表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

24/26

24. アドミラル、嵐の中の操艦

「その大自然の衝撃力は、水の分量と速力とがわかれば計算されるわけだが、たとえば何十トンとか、何百トンとかいう水の塊が、自動車の二倍の速力で、艦の前甲板に激突したようなものと思えば間違いあるまい」


伊藤正徳『大海軍を想う』第15章第3節で第四艦隊事件を解説した記述。

(前回のあらすじ)


わが連合艦隊は異界の東「支那」海で演習を繰り返しながら青島に向かうことになった。


その途中、わたしが駆逐艦叢雲に乗っている時に、海中から異界の怪物クラーケンの襲撃を受けたのである。


叢雲の船体に触手を絡み付かせるクラーケン。あわや撃沈かと思ったが、叢雲に搭載されていた超科学兵器・超電磁ダイナモをわたしが発動させて、その超高圧電流でクラーケンを退治したのである。


______________________________



危機を共に乗り越えたせいで、叢雲とわたしの間には信頼が芽生えたようだ。


叢雲はもはや抵抗なく自分のコネクタをわたしに見せる。わたしは生命のスティックを何度も何度も叢雲のコネクタに挿し込む。


一晩中、この行為を繰り返したおかげで、生命のスティックの霊的な力がコネクタを通して叢雲の中に流れ込み、クラーケンの触手で傷ついた叢雲は短期間で修復された。


挿絵(By みてみん)

叢雲「え? このまま服を着たわたしを...?」





夜が明けるにつれて、海湾に停泊していた艦隊の出航時刻が近づいてきた。わたしは艦載水雷艇で旗艦の金剛に戻らなければならない。


叢雲はどことなく淋しそうな風情で

「司令、またわたしに乗ってね。いつ来てくれてもいいわ」


何やら後朝の別れみたいだな、と愚にもつかないことを考えながら叢雲を離れる。


戦艦金剛に到着して、その戦闘艦橋に上がると出航準備のラッパが海上に鳴り渡る。


「両舷前進微速!!」


という金剛の司令と共に艨艟の群れはゆっくりと動き始める。林立するパゴダマストが前に進んでいくさまはシェイクスピアでいう、動くバーナムの森を彷彿とさせる。


波の上には東の空の金紅の光が映じ、空を見上げると五色の彩雲がたなびいている。その彩雲は象や鳥や人間の姿に次々と変わる。瑞祥を見たような思いがする。


「いや、瑞祥のような景色で素晴らしいね!」


わたしは傍らにいる金剛に言った。


金剛は早川式シャープペンシルを使って海図にマッピングしながら、


「何を呑気なことを言うておるのじゃ。後一時間もすれば時化がくる。その前に食事をすませておくのじゃ。フネが揺れるとモノなど食べておれぬぞ」


わたしは慌て朝食に配給された握り飯をお茶で流し込む。その後の口直しに沢庵をポリポリ噛んでまたお茶を飲んだ。


金剛はそんなわたしから視線を転じて、いつのまにかオブザーバー格で戦闘艦橋に居座ってるギリシャ艦アヴェロフに向ける。


「アヴェロフ、おぬしも自分のフネに戻って準備したほうが良いぞ。東『支那』海の時化は穏やかな地中海とは段違いじゃぞ」


「オーホホホ! わたくしを誰だと思ってるのかしら? 先の大戦ではインド洋で船団の護衛任務で大活躍したのよ! モンスーンぐらいはどうってこと無いわ!」


高笑いが特徴的なアヴェロフ。彼女とはギリシャ艦とトルコ艦の仲直り以来久しぶりに会う(第16話)。アヴェロフは国際的基準では巡洋艦になるが、歴史的な名艦なので本国のギリシャではフリクト(戦艦)として扱われている。そのためかなりの自信家なのだ。


そんなアヴェロフに対して、金剛は電子タブレットに気象海象の予測データを映し出し無言で差し出す。


アヴェロフはそれを見るや青ざめた顔になり、慌てて艦橋から降り、戦艦金剛に並走している自分の艦に戻って行った。


挿絵(By みてみん)

