは西洋近現代史を専攻していないからかなりラフな答えになることは了承してもらいたいのですが…」


ウォースパイトは頷いて先を促す。わたしは続けようとするが、その前に話しの組み立て方を考える。イントロに何を持ってこよう。そうだ、彼女はイギリスの戦艦だから…


「東アジアまで欧米による国際秩序が及んだ19世紀半ばから第二次世界大戦直後までの約100年間、世界各地に艦隊を派遣できる能力が最も大きかった国家はイギリスでした。それがかの国を覇権国たらしめた原動力になったのは言うまでもないでしょう」


ウォースパイトの顔を見る。興味深そうな表情だ。先を続けよう。


「さて、覇権国の政府には両立させなければならない二つの責務が課されます。即ち国益の追求と世界秩序の安定です。これは表裏一体のように見えて、現実にはその両立が困難なことは現在のアメリカを見てもわかると思います」


お茶に口をつけて喉を湿らす。これから具体論に入る。


「現在では批判されているパレスチナ問題をはじめとする第一次世界大戦後のイギリスの中東政策ですが、これは好意的に言えばオスマン帝国崩壊後の中東にどのような秩序を構築するかという問題でした。より大きく見れば第一次世界大戦で台頭した日本やアメリカを組み入れた新たな世界秩序構築の模索の一環と言えるかも知れません」


お茶を飲もうとしたらカップには残っていないことに気がついた。ウォースパイトが素早くお茶を注いでくれる。


「そして地域的な視点で見ると当時の中東ではアナトリア半島や地中海沿岸部では政治意識が高い知識人階層が成長していましたが、イラクやアラビアのような内陸部は部族社会が残っていました。彼らは同じ国内でも部族抗争を繰り返していました。アレックス・ギネスが演じたハーシム家のファイサルを王とするイラク王国はイギリスによって作られた傀儡政権と言われるのですが、そのような地域に不安定ながらも一定の秩序をもたらせるのはイギリスしか無かったのかも知れません」


映画『アラビアのロレンス』を話題に出したらウォースパイトはクスッと笑った。あの映画は最近わたくしも見ましたよ。ロレンス中佐はわたくしのクルーもよく話題にしていて有名人でしたと当時を懐かしむように言った。


わたしはとりあえず話のまとめにかかる。

「つまり結果から見ればイギリスの中東政策は批判される面が多いのかも知れません。それは当時の彼らの非キリスト教圏の社会や文化に対する理解が偏っていたことが根底にあると考えています。ですが、中東に秩序を構築することはあの時点では喫緊の必要性があり、それを行える国家はイギリスしか無かった。わたしは渦中にあった同時代人の決断を批判はしても否定はしたくない。神の視点から過去の歴史を振り返るといっても人間は神では無いのです」


柄にもなく大演説を行ってしまった。ウォースパイトは深くうなずいた。

「今の時代を生きるあなたさまからそのように言って頂けると救われた思いがします」


食後のプーアル茶を飲んでいるとウォ―スパイトが真面目な表情で

「さて、改めてわたくしたちの事を説明させて頂きます。わたくしたちは第二次世界大戦中に活動していた各国・各陣営のウォーシップが人間の女性として、神話の力を持って生まれ変わった存在です。人間の世界に生きてきたあなたさまには容易に信じられないかも知れませんが、ここまでの航海で見て頂いた通りですわ」


今までに生きてきた常識からすれば理解できないことばかりだが、確かに信じるしかない。わたしの目の前で金剛と榛名は人間の作った物理の法則を越える力を示したのだ。


するとウォースパイトはとんでもないことを言い出した。


「実はわたくしは今の人間の世界に対して強い不満を持っています」


今まで温和な貴婦人だった彼女の口から剣呑な言葉が出てきて、わたしは思わずティーカップをテーブルに置く。大きな音が出て榛名が驚いたように眉を動かした。


ウォースパイトは続ける。

「二つの大戦を戦い多くの仲間の艦とクルーの死を見てきたわたくしは戦後に解体されました。大戦後のグレートブリテンは国力が衰えて財政難になったという理由で。それを受け入れるのは自分でも抵抗が大きかったのですが、これで平和が訪れるならと無理やり自分を納得させて眠りにつきました」


