23. 駆逐艦叢雲
「駆逐艦長の鼎の軽重は、大酒を呑んだり、エスプレイをしたり、”いもを掘ったり”(=酔って暴れる※引用者)することでは無くて、操艦の上手、下手によって問われるものである。操艦の上手い艦長には、乗員は一も二も無く心服する....」
志賀博『海軍兵科将校』より。
水雷戦隊の演習を観閲するために、日本艦の基地である柱島泊地に来たわたし。
昨晩は成り行きというヤツで戦艦榛名で一晩を過ごした。
今朝は目覚めた後で戦艦榛名の艦長公室で朝食をご馳走になる。
部屋の上座には壺に一輪の花がいけてある。榛名らしいと思ってしばらく眺めていたが、ハッと我に帰る。
そうだ、これから演習を行う海域に出発するのだった。早く食事を食べなければ…
そんなわたしを見て榛名はニコッと笑い
「人の長たる人間は、戦陣の中でも風流を解する余裕が必要ですわ、提督」
そう言ってストロベリージャムを塗ったトーストを差し出してくれた。
榛名「昨晩はよくお休みになれましたか?」
わたしが紅茶を片手にハフハフとパクついていると
「演習に出発する前に山城さんの甲板で観閲式を行いますから、ご出席ください」
榛名は秘書がしゃべるような声でそう告げた。
戦艦山城の甲板に行ってみると、戦艦と重巡洋艦、各国から派遣された観閲武艦が並ぶ前に向かい合って、水雷戦隊の旗艦である軽巡洋艦である川内、神通、那珂とその指揮下の駆逐艦が整列している。
比叡がわたしに近づいてきて、彼女は無帽なので頭を45度に下げた敬礼を行う。
「まだ着任していない艦や個艦訓練が完了していないものもいますので、昔の大演習に比べると規模の小さいものですが、何とかここまでこぎつけましたわ」
比叡はいくぶん誇らしげに話した。
「司令部に上がってくる書類を見ているだけでも大変だったことがわかるよ。今日は楽しみにしている」
と、わたしは比叡に話した。
彼女は
「提督にそのように言って頂けるとは恐縮です」
と笑みを浮かべながら答えた。
わたしが司令官の位置に立つと山城が訓示を始める。
「…我が帝国にして苟も東海の表に屹立し、富国強兵の計りごとを為さんと欲せば、須らく上下一和、衆庶と苦楽を同ふし、闔国一致、以て海運を興さざるべからず…」
ふむ...山城の訓示は『自由党史』の一文を少し変えたもののようだ。現代人には分かりにくい漢文調だが、要するに大日本帝国が国民一丸となって富国強兵を成し遂げ、列強に対抗しようという意味だ。つまりは司馬遼太郎の言葉を借りれば、開花期を迎えたまことに小さな国である明治日本をこの異界に蘇った艦隊になぞらえているわけだ。
しかし規模が小さいとはいえ提督たるわたしを迎えた初めての記念すべき演習。そのはじめに艦隊の未来への指針を示すとは山城も中々やるじゃないか。
そして富国強兵を成し遂げるには平民も政治に参画して国民一体になることが必要だと訴えた『自由党史』を典拠にするとは...山城も金剛型にライバル意識を露骨に示したり、巡洋艦や駆逐艦には厳しかったりするのだが、ちゃんと艦隊の団結が必要な事はわかっているんだな。
さて中々に格調高い訓示を受けた駆逐艦たちの様子は...と見るとどことなく白けた雰囲気だ。何やら私語を交わしているものもいるではないか。
すると金剛が目にもとまらぬ早業でわたしの耳にイヤホンのようなものを入れた。すると駆逐艦たちの私語がはっきり聞こえてきた。
「ねえ、あんた山城さんの言ってることわかる?」
「さあ? あの人の話って難しくて長いのよ」
「あんたたち国漢の講習ちゃんと聞いてたの?」
「いまさらあんな講習真面目に受けるバカはいないわよ。訓練の間のお昼寝の時間」
そうか...日本の近代文学史でいう言文一致運動は大正の終わりごろになってほぼ社会に浸透した。そのため昭和のはじめ頃の文語はかなり口語の影響が強くなったはずだ。明治43年刊『自由党史』の文章は明治から大正生まれの山城たちには馴染みがあるものだが、昭和になってから建造された駆逐艦たちにはかなり古臭く聞こえるのだろう。
しかも駆逐艦だけではない。今回水雷戦隊を率いる軽巡の那珂は大正14年の竣工だが、顔をよく見るとあくびを噛み殺しながら山城の訓示を聞いている。
駆逐艦の私語はなおも続く。
「あんな古臭い漢文なんてどうでもいいわ。やっぱりわたしは『花物語』の吉屋信子先生よね」
「あら、横山美智子先生のほうがいいわよ」
「あんたって文学を見る目が無いのね」
「な、何ですってー!」
「ちょっと暁に朝雲、二人ともやめなさいよ!」
山城の眼がギラッと光る。ついに駆逐艦の私語は彼女の看過しえないものとなったらしい。山城が片手を振ると、戦艦山城のデリックが駆逐艦の列にニューッと伸びてきた。
駆逐艦たちは気配を目ざとく感じ取って黙り込む。しかしもう遅かった。