金剛「ん? 電子タブレットを使っているのに紙の海図に筆写するのはどうして...じゃと? うむ、これはわしにとって精神統一の手段なのじゃ」




アヴェロフと行き違いに比叡が艦橋に上がってくる。金剛と比叡は姉妹艦だ。


ただ、金剛はイギリスで建造されたので彼女の人間体は金髪碧眼。それに比べると比叡は日本で建造されたので人間体も日本人らしい黒髪だ。


ただ、よく見るとその瞳はかすかに青みがかっている。これは彼女の建造では、イギリスで製造されたパーツを日本に運んで組み立てたノックダウン方式がとられた史実を反映している。


「姉さま、観閲武艦として同行している各国の巡洋艦はみな自分のフネに戻りました。それぞれ時化が来るのに備えています」


「うむ。フランスやイタリアの艦は地中海が主戦場じゃから東『支那』海の時化はちと堪えるかも知れぬな。早めに準備させておくのに越したことは無い」


わたしはそれを聞いて不安になってきた。船に乗って時化に合うなんてのは初めての経験だ。せいぜい映画『天平の甍』の嵐に翻弄される遣唐使船のシーンから想像するしかない。


「そんなにフネが揺られるのかい? 金剛。」


「なーに。怖いのは最初のうちだけじゃ。慣れればどうということは無いわアハハハ!」


豪快に笑い飛ばす金剛。しかし比叡が心配そうな表情をしているのがとても気になる。


「そういえば日本艦は時化の準備は完了しておるかの」


比叡に尋ねる金剛。


比叡はいかにも姉をサポートするしっかり者の妹という趣で


「はい、姉さま。ハッチや舷窓は全て閉鎖し、甲板上の船具は全て片付けるように指示しました。今回は第四艦隊事件の教訓を生かして通風筒も閉鎖させましたので、船内への浸水は防ぐことができると思いますが…」


「比叡、キミは確か第四艦隊事件を経験したのだったね」


彼女に確認するわたし。


第四艦隊事件は演習中に台風に出くわしたという旧日本海軍史の中で最大級の海難事故だ。その時の戦艦比叡には海軍の法王とも言うべき伏見宮が乗艦し、演習の統監を勤めていた。人間に生まれ変わった現在でも彼女にはその時の記憶が生々しく残っている。


「はい、提督。事故が起きたときはGF司令部、4F司令部、そして各艦の間で状況を確かめたり被害を報告する無電が飛び交って実戦より混乱していました。殉職者もたくさん出てしまいましたわ」


そういえば以前に金剛から『昭和十年大演習に於ける赤軍第四艦隊荒天遭難報告』を見せてもらったことがある。


それには波浪で艦首を切断された駆逐艦初雪・夕霧のほか、空母鳳翔は飛行甲板前部支柱の六本が屈曲、駆逐艦睦月は艦橋が圧潰大破、そのほかの艦も船室のビームが湾曲したという被害が報告されており、紙の上からではあるが自然の恐ろしさを知ったのである。


そして、わたしと比叡が話している間にも、空や海はどんどん姿を変えていく。


先ほどまでは快晴だったのが、次第に雲が出てきて、いつの間にか風も強くなった。そしてうねりが艦をゆすっている。


比叡は海上の様子を一瞥すると


「それでは金剛姉さま。わたしは自分の艦に戻ります」


「うむ。幸運を祈るぞ。広い海では自分のフネを守るのは自分しかおらぬ」


最後はわたしに聞かせるようだった。


荒れはじめた海で、比叡が艦載水雷艇を巧みに操って自分の艦に到着し、デリックで揚收されたのを金剛と二人で確認すると、わたしは金剛に尋ねた。


「自分のフネを守るのは自分しかいないか…厳しい海の掟なのだね」


「そうじゃ。場合によっては僚艦を曳航していても、自艦の安全のために曳航索…ロープじゃの…をたちきらなければならぬ」


わたしは日本テレビ幕末時代劇『勝海舟』で、房総沖で台風にあった咸臨丸の乗組員が、自艦を曳航していた回天からのロープを自ら切断したシーンを思い出した。


ドラマでは回天の乗組員は大波の中に消えていく咸臨丸に向かってバカヤローと泣きながら叫んでいたが…


そのシーンの話をすると、金剛はフィクションでしか想像したことの無いわたしに対して


「一説によるとの、あれは回天の乗組員が自艦を守るために咸臨の曳航索を切り捨てたのじゃ」


息をのむわたしに対して金剛は


「ま、嵐に巻き込まれて右往左往している中での出来事じゃ。曳航索が事故で切れたのか、乗組員が切ったのか本当のところはわからぬ。しかし、海の上ではそれぐらいの覚悟がいると言うことじゃ」


