29. 聖コルンバの島の戦い(日本艦綾波登場)
…私たちは、「綾波」の最後を見とどけたうえで、戦場を去ったわけです。なにしろ、二隻撃沈したわけだし、そのうちの一隻は重巡をやっつけたと思っていましたから、悲壮感というものはありませんよ。みんな、じつに意気軒高でしたね...
「暗夜の快挙:駆逐艦「綾波」艦長・作間英邇大佐の証言」佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争』
季節が初冬から仲冬に進んで寒気はさらに厳しくなったが、我が艦隊はますます熱気につつまれている。
現在、異界と人間界との航路を妨害する海上モンスターの討伐作戦の準備が進められているのだ。
我が艦隊は第二次大戦で活躍したウォーシップたちが異界に人間の女性として生まれ変わった姿だ。
外見は美しくても彼女たちはやはり戦の娘。もうすぐ大規模な作戦が始まるので、自己の分身であるウォーシップの手入れに余念がない。
いま、わたしは駆逐艦綾波の甲板上にいる。鼻をくすぐるのは潮と鉄の匂い。綾なす波が鋼の船体に打ち寄せているのだ。
もともと綾波は小さい船体に可能な限りの兵装を搭載した特型駆逐艦。太平洋戦争中の第三次ソロモン海戦では単艦でアメリカ艦隊と戦って撃沈した過去を持つ。
壮烈な最後に誰が呼んだか鬼神綾波。
そして人間体の彼女は編み込んだ髪を竜のしっぽのように後ろに垂らした10代の少女。
その凛々しい顔立ちはどことなく少年のような雰囲気を漂わせる。
制服のようなブレザーに丈の短いスカートという活動的な服装だ。
今日、彼女に搭乗したのは個艦訓練を視察するためだ。わたしは人間界では人文系の学問を専攻するポスドクだった。アドミラルになった今は専門知識と経験の無さを補うために積極的に現場に出るようにしている。
駆逐艦綾波の甲板から振り返ると綾波の僚艦浦波が斜め後ろを寄り添うようについて来ている。
両艦の距離は常に等間隔だ。スクリュー合わせが完全に行われている証拠である。
艦橋に戻ると綾波と浦波が動画通信で今回の訓練の打ち合わせをしてる。
二人が話している時にスクリーンの中の浦波が…
「クシュン」
と可愛いくしゃみをした。
するともう一回
「へっくち!!」
と今度はさらに大きなくしゃみをした。
「ごめんなさいアヤちゃん。え? ヤダ! 見ないでください! 司令」
「どうした? 大丈夫かウラ?」
と心配して聞く綾波。
「うん…ちょっとボイラーの調子が悪いみたい」
「それは不味いな。お前だけ訓練を中止したほうがいいかもしれない」
「出航する前にわかもとのビタミン剤を飲んだから大丈夫だよ。個艦訓練と言ってもアヤちゃん一人だと不便…ズルルルッ」
ちり紙を取り出して鼻を拭く浦波。
「ほら無理をするんじゃない。もうすぐ大作戦が始まるんだぞ。今日は鎮守府に戻ってボイラーを修理するんだ、ウラ」
綾波はそう言ってからわたしを見て
「…と、言うことでよろしいですね? 司令」
「ああ、本航海の駆逐隊旗艦は綾波だ。その綾波の判断なら鎮守府に戻るんだ。これは命令だ、浦波」
演習で無理をして実戦に差し支えては本末転倒だ。その一方で厳しい訓練でなければ意味がない。その匙加減は現場を熟知した指揮官に任せるしかない。そう考えたからわたしは綾波の判断に従うよう命令を下した。
浦波は不承不承鎮守府に引き返して行った。
「出航したフネがボイラーの不調で港に戻るのはよくあることなのです」
浦波を庇うように言う綾波。
「ああ、ヒ87船団の雪風がそうだったね。それに最近は過密な演習スケジュールだ。ボイラーの調子が悪くなるのも無理はない」
わたしがそういうと綾波は無言で一礼した。
綾波「わたしが鬼神?いえ、あのような状況に置かれたら誰でもわたしのように戦ったでしょう。わたしたちは戦闘艦なのです」
かくして演習海域に到着する。
綾波は艦橋で演習の予定を確認している。硝子窓の側に立ち、黒表紙の書類綴込を片手で支え片手でめくっている。
彼女の後ろ姿…幅は広くはないが引き締まった肩、スラリと下に落ちていくような胴、細いが力強く艦を踏みしめている両足…
その肢体に窓からの光が注いでいるのをじっと見つめていると、
「司令…何か?」
彼女は振り向いて静かに訪ねる。
「いや何でもない」
何事も無いかのように答えるわたし。
