11.コップの中の希土戦争(金剛、ウォースパイト、ジャーヴィス、雪風、マレーヤ、チェザーレ、ヤウズ)
「そなたのために多くの部下を失った。ここで斉国の王子のそなたを帰したらわしは宋国には戻れぬ。許されよ」
「惜しいな、将軍」
「なに?」
「国同士の争いなど蝸牛角上の争いにすぎぬ。空に国境があろうか、鳥に国境があろうか。真に倒さねばならぬ敵は他にいる!」
「なんの!戯れ言!!」
辻真先・ 横山光輝『戦国獅子伝』より
わたしは戦艦金剛のフカフカのベッドの上で目を覚ました。
主力艦会議でトルコ艦のヤウズとギリシャ艦のアヴェロフが衝突した問題では、わたしの気づかないところで金剛とウォースパイトが動いて、二人を仲直りさせようとしていたようだ。
しかしそれも失敗に終わったようで二人は激突寸前だということだ。彼女らの故国トルコとギリシャは今まで四回も戦争をしているが、この異界で第五次希土戦争なんて冗談ではすまない。
その事が気になって昨晩はベッドに入ったものの最初は眠れなかった。しかし、金剛がわたしの寝室でおしゃべりをしにきてわたしの頭を撫でてくれるうちにいつのまにか寝入ってしまった。
洗面をすませて朝食の場所である第二士官室に来ると、金剛が朝食の支度をしていた。パンを焼く香りがするので今日は洋食だ。
わたしは金剛におはようの挨拶をした後で昨晩のお礼を言う
「昨日は金剛が側にいてくれたおかげでぐっすり眠れたよ。しかしあれくらいで眠れなくなるようじゃあダメだなあ」
金剛は首を横にふった。
「いやいや。心の疲れを甘くみてはいかん。わしら帝国海軍の任務は戦時はもちろん平時でも死の危険と隣り合わせでの。火薬庫の爆発やフネの沈没といった事故で殉職するものは後を断たなかった」
そういえば戦艦伊勢の砲塔爆発や戦艦陸奥の爆沈事故は有名だったな。
金剛は話を続ける。
「おまけに月月火水木金金の猛訓練で古兵にしごかれて神経衰弱…今の言葉でいう鬱病やPTSDになるものは多かったのじゃ」
少なくとも日本では20世紀の終わり頃までストレスによる精神疾患は社会的な理解を得られていなかった。まして戦前や戦時中だ。戦場のシェルショックで心が壊れた兵士は内地の精神病院に隔離されるのはまだ良いほうで多くは戦地で衰弱されるに任されたという。わたしも吉田裕の新書しか読んでいないが、戦時中、あるいは戦後に創作された皇軍伝説の影の部分だ。
「中には耐えきれずに自殺する兵もおった。しかし公式の事件として記録されたのはほんの一部じゃ。もちろんあの時のわしは見ていることしかできなんだ。今のように神話の力で魔法が使えたらあやつらを苦しみから少しでも助けてやれたかも知れぬ」
金剛はハチミツ入りのミルクをこれを飲むがよいと差し出して
「みな弱音を吐くのは男子の恥と考えて心に蓋をしていたのが原因の一つかもわからんの。おぬしもあまり内に籠らずに、わしやウォースパイトには遠慮なく悩みを話すと良いぞ」
わたしは彼女に答えた。
「ああ、ありがとう。これから一緒にやっていくのだものね」
金剛「提督の決断は孤独なものと世間では言うがおぬしは一人で抱え込まくても良いのじゃぞ」
するとウォ―スパイトが部屋に入ってきた。少し急いでいるようすだ。わたしにおはようございますと挨拶をしてから
「マイアドミラル、金剛シスター。今朝、マレーヤとチェザーレから連絡が入ってこれから昨日の報告に来るということですわ」
ギリシャとトルコの対立をやめさせるためにイタリア戦艦のチェザーレはアヴェロフの、イギリス戦艦のマレーヤはヤウズの説得に向かっていたのだった。しかしそれは上手くいかなかったのでその状況報告と今後の相談で二人がこちらに来るということだ。
三人で朝食のパンやオムレツを食べ終わった頃に近海を哨戒していたジャーヴィスから通信が入る。空中にスクリーンが出現する。
スクリーンの中のジャーヴィスはわたしたちと同じく朝食の最中のようだ。上部を外した枕缶のコンビーフを片手で持って食べている。もう片方の手は艦橋の計器をいじっている。女子校の寄宿舎の寮監に見られたら行儀が悪いと叱られそうだが任務中なので金剛もウォ―スパイトも目くじらを立てることは無い。