毒に当てられた顔をしているわたしに、金剛は冗談めかした口調で


「ところで提督、今のうちにご不浄を済ませておくが良い。フネが揺れだしたらそれどころでは無くなるからの」


そう言ってわたしの肩をポンと叩いた。


わたしは慌てて戦闘艦橋に併設されているご不浄…トイレに向かう。


すでに艦は揺れだしており、トイレの中で立っているだけでも大変だ。手すりにしがみついて用便を済ませる。


戦艦金剛の戦闘艦橋にトイレってつけられていたっけ…という考証的な疑問が浮かんだが、今はそれどころでは無い。文化的な生活よりも食事と排泄という健康が最優先だ。


トイレから戻って暫くするといよいよ海は本格的に荒れはじめた。うねりは大きくなり、風は強風に変わる。


金剛は海上を目視したり最新式の航海計器ディスプレイをチェックしたりと忙しくしていたが、そのうちにわたしに


「提督、おぬしが舵輪を回すのじゃ」


「え? ボクが?」


「そうじゃ。本来ならば舵輪を握るのは提督や艦長ではなくて、下士官の操舵員の任務じゃ。しかし、この揺れで何もせずにいると船酔いがひどくなるぞ」


金剛が指をパチンと鳴らすと、本来は艦橋の下に位置する操舵室に収まっている舵輪がニューっと上に伸びてきた。


考証にうるさい艦艇ファンがこれを見たら呆れ果てるかなと考えていると…


「ほら、こんな時にほか事を考えてるでない、おぬしの悪い癖じゃぞ。さっさと舵輪に取りつくのじゃ」


慌てて舵輪を握るわたし。金剛の指示に従って右に左に舵を回す。


そのうちに時化は本格的なものになった。


大波が後方から押し寄せると艦はエレベーターのように波の頂上に押し上げられる。


波のてっぺんでしばし安定したかと思うと、ひどい横揺れをしながら波の谷間に急降下する。そして次の大波が来る。


もはやわたしは舵輪を回すこともできずに必死でしがみついているだけだ。急上昇と急降下を繰り返したために三半器官がおかしくなるのを感じる。


そして波が船体を叩きつけるドドーンという音を聞いているうちに、来るべきものがついに来た。猛烈な吐き気がわたしを襲ったのだ。


もはや舵輪など放り出し足元に転がって来たバケツにゲーゲーと吐く。艦隊の旗艦である金剛には、各艦の状況を知らせる無電かひっきりなしに入ってくるが、それを聞いているどころでは無い。


金剛に「助けてくれ」と叫びたかったがなけなしのプライドで必死になって耐える。


しかし、その頼みの綱だった金剛は突然胸を押さえて苦しみだした。


「むう…こ…これはいかぬ! 台湾沖で敵潜水艦に撃沈された記憶が急に蘇ってきた…!」


そうか、金剛は1945年に台湾沖でアメリカの潜水艦シーライオンの襲撃を受けた。


その時は魚雷が命中したものの撃沈するまでには至らなかった。


戦艦金剛の首脳部は台湾まではもつだろうとそのまま航行を続けた。


しかし、金剛は艦齢30年に近づかんとする老巧艦だった。魚雷の破孔からの浸水で鋼鈑(こうはん)接合部のヒビ割れがどんどん大きくなっていき、ついに乗組員の修復作業も空しく傾斜が限界を越えて沈んでしまった(長山兼敏「洋上決戦における金剛」『なにわ会ニュース』95号18頁)。


金剛が沈んだ時、海上の気象は暴風雨であり、再度の襲撃を決行しようとしたアメリカ潜水艦シーライオンも、ハッチから海水が滝のように流れ込んだので追撃を断念したほどだった(セオドア・ロスコ―他「米戦史家の眼に応じた金剛の栄光と最後」『日本戦艦全十二隻の最後』175頁)。