ウォースパイトはさらに話を続ける。声が落ち着いているのがかえって怖い。


「ところが生まれ変わって見ると世界は戦争に近づいているかのようです。ロシアやチャイナはもちろん、アメリカも最近はグリーンランドを占領すると言っています。二つの大戦の犠牲は一体何だったのでしょう。わたくしたちの力は今ご説明した通りです。いっそのこと我々が介入して人間たちを支配して見ようかしら? ちょうどいいわ。あなたさまもわたくしたちといらっしゃるのはいかが?」


ウォースパイトは左手の甲を口元にあててコロコロと笑った。


わたしはついカッとなって声を荒げた。

「それはいけない! 」


ウォースパイトが微笑んで言った

「あら? どうしてかしら?」


わたしの隣に座っていた榛名が袖を引くのを無視してわたしは言葉を続ける。

「現在は権威主義国家と呼ばれる国々も選挙で成り立っている政権が多い。選挙が無い国々の支配者も国民世論には配慮している。情報技術の発達が国民の監視とともに世論の集積をも容易にしているのです。今の世界情勢は一握りの人間の恣意によるものでは無いのです。この艦隊が介入すれば解決するものでは無い!」


するとウォ―スパイトは眉をひそめて

「さきほどあなたさまは覇権国家には国際秩序を守る責務があるとおっしゃったわね。アメリカがその責務から手を引きつつある現在、わたくしたちがそれに代わってもいいのではありませんか?」


わたしは答える。

「仮にあなた方が現在の国際情勢に介入したとしましょう。あなた方には力がある、第二次世界大戦を活躍した艦ということで名声もある、そして美しい女性だ。そのカリスマ性に魅かれた人間が多く集まり、SNSで支持する人間が爆発的に増えるかもしれない。しかしそれは現状に不満を持つが故に視野の狭くて攻撃的な意志に推されることでもあり、事態がますます混乱するばかりでしょう。あなた達がかって人間と苦楽をともにした記憶を持ち、人間の事を思うならこのまま見守って頂きたい!!」


まくし立てている内に唾液が気管部に入ってわたしは激しくせき込んだ。榛名がわたしの背中をさすり、お茶を差し出してくれた。


ウォースパイトはわたしの目を見つめて尋ねる。

「先ほどあなたさまは大学院でドクターの学位を取得したと言われましたわね。その後も論文を発表されてそれは国内外の研究者からも引用されたと金剛シスターから聞きました。客観的に見てもあなたさまは研究者としての実績がおありです。それなのにそのお年になるまでポストを得られない。ご自身を不遇な立場に置いた今の社会に不満は無いのですか?」


国際情勢から今の自分の境遇に話題が変わり先ほどの興奮は一気に冷めた。世界史や国際情勢よりも自分について話すほうが難しい。わたしはゆっくりと話しはじめた。


「...今の自分の境遇についての不満が無いといえば嘘になります。ですが大学院時代の恩師をはじめとして、学会で発表の機会を与えてくれた他大学の先生や、わたしが投稿した論文に丁寧に朱を入れて頂いた査読委員の方たち、そしてわたしの研究に理解を示してくれた両親...わたしの研究は多くの人の助けによって形にできました。こんなことを言うと矛盾するかのようですが大学や学会の評価を得られない劣等感と人の縁に恵まれて小なりといえども仕事を残せたという満足感が同居しているのが今のわたしです。今の社会に不満をぶつけたり攻撃をしようという気持ちにはならないのです」


ウォ―スパイトはわたしの目をじっと見つめている。そしてわたしが話し終えると金剛の顔を見てお互いにうなずき合った。


金剛が言う。

「ほら、わしが睨んだ通りじゃった。陽の当たらぬところで芽の出ぬ種に水をまくような事を長年続けているような男じゃ。自信なさげにオドオドしていてもいざとなると中々頑固なところがあるじゃろう」


ウォ―スパイトが応える。

「ほんとうね。あなたの言う通りだわ。金剛シスター」


ウォ―スパイトはわたしを向いて場の雰囲気を和らげようとするかのように言った

「今のは冗談よ。わたくしはそんな事は考えていないから安心してくださいな。失礼ながらあなたを試させて頂いたの。あなたさまの考えはわたくしと同じですわ。わたくしも我々が今の世界に介入しても良い結果をもたらすとは思っていません。軍事力が多くの人の意志に振り回された歴史をわたくしは二度の大戦を通じて経験しました」


