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30. 戦闘準備と兵棋演習(日本艦霧島)

...さまで広くない盤上に、さほど永くない時間をかけて争われる囲碁の遊びは、古くから人の世の有為転変の絵姿とみなされてきた。これは囲碁に限らないので、事情はチェスにあっても同じである...

大室幹雄『囲碁の民話学』第一章第二節


季節は冬至を過ぎてクリスマスイブに向かう。これから太陽が力を盛り返して行く時である。


まだ寒さはこれからとは言え、我が艦隊の力もいよいよ盛んになってきた。


異界と人間界の航路を妨害する海上モンスター掃討の作戦準備もいよいよ大詰めである。


「この作戦はわれわれの航路を守るためだけのものではありません。カオスの影響で大量発生した古代種モササウルスの人間界への侵入を防ぐためでもあります」


ウォースパイトは会議室を兼ねた自艦のウォードルームで宣言した。


それを聞いているのは、この場にいるイギリス艦バーラム、日本艦金剛や霧島だけではない。


室内に浮かんでいるスクリーンには各国の主力艦の顔が映っている。今回は動画と対面のハイブリッド会議である。


「では霧島、作戦の説明を頼む」

金剛が霧島を促す。そして霧島が最前列のデスクに移って一礼する。


「本作戦…海一号作戦と呼称しますが…主力は僭越ながら我々日本艦が努めさせて頂きます。」


金剛型高速戦艦の四番艦の霧島。髪を中ほどでばっさり切り落として後ろで結っているのが特徴だ。今日は活動的な袴を着用している。


わたしは霧島に質問した。各国の主力艦が見ているので半ば儀式のようなものである。


「なぜ主力を日本艦のみにするのか説明してもらいたい」


霧島は活発な声で答える。

「はい、提督。一ヶ所の戦場に系統の異なる艦隊を投入したら混乱が予想されます。本作戦は規模が大きくないものの編成がまとまった艦隊を投入して短期間で完了することを目指します」


霧島は指を鳴らして海図を虚空に映し出す。


光点が一つの島に向かう。


「この島がモササウルスの群生地であることが確認されています。ただそれが湾内にあるので大艦隊では機動に不利なのです」


モササウルスはこの異界に生まれ変わった中生代の爬虫類だ。カオスの影響を受けて狂暴化した海上モンスターになっている(第19話)。


霧島に続けてウォースパイトが付け加える。

「戦場に投入するのは日本艦ですが、我々ロイヤルネイビーも出動します。現在、この海域でのロイヤルネイビーの哨戒コースは次のようですが…」


虚空に映し出された海図に複数の曲線が現れる。やがてそれはベジェ曲線のような動きを示して戦場となる島を取り囲んだ。


「このキャンペーンの最中、このようにインスラ・オヴィウム(insula ovium)の島を取り囲むように哨戒ルートを狭めて行きます。これは他の海上モンスターが作戦海域に侵入するという不測の事態を防ぐため、そしてモササウルスの逃亡を防ぐためですわ、マイアドミラル」



つまり面を制圧する戦略な行動はイギリス海軍が担い、点を衝く戦術は日本海軍が行うということか。それぞれの長所を生かした作戦案だ。


納得できた一方で耳慣れない固有名詞が違和感を呼ぶ。


「インスラ・オヴィウム?」


わたしの表情を察したウォースパイト

「失礼いたしました、マイアドミラル。ラテン語で羊の島という意味です。アッサーの『アルフレッド大王伝』に述べられている地名ですわ」


「アルフレッド大王といえばアングロサクソン七王国の一つ、ウェセックスの王でデーン人…ヴァイキングの侵入を防いだ」


わたしは中学校の時に翻訳で読んだウォルター・ホッジズの子ども向け伝記を思い出した。


その本のクライマックスはデーン人との決戦。艦砲や航空機ではなく、戦斧と円盾を打ち合って死闘を繰り広げている戦士たちの姿が浮かんだ。


ウォースパイトはうなずくと

「インスラ・オヴィウム…テムズ川のシェピー島ですが、ブリテンに侵入したデーン人が最初に越冬した土地だと伝えられております」


そしてデーン人はブリテン島各地に定着し、そこはデーン・ロウ...デーン人の法が適用される地域と呼ばれる。そんな歴史的な由来のある名前をつけたのは、ウォ―スパイトの「ここを止めなければ次が来る」という決意を示すためなのだろう。