「ウォ―スパイトさん、金剛さん。マレーヤさんとチェザーレさんが後15分でそちらに接艦します。アドミラル、早く食べ終わったほうがいいわよ。え?...スノーボールどうしたの?」
ジャーヴィスの忠実なる艦内マスコット犬スノーボールが彼女の袖口を咥えてひっぱる。
「何ですって? 高空から偽歯鳥の群れがこちらに向かっている? じゃあちょっとマーク5対空砲で脅して追い払ってきます。あいつら狂暴じゃないけどフンをたくさん落としてくから厄介なのよね」
ジャーヴィスは食べ終わったコンビーフの缶を放り投げるように愛犬に渡して甲板に向かう。わたしは缶の底に残った肉を舐めるのだろうと思っていたら、口にくわえてゴミ箱に捨てたのには驚いた。金剛は「飼い主よりよほど行儀が良いの」と感心する。
駆逐艦ジャーヴィスの艦内マスコット犬スノーボール(Scott kindley, hms jervis ships mascott snowball sitting on cannon 1941/2 victor charles whitlock, https://www.flickr.com/photos/129893667@N08/16035715483/)
ウォ―スパイトが金剛に言う。
「防空はあの娘に任せておけばいいわ、金剛シスター」
金剛もうなずく。
「うむ。幸運艦というだけではない。任務には骨惜しみせぬから安心して任せられるわい」
ウォ―スパイトは続けて
「雪風のほうはどうかしら」
ウォ―スパイトがスクリーンを出現させるとその中には駆逐艦雪風の艦橋が映る。雪風は朝食をとりながらディスプレイに映し出されるデータを目で追っている。
何を食べているのだろうと目を凝らすと、左手には油条...中国人が朝食によく食べる揚げパンだ。そして右手にはプラスチックの容器に入った豆乳を持ってゴクゴクと飲んでいる。中華文化圏や東南アジアの典型的な朝食だ。もっとも暖めた豆乳に揚げパンを浸して食べるのが一般的だが、今は忙しいのでそこは省略したようだ。
雪風はわたしたちに気づくと揚げパンと豆乳を机に置いて「あ、これは失礼しました」と言った。
ウォ―スパイトは「食事中にごめんなさいね」金剛は「いいからいいから。そのまま食べ続けるが良い。朝食は一日の活力の源じゃからな」
雪風はすみませんと軽く頭を下げて食事を再開する。そして食べながらわたしたちに報告する。
「今は水中探信儀、近海に投下された観測ブイ、重力探知機から送られてくるデータを集計しています。現在のところ異常な海生生物の接近は探知していません。明け方に大規模な集団の移動を観測したのですが分析するとイルカの群れでした。えへへ...一度あの子たちを敵と勘違いしちゃってみんなで出撃して空振りしたことがあったのでデータをちゃんと取ってあるんです」
金剛は雪風に声をかけた。
「うむ。異常が無いのは何よりじゃ。引き続き監視を頼むぞ」
わたしは雪風に尋ねた。
「それはひょっとして中国式の朝食なのかい?」
雪風は答える。
「はい! 大事な任務の朝はこの食事です。雪風が中華民国所属だった時の乗組員さんはいつもこれを食べていました。油のカロリーと大豆のタンパク質で力が付きますよっ。雪風たちは人間の女の子と違って食べても太りませんから」
そういって雪風は油条を食べ終えると、今度は側にあった耐油紙の包装から卵焼きを挟んだ燒餅...パイのような焼きパンだ...を取り出すと美味しそうにパリパリと食べ始めた。
雪風はよく食べるなあというわたしの表情に気づくと
「えへへ...駆逐艦は体力が基本ですから」
とはにかんだ表情で付け加えた。
油ものをたくさん食べても太らないとは結構なことだと思いながらわたしはふとあることに気がついた。
「きみたちは神話の力で動いているのに人間と同じような食事が必要なのかい?」
ウォースパイトが答えた。
「わたくしたちにも食事は必要ですわ。マイアドミラル。飲食による精神的満足感はエネルギー変換効率にも良い影響を及ぼすことがデータで出ておりますの」