そしてウォ―スパイトは遠いところを見ているかのように話した。

「ですがお話したことの半分は本当です。戦後に解体された時、わたくしは抵抗しました。二つの大戦で傷を負いながらも祖国のために戦ったわたくしを何故解体するの?って。ついに解体された時は人間たちを恨みました。でもジャトランドで舵をやられた時、マルタで誘導弾をお腹に受けた時に人間のクルーが傷つきながらも必死で支えてくれなければわたくしは海の底でした。二度の大戦で戦闘勲章14個を授与されたわたくしウォ―スパイトの栄光の歴史は人間のクルーの歴史でもあるのです。それを思うとわたくしは人間を恨み切れない。失礼ですけど今のあなたさまのお話を聞いて自分の気持ちと同じ人間がいるのだと思ってしまったわ」


そしてウォ―スパイトは驚くべきことを言いだした。


「でもこれでわたくしの考えは決まりました。このフリートのアドミラルはあなたさましかいません」


わたしはびっくりした。

「ボクがアドミラルって!?」


ウォ―スパイトは話を続ける。

「ここのフリートは司令官がいないので現在のところは主力艦、つまり戦艦・巡洋戦艦による会議で運営しています。艦歴の古さということでわたくしや金剛シスターのような第一次大戦前後に竣工した艦が中心になっています。ですが、わたくしたちが新たな航路に進むためには人間のアドミラルが必要なのです」


わたしは思わず問いただした。

「人間のアドミラル?」


ウォ―スパイトの隣に座っていた金剛が説明する。

「これはわしらの本質に関わる問題じゃ。わしらは軍艦として造られた。そして人間の指揮を受け、ともに苦楽を分かち合って来た。人間の女性に生まれ変わった今でも人間の提督に搭乗してもらいたい。そして艦隊旗艦に人間の提督がドンと構えていればみなの心が満たされるのじゃよ」

金剛の真剣な目と口ぶりにわたしの心は揺らいだ。


しかし...わたしには研究がある。今年中に論文に仕上げたいテーマがある。先行研究では簡単にしか紹介されていない、あるマイノリティ集団の言語と歴史に関する内容の碑文だ。これからその訳注を作成しようと考えていた。


その事を話すと榛名は悲しそうな表情で目を伏せた。わたしの心は痛んだ。


すると金剛が話し出す。

「わしは学問の世界はわからぬ。じゃが、わしに乗り込んだ予備学生上がりの学徒士官が話していたことを思い出す。確かそやつは帝大の哲学科だったの。ドイツ語の読み書きがとても達者で兵学校出の士官たちに求められて軍務の合間にカントを原書で講義しておったわい。そやつは熱っぽく語っておった。文・史・哲...恐らくお主の言う人文学だと思うのじゃが...は人の世の全体像を明らかにする学問だとな。今のお主のように分野を一つに定めて一心に研究するのは立派なことだと思う。じゃが、今まで歩んできた道とは別の場所から物事を見るのなら、おぬしの学問もより太く、たくましくなるのでは無いか?」


また金剛に痛いところを突かれた。確かにマイノリティの歴史や文化にこだわるわたしの研究の幅が狭いことは自分でも感じていた。酒の席で誰かに指摘されたこともある。だがその欠点を治せないまま今の段階まで来てしまった...


金剛の言葉を継いでウォ―スパイトが話す。

「過去、わたくしたちは国家国民の歴史を背負っていました。生まれ変わった今でもその記憶を受け継いでいます。それは捨てることのできないものです。ですが、このフリートはグレートブリテン、アメリカ、日本、ドイツ、イタリア、フランス、ロシア、トルコ...異なる国の異なる歴史を背負った艦です。歴史の女神クリオは見る者によって全く違った顔を見せ、時としてそれが争いを引き起こすのはあなたもご存じの事と思います。わたくしたちフリートがフリートとして団結して未来に向かうには調停者としてのあなたの存在が必要なのです。先ほどのあなた様の覇権国家論を拝聴しましたが、あなた様は現在の知識から過去を断じるのでは無く当事者の視点に立った上で歴史を理解しようとなさりました。その姿勢にわたくしは強い感銘を受けました」


そこまで話したところで彼女は息を継いで言葉を続けた。

「そして...今のご自分がご両親の愛情や多くの人間の好意に支えられていることを知っているあなたさまならわたくしたちを無理な戦いに導くことは無い...わたくしはそう信じたくなりました」


わたしが黙っているとウォ―スパイトはさらに言葉を続けた。

「先ほどあなた様はわたくし達の過去、そして未来について真剣に語って頂きました。でもそれは言葉だけだったのですか?」


ウォ―スパイトにも痛いところを突かれた。あれだけの大演説をぶっておいて逃げるのか? 彼女の真剣な表情にわたしの心は揺れた。一方でそれと同時に人文学徒としての関心も湧いてきた。彼女たち海軍の軍艦は世界の歴史を背負った存在だ。そして人間に生まれ変わった彼女たちは過去に生きるだけの存在ではなく未来に向かって歩もうとしている。