「司令、今から後部砲塔の動作を試したいと思います。ご足労をおかけして申し訳ないのですが、確認して頂けませんか?」
「ああ、わかった」
駆逐艦はリソースの余裕がない。立っているものは司令といえども使われなくてはならない。それにわたしも後部砲塔の作動は興味がある。
艦橋をタッタッタッと降り、小型艦特有の狭い舷側をてすりに掴まって後部甲板へ向かう。
作動試験が始まった。駆逐艦綾波の後部砲塔はそれぞれ砲二門を備える背負い式の二基。
それが上下左右に別々に動く。そうだ、これが特型駆逐艦でも綾波から装備されたB型砲架だ。
それまでの砲塔は二門の砲身が同時にしか動けなかったのだが、このタイプは砲身が別々に動く。つまりより広い範囲の敵を迎撃できるのだ。
その砲身から次々と演習弾が打ち出されて行く。従来のA型は人力で砲に給弾していたが、B型からは揚弾機が導入されたので、装填がよりスピーディーになったのだ。
神話の力で輝きながら砲撃を行うB型砲塔。
その姿に見惚れているといつの間にか綾波がいた。
ご自慢のB型砲架の性能を説明に来たのかな…と思ったら違った。
綾波は失礼しますといってわたしの横をすり抜けて砲架の上に登った。
そして砲撃が終わったばかりの砲身に手を伸ばすと、撫でたり時には軽く叩いている。
「おーい! 何をやっているんだい!」
わたしは砲の上の綾波に下から尋ねる。
綾波は顔を上げると
「砲撃が終わったのでー! 砲身がどれだけの熱を持っているのかー傷んでいないのかー! 確かめているのです! 」
なるほど自分の目で確かめるとはプロは違うなあ…そう考えていると綾波は身体の位置を変えてわたしに後ろを見せる。
ギョッ! わたしが綾波を見上げると、丈の短いスカートの内部が視界に入った。
わたしがあわてて顔をそらすと綾波は振り向いて
「司令、お気になさらないで下さい。着物だと足の間が無用心になるのですが、こういう時には洋装は助かります」
いや気にするなと言われても…
そんなわたしにかまう風もなく、綾波は顔を上げると
「ん…後檣の支索が緩んでいるようだな。司令、少し見てきます」
そういうや否や綾波は腰に片手をかけホックを外すとスカートを脱ぎ捨て、後部マストに飛び移った。
そのまま、ましらのようにスルスルと避雷針の近くまでよじ登る。
あまりにも堂々としているので、もはやスカートを脱ぎ捨てた姿には機能美しか感じない。
マストの無線桁に立って支索の緩みを直した綾波。降りるのも面倒だと思ったのか、そこから一気に飛び降りた。
四肢を大の字にピンと張り、神話の力を働かせてゆっくりと甲板に降下してくる。
竜尾のような後ろ髪が空に泳いだ。
わたしはあわてて彼女を受け止めるために両手を伸ばす。
バサッ! わたしと綾波の顔がふれあう距離にまで近づいたところで、彼女を受け止める。
綾波はわたしの腕の中でニコッと笑い
「ありがとうございました、司令」
彼女は声変わりしていない少年のような音色で言った。
綾波はホックを外すとスカートを脱ぎ捨て、後部マストに飛び移った。
マストから飛び降りた綾波はゆっくりと甲板に降下してくる。
砲撃、無線、電探…午前中の訓練の予定はすべて終了した。
艦橋にいると綾波が昼食を持って来てくれた。
「余計な世話をかけてすまないね」
いいえと呟いて握り飯を渡してくれる綾波。
海苔も巻いてなければ具も入っていないという白飯の握りだ。同じ日本艦でも金剛や榛名のような戦艦とは異なる。
手に取ってみるとズシッと固められている。これは食べでがありそうだ。
しかし口にいれるとほろほろと溶けるように崩れる。意外だ、もっとがっちりと握られていると思ったのに。
「…この握り飯は綾波が…?」
と、尋ねる。
「はい…あの…お口に合わないところでも…?」
不審な表情で尋ね返してくる綾波。
「いや、口の中で具合よくほぐれるので感心したよ」
それを聞くと綾波はホッとした表情で
「よかった…ウラ…浦波に比べるとわたしは料理下手で」
「そんなことはないよ。人間だったらよいお嫁さんに…」
おっと、これは今の時代では女性にかけてはいけない褒め言葉だ。
しかし綾波は昭和5年竣工…いわゆる昭和一桁世代だ。気を悪くした風もなく照れくさそうにほほ笑んだ。
食べた食べたとばかりにお茶を飲み干して湯飲みを指揮卓に置く。すると湯飲みが真っ二つに割れた。
何だ何だ縁起でもない…と思った瞬間、突如、空から飛行機のエンジン音が響いてきた!