「その歴史的な地名を海上モンスターの群生地につけた理由は、彼らの異界での跳梁のみならず、人間界への侵入を防ぐという強い意志を示すためなんだね? ウォースパイト」


ウォースパイトは再びうなずいた。今度はより力強く。


「本作戦の歴史的意義が確認されたので、次は実務的な話に移りたい。日本艦の作戦は霧島が担当するのはわかったけどイギリス艦の哨戒行動の統轄は誰がするのかな?」


わたしの質問にバーラムが手を上げる。クイーンエリザベス級3番艦。人間に生まれ変わった姿は長身の女性で魔術師然としたシルバーヘア。


ウォースパイトがわたしに説明する。

「金剛シスターが出撃するので、わたくしは幸せの島の基地に残ります。マイシスター・バーラムはジャトランド海戦をはじめとして旗艦経験が豊富なので今回の任務にも適任ですわ」


思い出した、わたしは頭の中で手を叩く。バーラムはジャトランド海戦が行われた第一次大戦だけではなく、戦間期も戦隊(Battle Squadron )の旗艦を努めていたのだった。


ええと…彼女に何か聞くことがなかったか質問を探していると…


「先回りしてお答えすると、兵站の準備はすでに整えてあるわ。インスラ・オヴィウムへの航路にある基地はすでに物資やエネルギーが貯蔵されていつでも利用できるわよ」

と、バーラム。


…「玄人は兵站を語る」という言葉が独り歩きして、今や軍事に少しでも関心のある人間の口癖が「兵站は?」になってしまった。苦沙弥先生の言葉を借りれば詐偽師、山師も大和魂ならぬ兵站を語る。皮肉屋のバーラムはそんな空気を当てこすったようだ。


しかし作戦中でもこんな皮肉ばかり言っていると、わたしは我慢すれば良いが日本艦と揉め事にならないだろうか…わたしが考えていると


「大丈夫、作戦中は口を慎むから安心しなさい」


金剛が周囲に見えないように軽くため息をつき、ウォースパイトが微笑みながら目でわたしに謝っているのが見えた。


「それで、すぐに出撃するわけでは無いのだね?」


わたしの疑問に答える金剛。

「うむ。帝国海軍は今日中にすべての訓練を終えて物資の搬入や各部の総点検に入る。そしてロイヤルネイビー各艦が哨戒から基地に戻ってくるのを待って、日本艦とイギリス艦の最終打ち合わせ…要は顔見せになるの」


宇垣纏『戦藻録』を読んだことがあるが、日米開戦の一ヶ月前の昭和16年11月7日に開戦準備を命じる大海令及び大海指が連合艦隊司令部に通達される。そして11月14日に陸海軍関係者の最終打ち合わせ。それ以前の11月4日をもって艦隊の訓練の記事は途絶える。連合艦隊の軍組織が平時から戦時に移るのはそれなりに時間がかかるのだ。


「出撃はクリスマスの翌日になる」

と、金剛は言った。


挿絵(By みてみん)

霧島


挿絵(By みてみん)

バーラム




それから艦隊の雰囲気はいよいよ騒然となって来た。幸せの島の周囲にある各国の基地間を往来する輸送船の数と頻度は目に見えて増え、状況の進捗を報告に来る艦もひっきりなしだった。


わたしも司令部となっている金剛の長官公室に座ったまま、報告を聞いたり命令書にサインをするだけでいいのかと迷う。


直接現場に出て様子を見たり、皆を激励しなくて良いのだろうか。


なるべく現場に出るという心構えは、今野敏『隠蔽捜査』シリーズの副主人公伊丹警視に影響を受けたものだ。


彼は周囲の警視庁キャリア官僚とは異なり私大出身の学歴だ。そのため積極的に捜査現場に出て自分のハンディを克服しようとしていた。わたしもそれを真似しようとしたのだが…