金剛も話しかける。
「それにわしらにとっての食事は人間たちとの思い出をつなぐ大切な行為なのじゃ。物理的な栄養学とは少し異なっておるの」
わたしは尋ねる。
「じゃあジャーヴィスや雪風が肉や油ものをガッツリ食べていたのは栄養ではなくて?」
金剛が笑いながら答える。
「気の持ちようというヤツじゃの。お、チェザーレがこちらに来るぞ。提督、早く口元のケチャップを拭くがよい」
そして船室の窓から戦艦ジュリオ・チェザーレが接近してくるのが見える。金剛は接舷の許可を投光信号で送る。
数分後にチェザーレは戦艦金剛に接舷する。ウォースパイトが横付けしているのとは反対側に巧みに舵を操ってピッタリとくっつける。もちろん衝撃に備える防舷物があるのでピッタリはもののたとえである
その直後に戦艦マレーヤがわたしたちに接近してきた。彼女は戦艦ウォースパイトに接舷する。
ウォースパイトはコンパクトを兼ねている通信機を開いて話しかける。
「今、金剛シスターのところで執務しているからそちらに来てちょうだい。乗艦の許可はとってあるから」
まだ通信が終わらないうちに金剛は投光機に魔法をかける。すると投光機から光のスカイウォークが出現して戦艦ウォースパイトを越えてマレーヤまで伸びて行った。
しばらくすると戦艦金剛に乗り移ったチェザーレが甲板からわたしたちがいる第一士官室には入ってくる。その表情はどことなく重い。ウォースパイトが入り口まで出迎えてチェザーレの腰にやさしく腕をまわして席まで導く。
次にマレーヤが入ってくる。投光機が作り出したスカイウォークをたどって来たのだが、投光機がマストの上部にあるので降りてくるのに時間がかかったようだ。
マレーヤは金剛に声をかける。
「階段というものは降りるほうが厄介だな。そろそろ日本艦のパゴダマストにはエレベーターをつけたらどうだ? 大和にはもう備えつけられたと聞いたぞ」
金剛は相変わらず耳が早いのと言った後で
「いやいや。楽をすることばかり考えていてはいかん」
金剛はそういってマレーヤに席を進めた。マレーヤもヤウズの説得が上手くいかなかったのでチェザーレと同じように重い表情で座る。
金剛はそんな二人をねぎらって
「まあ、何はともあれ昨日はご足労をかけた。まだ朝のうちじゃが特配を出そう」
そう言ってラム酒のソーダ割りにレモンを添えて出した。水兵に重労働を課した後にラム酒を特別に振る舞うイギリス海軍の習慣に倣ったようだ。ソーダ水で割ったのはラム酒をそのまま飲むよりは口当たりが良いと考えたのだろう。
二人が英語でいうところのラム・アンド・ソーダを飲んで落ち着いた時、金剛は本題を切り出した。
「それでアヴェロフとヤウズとの談合はどうだったのかの。首尾よういかなんだから話しにくいのはわかるが、昨日のことを聞かせてくれぬかの」
まずチェザーレが口を開く。
「ああ…アヴェロフもイタリア生まれなので最初は話が弾んだ。懐かしいイタリアの話を聞いて嬉しいと言っていたな」
そういえばアヴェロフが建造されたのはイタリアはリヴォルノのオルランド造船所だった。そういえばイギリスのヴィッカーズ造船所で建造された金剛もウォ―スパイトたちイギリス艦と仲が良い。艦同士の関係も国籍、艦種、同型艦、建造地、艦長が同じなど複数の要因が影響しているようだ。
チェザーレはさらに話を続ける。
「だが、ヤウズに対しては相変わらず怒っていてな。みんなの前で自分を豊胸手術の上げ底と…いや侮辱したのは断じて許せないそうだ」
金剛が豊胸手術の上げ底発言を取り上げて
「ヤウズは他にもいろいろとあやつの軍艦の誇りを傷つけることを言うておったが…こだわるところがズレておるような気がするのう…」
チェザーレはまあそう言うなといって
「それで…自分からは仲直りを持ち出すことは絶対にしないと言っている」
それを聞いてウォースパイトは眉をひそめる。
チェザーレはウォースパイトをチラリと見て
「それでわたしは一つの提案をアヴェロフに話した。金剛たちの言うネマワシをせずに即興で言ってしまったのだが…」
金剛はウォースパイトと視線を交わしてチェザーレに先を促す。チェザーレは続ける。