「あの水偵はヴァリアントさんのウォーラスです!」
綾波はわたしに報告するや計器に飛びついて通信回線を開く。
Nu scylun hergan hefaenricaes uard...神話の力が働く独特の音と共に艦橋にスクリーンが映し出される。
今日は外宇宙からダークマターが降り注いでいるのか画像が乱れているが、ショートヘアーの縮れ毛をしたいたずらっぽい顔。イギリスはクイーンエリザベス級五番艦のヴァリアントだ。
スクリーンの彼女は口を開くや
「アドミラル! 結論から言うよ。今からその自動操縦のウォーラスに乗って退避して! あと一時間足らずでシーサーペントの群れがそこに行くから!」
いきなりの急展開にわたしの頭はついていかない。頭の中で必死に考えをまとめて出てきたのは次の言葉だ。
「この海域は外洋とは言え我が艦隊の制海圏のはずだ。 なぜシーサーペントの群れがくるんだ!」
ヴァリアントは急いでるのにめんどくさいなーという顔をして説明にかかる。
「航路を妨害するシーサーペントをあたしたちH部隊が退治していたんだけどね、その一部が逃げてそちらに行っちゃったの!」
…確かにここ最近海上モンスターの活動は盛んになっている。しかし幸せの島の近くにまで接近するのは何故だ。今までは我が艦隊の演習が魔除けになって近づかなかったはずだ。
ヴァリアントはなおも考えこんでるわたしを見て天井を仰ぐと
「あー、もう!それじゃあね、ビブリオマニア(書痴)のアドミラルがわかるように説明するよ! 」
ヴァリアントはそう言うと指揮デスクにある書類の山をごそごそと崩しながら
「今日は聖トマスのイブ、今日からクリスマスイブまではカオスの活動が一番盛んになる時なの!」
そうか明日は冬至だった。今は夜が一番長くなり、陽の力がもっとも衰える時だ。
「まったくもう、わたしたちの国の古い言い伝えがこの異界で生きているなんて思わなかったよ」
ヴァリアントは書類の山から一冊の書籍を取り出す。
そしてとどめとばかりに頁を開いてわたしに見せる。
”St Thomas’s Eve: divine the future, but beware of ghosts . . . By tradition, ghosts are permitted to walk abroad from now until Christmas Eve” Charles Kightly , The Perpertual Almanack of Folklore.
...(12月21日)聖トマスの日の前日。未来を占う日だが幽霊には気を付けろ(中略)古くからの言い伝えによれば今日からクリスマスイブまで幽霊が外を歩くようになる...