デリックは一番私語のうるさかった暁と朝雲を吊り上げるやそのまま海に放り込んだ。
悲鳴とともに水柱が立ち、空気は一気に静まった。那珂もいつのまにか表情を引き締めている。
山城「まったく、あの娘たちは...!」
扶桑「大変! 水に濡れたら風邪をひいちゃうわ。わたしの艦のカッターで救助してあげましょう」
山城「扶桑ねえ様! 生まれ変わったわたしたちは風邪なんかひきません!」
その後に山城は
「ところで叢雲がいないようだけどどうしたの?」
あなたの戦隊でしょ?とばかりに川内を睨む。
川内は冷や汗を流しながら
「い…いやあのですね、山城さん。叢雲は昨日からボイラーの調子が悪いようで…」
すると駆逐艦たちはまたヒソヒソと噂話を始める。
「叢雲ってボイラーの具合悪かったっけ?」
「え? 昨日は元気いっぱいでみんなと酒盛りしてたけど?」
すると軍港の入り口から一隻の駆逐艦が近づいてきた。
軍港内は他の艦艇や輸送船で混みあっているのだが、見事な操舵で交わしながら進む。
障害物の目前で舵を切るのではなくて、あらかじめ頭の中で針路と操舵の場所を決めているらしい。
見事なものだなあと感心して見ているといきなり港内に拡声器による大声が響きわたる。
「いっけなーい! 遅刻・ 遅刻ゥー! 」
そういえば一昔前のアニメやマンガのヒロインはこういう時には朝食のトーストを咥えて走ってくるものだが、叢雲は一味違っていた。
「皆さんごめんなさーい!」
戦艦山城に横付けした駆逐艦叢雲からヒョイと飛び移ってきた叢雲は…
寝起きらしくウェーブがかった黒髪を無造作に束ねていたが、驚いたことに寝間着を羽織っただけの格好で現れた!
「あ、司令、気にしないでくださーい! 着替える時間がなくてー! 」
わたしの隣にいた金剛が呟いた。
「またへそ曲がりを起こしおったか。操艦術だけではなくていらぬところまで東日出夫中佐に似てしまったのう」
ヒガシヒデオ…? わたしの知らない名前が出てきたので金剛に説明を求める。
それも無言のまま眼と顎で促す。
人間界でのわたしの知人が見たら噴飯ものの偉そうな態度だが、公式の場ではそうするように金剛に言われている。
金剛は頷いて説明をはじめる。
「東日出夫中佐…確か海兵52期じゃったか。叢雲の他に親潮、花月、雪風の艦長を努めた百戦錬磨の駆逐艦乗りじゃ。操艦の腕はピカ一、部下からの信望も厚かったが、奇行の多いご仁での。兵学校時代は白紙答案を提出したとか、出港時間ギリギリまで料亭で飲んでいて、軍服に着替えずに浴衣姿で艦橋に出てきたとか、とかくの逸話があったのじゃ」
叢雲「わたしの艦橋で浴衣のまま命令を下している東艦長は大物だったわぁ。出世はできなかったけどぉ」
雪風「東中佐は雪風の最後の艦長でもあるんですっ。終戦後のたった3か月だけだったけど」
叢雲「あらぁ? わたしを沈めた後もずっと生きてたんだ? ま、良かったんじゃないの」
東艦長と言えば腕の良さとその奇行で、名物教師ならぬ名物艦長じゃったなと金剛。
「なかなか面白い軍人が海軍にいたものだね」
とわたしが答えると
「まあ駆逐艦の艦長は車曳きと言われて出世が望めぬ、その割には責任も心労も重い。今でいうワンオペ店長のようなものじゃ。みな多かれ少なかれ少なかれへそ曲がりになってしまうのじゃ」
「うーん…確かに出世の見込みがないのは人生の先が見えないのと同じだからね。何だか身につまされる話だよ」
もっとも万年ポスドクをダラダラと続けていた自分と重ねるのは向こうに失礼だろうなと考えていると山城の怒鳴り声が聞こえてきた。
「不活性化よ! 不活性化処置になさい!」
さっきの格調高い漢文訓示はどこへやら。顔を真っ赤にしてわめきちらしている。
不活性化処置と言えばモスボール。つまり艦艇を使用できない状態にして港に停泊させておく処置だが、白雪姫みたいにずっと眠ったままにしておくのは少々厳しすぎるのではないだろうか。
そう考えて山城にひとこと言おうとすると金剛が目でわたしを止めた。もう少し様子を見ていろと言いたいらしい。
一方で叢雲は処罰するならどうぞご存分にという表情で直立不動の姿勢を保っている。
ただし、ブラジャーとパンチーに浴衣を羽織っただけの姿というのが、笑ってはいけないブラックユーモアである。
その時、叢雲をかばうように川内が前に出てきた。
「ま、ま、ま、山城さん。不活性化はちょっと厳しすぎるんじゃないでしょうか。ここはわたしの顔に免じてどうか穏便に。叢雲は東流操艦術の免許皆伝の腕前。わたしら軽巡がいない時に駆逐隊の指揮をとれるのはあの娘しかいないのですから。今回の演習にだって影響するかも知れませんよ」
山城にすがるようにして詫びを入れる川内。
しかし身体の姿勢とは逆に言葉づかいはどことなく偉そうだ。あまつさえ今からの演習を引き合いに出して暗に叢雲の赦免を脅迫しているではないか。