そして神話の力を備えているということは世界と人間との関わりも体現している。彼女たちの行く末を見届けることはわたしにとっての責任になってしまったのだが同時にチャンスかもしれないと身勝手ながら考えてしまった。


するとウォ―スパイトはコホンと小さく咳払いをして

「現実的なお話を少しだけさせて頂くとこのフリートのアドミラルの地位はご本人の意志が続く限り終身です。これはハーバードをはじめとするわたくし達の世界の名門大学のプロフェッサーと同じ待遇ですわ。また俸給についてはお引き受け頂いてから細部を詰めますが、衣食住はもちろんのこと、書籍購入費には不自由させないことをお約束します」

グレートブリテンの時代から受け継いだ資産を運用しているので現在の財政は安定しているのですとウォ―スパイトは付け加えた。


わたしの心はぐらっと揺らいだ。あまりにも現金ではあるが、ハーバードの教授と同じ待遇というところでちょっとした虚栄心を、書籍購入費では自分の研究に関連するのに今まで買えずに諦めた研究書の数々を思い浮かべてしまった。それに、まだ時間には何年か余裕があるが大学院時代に貸与された奨学金の返還猶予の期限が迫りつつある。安定した収入源の確保は何よりわたしには必要だった。


だが...これは重大な話だ。すぐに答えは出せない。自分に彼女たちの指揮官なんか務まるだろうか...それでも自分を必要する彼女たちの真剣なまなざし...自分の発言の責任...今の自分の研究...金銭的な収入の安定.....少ないながらも存在する人間世界とのつながり...その一方で金剛や榛名との間にできた縁を捨てたくないという気持ち...自分にとっては長い長い時間を考え込んだ結果わたしは決めた。


「わかった。ボクで良ければ引き受けよう」


それを聞いた三人は三人ともとても喜んだような安心したような顔で相好を崩し、その後で深々と頭を下げた。

ウォ―スパイト「ご無理なお願いを聞き入れて頂いて本当にありがとうございます」

金剛「かたじけない。おぬしばかりに負担はかけぬ。わしらが懸命に支えるからの」

榛名「榛名はあなたのどんな命令にも従います。どうかご存分に指揮をお取りください」


そしてウォースパイトはおごそかにこう言った。

「わたくしたちの故国の古い言い伝えでは、獅子が人間を国王に選び、その王のもとで公平と調和による治世が長く続いた伝説の国があると申します。あなたさまもどうかその故事に倣われんことを」


それから本部のホールでウォースパイトはわたしをフリート全体に紹介した。みなはわたしを拍手で出迎えてくれた。


"Long Live Our Admiral ! Once an admiral in Isle of Apple Trees or Land of Promise or Uí Bhreasail, always an admiral. Bear it well, Son of Adam !"


ウォースバイトが高らかに述べた賀詞をイギリス艦たちが彼女に続いて唱和する。


続いて金剛が

「蓬莱山には千歳経る、万歳千秋重れり、松の枝には鶴巣食い、巌の上には亀遊ぶ」

と祝歌を歌いながら舞った。他の日本艦たちが「インヨーッ」と掛声を掛ける。


....こうしてわたしはアドミラルとなった。


夕食は立食パーティ形式で、各国の戦艦、重巡、空母、軽巡、駆逐艦等々が次々とわたしに挨拶しに来た。数が多いのはロイヤルネイビーと自らを呼ぶイギリス艦だ。ここにいる以外にも遠洋に派遣されている艦やまだ着任していない艦が多いらしい。


波乱に富んだ一日がもうすぐ終わると思うと急に疲れがでてきた。榛名が買ってきたお土産に口をつけたのでアルコールも少し入っている。そんなわたしに金剛は気づいたらしい。


「これはいかん。提督はお疲れじゃ。今夜はわしのフネで休むと良い。空間を少しいじって広くしたからの。フネの暮らしに慣れておらぬお主でもぐっすり眠れるはずじゃ」


金剛と二人で港まで歩く。ほろ酔いに夜風が心地よい。異界の風は人間界よりも柔らかい。歩きながらわたしは尋ねた。

「ボクは軍事の知識も、ネイビーに要求されるという目先の効くスマートネスも、部下とともに死地に向かう統帥力も無い。引き受けた以上逃げるつもりは無いが本当にできるのかと不安だよ」