「たまには気分を変えて陸に上がってみんなでゴルフでもしないかという提案だ。ほらイギリス艦があの有名なセント・アンドリュースを模したゴルフ場を持っているだろう。そこを使うと言えばアヴェロフもヤウズも興味本位で乗ってくるのではないかと考えてな」
金剛は
「ふむ…悪くない提案じゃの」
横で聞いていたマレーヤは
「そういう理由なら喜んでオープンにさせてもらう。なあウォースパイト」
ウォースパイトもうなずく。
ところがチェザーレは申し訳ないという表情で
「それでアヴェロフも興味を持ったのだが、そこでわたしが失言した。ゴルフをついコルフと言ってしまったんだ」
それを聞いた金剛が
「それのどこがいけないのじゃ?」と聞く。
わたしもわからなかったので「どうしてなんだいチェザーレ?」と尋ねる。
チェザーレは申し訳ないという表情をますます濃くして
「この言葉はわたしたちとアヴェロフの間では禁句なんだ。二度目の大戦の少し前だ。わがイタリアはギリシャ領だったコルフ島を一時占領したことがあってな。ギリシャから見ると自分たちがやったわけでも無いテリーニ将軍暗殺の犯人扱いされて、島の占領と引き換えに謝罪と賠償を脅迫されたという事件になる」
金剛はかすかに眉をしかめた。トルコといいギリシャといいイタリアといいおぬしたちは揉め事ばかりじゃなという彼女の心の声が聞こえたような気がしたが、さすがに責任を感じているチェザーレの前では口には出さない。
チェザーレはさらに続ける。
「しかもその時にコルフ島のギリシャ守備兵を砲撃したのはわたしだ。アヴェロフはわたしの顔を黙って見つめるとそれから何も言わなくなってしまった」
ウォースパイト、金剛、マレーヤは天井を仰いでこれまた黙り込んだ。
わたしは意気消沈しているチェザーレが気の毒になって彼女の手を擦った。
「気にするな、チェザーレ。一度の失言でダメになるならそれが無くてもいずれダメになるさ」
チェザーレはそう言って頂けるとありがたいと答える。
するとそれを見ていた金剛が
「ほらほら、提督。もう少しチェザーレをナデナデしてやるのじゃ。それだけでは慰めたことにならぬぞ」
そ、そういうものなのか。わたしはチェザーレの手首から上腕部をもう少し擦った。ナデナデ…ナデナデ…ナデナデ…するとチェザーレの顔がほんのり桜色に染まり息も荒くなってきた。
ああ、彼女たちはこういう慰め方を好むのか。さらにわたしはナデナデ...ナデナデ...ナデナデ...
するとチェザーレは切なげな声で
「アァ...アドミラル...そ...そんなにナデナデされるとわたしは...」
チェザーレ「...そ...そんなにナデナデされるとわ...わたしは....」
…妙な空気になりかけたところでウォースパイトが咳払いして
「ヤウズの説得に行ったマレーヤはどうかしら?」
と尋ねた。
マレーヤが答える。
「ああ。ヤウズもアヴェロフと同じようなものだ。先に口撃を仕掛けてきたのはアヴェロフだから向こうのほうから詫びを入れてこないと絶対に許さないと言っていた」
金剛は売り言葉に買い言葉じゃなと呟き、ウォースパイトは本当に困ったこと...とため息をついた。
マレーヤはさらに話を続ける。
「イタリアを引き合いにだしてチェザーレたちには申し訳なかったが、ムッソリーニが地中海東部に進出した時はトルコもギリシャも手を組んだではないか。いい加減仲直りしたらどうだと薦めたら...キプロス島でトルコ系住民をギリシャ系住民が迫害したことは忘れないと言われた」
マレーヤは頭を振って言った。
「わたしも迂闊だったよ。キプロス紛争は第二次大戦後の事件なのだが、ヤウズが70年代まで生きていたのに比べるとわたしは戦争が終わってすぐの48年に解体されて眠りについたからな。うっかり失念していた。しかもあそこの島は我々グレートブリテンがオスマン帝国から奪って植民地にしたところだ。そのまま気まずくなって仲直りを取り持つどころでは無くなった」
金剛が「地中海というところは中々に歴史が複雑で難しいの」と呟く。
するとマレーヤは金剛を見て