ちょうど今の天候と似ている。さてはそれがきっかけで忌まわしい記憶が蘇ったのか。


わたしは苦しんでいる金剛に駆け寄ろうとする。しかし、彼女は片手で頭を押さえつつもう片方の手で舵を指す。


「提督…舵を…舵を取るのじゃ」


比叡から安否を問う通信が入ったがすぐに聞こえなくなった。彼女の艦にも何かトラブルが起きて通信が途切れたのだ。


そのうちに戦艦金剛は激しくローリングをはじめた。そうか、今までは金剛がテレパスで艦をコントロールしていたがそれが失われてしまったのだ。このままだと沈没してしまう。


わたしは胃液をあたり一面に吐き散らしながら舵輪にしがみつく。舵輪の周辺にはわたしの胃の内容物がまきちらされて、生ぐさい臭いが漂っているがそんな事はかまっていられない。


ガクガクと震える膝を押さえつけながら舵輪に体重をかける。舵輪が横に傾くと心持ち艦が安定したのが伝わってくる。


しかし、大波が来ると舵輪は逆回転し、その反動でわたしは後ろに飛ばされて床に尻を打ちつける


何くそと立ち上がるも散らばった嘔吐物で足を滑らせ、前のめりに転んで右肘と頬桁を床に打ち付ける。


感情が抑えられずに半泣きになって舵輪にすがり付く。前方を見ると大波が盛り上がって迫ってくる。


朦朧としたわたしはその波が大山に見えた。そこにあるのは氷河の断崖絶壁。登ろうとしてもどこから取りついて良いのかわからない。


わたしは叢雲に教えてもらった東流操艦術三ヶ条を必死になって唱える。その意味など理解できない。ただわめいているだけだ。


そして海の大山は人間の挑戦を嘲笑うかのように口を開いた…と思ったら、山は崩れて大波に変じ、何千トンもの水の塊が凄まじい速さでぶつかってきた!


わたしは必死で操舵しようとする。乗艦の沈没と死への恐怖感が襲ってきたがもはやどうにもならない。


そのうちに何も考えることができなくなり、頭が真っ白になる中で最後の声を絞り出した。

「む~っ む~っ 無~~っ!! 無~~~っ!!」


その瞬間、艦が安定した。気がつくと金剛がわたしの手に自分の手を乗せて舵輪を押さえている。


金剛はわたしの顔を見てニコリと笑うと

「よし。提督、おぬし一つ抜けたの。今の無心の境地を忘れるでないぞ」


わたしが呆然としている間に嵐はものすごい勢いで後ろに遠ざかっていき、晴天が戻ってきた。


「いやいや、あんな見え透いた芝居におぬしは簡単に引っ掛かってくれるとはの」

金剛は愉快そうにいい放つ。


わたしはまだ船酔いが残っている頭を振りながら


「金剛は人が悪すぎるよ。ボクはキミに大戦の悪夢が蘇ったんじゃないかって本気で心配したんだぞ」


「いや、おぬしこそ人が好すぎるわい。もう少し人を疑ることを知らなければ、戦場ではもちろんのこと、後方の派閥争いでもいいように利用されるのじゃぞ。例えば野村直邦大将などは悪いヤツに言いくるめられて間の悪い時に大臣を引き受けしまって…おっと口が滑ったわい」


金剛はそういうと懐の印籠から薬丹を取り出して湯飲み茶碗に溶かすと、船酔いが残っているわたしに差し出してくれた。


嵐の最中に金剛が苦しみだして艦がコントロールを失ったのは、わたしを指揮官として成長させるために、彼女が打った芝居だったのだ。


空も海も静まって航行が安定した今となっては笑い話だが、あの時は本当にわたしは追い詰められていた。


すると金剛は

「さて、提督。あの時の心境はどうじゃったかな」


わたしは言葉を救い上げながら答える。

「言葉ではどのように言い表して良いのかわからない…しかし、あの時、ほんの一瞬だけど生も死も何もかもが自分の中から消え去った…ような気がするんだ」


「うむ。それが無心の境地、生死を越えた明鏡止水とも言うの。己だけではなく部下をも死に導く決断をせねばならぬ提督には必要な境地じゃ。しかし、今のおぬしはその入り口に立っただけじゃ。くれぐれも慢心するでないぞ。わしらは聖者ならぬ凡俗の身、無心の境地を得たと思っても心がけておらぬとすぐに忘れるからの。」