金剛は話し始めた。

「今、お主の言ったことはどれも提督に欠くべからざる資質じゃ。じゃがの...人間のおなごとして生まれ変わりこの新天地に集った我らはただの艦隊では無く家族のようなものだとわしは思うておる。そんなわしたちの支えになってくれる提督はな...」


金剛はわたしを向いてニッコリと笑った。

「わしらに心を開いてくれる人間ということが何よりも大事だったのじゃよ」


わたしは金剛の言葉がすぐには理解できずにおうむ返しに尋ねる。

「...心を開く...?」


金剛はうなずいて話を続ける。

「わしが令和の御代に人間として生まれ変わった時、あの戦争から80年の時間が過ぎてわしらと苦楽を共にした人間はみな鬼籍に入り、わしらは完全に歴史上の存在になってしもうた。正直淋しさがこたえたわい。おぬしにとってのわしも最初は歴史の書物のようなものじゃったろう」


...確かにその通りだった。当初、わたしにとっての金剛は歴史の史料か悪い意味でのインフォーマントと同じだったのだ。


さらに金剛は続ける。

「じゃが二人で話しているうちにおぬしは不意に自分の悩みを打ち明けてくれた。それが学者として出世できないというあの戦争で死んだ兵士から見れば贅沢な悩みでも今のおぬしにとっては大きなものじゃ。それを打ち明けてくれたということはわしを人間として見てくれたということじゃ。嬉しかったよ」


挿絵(By みてみん)


...贅沢な悩みとは言い返す言葉も無い。それでも金剛の言う通りあの時のわたしにとっては切実なものだった...やはり彼女はわたしの気持ちをわかってくれていた...


金剛はさらに続ける。

「おぬしがまだまだ提督として至らぬところが多いことはわしは承知しておる。じゃがわしはおぬしを裂帛の気合で支えると決めたからの。覚悟...いや安心するが良い」

そして金剛はこれが悪女の深情けじゃなと笑った。...これは確かに覚悟するべきかもしれない。


金剛はそのうちふと思い出したように

「そういえば大事な事を尋ねるのを忘れていたわい」


わたしはちょっと緊張する。

「それは何だい?」


金剛がわたしに問題を出す。

「今、六つの菓子があって五匹の猿がおる。菓子に手を加えずみなに平等に分配するにはどうすれば良いかの?」


この問題の答えは確か...

「確か...むつかしござる?」


金剛はニヤッと笑って

「正解じゃよ」


わたしは歩きながら考える...むっつのかしにごひきのさるで「むつかしござる」。確か海軍の兵学校や経理学校の面接で出題された問題だ。要するに駄洒落なのだが阿川弘之の随筆では海軍士官に必要とされる機転を試すための出題だとされていた。しかし、あちらを立てればこちらは立たずの格言と似たところがあるので、わたしは海軍という巨大組織を動かす難しさを教えようとしたのかも知れないと思っている。


組織の構成員に平等に分配しようとしても往々にしてそれは不可能だ。ここでも異なる国の異なる歴史を背負った艦が人間の女性として生まれ変わり、しかもわたしを見つめる期待の眼..眼..眼...


「これはほんとうにむつかしござる...だな」


金剛「ふーやれやれ。ようやく一仕事終えたわい」

ウォ―スパイト「ご苦労様、金剛シスター」

金剛「しかし提督も終わりになってこれからの難しさに気づくとはのう...わしが睨んだ通り大いなる鈍感じゃったか」

ウォ―スパイト「でもわたくしはあのお方で良かったと思うわ。ご自身の考えはしっかり持ってらっしゃる一方で、独りよがりの考えをわたくしたちに押し付ける方では無くて。人の上に立つ優秀な人間ほどそのような間違いを犯すものなのよ」

金剛「あとはもう少し自信をつけさせるのが課題じゃな。まあよいわ。今の提督の至らぬところはわしらが裂帛の気合で支えるのじゃ!」

金剛「さて、次は提督と他の主力艦たちとの顔見世じゃな。みんな個性が強いから少し心配じゃ。でも提督とどのような会話を交わすのか楽しみでもある」

ウォ―スパイト「わたくし、マイアドミラルなら上手におさめてくれると信じているの」

金剛「おっと明日は提督を休ませねばならぬでの。一日休みで幕間劇じゃ」

ウォ―スパイト「次回『艦内新聞』楽しんで頂けると嬉しいわ」


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