うーん。こういうところからも旧日本海軍における現場と上層部の力関係が伺えるなあ。
しかし叢雲もなかなか凄腕のようだ。わたしは日本の駆逐艦のトップエースは雪風だと思っていたが…
従卒艦としてわたしの斜め後ろに控えていた雪風に視線を走らすと
雪風は
「んー。雪風は爆撃や雷撃の回避はちょっぴり心得があります。だけど操艦だと叢雲ちゃんには敵いません」
ほう、幸運艦雪風が敵わないと評する叢雲の腕とは…
「例えば叢雲ちゃんが編隊航行の誘導をする時、10隻以上の艦それぞれに最適な針路を指示することができるんです。高速で動いているから少しでも間違えると艦首と艦尾が接触して大事故になります。でも東流操艦術免許皆伝の叢雲ちゃんはいつも正しい数字をビシッと出すんです。各艦の主機の状態や潮汐潮流を計算に入れて…」
雪風「中華民国海軍の旗艦を務めた時、叢雲ちゃんの操艦術を真似しようとしたけど最後まで届かなかったなあ...」
10隻以上の艦の指揮がとれるなんてこれは大したものだぞ...とわたしが考えていると雪風は水雷戦隊の内幕的な話まで教えてくれた。
「こんなこと言ってはいけないけど、戦隊旗艦の川内さんだって叢雲ちゃんについて行くだけなんですよっ」
旗艦のくせに航海は駆逐艦について行くだけだあ? いや、軍隊における新米士官とベテラン下士官、あるいはスーパーにおける正社員とパートのおばちゃんのように、よくみられる上司と部下の関係かも知れない。
で、川内は軽巡のいない時に指揮を任せられるのは叢雲って言っていた。しかし自分がいる時も任せきりなのか。なるほど、これで川内が叢雲をかばう理由がわかった
山城は相変わらず叢雲に厳しい処分を下そうとしている。それに対して川内は表面的な態度こそ下手に出ているが、言を左右にして叢雲の処罰を受け入れようとしない。
やっぱりわたしが行かなければいけないな…わたしは叢雲のところへ近づいて行く。今度は金剛は止めようとしなかった。
近づいてきたわたしを見て叢雲は目をキラリと光らせた。その鋭いまなざしにたじろいだが提督として言うべきことは言わなければならない。
「今日は初めてということで大目に見てやるが、今度から遅刻は許さん。わかったな!!」
これで叢雲が反抗したらどうしよう…と内心では冷や汗をかいていたのだが…
叢雲は一瞬ニコッと笑うとすぐに神妙な顔になり
「申し訳ありませんでした! 提督!」
と頭を45度に下げた最敬礼を行った。
気を削がれて黙ってしまう山城。
タイミングを見計らった神通がすっと出てきて
「さ、早く着替えてきなさい」
と囁いて叢雲を向こうのほうに押しやった。
これで場が収まったようだ。わたしが司令官の席に戻ると金剛は小声で呟いた。
「叢雲め、やりおったな」
「どういうことなんだい?」
「ヤツがわざと遅刻したのはの。山城に楯突くためだけでは無くて、お主を試したのじゃ。配下に威厳を示せる提督かどうかをな。ま、今回はピシッと叱ったことで、お主への好感度も上がったようじゃから良しと致そう」
わたしはそこまで考えずに叢雲を叱ったのだが…叢雲がそんなことを考えていたなんて…いや危なかったというべきかも知れない。
すると各国から派遣された観閲武艦の首席格であるギリシャ艦アヴェロフがわたしに近づいてきて
「オホホ…なかなかやるじゃないナヴァコス」
「ん…そうかな?」
「そうよ、あれで叢雲もナヴァコスを指揮官として認めたと思うわ。まずは合格というところね」
「ギリシャの名艦のアヴェロフにそう言ってもらえると嬉しいな」
「この演習はわたくしも観閲するから楽しみにしているわ」
アヴェロフが観閲武艦が集まっている一角に戻っていくと金剛が
「ではそろそろ時間じゃ。提督、号令をお願いする」
わたしは息を深く吸い込んで叫んだ。
「それでは合戦準備!! かかれ!!」
…今朝、榛名の前で号令の練習をしたのだが、何とかとちらずに出来たようだ。
抜錨した艦隊は柱島泊地を出て豊後水道から東「支那」海に出る。それから青島に向かいつつ戦技演習を繰り返すのだ。
なお、ここは異界だがウォーシップたちは自分たちに馴染みのある人間界の地名を勝手につけている。いずれは地図を作成しなければとウォースパイトは言っていた。
わたしは駆逐艦叢雲の艦橋にいる。名物艦長・東日出夫の操艦を受け、太平洋戦争の緒戦では、アメリカ重巡ヒューストンとオランダ軽巡バースを撃沈して活躍した叢雲。彼女の操艦術を実地で見たいと思ったのだ。
それを金剛に言ったら
「ではそうするが良い。なるべく現場に出たほうが指揮官としてのお主のためじゃ。戦隊旗艦の川内にはわしから連絡しておく。もし司令部で何か起きたら艦載水雷艇を出して呼び戻すからの」
かくしてわたしは駆逐艦叢雲の艦橋で、艦長の座る椅子に腰を下ろしている。
駆逐艦艦長の座る椅子は狭く、いかにも実戦部隊という趣きだ。