艦橋には比叡が来ていた。嵐が収まったので艦隊の再集結の指示と各艦の点呼を行っている。その作業が完了してみな無事であることを報告する。


挿絵(By みてみん)

比叡「提督、ご報告申し上げます。舵機室や電気系統のようなフネの中枢に浸水した艦はなかったので、各艦ともこのまま演習を行えます。探照灯が点灯しなかったり魚雷発射管が持ち上がった艦は各自修理しておくように通達しておきました」




そして比叡の次の言葉にわたしは驚いた。


「金剛姉さまからお話を聞いた時はうまく事が進むのかどうか、少々心配でしたが…首尾よく終わってようございました」


…何のことはない。比叡も知っていた。悪く言えば金剛とグルだったのだ。


わたしがそう考えて憮然とした顔をしていると


「それそれ、それがいかぬ。指揮官としては何が起きても腹にグッとためて何事も無かったような顔をしていなければならぬ。やはりまだまだ修行が必要じゃの」


金剛はわたしをからかうように言うと


「そもそもわしが大戦の悪夢に苦しむほど弱い艦に見えるか? ん?」


といたずらっぽい口調で聞いてくる。


それを聞いていた比叡は

「金剛姉さまは大東亜戦の終わりまで戦い抜いて戦場で沈んだのですから、心残りはございませんでしょう?」


そう聞いた比叡は一瞬複雑な顔をした。これは自分の最後が生死を共にした艦長を苦しめる結果になってしまったためか…


比叡の軽く冗談めかした問いかけを受けると金剛は真剣な表情になり、


「いやわしにも心残りはある」


わたしが興味深い顔をすると金剛は話の続きを始めた。


「大東亜戦もいよいよ敗色が濃くなった時じゃ。ベテランの乗組員の多くは戦死してその補充として第二国民兵が送られてきた」


「第二国民兵?」

わたしは金剛に問いかける。


「戦場では使い物にならないと判断されて徴兵されなかった老人じゃよ。戦局が逼迫したので連中まで駆り出されたのじゃ」


比叡が呟く。

「わたしが沈んだ時は戦況はまだ悪く無かったのですが、そうですか、末期はそこまで…」


「それでわしのフネにはの。親子そろって配属された水兵がおったのじゃ。親子と言っても息子が一等水兵、父親が二等水兵じゃ。若いほうが動作が俊敏で物覚えが良いので父親よりも上の階級になるのは当然じゃの。しかし、兵にまで配慮する余裕が無かったとはいえ、父と子を同じ艦の同じ分隊に置くなどと、海軍もむごいことをするわい」


金剛は舌打ちしてから呟いた。

「もちろん父親のほうは年を食ってからいきなり軍艦に乗せられたからの。スマートネスなネイビーになれるはずがないわ。しょっちゅう動作が鈍いと叱られたり殴られたりされておった。それも息子の目の前でじゃ。夜は周りに聞こえぬように二人でこっそり泣いておったの」