「重ねて釘を刺しておくぞ。ここ数日はいらんことをするんじゃない。わかったか、司令」


けんもほろろにわたしを突き放したのは駆逐艦磯風。彼女は戦闘準備の進捗状況を報告するために司令部に来たのだ。


磯風は黒色の長髪をかきあげながら、シャープな輪郭の顔をわたしに向ける。


「特に今日は明石さんによる総点検で現場は殺気立ってるんだ。はた迷惑な司令官と言われたくなかったらノコノコ顔を出すんじゃない。小説を真に受けるようなバカな真似はやめてくれ」


…確かにその通りだ。小説でも主人公竜崎警視は、伊丹警視の現場主義をキャリアの本分にあらずと、冷ややかな目で見ていたっけ。最初のうちは。


「そうだね。磯風の言う通りだ」


わたしがそう言うと磯風は我が意を得たりとばかりに満足そうな顔をする。


「だけど、せめて磯風の艦尾の強度の点検だけはわたしが…イタタ!!」


横にいた雪風が慌ててわたしの口をふさいだが間に合わず、磯風はわたしの足の甲のツボを強い力で踏みつけた。


「…まあどうしてもいい顔をしたいというなら、金剛さんの食料庫にある甘味類を司令の権限で放出するんだ。わたしが司令からの差し入れと言ってみんなに配っておく」


磯風はそう言って司令部用のカステラ、シュークリーム、大福もち等々を自艦に積み込めるだけ積んで戻って行った。


「いいんですか…?金剛さんがいない間に」


と、雪風。


「是非に及ばずさ」

と答えるわたし。金剛なら酒類ではないので大丈夫だろう。


しかし戻ってきた金剛は...


「ふむ…それは少し困ったことになったの」


腕を組んで考えこむ。


「え…不味かったのかい?」


恐る恐る金剛に尋ねるわたし。


「うむ…先ほどイギリス軽巡のニューカッスルやシェフィールドの通信を受けての。今日中には哨戒から基地に戻ってくるというのじゃ。あの二人は日本のカステラが好物なので報告に来たら出してやろうと考えていたのじゃが…」


それは確かに困ったことになった。わたしも考えこんでいると…


「カステラなら霧島さんのところにまだ在庫があったはずよ」


助け船を出してくれたのはイギリス駆逐艦のジャーヴィス。雪風と同じく司令部の従卒艦だ。たった今、外出から戻ってきたところだ。


「はい、これはバーラムさんからの報告書です」


ジャーヴィスは腕につながったトランクのチェーンを鍵で外す。そして書類を取り出しながら

「それじゃあわたしが取りに行ってくるわ、金剛さん」


「そうか、戻ってきたばかりで悪いがよろしく頼むぞ」

と、金剛


霧島はこの作戦立案を担当している。わたしもいくつか確認したいことがあった。メールや通信ではなくて、直接会って話したほうが得られる情報も多い。


「わたしもジャーヴィスに乗って霧島のところに行くよ。金剛、すまないがしばらく司令部を見ていてくれ」


挿絵(By みてみん)

磯風


挿絵(By みてみん)

日本工作艦明石

明石「どこか変わったところはないですか?タービンの減速ギアのかみ合わせが悪い...気がする?ハイ頓服の明石散!スクリュー軸が曲がっている…気がする?ハイ明石散!」