卑近な例えで恐縮だが場末の中華料理店のカウンターを思い出してしまう。そういえば使い込まれて油光を放っているのも共通している。
この演習では叢雲は川内を旗艦とする第三水雷戦隊、通称三水戦に所属している。
旗艦の川内を先頭に二列になって航行し、先頭は川内、我が叢雲は殿艦である。
本航海では艦隊の先頭を走っている三水戦。甲板に出て後ろを振り返ると僚艦が一列に並んで見えなくなるまで続いている。
こんな壮観な眺めはめったにお目にかかれないぞ。わたしは自分のスマホを取り出して写真を撮りはじめる。
波のしぶきを浴びながら夢中でスマホをクリックしているわたしのところへ叢雲が来て
「しっれっいっ! 何をやっているんですかぁ? 写真? わぁ! きれいに写ってるわね」
「それじゃあ叢雲を撮ってあげようか?」
「あ、ちょっと待って待って。お化粧直すから」
叢雲がマスカラを塗り直していると、艦隊の旗艦を努めている金剛から電信が入ってきた。
その内容は全艦取舵130度ヨーソロー。一度目の変針である。艦隊はこれから豊後水道に入るのだ。
叢雲も化粧の手を止めて操艦に集中する。彼女の頭の周囲がバチバチと光っている。
神話の力で生まれ変わった彼女たちは自らの意志の力で艦を操ることができる。甲板に出ていてもテレパスで舵を操っているのだ。
叢雲は操艦の傍ら、指を伸ばして自艦と前後左右の僚艦との距離を目測で測っている。
しばしの間、その真剣な表情に見とれていると、彼女はくるっとわたしの方を振り向いて、
「しっれっいっ。もう艦橋に入ったほうがいいわよ。金剛さん、そろそろ艦隊の速度をあげるから。甲板にいると海にドボンしちゃいますよぉ」
わたしと叢雲が艦橋に入ると、果たして金剛から電信が入ってきた。
その内容は「全艦第四戦速」
今は神話の力で動いているので、昔とは異なって石油の残量など気にしなくてよい連合艦隊。一気に豊後水道を抜けるらしい。確か敵機の空襲を回避する時の速度が第五戦速だから最高速度の一歩手前だ。
艦はグングンとスピードをあげる。波のしぶきが艦橋の窓を打つ。下を見下ろすと波が甲板にぶつかっている。
危なかった。確かにいつまでも甲板にいたら波にさらわれるところだった。
「駆逐艦乗りは波に洗われる危険な作業が多くてねェ。しょっちゅう海に落っこちるの。たいていはカッターで拾いあげるんだけど、そのまま土左衛門になっちゃうお間抜けさんが何人もいたから司令も気をつけてくださいねェ」
怖いことを言ってわたしを脅す叢雲。
ふと羅針盤を見ると針はピタリと止まっている。下手な新米水兵が操舵すると針が左右にブレるというから、これは叢雲の操舵技術を示していると言ってよい。
やがて金剛から二度目の変針の指示が入り、艦隊が東「支那」海に入る頃
「大変よ! 叢雲!」
先頭を走っていた戦隊旗艦の川内から通信が入る。
よほど慌てたのか叢雲の艦橋にホログラムを飛ばして自分の姿を出現させる。
「あらァ? どうしたんですかァ 川内さーん?」
爪にマニキュアを塗りながら平然と答える叢雲。
川内は叢雲の艦橋にいるわたしに気づいて慌てて敬礼すると、
「今、先行させた無人潜水艇からデータが入ったのよ! この先の海域に暗礁群が出現したの! 今まではあんなもの無かったのに! ああ! ホントにこの世界の海は!」
なるほど。これはこの異界の海ならではの現象だ。
この異界に生まれ変わったウォーシップたちは神話の力を使うことができる。それは人間界の言葉で言えばご都合主義に等しい。
しかし、世の中良いことばかりとは限らない。その反面、この異界は世界が不安定なため、地理的な環境がすぐに変動するのだ。
ウォーシップたちの基地の周辺は安定しているのだが、外洋に出ると激しく変わる。
この間司令部で観測したように巨大海底火山が突然出現するのに比べたら暗礁群はまだマシと言えるだろう。それでも艦の航行にとっては大きな障害だ。
「ここでグズグズしていると後続の戦隊がやってくるわ。みんな高速で航行しているからわたしたちが急に止まると衝突事故が起きる! そうなったらわたしの責任になっちゃうわ!」
衝突事故だって!? これは大変だ。操艦術の名手の叢雲なら何かいい方法が...そう考えてわたしが
「むらく...」
と言いかけたら、叢雲は目で私を押さえた。
その間に川内はますます取り乱し、ついには冬のボーナスが、冬のボーナスがとうわ言のように呟きはじめた。
「冬のボーナスゼロになったら正月の晴れ着が新調できなくなるわ! 戦隊旗艦のわたしが去年の着物で初詣なんてことになっちゃったらね、三水戦全体の恥よ! あなたもそう思うでしょ!! 叢雲!?」
川内「戦隊旗艦が晴れ着を新調できないなんてみっともない事になったらね! 三水戦のみんなが笑われるのよ! 叢雲! 」