細い声だったが今もその泣き声がわしの耳にこびりついておるわいと金剛は呟くと


「結局、その二人もわしと共に海の底に沈んでしまった。わしはあの二人の乗艦じゃ。親子そろって祖国の港に連れて帰りたかったのじゃがのう。不甲斐ない限りじゃ」


金剛はわたしを見てニヤッとすると

「まあ、高齢ポスドクとやらのおぬしにわしが肩入れするのも、このことが心残りになっているからかも知れぬの。」


わたしは湯飲み茶碗の中の薬湯を静かにすする。

比叡も何も言わない。


日頃は陽気な金剛が隠していた一面を見て二人とも何も言えなかった…


「ハアハアハア…」

シンとした空気の中で、女性が階段を必死で登ってくる喘ぎ声が聞こえた。


戦闘艦橋に上がってきたのはギリシャ艦アヴェロフだった。


「ハァハァ…とんでもないテンペスト()だったわ」


あの時化の中を必死で操艦していたようで、アヴェロフはずぶ濡れだった。


「おお、アヴェロフ。生きておったか。いやまさに水もしたたるイイ女というヤツじゃの」


金剛が茶化して言う。いや、ずぶ濡れになったアヴェロフはイイ女どころでは無い。


いつもは時間をかけてすいているブロンドの髪はグショグショだ。海水の塩分がこびりついているので洗い流すのが大変だろう。


一昔前のハリウッド女優が着ていたような金のラメ入りグリークドレスはビチョビチョですっかり型が崩れている。


そして1911年竣工の老巧化した船体をごまかすための厚化粧は半分以上が剥がれている。


まあ、それだけキツイ大嵐だったということだが、いつも取り澄ましたアヴェロフの水もしたたる姿を見てわたしは思わず笑ってしまった。


「プッ…アハハハハ!」


アヴェロフはわたしを恨みがましい目つきで眺めて


「何よ。わたくしのことを笑うけどナヴァコスもさんざんだったようね。船酔いの初体験はどうだったの?」


アヴェロフが顎をしゃくった先では、比叡が着物にたすきを掛けて、床に散らばったわたしの嘔吐物を拭っている。雑巾や新聞紙に加えて消毒液まで用意しているのは、艦内での伝染病に神経を尖らせていた海軍らしい処置だ。


「ハハハ。いや、今は平気で話しているけど、あの時は死ぬかと思ったよ」


「旗艦の金剛がコントロールを失ったので心臓が止まる思いをしたけど、どうせナヴァコスを鍛えるためのお芝居でしょ? 戦艦があれぐらいのテンペストでどうかなるはずがないものね」


…結局は金剛の芝居を見抜けなかったのはわたしだけだったということか。


アヴェロフはさらに言葉を続ける。

「さっき比叡に無電を入れたけど演習の観閲武艦はみんな異常ないわ。わたしはみんなを代表して司令部の様子を見に来たの」


…ひょっとしたらわたしを心配してくれたのかな? 今回の演習を観閲する外国艦の中でアヴェロフは首席格だ。彼女は自信家で時として高圧的な物言いをするが、中々に責任感は強いのだ。


「後、もう一つの要件があるの。ナヴァコス、甲板に降りてご覧なさいな」


挿絵(By みてみん)

アヴェロフ「あーあ。ひどい目にあっちゃった。でもナヴァコスが無事でよかったわ。金剛のことは心配していなかったけどね」




甲板に降りて周りを見渡すと、時化で散り散りになった艦隊が再集結していた。


それぞれの艦から光がチカチカと放たれる。艦同士が発光信号で無事を連絡しているようだ。


わたしは双眼鏡を覗いて集まった艦を目の子算で数える。良かった、一隻も欠けていない。比叡から無事を聞いてはいたが、自分の目で確認すると改めてホッとする。


「ホホホ…ナヴァコスもだんだん指揮官としての自覚が出てきたようね」


アヴェロフがわたしに近づいて話しかける。


そういえばわたしが甲板に降りたのはアヴェロフに誘われたからだった。

「ところで用件って何だい? アヴェロフ」


「ナヴァコスは、今まで空のお天気ばかり見ていたでしょ? たまには海の中をご覧なさいな。とても綺麗なものが見られるわよ」


そう言われて海を見たらわたしはびっくりした。


海に銀河が映っているではないか。空を反射しているのか?


いや、違う。今は日没間近で雲が晩霞に美しく彩られているが、星はまだ出ていない。


よく見てみると、銀河は海底の奥深くに輝いている。銀河の光の上を魚の群れが走っているのが見える。その妖しさにわたしは呆然とした。


すると、甲板に降りてきた金剛が

「おお、さっきの時化の影響で海底と宇宙が繋がってしまったのじゃな」


わたしは思わず金剛に尋ねた。

「海と宇宙が繋がっただって?」


「そうじゃ。この異界ならではの物理現象じゃ。さっきの時化が次元に影響を与えての。本来なら幾万光年離れている場所が紙の裏表のように繋がってしまったのじゃ」


「浪の下にも都ならぬ星々がさぶらうぞ…というところでございますわね」


「何じゃ、比叡。その平家は今わしが言おうとしていたのじゃぞ」


「あっ、これは不覚でした。申し訳ございませんでしたわ、金剛姉さま」


いつの間にか比叡も甲板に降りてきて金剛と軽口を交わしている。


そして金剛はわたしに

「板子一枚の下は地獄という言葉があるように、海を渡るということは人間界もこの異界も死と隣合わせの厳しいものじゃ。おぬしもその一端をさっき思い知ったじゃろう」


「ああ、全く金剛の言うとおりだ」


「じゃがの。海は時としてこのように美しいものをわしらに見せてくれる。だからこそつらい航海も続けられるのじゃよ。ひょっとして人の一生も同じかも知れぬのう」


時間がたって夜になると次元の歪みは元通りになったのか、海の下の銀河は次第に薄くなって消えた。それに代わるかのように海の上には満天の星座が写しだされて行った…。


挿絵(By みてみん)