「金剛、何やら他人事のような顔をしているが、お前も中国艦の寧海や平海が着任してくる前に彼女たちへの接し方を考えておいた方がいいぞ。あの二人にとっては揚子江の戦闘で拿捕されて日本海軍に編入された過去なんて思い出したくも無いだろうからな」
マレーヤの忠告を受けて金剛も腕組みをして考え込む。そしてポツリと呟いた。
「いおしま...いや寧海はわしがイギリスで生まれて日本に来たのと似ておっての。もともとは日本で生まれたのじゃ。播磨造船所で進水式を行った時は建造に関わった関係者が日本人中国人揃って仲良くバンザイ三唱したものじゃよ。東郷元帥の国葬にも中国からの弔問艦として来てくれたのじゃがなあ...」
わたしは思った。いかんなあ。話がズレた上に雰囲気まで暗くなる。ちょっと空気を入れ替えたほうがいいな。
そしてわざと大きな声を出して
「いや、首尾よく行かなかったとはいえチェザーレと同じくマレーヤもご苦労だった! ご褒美にナデナデしてあげようか?」
するとマレーヤは真っ赤になって
「な...何を言っているんだアドミラル! スキンシップなんてわたしたちの間では...その...まだ早すぎる!」
マレーヤ「そ...そういう事はもっとお互いをよく知ってからだ!!」
すると金剛がニヤニヤしながら
「良いではないか提督。マレーヤだってまんざら嫌というわけではあるまい。ん?」
マレーヤはさらに動揺して
「こ...金剛! おまえまで!」
するとウォ―スパイトが両手を大きく打ち鳴らして
「はい! マイアドミラルのおっしゃったとおり、チェザーレもマレーヤもご苦労さま! それではみんなでこれからの事を考えましょう!!」
わたしは先ほどからあることを考えていた。ちょうど会話が中断した今が言い出すのに良い機会かもしれない。
「あー。ボクはこれからヤウズとアヴェロフに会いに行こうと考えている」
するとウォースパイト、金剛、マレーヤ、チェザーレ四人の八つの目がわたしを見つめる。
金剛が尋ねる。
「ふむ…二人に会ってどうするのかの?」
わたしは答える。
「ボクが二人に会って何ができるかはわからない。しかしボクはあの二人とキミたちのような関係をまだ築いていない。ハッキリ言って二人のことはまったく知らないに等しい」
マレーヤが心配した表情で話す。
「しかし、アドミラル。これは言い訳では無いがあの二人はかなり拗れている。お前が説得に行っても難しいかも知れないぞ。そしてアドミラルが直接行って上手く行かなかったということにでもなれば…」
チェザーレもうなずく。
わたしは答える。
「つまりボクが行って失敗すれば司令部の権威に傷がつくという事だね」
金剛が言う。
「まあ、そういうことになってしまうの」
わたしが答える。
「ヤウズとアヴェロフ、お互いの歴史を背負ったこの問題はすぐに解決できるものではなさそうだ。時間がかかる。だからこそボクは彼女たちの艦に行って二人の事をよく知りたい。そうしないといざという時に責任を持った決断ができないかも知れない」
わたしの話を聞いたウォースパイトは
「わかりましたわ。マイアドミラルに行って頂きましょう。でもわたくしたちはついて行かないほうが良いでしょう。あの二人が身構えるかも知れませんから。ジャーヴィスと雪風を警護にお付けします」
二人が身構えるという言葉を聞いてわたしも考えるところがあった。
「では、ボクは今日は休暇をとることにする。アドミラルの軍装ではなくて私服で二人に会いに行くよ。親しみやすさと中立性を示すためにね」
わたしは自分の船室に戻って人間界にいた時に使っていた外出着を着て甲板に出た。その姿を見た金剛は
「こらこら提督。おぬしはわしたち艦隊の司令官なのじゃ。いくら私服とはいえそんな貧乏書生のような恰好ではいかん」
確かにわたしの私服はヨレヨレのシャツや薄汚れたジーンズ、それにあり合わせのジャケットを引っかけたものだった。ポスドク時代が長かったので服装にかまわない研究者の世界の文化が身に染みついてしまっている。やっぱり他所では通用しないよなあ。
すると自分の艦に戻っていたウォ―スパイトがスーツケースを持ってこちらに来る。そして人差し指を振って甲板に姿鏡を出現させる。