そう言えば若い女性の正月のハレの儀式も着物の新調からいつの間にか海外旅行になっちゃったなあ。人間の女性に生まれ変わったといっても、彼女たちは戦前に建造されたから、その時代の価値観を引きずっているのだ。そう考えながら叢雲を見ると
川内とは違って彼女は悠然たるものだ。
爪に息を吹き掛けてマニキュアを乾かしている。さらには川内に見せつけるようにわたしに身体を預けてもたれかかる。
「それでェ? わたしにどうしろとォ?」
「ええい! わかってる癖に! 殿艦コレヲ先導セヨ!! 」
叢雲はマニキュアを乾かすのをやめて立ち上がった。
「了解しました! 川内さん、無人潜水艇のコントロール、貰いますよ」
「やってくれるのね!? お願いよ、叢雲! 特別手当申請しておくから!」
川内のホログラムが消えた後で叢雲は笑い出した。
「アハハハハ...川内さんの慌てぶりったらァ! おっかしくって!」
わたしは呆れながら
「キミも人が悪いね叢雲。でも戦隊旗艦にあんな真似をしていいのかい?」
「いいのよ。すぐにやりますって言うと調子にのって増々無理難題おしつけてくるんだから。でも、ま、わたしも司令の目の前でいいところ見せなきゃね」
そして叢雲は拳で手のひらを叩いて叫んだ。
「さあ、どの暗礁にぶつかるか! ハラハラドキドキ ロシアンルーレット! 覚悟を決めなさい!!」
叢雲「撃沈されるよな危険な香りはクセになりそなエ・ク・ス・タ・シー」
かくして殿だった叢雲が僚艦を追い抜いて戦隊の先頭に出ていく。
そして駆逐艦叢雲の檣桁上に「運動一旒」の旗旒がスルスルと上がる。
旗の意味は「わが航跡に続け!」だ。
叢雲は先行する無人潜水艇が観測した海底のデータを受け取る。
叢雲は軽口を叩いていた先ほどとは一転して、真剣な表情で海図にデータをマッピングしていく。わたしが横から見たところ、艦隊が進入できる航路は回廊のように狭い。
わたしは内心では「大丈夫なのかな」と不安だったが、彼女の集中が乱れると考えて口には出さず、努めて顔を能面に保つ。
しかし、駆逐艦たちもわたしと同じように感じていたようだ。
東雲が通信を送ってくる
「むらくも~どうしよう~」
「どうもこうもないでしょ。やるだけよ」
叢雲はぶっきらぼうに答えたが、皆が不安に感じていることに気づいたようだ。
「それじゃあ東流操艦術秘伝書をみんなで復唱して!」
そして叢雲はマイクに向かって声を張り上げる。
「1、操艦は危なげなしにやるべし。派手なことを望むなかれ!
2、左右、前後、上下を間違えるな!
3、コンパスの一度の間違いは致命的なり!
ホントはもっとたくさんあるけど、今回はこの三つを叩きこんでおくのよ!」
「あまり特別な事は書いていないんだね」
とわたしが言うと
「当たり前のことを完璧に仕上げる。それが東艦長の教えなのよ」
と叢雲が答える。
駆逐艦の全員が復唱を行っている間、叢雲はしばし海図を見下ろして考え込んでいたが、やがて鉛筆を取ると艦の予測針路を書き込んだ。才能のあるマンガ家がネームを描くのに似て、迷いなくスーッと線を引いて行く。そして要所要所に転舵の角度をサッサッと記した。
駆逐艦たちの復唱が終わると同時に、叢雲は机の上の海図を手に取ってパンパンと叩いて叫んだ。
「全艦百三十度ヨーソロー!」
二番艦の綾波が通信で応答する。
「一番艦ヨーソロー!」
戦隊は叢雲を先頭に縦陣となって暗礁海域に入っていく。艦前後の間隔はそれぞれ六百~八百メートル。旧日本海軍の伝統に沿った間隔だが、狭い回廊を衝突せずに通ることができるだろうか。
叢雲は各艦の間隔が一定になるよう無電で指示を飛ばす。
「東雲、遅れてる! 黒20! (スクリューの回転数増やせ!)」
「吹雪、前に出すぎ! 赤20! (回転数減らせ!)」
さらには艦が潮流に流されて微妙に針路が変わるのでそのたびに舵を切って調整する。
「面舵十五度」「戻せ」「あと十度」「あと五度」「三百三十五度ヨーソロー」
このあたりの微妙な操舵はみな叢雲の勘が頼りだ。
「いい? 占位運動は『立て銃』と同じ! 最初は早く、最後はジワットやるのよ!」
「「「微速前進ヨーソロー」」」
こうして戦隊がそろりそろりと進んでいき、ようやく暗礁海域を抜けるポイントまで後一歩のところまで近づいた。
これまで各艦は座礁はもちろん船底を海底で擦るような事故も起こっていない。
「叢雲、あんたって良くやったわ! 特別手当てをわたしから申請したげるわ!」
川内が喜びながら通信を送る。これで彼女の冬のボーナスも無事…いや、そんな個人的な事だけで喜んでいるのではないだろうが。
「やったじゃないか、叢雲」
わたしも声をかける。しかし、叢雲はまだ真剣な顔をしている。
「どうかしたのかい」
わたしが尋ねると
「いえね。なーんか、妙な胸騒ぎがするのよねー。海から匂うのは、アメリカの潜水艦が潜んでいるような危険なカ・オ・リ」