特設工作艦山彦丸「明石さん、明石散って何にでも効くんですね」

明石「シッ...!これはナイショよ。わかもとのビタミン剤を粉にしただけなの」






駆逐艦ジャーヴィスに乗って霧島のところに向かう。戦艦霧島は現在のところ柱島を離れて司令部の港の沖合いに投錨している。


そのため、司令部から彼女のところまでそれほど時間はかからないのだが、何となく気がせいた。


互いに発光信号で連絡を取り合い、駆逐艦ジャーヴィスが戦艦霧島に接舷する。


甲板に上がって霧島の姿を探す。どこにいるのだろうと視線を泳がせていると、甲板の伝声管から霧島の声が聞こえた。


「二人ともようこそ。カステラの件なら金剛お姉さまから聞いているわ。それでね、悪いけど第一士官室まで来てちょうだい」


ジャーヴィスと二人で顔を見合わせて艦橋に入る。


第一士官室の前でノックするとすぐに扉が開き…


なんと驚くなかれ、霧島は裸体に毛布を羽織っただけの姿で現れた。


驚くなかれと言っても驚きのあまりわたしとジャーヴィスは声がでない。


「甲板でお出迎えできなくてご免なさいね。今、作戦案の最後の見直しをやっていたところだったの」


「いや…そんなことよりもその格好は何だい?」


ズロースコンテストの時から思っていたがこの女性の感覚は一体…


「ああ、これのこと?気にしないでちょうだい。帝国海軍の黒島参謀に倣ってみたの。彼は真珠湾攻撃を立案する時、裸で自室にこもって長考したのよ。今度の作戦もそれにあやかろうと思ってね」


確かに山本五十六の懐刀と言われた黒島亀人は奇行が多かったという。戦後は哲学の研究に没頭したことからもその片鱗が伺われる。伺われるのだが…


しかし、くすんだ色の毛布の隙間から鮮やかな白肌が目に入るので、わたしの心が妖しく騒いでしまう。


普段はウィットの効いた皮肉屋のジャーヴィスも呑まれてしまったのか

「霧島さん…ミスター・ガンディーにでもなるつもりですか?」

と辛うじて言うだけ。


霧島はいつものざっかけない口調で

「榛名からは特攻作戦を考案した参謀の真似なんかやめてって言われたけど、そんな話はわたしが沈んだ後だしね」


霧島はそういうと

「ジャーヴィス、ちょっと待ってて。今カステラの納品書類作成するから」


霧島はくるりと後ろを向いてデスクに取りつき、立ったまま書類に記入する。


その動作で羽織った毛布がするりと落ちた。


そして、肩の上からかかとの下までクリッパー船のように均整のとれた肢体があらわになった。


「あら、失礼」

霧島はそう言うと毛布を持ち上げて再び羽織り


「はい、これが納品書よ。行李は後甲板に置いてあるからそのまま持って行ってちょうだい。あ、提督は後からわたしが送って行くから迎えにくる必要はないわ」


ジャーヴィスは納品書を受けとると

「では、ごゆっくり」

と意味深な言葉をかけて戻っていった。


挿絵(By みてみん)