「ドゥ・ ザウ・アンダースタンド・サイア!? おわかりになりましたか、お殿さま?じゃあウォーラスを着水させるからさっさとそれに乗って!!」
さっきから話している間、とっくにウォーラスは着水態勢に入り、とっくに駆逐艦綾波は着水予想地点に向かっている。
ところが綾波は着水してくるウォーラスの手前で舵をいっぱいに切った。
「いけない! ヴァリアントさん!」
いきなり海中から巨大な海蛇のしっぽが延びてきてウォーラスに叩きつけられる。
「シーサーペントです!」
綾波はそう叫ぶや後部から爆雷を次々と投下して全速力で退避する。
スクリーンのヴァリアントはしまったと舌打ちして
「今からあたしの部隊が全速でそちらに向かうから持ちこたえて! 綾波! 」
緊張した表情でうなずく綾波。
「今のあんたの近くにあるイニス・コラムの島、そこにデポがあるから物資を補給しなさい!」
スクリーンの画像の乱れがひどくなった。シーサーペントの魔力の影響だ。やつらがこちらに近づいて来たのだ。
「大丈夫! 個艦優秀を極めた特型タイプのあんたならできる! アドミラル、綾波を任せたよ!」
ヴァリアントがそう言い終えるとザーッという雑音とともに映像が消えた。
ヴァリアント「Do thou understand, sire!? 」
イニス・コラムは落ち着いた雰囲気の小さな島。こんな時でなければ隠れ家的なリゾート地という比喩がぴったりなのだが。
綾波は海図を見ながら湾内にゆっくりと自艦を進ませる。
ヴァリアントの無人ウォーラスを叩き落としたシーサーペントは追いかけて来ないようだ。
「あの怪物はどうなったかな?」
「わかりません。爆雷の爆音で探信儀が効きませんでしたから」
「怪物どもの目をうまく眩ませたということかな?」
「油断はできません。やつら、海に浮かんだ鉄の匂いをすぐに嗅ぎ付けますから」
湾内の埠頭に接岸する。くすんだ赤レンガの倉庫からゴーレムの沖給仕が物資の入った荷を運んでくる。小規模な補給基地ではあるが、ヴァリアントが神話の力で創造した苦心の作品である。
綾波が物資の搬入を監督している間、わたしは港を見下ろす小高い丘に上がった。
ケルティッククロスが立っているのが見えたのでお参りに来たのだ。(ep.17参照)
十代の六年間をカトリックの中高一貫校で過ごしたからというわけでもないが、事ここに至った以上は神仏にもすがりたい気分だ。
十字架の前に跪いて両手を組み、目を閉じて祈りを唱える。
「天にまします我らの父よ、願わくは御名の尊まれんことを…」だったかな。朝礼で繰り返した礼拝の文句など既に忘れて久しいが、それでも記憶の細切れをつなぎ合わせて言葉に出す。
丘を降りて艦に戻ると、ベテランの綾波は戦いの準備を終えたところだった。
しかし彼女の表情は暗い。わたしが声をかけると
「ヴァリアントさんのウォーラスだったら司令だけでも安全圏にお送りできたのですが、このままでは…」
「綾波、今からわたしの言うことを良く聞いて欲しい」
わたしはそう言って綾波の肩に手を置いた。
「わたしは定職のない研究者だった。今まで世間から離れたところで金銭もほとんど得られない仕事を続けてきた」
綾波は顔を上げる。突然、わたしが脈絡のないことを言い出したので不審な表情をしている。
「先ほどのヴァリアントとのやり取りだってそうだ。軍人どころか一般社会人でさえ憤るに違いない。あんな上司では部下が可哀想だ…とね」
わたしを見つめる綾波。表情を消しているので何を思っているのかはわからない。
「だが今ではこの艦隊のアドミラルだ。君たちと運命を共にする意志はできているつもりだ。もちろん、そんな事態になることは絶対に避けなければならないが、もしここで君とそうなるならばそれは本望だ」
縁起でもない、そして組織の長として許されないことを言っている自覚はあるので、極力言葉を選んだつもりだが彼女には伝わっただろうか。
綾波はやや低いところからわたしの目の奥をじっと見つめる。
やがて力強い表情になるとサッと敬礼した。
我々は島の湾内でシーサーペントの群れを迎え撃つ。綾波が作戦を説明する。
「外洋は水深が深くなるので、やつらが潜水艦のような攻撃を仕掛けてくると厄介です…そして…」
「そして…?」
「司令が上陸されている間、湾内に機雷を敷いておきました。白鷹さんのように上手くはできませんでしたが、それでも効果はあるはずです」
その綾波は艦橋で瞑目して端坐している。
その胸中はわたしには伺い知ることができない。
レーダーの画面を見ると無数の光点がレンジに入ってくる。
艦橋から目視すると、水平線の向こうにゴマ粒が見え、そしてどんどん大きくなる。
わたしは先ほど祈ったケルティッククロスに心の中で語りかけた。
…あなたのもとで学んだ紅顔の少年もすっかり不信心な大人になってしまいました。久しぶりに信仰を思い出しましたがご加護を頂けるでしょうか…
近づいてきたシーサーペント…巨大な海蛇の姿がはっきり見えた。
わたしがハッとなると綾波はカッと目を見開いた。
シーサーペントの集団は機雷原を避けて湾内に入ってくる。
「あっ! 機雷原が!」
「想定内です!」
綾波はそう答えると自艦の主砲を発射する。
機雷の無い水域を縦隊で入ってきたシーサーペントは次々とその餌食になる。
くぐり抜けたシーサーペントは綾波に向かってきたが、綾波は巧みに機雷原に誘導した。
機雷が爆発するとともに彼らの半数は千切れた肉塊となったが、それでも残ったシーサーペントが襲いかかってきた。
至近距離まで近づいた敵を見て、綾波の身体からは炎が燃え上がった。
「距離5000! 砲撃開始! 」
と、叫んで自艦の主砲を撃つ。
「プレストン! 命中!」
プレストン…?第三次ソロモン海戦で戦ったアメリカ艦か…!