つまり戦場の勘というものか。わたしはソナーを確認したが
「何も反応は無いね。ただ何が起こるか」
「そう、次に何が起こるのかわからないのがこの異界の海」
叢雲がそう答えるや艦がいきなりグラッと揺れた! わたしは後ろに転がったが叢雲がさっと受け止めてくれたので後頭部を強打せずにすんだ。
それは何かが艦に食らいついてきたような衝撃だった。
叢雲が叫んだ
「クラーケン!」
…そうか! 異界の怪物、伝説種の一つであるクラーケンだ。
大ダコともダイオウイカとも伝えられ、海中を遊弋し船を見るや食らいついてくる。
かっては世界中の船乗りに恐れられた怪物だ。文明の進歩とともに人間界では居場所がなくなったので、この異界に移り住んできたのだ。しかも異界のカオスの影響でより強力になっている。
そのクラーケンは触手を駆逐艦叢雲の船体に伸ばしてきた。
「クッ…! そうか、コイツって探信儀の音波を吸収するんだった。反応がでないのも当たり前だわ!」
もはやテレパシーで艦をコントロールする余裕が無くなったのか、舵輪を握って手動で艦を安定させようとする叢雲。
わたしもすかさず舵輪を押さえて彼女とともに必死で艦を沈ませまいとする。
すると川内が通信の向こうで叫ぶ
「叢雲! どうしたの!? 何が起きたの!?」
「川内さん、叢雲です! 本艦は現在、クラーケンの襲撃を受けています!」
クラーケンはさらに触手を船体に伸ばしてくる。
必死で舵輪を握っていた叢雲が突然ビクッとした。そして怒りと羞恥に顔を染めながら身悶えする。
「アッ…! コイツ触手をスクリューの推進軸に…! あにすんのよ! このエロダコ!!」
エロダコというには凶悪すぎる形相のクラーケンは触手を伸ばして駆逐艦叢雲の船体に侵入してきたようだ。
艦と人間体の意識が一体化している彼女たちにとっては女性の秘部に闖入者が入ってきたような感覚だろう。
叢雲「あにすんのよ! このエロダコ! あっ! 艦尾から触手を....!」
わたしは急いで資料をめくる。泥縄でマニュアルを確認するなんて某ガンダムンロボのパイロットみたいだ。
金剛から渡された皇紀2685年版『海軍基本戦術』によると、潜水している敵に対しては爆雷を落とすか、短SAMを撃つのがセオリーだ。しかし今はクラーケンと船体が密着しているので、この手段は使えない。
すると川内が通信で対応を指示してきた。さすがは腐っても戦隊旗艦、こういう時は頼りになる。
「叢雲、あんたのフネにはこの間、対機雷用の消磁電路を取り付けたでしょ! 電流を流してそのエロダコを追い払いなさい!」
叢雲は床を転がりながら片手を上げ、帝釈天印を作って真言を唱える。すると電流が艦の周囲に放出される。しかし…
「ダメよ、川内さん。コイツはこの程度の電流じゃあ通じないわ。」
「叢雲、アンタのフネにはこちらの世界で開発した超電磁ダイナモを積み込んであるわ! それを発動させて超高圧電流を発生させなさい!」
「ちょっと川内さん、アレはまだ公試がすんでいないのよ。いきなり始動させるなんて危険が大きすぎる!」
「何とかしなさい! そっちには提督が乗ってるんでしょ! もしあんたが沈んだらボーナスゼロどころじゃないわ!」
金切声をあげる川内。そうだ、今気づいたがこのままだとわたしは叢雲と一緒に海の底だ。今ごろになって恐怖の感情が出てきた。その間にもクラーケンの触手は叢雲の下半身…ではない艦尾にウニュウニュグニュグニュと侵入してきたようだ。どうすればいいんだ、どうすれば。
すると追い詰められた時の天啓か。はたまた都合良くと言うべきか。
叢雲に乗る時に金剛が錦嚢を渡してくれたのを思い出した。
「もし何かが起きたらこの袋を開けると良い」
袋を開けてみると中から出てきたのは一枚の紙片。それには達筆で文章が書かれてある。わたしはそれを読んでその通りの行動を起こした。
わたしはまず叢雲の船体を探し回る。あった。生命のスティックを挿れるコネクターだ。
叢雲のコネクターには保護シートが被せてある。すみれ色のレースにピンクのリボンがついている。彼女のお気に入りのデザインのようだ。
それをビリビリと破って取り外す。女性の下着のようなので気がとがめるが、今は非常事態なのだ。心の中で謝る。
「ふんっ!!」
生命のスティックをしごいた後で、気合いを入れてコネクターに差し込む。
「痛いッ! 司令まであにすんのよ! ばかばかばかばかばか! しれぇのばか!」
叢雲は「ばか」という言葉を何度も繰り返す。ついにはわたしをポカポカ叩きはじめた
「すまん! 叢雲! これから僕の生命のスティックをキミのコネクタに挿れて超電磁ダイナモを発動させる。クラーケンを撃退する方法はこれしかないんだ!」
叢雲は手でわたしの顔を押しやりながら叫ぶ。