霧島「黒島参謀はガンジーと呼ばれていたわ。そのお顔と雰囲気が何となく似ていたから...だけど」



「作戦案について聞きたいことがあるのね?」


霧島はカルピスの原液が入った瓶を持ってくると、お湯で割って出してくれた。


「ああ、明日には兵棋演習がある。その前にもう少し詰めて置きたくてね」


ホットカルピスを飲みながら霧島と話す。その間も毛布の隙間から鮮やかな白色がチラチラ目に入る。


彼女はわたしの視線に気づいているのかいないのか、普段通りの口調で


「ごせいがでるわね。いいわ、司令官のご下問に答えるのは部下の務め。何でも聞いてちょうだい」


わたしは一言付け加える。

「忙しい時に迷惑だったら申し訳ないね」


霧島は何を言うのとばかりに手の平を振ると

「わたしも大分煮詰まってきたもの。ここらで誰かに話して頭の中を整理したかったところ」


「それじゃあ詳しい地理と航路の説明を頼むよ」


霧島は頷くと第一士官室の大机の上にある書籍や書類を片付ける。


そして机の上にその身を横たえると海図の覆いを外す。鮮やかな白地図が目に入る。わたしは慌てて視線を反らした。


「まぶしい?じゃあ照明を暗くするわ」


いやそういう問題では…と考えているとプラネタリウムのように白地図に黒点が現れる。照明に張ったスクリーンによるものだ。島を現しているようだ。


霧島は机に横たわったまま地図の上の方を人差し指で示す。


「ここが私たちの幸せの島。そして艦隊は南に下る」


霧島の人差し指は下へ向かう。そして地図の真ん中にある二つの膨らみで止まった。


「これは一体何だい?」


わたしは膨らみの一つを指でつつく。こうなれば毒食わば皿までだ。


「あン…これは活動中の火山島よ。わたしたちは双子島と呼んでいるわ」


なるほど火山を模しているのか。樹脂で作られているのか柔らかい。そして暖かい。火山だから温度を高くしているのか。よくできているなあ。


わたしは面白くなってついぷにぷにと揉んでみる。


「キャハハ…くすぐったいわ。それでね、この火山島のマグマから戦いに使うエネルギーを吸収するの」


「へえ…マグマのエネルギーを取り入れることができるのも神話の力なんだね。というか君たちにデフォルトで備わっている力だけでは足りないんだ」


「そうよ。エネルギーはいくらあっても足りないということはないもの。これは枢軸・連合関係なく先の総力戦を戦ったものの教訓…というより恐怖ね」


「なるほどね。歴史的な経験というわけだ」


わたしは本番で行うエネルギー補給をシュミレーションしてみた。模型の火山のピーチク…ではないピークを咥えたのだ。


何だか甘い…そして温かい。記憶の彼方にある赤子の時代を思い出し、チューチューと音を立てて吸ってしまう。ここ最近は精神的に疲れているのかな…


「はぅン…マグマから吸収したエネルギーをキューブに変えて不活性化…その作業はわたしたち戦艦でも一日ほどかかるわ…はぁふ…」


なぜかトロンとした声になった霧島。

「その後にイギリス艦は途中で順次別れて哨戒コースに…」


わたしは白肌ならぬ白地図の下の方を手のひらで撫でた。円を描くようにゆっくりと…


「あふぅぅ…そうよ…広い円から狭い円へ移っていくのが今回のイギリス艦の哨戒の大事なと・こ・ろ…」


霧島の声がおかしくなってきた。このへんで止めたほうがよいのかもしれない。


迷っていると霧島はわたしの手をガッと掴んだ。


「そして我々連合艦隊は戦場となる島へ」


霧島がわたしの手を導く。白地図のそこの部分には島を模したジオラマのような樹木があった。


その茂みを触っていると中心には湾があることに気付いた。クレバスのように狭くそして深い。


「こ…これが戦場となる島?」


霧島の声はますます乱れてきた。

「んはぁっ…そうよ。湾といってもフィヨルドのように深いの。その奥にモササウルスの群生地があるの。やつらなかなか賢いわ…」


そして霧島はわたしの指をつまんでクレバスの奥に導いた。


「最初に少数の艦を湾の奥に派遣してやつらを挑発するの」


わたしは人差し指をくじるように中へ入れる。最初は浅くそしてちょいと深く。これを繰り返す。


「ふぁあぁあぁん…そうよ、そうやってリズミカルに湾内に進入するのよ…」


わたしはついでにクレバスの周囲をチョンチョンとつつく。


「あっ…ああっ…! そうよそうやって湾周辺に爆雷を投下して...衝撃波で刺激することも並行して…あああっ…!もうダメっ…!」


クレバスに指を出し入れしたり周囲をつついているうちに奥からプシァァッと水が出てきた。


霧島は放心しかかっていても解説はやめない。さすがだ。

「こうやって水が溢れるように湾の外に出てきた怪獣どもに砲撃雷撃を集中させるのよォ…」


なるほどと思ったがそれでもわたしは疑問があった。


「だけどね。こうやってクレバスの入り口近くを出たり入ったり…ズブズブ…周囲に爆雷を落としたり…チョンチョン…してもね、敵が誘いに乗らなかったらどうするの?第二案は?」