後書き


ウォースパイト

「あら、金剛シスターからメールが来ているわ。時化に遇ったけどマイアドミラルは無事。各艦も異常が無いのでこのまま演習を続行…良かったわ」


マレーヤ

「アドミラルも指揮官として成長したようで何よりだ。コンコン…誰だろう? お、バーラムとヴァリアントか」


バーラム

「ハイヤ(Hiya)、マイシスターズ。しばらく金剛がいないわよね。ウォースパイトやマレーヤだけでは司令部の仕事が大変だから手伝いに来てあげたわ」


ヴァリアント

「わたしはただお菓子を食べに来ただけだけどねー。どら焼きどら焼きと」


ウォースパイト

「今のところマレーヤと二人で何とか捌いているから大丈夫よ。重要な案件は通信で金剛シスターに伝えているし」


バーラム

「わたしたち、同じ姉妹艦じゃないの。遠慮することはないわ。ふふふ...日本艦の金剛がいない今のうちに、わたしたちロイヤルネイビーの思い通りに決めちゃいましょう」


ヴァリアント

「あーっ、バーラム悪巧みをしてるー、まったく油断も隙も無いねー」


マレーヤ

「待て待て。そんなことをやったら日本艦は無論、他の国の艦からも不信を持たれるからやめるんだ…コンコン…誰だろう」


三笠

「ロイヤルネイビーの諸君、久しぶりじゃの。日本艦の三笠じゃ」


ウォースパイト

「マイレイディ・三笠! しばらくごあいさつをしておらず失礼致しました!」


マレーヤ

「さ、こちらへどうぞ! 今、お茶とお菓子をご用意します」


ヴァリアント

「あー! マレーヤ、それ、あたしのどら焼き~!」


三笠

「かまわん、かまわん。わらわは今日は仕事をしに来たのじゃ」


ウォースパイト

「今、仕事と言われまして?」


三笠

「うむ。金剛の坊から頼まれての。あやつが帰ってくるまでわらわが書類仕事を行うことになったのじゃ。もっとも現役を離れたわらわだけでは心もとないからもう一人連れて来た。…出雲、入るがよい」


出雲

「ごきげんよう、クイーンエリザベスクラスの皆さん。装甲巡洋艦の出雲です。How do you do? …英語はしばらく使っていなかったけどこれで良かったかしら?」


ウォースパイト

「It’s a pleasure to meet you. はい。とても流暢なキングスイングリッシュですわ。マイレイディ・出雲」


マレーヤ

「これはマイレイディ・出雲。最初の世界大戦では、あなたをはじめとする日本艦隊が地中海に来て頂いたために、スエズ運河への航路をUボートから守ることができました。改めてお礼を申し上げる」


三笠

「いやいや、こちらこそ。東郷元帥の国葬の時はイギリスからも弔問艦を派遣してくれたことには感謝する。また、大東亜戦後にはイギリスの貿易商ルービン氏が朽ち果てていくわらわの保全運動を起こしてくれたことにはお礼の申し上げようもない」


ウォ―スパイト

「日本海海戦の英雄艦にそう言って頂きますとこちらも恐縮いたしますわ、マイレィディ・三笠」


三笠

「ま、堅苦しい挨拶はこれぐらいにしてさっそく仕事にかかろう。未決裁の書類をくれい」


ヴァリアント

「あーあー。残念だったねー、バーラム。日本海海戦の英雄と、最初の大戦の戦友がいる前で勝手なことはできないもんねー」


バーラム

「ヴァリアントの言うとおりね。先にイニシアチブを取られちゃったか。さすが金剛、日本艦もやるじゃないの」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