「わかったわ! 金剛さんの入れ知恵ね! わたし未経験なのよ! こんなところで初めてなんてイヤー!!」
「キミを海の底に沈めたくないんだ! わかってくれ! 叢雲!」
「ウソウソウソよ! どさくさ紛れにイヤらしいことするんでしょ! 司令の助平! エロオヤジ!」
「ボクだって海の底に沈みたくない! もうすぐ金剛が脱出用のオートジャイロを派遣してくるけど、叢雲を捨てて自分だけ逃げるなんて嫌なんだ!」
するとわたしを叩く叢雲の手がピタっと止まった。
「…ン…わかったわ。上手に発動させてね。わたしも協力するから」
そういうや否や、叢雲は甘い喘ぎ声を出しはじめた。その声にさそわれるかのように、わたしは生命のスティックを叢雲のコネクターの奥に挿れる。
おっと自分の気持ちだけで力を入れてはいけない。
わたしは金剛の教えを反芻する(第20話)。
まず、スティックをコネクタに三センチほど入れ、上下をむらなく擦り回す。それから深く挿入し擦り回す。そして九回は浅く一回は深く突く。神話の力を持って生まれ変わった彼女たちを操る操艦術の秘伝である。
これを何度か繰り返すうちに叢雲の喘ぎ声が変わってきた。最初は明らかにわたしのための演技だったが、そのうちに気持ちがこもったものになったのだ。
「ひあん…ひぁあぁん…しれいっ…やめてェ……イヤっ…やめないで…あん…ぁあぁン…わたしィ…わたしィ…どうなっちゃうのオ…」
甘ったるい叢雲の声が、いっそう鼻にかかった声になる。それと同時に機関部の前方にある超電磁ダイナモがうなりをあげて動きはじめた。いいぞ、この調子だ。
叢雲は喘ぎ声をあげながら泣き出しそうな顔になる。そしてすすり泣くような声で言った。
「あふん…あはん…あふん…あふぁん…しれいっ…しれいっ…わたしィ…わたしィ…初めてだから自分がどうなるのかわかんない…お願い…ずっと一緒にいてェ…」
わたしは返事の代わりに叢雲の手をギュッと握る。そして叢雲はいよいよ…
「あああ…ッ! あぅう、あ、あ、あ、あ…ッ! しれェ…しれェ…もう…だめぇッ!」
叢雲が絶頂を迎えたその瞬間、超電磁ダイナモが火花を散らしてフルパワーで発電した!
それと同時に叢雲の人間体が神話の力で輝きはじめる。
叢雲は両手を上にかまえて力を溜めるや、一気に振り下ろした。
「行け! わたしの力! 」
ほとばしる電撃がクラーケンを襲う!
一瞬でクラーケンは動きを止め、焦げた臭いをあたり一面に漂わせながら、海上に浮かんだ。エサの存在を感じ取った魚たちがはやくも集まってきた。
「成功したようだよ、叢雲」
わたしは叢雲の手を握りながら彼女に告げる
「そう…」
叢雲はぼんやりとした目でわたしを見ながら答える。
すると甲高い声が艦橋に響いた。
「良かったわ! 提督も無事なのね! 叢雲! あんた良く頑張った! 頑張ったわ! 助けられなくてゴメンね、むらくもー」
川内からの通信が入ったのだ。最後のほうは半泣きになっている。そうだ、後続の艦は暗礁地帯をまだ通過していたので、駆けつけることができなかったのだ。
そして三水戦はじめすべての艦が暗礁地帯を出てきた。叢雲の航跡儀のデータを送ったのでスムーズに通過できたようだ。
戦艦金剛と戦艦扶桑が駆逐艦叢雲に接近してくる。
超電磁ダイナモをフルパワーで発電させたため、叢雲はまだ放心状態だ。
そんな彼女に代わり、駆逐艦叢雲の甲板に乗り移った川内が手旗信号で金剛と扶桑を誘導する。
戦艦金剛と戦艦扶桑は叢雲の周りを円を描くように旋回し始めた。
ここはすでに外洋の東「支那」海だ。傷ついた叢雲を守るために、大型艦である戦艦が防波堤となって高波を防いでいるのだ。それは母親が子供を守るようにも似ている。
これを旧海軍の言葉では「制波揚収」という。本来は着水した水上機を回収するときに用いられるやり方だ。艦が15ノット内外で旋回するとその内側は波がおさまる。排水量一万トン以上もある軍艦がこれをやると相当な荒天でも海面は静かになるという。(小林孝裕『海軍よもやま物語』「制波揚収」)
ぐるぐる回る二隻の戦艦を見ている内に叢雲も意識が戻ってきたようだ。
「司令...あなたはもう金剛さんのところへ戻るのね」
「ああ、クラーケンの襲撃があったからこれからは装甲の厚い戦艦から離れられないだろうね」
「司令...わたしね、久しぶりに自分の艦に人間を乗せて楽しかったわ。わたしが生まれ変わる前、わたしの艦橋では東艦長がタバコをプカプカ吸って、灯火が漏れるからやめてくださいと若い士官に叱られて、先任将校だった水雷長はいつも冗談を言ってみんなを笑わせて...そんな懐かしい頃を思い出させてくれてありがとう」
「叢雲...」
規範を逸脱する傾奇者のような真似をしたり、軽口を飛ばしたりする叢雲の真情に触れたような気がした。
わたしが少ししんみりしていると叢雲はわたしの耳に口を近づけて