火山を模した白地図のふくらみを波立たせながら霧島が呻いた。


「ち…ちょっと休ませてハアハア……ふぅ。それでもダメだったら最後の手段。艦隊を戦隊ごとに分けて湾内に突入よ!」


霧島はわたしが持っていた艦隊のイミテーションを掴むやクレバスにグッと挿入れた。いきなりだったのでわたしは抵抗することもできなかった。


「そして一撃離脱しながら次々と奴らを攻撃するのぉー。もっとピストンのように艦隊を動かしてェェー。総力戦よォォォ~~~」


霧島が絶叫し彼女の身体が踊るようにひきつる。わたしは無我夢中になってピストン運動を行った。


ついにカルピスの瓶が倒れ中身が白地図にドバドバとこぼれたところでわたしも霧島も我に返った。


終わった後で、霧島は地図のクレバスについた白いカルピスを拭いながらわたしに訪ねた。


「どう?もうわからないところは無い?」


わたしはまだ考えるところがあった。


「でも今の模擬戦では状況に流されるままに湾内に突入してしまった。実戦ではそういうことの無いように…」


すると霧島の雰囲気が変わった。急に真面目な顔になると、わたしをのぞきこんでポツリと一言。


「…不安なの?」


…霧島に言われてわたしはようやく自分の心に気づいた。


そうだ、現場を視察しようとしたり、霧島の話を聞こうとしたのも、戦略的に重要な作戦だったので不安な気持ちを押さえようとしていたのだ。


「ああ、実際に戦闘を行ったり、作戦を立案するキミたちと比べることはできないのはわかっている。でも、やっぱりボクも緊張しているんだ」


霧島は優しく微笑むと、手のひらをわたしの頬に当てた。

「大丈夫。不確定要素は明日の兵棋演習で潰すから」


そして霧島はわたしを自分の胸に抱き寄せて

「安心なさい。全てはわたしたちのコントロール下にあるわ」



挿絵(By みてみん)