「わたくしの艦のワードローブを探していましたが、ちょうど良かったですわ。我らがABC、ロード・カニンガムが親しい友人に会いに行く時に着たスーツが残っておりました。魔法でサイズをマイアドミラルに合わせましたからどうぞ身につけてくださいまし」
アンドルー・カニンガム(Andrew Browne Cunningham, 1883年 -1963年)、第一次・第二次の両大戦で活躍したイギリス海軍の提督で、元帥、第一海軍卿、初代カニンガム子爵といった輝かしいタイトルを持つ名将だ。そのイニシャルをとったABCというニックネームで呼ばれていたことは海軍内部で広く信望を集めていたことが伺える。第二次大戦初期では地中海艦隊の司令官に任命されてウォ―スパイトを旗艦とした。主にイタリア海軍と戦いタラントの戦いやマタパン岬の戦いではイギリス海軍を勝利に導いた。
さて、ウォースパイトの用意してくれた私服はツイードのグレンチェックの上下に、地味な色だがストライプのネクタイと淡い色のチョッキだった。そして紳士の嗜みである帽子はカジュアルさを演出するためのハンチング帽。 1943年公開のイギリス映画The Life and Death of Colonel Blimpで主人公キャンディ将軍が田舎のカントリーハウスに帰った時に着ていたスーツを思い出した。
ウォ―スパイトと二人で砲塔の陰に入る。彼女に手伝ってもらって着替え、スーツの三つ揃いはどうにか身に付けた。だが、これにステッキを持つと日本人のわたしでは似非イギリス紳士になってしまう。イギリスとの関係が愛憎複雑なトルコ艦やギリシャ艦の感情を刺激してしまうかもしれない。
どうしたものかと考えたあげくに金剛を呼んで聞く。「扇子を持っていないかい?」
金剛はちょっと待っておれと言って羽織のたもとをゴソゴソと探り、あったわいと紳士用の扇子を取り出してわたしに渡す。
手に持った姿を鏡に映す。ドレスコードとしては変則的ではあるが多少はイギリス色を中和できたようだ。ヤウズもアヴェロフも同じ艦隊で今は家族同然なのだ。身内や親しい友人に会いに行くということで許してもらおう。
さて、そんなわたしの姿を見た彼女たちは
「とっても良くお似合いですわ。サイズがぴったりで良かった」とウォ―スパイト。
「うむ。まだ服に着られている感じがせぬでも無いがじきに馴染んでくるじゃろう」と金剛。
「おお。良いではないか。これならどこへ出しても恥ずかしくない」とマレーヤ。
「ジャポネのヴェンタリオVentaglioが素晴らしいな」とチェザーレ。
「司令っ! とっても素敵ですよっ!」と雪風。
「へー。どんな鳥でもきれいな羽根をつければきれいになるって本当ね」とジャーヴィス。
「あら、中身が立派だからこそ立派な羽根が映えるのよ」と再びウォ―スパイト。
...まあ好評だったということにしておこう。
ジャーヴィス「美しい羽根は美しい鳥を作る...日本の言葉で言えば馬子にも衣装ってところかしら?」
「それじゃあ行ってくるよ。今日は軽い話だけで終わらせるつもりだ」と心配そうに見ている主力艦たちに声をかけるわたし。
「では行ってらっしゃいませ。わたくしたちもその間に解決策を考えておきます」とみなを代表してウォ―スパイト。
ジャーヴィスと雪風、二隻もついてくるのはどちらかの機関が不調になった時に備えるためだ。どちらに乗ろうか迷ったが、既に彼女たちはコイントスで決めていた。
「ふっふーん。それじゃあ先にアドミラルが乗るのはこのわたしラッキー・ジャーヴィスね」
ということでわたしは駆逐艦ジャーヴィスに搭乗した。ジャーヴィスはトルコ艦とギリシャ艦のことはどうなったの?なんてことは一切口にしない。
「トルコ艦の基地までは約20分よ。湾内といっても外洋に出るから揺れに注意してね」
とだけ言った。
ジャーヴィス「Weigh the anchor! 海の風を身体で直接感じるわ!」
トルコ艦の泊地は海峡を進んだ奥の内海にある。
今、その海峡の入り口が見えた。艦橋のジャーヴィスは双眼鏡で針路方向をずっと見ている。そして大声をあげた。