「.......そして最後はクセになりそなエ・ク・ス・タ・シー」
…やはり叢雲は叢雲だった。
やがて艦載水雷艇を操縦した金剛が駆逐艦叢雲に乗り移ってきた。わたしと叢雲の無事を確かめる。
扶桑は水中に潜ってクラーケンの触手が侵入したスクリューの周りを調べている。
上がってきた扶桑は
「思った通りスクリューのプロペラと推進軸に歪みが出ているわ。叢雲だけは柱島泊地に帰ったほうがいいかも知れないわね」
扶桑「主機が破損していなかったのは幸いだったわ。プロペラと推進軸の歪みは形状記憶合金で自動修復できるけど、大事を取って柱島に戻ったほうがいいかしら」
叢雲はそれを聞くや
「イヤ! イヤよ! わたしもみんなと演習に参加するんだからァ!」
川内は
「何とかなりませんか。金剛さん扶桑さん」
日本艦は工作艦の朝日や明石がまだ着任していない。そのため、基地の外では戦艦が小型艦の修理を行っている。
これは帝国海軍の慣習を踏まえたものだ。
太平洋戦争の後期、工作艦明石がトラックで撃沈された後は戦艦が工作艦の役割を担うことがあった。
例えば、駆逐艦雪風のスクリュー軸が破損したり、駆逐艦神風のレーダーが故障した時は戦艦大和から修理班が派遣された。
太平洋戦争末期は駆逐艦や海防艦などの小型艦の稼働率が多かったが、それでも人材や人員が大型艦に集中していたのは否めない。閑話休題。
叢雲の必死な顔を見て、金剛はコホンと咳払いをすると
「叢雲のスクリューを今すぐ直す方法が一つある」
「本当ですか? 金剛さん!?」
川内が勢いこんで尋ねる。
「それには提督と生命のスティックにもう一働きしてもらう必要がある。わかるの? 叢雲?」
叢雲の顔がパッと明るくなった。そしてわたしの肩に肘を置いて、こう囁いた
「今夜は秘密のカジノでキケンなア・ソ・ビ」
わたしも無言で彼女の腰に手を回した。これはもう少し叢雲に乗ることになりそうだ...
後書き
川内
「ふぅ。暗礁地帯の次はクラーケン。一難去ってまた一難。だけど何とか乗り越えたわね」
神通
「でも叢雲さんが無事で何よりでしたね、川内姉さん」
川内
「ふん、いつも憎まれ口ばかり叩いているけど、わたしの指揮下で撃沈されたりしたらね。やっぱり寝覚めが悪いもんね」
那珂
「またまた~素直じゃないんだから川内ちゃんは~」
神通
「ダメですよ、那珂ちゃん。あまり川内姉さんに失礼なことを言っては。川内姉さんはわたしたちのネームシップなのですから」
那珂
「はいはーい。でも相変わらず神通ちゃんは固いんだから」
川内
「那珂! 返事は一回にしなさいっていつも言ってるでしょ!」
那珂
「はいはいはーい!」
川内
「ホントにこの娘は…!」
神通
「まあまあ川内姉さん。後で言って聞かせますから。…でも叢雲さんのスクリューもすぐ直るようで良かったですね」
川内
「ホントよ! これで我が三水戦から脱落艦が出ることになってごらんなさい。……またわたしの責任になっちゃうのよ!!」
神通
「コホン…! 川内姉さん、私たち軽巡は恐れ多くも菊の御紋章を授かった名誉の軍艦です。それなのに保身に及及とするのは、失礼ながら如何なものでしょうか」
川内
「建前ではそうだけどね、実際は違うでしょ。ウチの海軍の士官どもだってね、口では勇ましいことを言っていてもみんな責任から逃げ回っていたじゃないの。気の弱い水兵が苛められて自分から海に飛び込んでもみんな事故死扱いにしちゃってさ」
神通
「しかしですわ、川内姉さん。私たち軽巡は水雷戦隊の指揮艦、その指揮艦が建前を通さずしてどうして部下の駆逐艦たちがついて来ましょうか」
川内
「あー。あんたんとこの二水戦は優秀で真面目な娘ばかり揃えているからそんなことが言えるんだわ。ウチの三水戦はベテランといえば聞こえがいいけど何かと言えば上に逆らってばかり…」
那珂
「ウチの四水戦の夕立もね。こないだイギリス艦と演習やった時に、相手の常山の蛇の陣形…縦陣に単艦で突っ込んでいってさ。イギリス艦たちに『狂えるイブニング・レイン』ってあだ名を付けられちゃった」
神通
「イブニング・レイン? 夕立って英語でそんなふうに言ったかしら? なんだか日本語をそのまま英語に直したような…」
那珂
「あちらの軽巡のオリオンがね。『急な雨だからイブニング・シャワーって言うんだけどこっちのほうがジャパニーズ・イングリッシュの感じが出てるでしょ? 』だって。那珂ちゃんムッカムッカ~なんだから!」
川内
「く~っ…相変わらず嫌みったらしい女ね! そういえばオリオンのヤツ、今回の演習では観閲武艦だったわね。あの女にバカにされないように全力を超えた全力で行くわよ!」
那珂
「オー!」
神通
「部下の駆逐艦や外国艦の陰口はほめられたことではありませんが、最後だけは同意です! 気合いを入れて行きましょう!!」