そして綾波は艦を走らせながら次々と砲や魚雷を撃った。撃てば必ず当たった。そして叫んだ。
「ウォーク命中!グウイン命中!」
「ベンハム命中!戦艦サウスダコタ命中!」
その瞬間、わたしも綾波とともに第三次ソロモン海戦の戦場にいた。そしてわたしも叫んだ。
「綾波! 第一煙突に砲弾がくる!」
綾波はハッとすると舵を切る。襲いかかってきたシーサーペントの首が綾波をかすめた。
ギリギリでシーサーペントの攻撃をかわした駆逐艦綾波は、後部砲塔の仰角を下げた砲撃を胴体に命中させる。
綾波の激烈な反撃に会ったシーサーペントは、鳴き声をあげて逃げていく。綾波は追撃をかけようと艦を転舵して絶叫する。
「まだだ! まだ戦艦ワシントンが!」
わたしは綾波の燃え上がる身体を後ろから抱き締めて…
「もういい! もういいんだ綾波!」
その瞬間、水平線の向こうから飛んできた砲弾がシーサーペントの群れを粉々にし、航空機の編隊が扇を広げたように空中に展開した。
ヴァリアントのH部隊が戦場に到着したのだ。砲弾はクイーンエリザベス級戦艦ご自慢の15インチ砲から放たれたもの、航空機は空母イラストリアスから発進したソードフィッシュだった。
綾波「まだだ!まだリー提督の艦隊は残っている!」
「海がブラッディ・マリーをぶちまけたようになってるわね。単艦でここまでやるなんてニッポンジーン・サムラーイ!」
スクリーンに見えるのは白いサマードレスに幅広の帽子、そして濃い顔立ちをしたイギリス空母イラストリアス。
彼女は開いた口がふさがらないとばかりに呆れて呟いた。
もう一つのスクリーンの向こうにはイギリス軽巡オライオン。こちらはメイド姿にふわふわの金髪が印象的だ。
「アドミラルと綾波が黒ビールまみれになってプカプカ浮いているんじゃないかと思ったわ♡ 急いで来たけどくたびれただけね」
これみよがしに自分の肩を自分でトントンと叩く。
冗談じゃない。艦が沈んで、重油まみれになって漂流するなんて、戦争体験記のような目にあってたまるか。
二人とも好き勝手な事を言っている。
綾波が戦闘詳報をヴァリアントに送信したので、H部隊の幹部であるヴァリアント、イラストリアス、オライオンが三人一緒に検証しているところだ。
イラストリアスもオライオンも口先とは逆に真剣な表情で読み込んでいる。
「水深と機雷原を組み合わせた迎撃作戦なんて綾波もなかなかクレバーね。単艦でチェスト行けー!なんて知恵捨てをやらなかったのは誉めてあげるわ♡」
誉めるにもいちいち異文化への偏見による皮肉を忘れないのがオライオンだ。
そして指揮官たるヴァリアントは
「ねぇ、このアドミラルの『第一煙突に砲弾がくる!』って何?シーサーペントは大砲なんて積んでいないけど?」
…当然といえば当然の疑問だ。
「わたしも信じられないけどハッキリ見えたことは確かなんだ。そもそもわたしは戦闘員としての訓練を積んでいないんだ。飛来する砲弾を目視できるはずがないのだが」
「フーファイターね」
イラストリアスは気付け薬の携帯ケースを取り出してかざして見せる。
「ちがーう! 」
わたしはイラストリアスにそう突っ込んだ後で
「ひょっとして戦いの前にケルティッククロスに祈りを捧げたのが…いやそんなことはないか。今の言葉は忘れてくれ」
すると呆れると思ったヴァリアント。指を鳴らして
「それだよ! アドミラル!」
と叫んだ。
「え?どういうことだい?」
とわたしは尋ねる。
ヴァリアントは気がつかないの?という顔をして
「この島の名前のイニス・コラム。どういう意味か知ってる?」
「いや…何だっけな?」
駄目だな~とヴァリアントは首を横に振る。まるで地名学の教授みたいだ。
そしてヴァリアント教授は出来の悪い学生に教えるように
「イニス・コラム…ケルトの言葉で聖人コルンバの島という意味!」
「聖コルンバといえばアイルランドの三大聖人の一人?」
「そ。えらーい人だから霊験を示したのかもしれないね。やっぱりお祈りというのはだね、はしょらずにやっておくべきだね」