霧島「…不安なの?」




かくして兵棋演習の日。室内には作戦に参加するイギリスと日本の戦艦、巡洋艦、駆逐艦の順番に前から座り、さらにその他の国の艦が後ろにいる。


壇上は演習が行われる舞台。わたしは艦隊の模型が置いてあるのかと思ったら違った。


目に入ったのは石の上に据えてある碁盤。わたしは壇の袖に置かれた黄金の椅子に金剛やウォースパイトと座りつつ訝しげに眺めた。


眺めていると霧島と榛名が壇上にあがり、皆に一礼すると碁盤に向かいあって座った。


ピーンと張りつめた空気が漂う。


その空気の中で、霧島は浄瑠璃の一節のような文句を朗唱しはじめた。


「黒白二つの石の数、三百六十一目に離々たる馬目、連々たる雁行、脇目も振らぬ碁の勝負。大地世界を以て一面の碁盤といえる本文ほんもんあり」


榛名も息を合わせて霧島に唱和した。

「一角に九十目、四方に四季の九十日、合わせて三百六十目、一目に一日を送ると知らぬ愚かさよ」


「「陰陽二つあらざれば、万物ととのう事なし!」」


…それが二人の合図だった。二人ともサッと紐でたすきを掛けて袖を絞るや、黒白の碁石を掴むと碁盤に同時に打った。ビシッという二つの音が一つに聞こえた。


「さて白黒は!」「夜昼!」「手段はいかに!」「いくさの法!」


二人は碁石を打つごとに次々と唱和する。


「切って押さえてはねかけて!」

「いくさは花の乱れ碁や!」


そして霧島が攻めかかる。黒の碁石が次々と盤上を占めていく。

「攻めつけひしぐは義経流!」


榛名が迎えうつ。白の碁石が黒の狭間に打たれる。


「ゆるめて打つは楠流!」


夢中になって見ているわたしに金剛が説明した。

「提督、これが碁立軍法じゃよ。碁の一石が一日を表す。黒と白の碁石は陰陽を表す。陰と陽のせめぎあいを軍勢の戦いに見立てているのじゃ」


…わたしのなかで、学生時代に読んだ歴史人類学の著書が蘇ってきた。その本によれば…


…広くない盤上で永くない時間をかけて争われる囲碁の遊びは、人の世の有為転変を表していると見なされてきた。


碁盤は天空と大地の模象、そこに人間の手で変化を起こすのが黒白三百六十一個の碁石というわけだ。


そして人の世の有為転変は戦いの歴史でもある。囲碁の対局を戦争と結びつける発想は前漢の劉向「囲棊賦」、後漢の桓譚「新論」などに見られるように古代中国からあるのだ。


しかし、このシンボリズムは東洋の囲碁だけではなくて、西洋のチェスゲームにも見られたはずだが…


すると檀上に白銀の盤と黄金のチェス駒が運ばれてくる。


そして白い絨毯が広げられ、その四隅に赤みがかった金のリンゴが飾られ、絨毯の上に椅子が置かれた。


マレーヤが進み出ると絨毯の中に座り、バーラムが彼女の前に立った。


「オウェイン」マレーヤは言った。


「チェスをしませんか?」


「ええ、陛下」バーラムは答えた。


「グゥイズブイッル…木の知恵もてルッイド・イ・グロイスの戦いのゲームをしましょう」


こうして二人はチェスを始めた。霧島と榛名の言葉いくさと比べると、こちらはあまりにも静かに始まった。


ゲームが進むうちにマレーヤがキングの駒を置いて言った。

「君に知らせが来たようだぞ」


バーラムが盤上を見つめながら言った。

「陛下、あなたの家臣がわたしのワタリガラスを攻め苛んでいるそうです。どうかおとめになって」


マレーヤはそれには直接には答えずに

「さあ、あなたの番だ」


バーラムはナイトの駒を盤面の中心に置いて言った

「陛下、あなたにお知らせが来たようですわ」


マレーヤは盤上を見つめながら

「あなたのワタリガラスにわたしの従者が倒されてしまう。どうかやめさせてくれ」


バーラムが言った。

「あなたの番ですわ」


続けてマレーヤがキングの駒を進める


かくして二人はこの問答を繰り返す。


一体なんだ。この儀式あるいは演劇は。


隣のウォースパイトに説明を求めようとしたが、彼女は無言で60面体のダイスを何回も転がしていた。金剛も無言で出てくる数字を真剣に見つめている。


ダイスを転がす音が耳に入るうちにわたしの意識はうつつからまぼろしの世界へ脱けて行った。


天空に浮かんで雲門関で繰り広げられる唐武者と大和武者の激戦を見たかと思えば


次の瞬間には大地に降り立つ。そしてローブをまとった騎士と馬が巨大なワタリガラスに持ち上げられて地面に叩きつけられるのを間近で見る。


この景色が何十回何百回と繰り返される。まさに囲碁もチェスも人類の苛烈な闘争の歴史を模したものだ。


だけど…だけど…一説には古代インドに起源を持つとも言われるチェスは世界に秩序をもたらす王者の技。


そして囲碁は俗世界を離れて仙境を逍遙する聖者の嗜みでもあったはずだ…なのに…なのに…


「もうたくさんだ!」

わたしは叫んだ。そう叫ぶや幻覚は破砕された。


そしてわたしは仙女の洞窟にいた。そして意識が拡散して融合していく。


ハッと我に返るやウォースパイトと金剛がわたしを支えてくれていた。