「やっぱり! この前来た時と比べると沿岸の砲台の数が増えてる! あーっ! ミサイルまで据え付けているわ!」
ジャーヴィスと自分の艦橋をリアルタイム同期していた雪風が口を挟む。
「今朝、トルコ艦からメールで司令部に報告があったよ。カオスが産んだクリプティドの侵入に備えるために海峡入り口の砲台や中距離ミサイル発射台を増やしたんだって」
雪風はさらに話を続ける。
「ほら、トルコ艦ってまだ駆逐艦が着任していないじゃない。それで海峡の入り口の守備のためにもう少し砲台を作りたいってヤウズさん、この間ウォースパイトさんやマレーヤさんに話していたよ」
ジャーヴィスはそれを聞いて
「なるほどね。わたしの早とちりだったか…でもなんかキナ臭いわね」
と最後の言葉は小声で呟いた。
雪風が答える
「......わかるよ。雪風も台湾海峡を思い出す。あの時は向こう岸から赤い戦気が吹きあがっていた。でも今はあの時ほどは感じない」
雪風「北客翩然,壮心偏感,年華将暮...戦いに敗れて故郷を追われた人は帰りたいと願ってもそのまま年を取っていく...金国に故地を逐われた南宋の朱敦儒という人の漢詩だ。台湾海峡を哨戒する時にわたしの乗組員はいつもこの詩を口ずさんでいた...そしてそれはわたしの心でもあった.........え? 司令? 何か言ったのかって? いいえ何でもありませんよっ!!」
すると海峡の入り口に一隻の艦が現れた。巡洋戦艦ヤウズだ。われわれに発光信号を出す。ジャーヴィスはそれを見て
「ごー…あへっど? 機雷の位置はこの海図で大丈夫よね?」
雪風がたしなめるように言う。
「司令部に無断で機雷の位置を変えたらそれこそ大変だよ。第三国のフネも巻き込まれちゃうんだよ? いくら怒っていてもヤウズさんはそういうところはちゃんと考える人だよ。用心するのはわかるけどヤウズさんと会った時は顔に出さないように気を付けてね」
ジャーヴィスが言い返す。
「ヤウズさんが大丈夫なことはわかってるわよ。でも他のトルコ艦はどうかしらね」
雪風は何かを思い出したように
「あー…そういえば今日あたり帰ってくるよね、あの人」
そしてわたしたちは何事もなく海峡に入り、ヤウズの先導で海峡の奥に向かう。島が幾つかある内海に出てさらに奥の沿岸の近くまで行くと巡洋戦艦ヤウズは停まって錨を下した。目を凝らすとその先にはさらに海峡があるように見える。ここはイスタンブルのあるマルマラ海によく似た地形であると気づいた。
わたしが乗っている駆逐艦ジャーヴィスは巡洋戦艦ヤウズの横に艦を進める。駆逐艦ジャーヴィスの錨が
海底に刺さり、機関が完全に停止して本航海が終わりを告げる。
わたしは今までのお礼の意味もこめてジャーヴィスのあごの下をちょいとくすぐってやる。ジャーヴィスは「もう!」と言って笑いながらわたしの手を軽い力で跳ねのけた。コリンズの『月長石』でベタレッジ執事がお気に入りのメイド・ナンシーにこのような事をやっていた。彼は自分の行動をインモラルでは無いと主張していたが、わたしも彼と同じであることを断っておく。
わたしは巡洋戦艦ヤウズに乗り移る。ヤウズが自分の艦の甲板の上から手を差し出してわたしを引き上げる。浮力による単振動のせいでわたしはバランスを崩し、ヤウズに抱きかかえられることになった。
ヤウズはおっとと...と呟き
「気を付けろよ、オルミラルOramiral。海に落ちでもしたらせっかくの色男が台無しだぞ」とからかうように言う。
わたしが「冗談はよしてくれよヤウズ」というとヤウズはハハハと笑って
「ようこそ巡洋戦艦ヤウズ号へ! オルミラルの訪問を歓迎するぞ」
ヤウズ「歓迎するぞ! みんな! さあ好きなだけ飲んで食べて行ってくれ!!」
そしてジャーヴィスや雪風にも
「お前たち二人もご苦労だったな。トルココーヒーとチャイとどちらがいい?」とにこやかに聞く。
「ありがとうございます。ですがわたしと雪風は自分の艦でアドミラルとヤウズさんを護衛しています」とジャーヴィス。
「司令はヤウズさんとご一緒なら安心ですから」
と雪風。
するとヤウズはまあまあとばかりに