そう言うとヴァリアントは指で十字を切った。イラストリアスとオライオンもそれに倣う。
何だ、何だ。さっきまで軽口を叩いていたのがどこかに行ってしまったような敬虔な雰囲気だ。
そう言えば第二次大戦中の日本艦に艦内神社があったように、イギリスやアメリカの艦艇も艦内に礼拝堂を設けていたのだったな。彼女たちの価値観にふれたような気がした。
「それじゃあ、あたしたちは決められた哨戒コースに戻るね。しばらくは本拠地に戻れないから、あんたがアドミラルを乗せて行ってね、綾波」
スクリーンの中のヴァリアントは、そう言った後で、自艦からチューブを駆逐艦綾波に接続してエネルギーを補給した。
重油ならぬ神話の力が満タンになったのを確認すると部隊を率いて去って行った。
イギリス空母イラストリアス
イギリス軽巡オライオン
穏やかな午後の陽射しの中を駆逐艦綾波は本拠地に向かって航行している。
「司令、お茶が入りました」
綾波がヤカンを提げて艦橋に現れた。
ただ、二個ある湯飲みの一個は戦いの前にわたしの目の前で割れたので一個しかない。
わたしは自分に差し出された湯飲みを飲み干すとすぐに綾波にわたす。
彼女は洗うことも拭うことすらもせずに、渡された湯飲みに番茶を注ぐとそのまま口をつけた。
「司令、わたしの話を聞いて頂けますか?」
「ん?なんだい?」
綾波は湯飲みを卓上に置くと
「この異界に生まれ変わってから、朝の稽古として、第三次ソロモン海戦の戦いを止観することがわたしの日課になりました」
「止観…天台でいう座禅のようなものだね。確か意識を一点に集中して瞑想するのが座禅とは違うところだ」
「はい…外界から意識を遮断して、あの戦いでのわたしの行動を思い起こすのです…月のない闇夜…単艦で別行動...左側には椀を伏せたようなサボ島…敵艦隊視認…30ノットに増速…こちらの主砲の照準を合わせた瞬間に敵の放った星弾が輝き…」
緊張をほぐしたくて、わたしは綾波が置いた湯飲みを取って飲み干した。
「わたしのフネが作間艦長の命令で一斉射撃するとともに敵も盛んに撃ってきました。最初の被弾は右舷側でしたが決定的だったのは第一煙突に命中した砲弾です。弾の破片が内火艇のガソリンタンクに引火してわたしは炎に包まれました」
綾波は一礼してわたしが茶を注いだ湯飲みにそっと口をつける。
「炎に包まれたわたしは敵の砲撃の的になりました。二番砲塔に命中して砲が撃てなくなり、機関室に命中して航行もできなくなり、火災で魚雷が誘爆してわたしは沈んで行きました。それでも、わたしの砲撃で敵にも大きな被害を与えた満足感と、乗組員が浦波に救助されたのを見届けた安心感をはっきりと覚えています」
…満足感と安心感か。それにも関わらず、いやそれによる高揚感があるからこそ、綾波の戦いは続いているのかも知れない。
「こちらに生まれ変わってから、あの戦いを何十回何百回と頭の中で念じましたが、第一煙突への被弾はどうしても避けることができませんでした。しかし、今日の戦いで司令が命令してくださったおかげで、初めてかわすことができました。何とお礼を申し上げればよいのか…」
「いや…あれはヴァリアントも言った通り、聖コルンバの加護だ。わたしの力だけでは何もできなかっただろう」
綾波はゆっくりと首を横に振った。
「いいえ。ヴァリアントさんが言われた通り、司令の祈りが聖人に通じたのです。それに無謀な追撃をかけようとしたわたしを司令は止めて下さった。今日の戦いでわたしの中のあの戦争は終わったような気がします」
わたしの顔を見て微笑む綾波。午後の穏やかな陽射しを浴びたその姿が美しく見えた。
ガクッ! 突然、艦が止まった。わたしは卓につかまって身体を支える。
すると綾波はバツの悪そうな顔をして
「申し訳ありません。さっきの戦いでエンジンの不調が起きたようです。………あの、誠に恐れいりますが、司令のお手ずから機関の再始動をかけて頂けないでしょうか」