「今のはただの幻夢じゃ。とはいえ人間の提督には少し刺激が強すぎたようじゃの」

と、金剛。


「ご安心になって。わたくしたちがいる限りあなたさまは幻夢から戻ってくることができます。マイアドミラル」

と、ウォースパイト。


わたしは我に返ったがまだ心が落ち着かない。とはいえ、なけなしの責任感を動員して二人に尋ねた。


「演習は?兵棋演習の結果はどうなった?」


ウォースパイトがブロンドの豊かな髪を押さえながら言う。


「成功ですわ。刻一刻と変わる二組のスコアを元に、ダイスを振り続けましたが、ようやくカオスの数値を許容値まで下げることができました」


金剛もその碧眼をわたしに向けて言う。

「大変じゃったぞ。霧島も榛名も、バーラムもマレーヤも、何百回と対局を繰り返したあげくにようやく許容値を出したのじゃ」


何百回の対局…しかし時計を見ると対局が始まった時間で止まっているではないか。


「それはの、提督。対局が始まってからちょうど一日が過ぎたのじゃ」


…そうだったのか。わたしが幻夢に入って目覚めるまで一瞬のような錯覚だったが。


まさしく「この山に入って一時と思うとも五年の春秋を送り、四年に四季の合戦を見たるとはよも知らじ」

という『国姓爺合戦』の文句そのままだ。


「これでクリスマスを迎えることができます。マイアドミラル」


ウォースパイトがそう言った瞬間、時鐘が鳴り響いた。


ウォースパイトたちキリスト教国艦は

「クライスト・ボーンズ」「イエス、ヒー・イズ・ボーンズ」と唱えるや十字を切り


金剛たち非キリスト教国艦はサイダーの栓を抜いて


「メリー・クリスマス!!」


と景気良く叫ぶ。


そして金剛はマイクを握って皆に伝えた。


「さあ!今宵は聖夜を祝おうぞ!そして明日は出撃じゃ!」


挿絵(By みてみん)

バーラム「かくしてロナブイの夢の中で黄金の駒は砕け散り、軍旗は降ろされて全ては平和になった。安心しなさい、アドミラル」


後書き


吹雪

「ええと…クリスマストリー良し、不ニ矢のクリスマスケーキ良し」


綾波

「吹雪、七面鳥が焼き上がったぞ。クリスマスプディングはウラに作ってもらった」


浦波

「作り方はニューカッスルさんに教わったけど、こんな感じで良かったかなあ」


叢雲

「蓄音機持ってきたわよォ。ねぇ聖歌だけじゃなくてジャズもかけようよ。せっかく金剛さんが後甲板を使わせてくれるんだからさ、みんなでダンス・ダンス、一緒にスウィング・スウィング!!」


磯風

「ん? お前たち何をやっているんだ?」


雪風

「あ、ひょっとしてクリスマスパーティー?」


夕雲

「でもクリスマスってヤソの行事なんじゃないの?」


吹雪

「もともとはそうだけど、わたしたち特型駆逐艦が生まれた昭和の初め頃には、みんなで楽しむお祭りになってたんだよ」


叢雲

「帝国ホテルでクリスマス舞踏会、カフェのホールでタンゴ祭り。とてもにぎやかだったわよォ」


夕雲

「...ふぅん。クリスマスって教会で讃美歌を歌うことしか知らなかったよ」


磯風

「あとは三太九郎とかいう赤服を着た髭もじゃの男とかな」


浦波

「そっか…あんたたち陽炎型や夕雲型の娘ってクリスマスの楽しいお祭りを知らないんだ…」


綾波

「無理もない。お前たちが生まれたのは米英に宣戦布告するギリギリ。その頃はシナとの戦争が長引いて祭りどころでは無かったからなあ」


磯風・雪風・夕雲

「「「………」」」


吹雪

「そうだ!今日はわたしたち特型駆逐艦がサンタクロースになってあなたたち陽炎型や夕雲型にクリスマスプレゼント!」


叢雲

「伊勢単デパートのクリスマス・ハンカチセットよォ」


夕雲

「開けていい?…うわぁきれい…!」


磯風

「ほう…百貨店では防空頭巾だけではなくてこういうのも売っていたんだな」


吹雪

「気に入ってくれて嬉しいわ…グスッ」


雪風

「吹雪ちゃん、どうしたの?」


吹雪

「ごめんね…明日は出撃なのに変なこと言って…でもね、クリスマスのお祭りができるようになって、やっと前の戦争が終わったんだなあって……うわぁん」


綾波

「泣くな吹雪。でも気持ちはわかる。わたしだってようやくこの間で先の大戦の区切りがついたんだ。だからこそ次の戦いに進めるのかも知れないな」


磯風

「よし! 今日は吹雪たちに付き合って団子踊りを踊ろう!」


雪風

「磯風…団子じゃなくてタンゴ…あ、ジャーヴィスたち外国艦も呼んでくるね!」


夕雲

「そうね、みんなで夜遅くまで踊ろうよ」


ジャーヴィス

「ニューカッスルさんから聞いたけど日本艦でもクリスマスパーティーをするんだって?」


ジャヴェリン

「ミンスパイを作ってきたわ。幸運が来るからみんなで食べましょう」


吹雪

「グスン...みんなありがとう」


全員

「それじゃあメリー・クリスマス!!」

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