その時に綾波の表情は申し訳ないような、恥ずかしがっているような、今まで彼女が見せたことのない顔だった。
わたしと綾波は駆逐艦綾波の船底に降りる。そこはボイラーの熱が残っていて冬でも暖かい。
綾波はいきなりブレザーとスカートを脱ぎ始めた。
わたしは何となく見てはいけないような気がして後ろを向く。
バサッ…サッサッ…衣服を外して畳む音が聞こえる。その後にスルスルと衣服を着る音が聞こえる。
頃合いを見計らって振り向くと、白無地のはだ襦袢に身を包んだ綾波が、両膝を締めて正座していた。
「では、よろしくお願いします」
彼女は両手のひらを太ももの上に置いて一礼する。
わたしは生命のスティックを取り出すと船体に出現したコネクタに当てる。
「ン…」
綾波は一瞬顔を歪めた。
わたしはスティックを止める。
「…大丈夫です。このまま…さあ!」
わたしはスティックをコネクタの深部にゆっくりと沈めて行く…
「綾波!挿入ったぞ!」
「ン……ンン……ン……」
綾波がかすかに声をあげる。
今まで駆逐艦のエンジンを始動した時、叢雲はわたしの手を求め、雪風は今まで隠していた本心を吐露した。
しかし綾波は目をつぶったまま言葉すら出さない。
「ン……ン……ン……ンン……ンンッ」
でもスティックをコネクタに出し入れするにつれて機関の出力は上がっているのを感じる。
わたしはスティックの出し入れをさらにリズミカルに行う。時には穏やかに…時には激しく…
「ンッ…! 」
綾波の声が変わった! 彼女の機関を始動させるのはこのリズムか!
「ンッ!…ン…ンッ!…ン…ンッ…!…ンッ...!...ンンンッ!!」
綾波の声は抑制こそしているものの次第に昂ったものになっていく。エンジン起動までもうすぐだ。
「綾波、あと少しだ。ボクがついているぞ」
わたしは綾波の手を握る。
彼女は吐息を漏らしながらうっすらと目を開く。
わたしは試みにスティックをコネクタの中でゆっくりと回転させつつ不意に突き上げた。
その瞬間!
「ンンーー!!」
もう一度!
「ンンンーーー!!!」
綾波の身体が上に跳ね、後ろに大きくのけ反った。ピンと張った足首の先まで波打つように震えた。
その刹那、駆逐艦綾波のエンジンが起動し、船体が神話の力で輝いた!
「もう大丈夫だ!綾波」
わたしは意識を失った綾波を優しく抱き寄せた。
その後の駆逐艦綾波は本拠地に向かって順調に航行している。
綾波は意識を取り戻した後も身体をわたしに預けたままだ。
やはり先ほどの戦いで疲れたのだろう。
わたしは駆逐艦綾波の船底に身体を横たえながら、目をつぶった彼女を自分の懐に抱き寄せる。竜のしっぽのような後ろ髪が乱れていたのでそれを撫でてやる。
こんな少女が可哀想に…とは考えない。彼女は外見は少女でもウォーシップの化身であり、己の強い意志のもとで戦っているのだ。
「ン……ンン……ン……」綾波がかすかに声をあげる。
綾波は吐息を漏らしながらうっすらと目を開いた。
綾波は目をつぶったまま身体をわたしに預けた。竜のしっぽのような後ろ髪が乱れていたのでそれを撫でてやる。
日没が近づくとき、駆逐艦綾波は無事、総司令部が置かれている港の埠頭に接岸した。
駆逐艦綾波から降りたわたしに金剛とウォースパイトが歩みよってくる。
彼女二人は既にヴァリアントからの通信で一部始終を知っているようだ。
わたしは二人に向かって
「今回は綾波に助けられたよ…」
と言い終えるか終わらないかのうちに
「アヤちゃん!!」
甲高い声が響く。浦波だった。
浦波はこちらにかけてくるや
「ごめんね!わたしがボイラーの不調で引き返したばっかりに…サボ島の戦いの時だって敵の砲撃でわたしが反転しなければ…」
そう言って泣き出す浦波。
綾波は浦波をなだめるように
「今回はこうして無事生還できたんだ、ウラ。それにあの戦いの時だってお前は戻って来てわたしの乗組員を救助してくれたじゃないか」
「うわわあああ~アヤちゃ~ん」
浦波は泣きじゃくりながら綾波にとりすがるが…
「アヤちゃん!なんだか雰囲気変わった!」
浦波はキッ!と顔を上げると止めようとする綾波の手を振り払い
「司令! これはどういうことですか!?説明してください!」
わたしはしどろもどろで
「いや…これは…」
すると金剛が浦波を後ろから取り押さえ、ウォースパイトと二人でなだめながら連れ去って行った。
埠頭で綾波と二人になったわたし。
綾波に
「これからも戦い続けるのかい?綾波?」
ためらう事もなくうなずく綾波。
「君の中ではあの戦争は終わったのに?」
綾波は答える。
「平和な時は次の戦いに備えるのがわたしたち戦闘艦です。わたしの艦歴でも最初の7年間はそうでした。治にいて乱を忘れず。今日の戦いであの戦争の宿命から解放された時、わたしは自分の意志で再びそうした運命を選びました」
わたしは目をそらさずに綾波を見つめる。
すると綾波ははにかむように
「自分の来し方と行く末を司令の腕の中で考えましたが…今は海上自衛隊と名前を変えた若い仲間たち…彼女たちの中には日本を冷戦から守りつつ、敵に向かって一発の砲弾を撃つこともなく退役した艦もいるそうです。わたしもそんな人生を送ってもいいなと思うようになりました」
綾波はそう言い終えると力強く敬礼した。
かくして綾波はわたしの中に鮮烈な印象を残して仲間のところに戻って行った。(この章おわり)
後書き
ヴァリアント
「さ、予定外のハプニングで遅れたからね。急いで哨戒ルートを回るよ」
オライオン
「でも綾波を単艦で残して大丈夫かしら」
ヴァリアント
「ふーん。やっぱり気になるんだ?」
イラストリアス
「ご安心を。こんなこともあろうかと、あたくしが搭載しているソードフィッシュを追跡させてあるの。それもステルス機バージョンよ」
ヴァリアント
「おやおや。ウォースパイトがあんたのことをカンがいいって褒めていたけど、あたしに言わせれば油断も隙もないってところだね」
イラストリアス
「お褒めに預かったと考えておきます。さ、ガンカメラの映像を映し出すわよ」
ヴァリアント
「おー見えてきた、見えてきた。あ、いきなり艦が止まっちゃった」
オライオン
「やっぱりダメね。日本艦のエンジンは♡ わたしたちの時代ではミツビシやカワサキなんてジェーンの広告にめったに載らないし♡」
イラストリアス
「…今のはWW2以前の時代を指した言葉ですから誤解なきよう」
オライオン
「それはそれとして至急こちらの駆逐艦を救援に派遣しなければ。あの娘たちだけでは心配だからわたしも向かうわ」
ヴァリアント
「ま、他国艦の曳航なんてみっともない事をしなくてもだね、今の綾波にはアドミラルが乗っているからたぶん大丈夫だよ」
イラストリアス
「またいつものコネクタ挿入?…毎回毎回ワンパターンでごめんなさいね」
ヴァリアント
「あんた、さっきからカメラ目線で誰に話しかけてるのさ?…おや、綾波の灯火が消えた」
オライオン
「ユサユサユサ…艦が揺れだしたわ」
イラストリアス
「ギシギシギシ…揺れが激しくなったわね」
ヴァリアント
「ビクンビクンビクン!ついに艦が痙攣したね。おー神話の力で輝きだした!もうこれで安心だね」
イラストリアス
「ちょっとお二人とも。今の輝きをスペクトラム分析にかけたら、綾波のメンタルバースト、他の国の駆逐艦では出せない数値になっているわよ!」
ヴァリアント
「どれどれ…なるほど、これは大したもんだ。カオスとの戦いで頼もしい味方ができたね」
イラストリアス
「ピーピングトムの真似をしながらこんなことを話しているなんてあたくしたちも大概ですこと」
オライオン
「でもイラストリアスさん、目の前の脅威への対処は戦時平時を問わずわたしたちのお仕事よ」
ヴァリアント
「ま、人間に生まれ変わったウォーシップ如何に生くべきか?なーんてテーマはアドミラルに考えてもらえばいいのさ。さ、急いで仕事を終わらせるよ。クリスマスまでには基地に戻りたいからね」