「少しぐらいならいいじゃないか。スバイサロニュsubay salonuで飲み物でも飲んでいけよ。他国の艦だからってそんなに固くなることは無いんだぞ。なあオルミラル」
わたしも二人に言った。
「任務も大事だが所属を越えた親睦も重要だ。少しの時間なら融通がきくのじゃないか? ウォースパイトや金剛にはボクから話しておくよ」
わたしの言葉で二人はついてくることになった。ジャーヴィスのマスコット犬スノーボールはいつもの定位置...艦の第一砲塔の上...に鎮座して、自分が留守番をしているから行ってらっしゃいというように一声鳴いた。
ジャーヴィスは歴戦の駆逐艦らしく戦艦からの招待なんて肩が凝ると言いたげに腕をぐるぐる回したり肩を叩いたりする。雪風は半分呆れながら乾いた笑いを浮かべて見ている。
ヤウズも二人に対して
「ハハハ…却って気詰まりかもしれないな。だが我がトルコ艦はまだ駆逐艦が着任していないから少し寂しくてな。少しの間だけでもこのお祖母ちゃん艦の相手をしてくれると嬉しい」
巡洋戦艦ヤウズのスバイサロニュsubay salonu...サロニュはまさにサロン、スバイについてはポスドク時代の研究でお世話になったデルファーのトルコ語・モンゴル語借用語辞典を見てみると軽騎兵という意味から士官になったようだ(Gerhard Doerfer, Türkische und mongolische Elemente im Neupersischen, vol.3, pp.236-237)。こういうところはやはりトルコが陸軍国ということなのだろうか。
さて、ヤウズはなかなかもてなし好きの性格らしい。チャイやトルココーヒーのお代わりをどんどん出してくれる。そして何やらバゲットのサンドイッチが入ったバスケットを取り出して
「これはイスタンブル名物のサバのサンドイッチだ。口に合うかどうかわからないが食べてくれ。ピクルスもつけてある。一緒に食べると美味いぞ」
今ではイスタンブルの名物だが、もともとは船着き場で出された食事らしい。サバは油がのっていてボリュームがある。片手で手っ取り早く食べられるのがいかにも港湾労働者の食べ物だ。日本でいうなら深川丼というところかな。
「いかにも船着き場で仕事しながら食べるのに向いているよ。これがイスタンブルの知恵なんだな」
わたしが食べた感想を言うとヤウズはそうだろうという顔をする。そして
「わたしは生粋のイスタンブルっ子のつもりだからオルミラルにそういってもらえると嬉しいな」
イスタンブルっ子って江戸っ子みたいなものか...でもキミはもともとドイツ艦じゃなかったのかい?…そう尋ねるとヤウズは
「たとえ外国人でもそこに住めばいつの間にか故郷になる...そういう街さ...イスタンブルは...」
と答えて
「一度目の世界大戦でイギリスから逃れたわたしをあの町は暖かく受け入れてくれた。その時は帝国末期だったからな。広大な領土から様々な民族がイスタンブルに集まっていた。ユダヤ人、コーカサス人、アルメニア人、そうギリシャ人も多かったな」
と遠い目をして呟いた。
「だが共和国になってからはあの町も少し変わったな。トルコ化政策の行き過ぎで1955年にはギリシャ人への迫害という悲惨な事件も起きてしまった。彼らだって長年にわたってイスタンブルで暮らしていたのだがな。わたしはアタトゥルクを尊敬しているがコスモポリタンだった帝国時代を懐かしく思う時もあるんだ」
ヤウズの話を聞いていた雪風が遠慮しがちに彼女に尋ねた。
「ヤウズさんはご自分の故郷であるドイツに帰りたいとは思わなかったのですか?」
するとヤウズは雪風の目を見て
「スカパフローで沈んだ姉妹や仲間たちのことは忘れない。だがわたしはイスタンブルとの絆ができてしまった。最初の大戦の後にわたしは改装されたのだが、それが終わった後のお披露目ではたくさんのイスタンブル市民が見物に集まってくれた。あの55年の前だったからトルコ人だけではなくてギリシャ人も多かったよ。その後で彼らがイスタンブルを追われるとは考えもしなかった。第二の故郷を失ったギリシャ人の事を考えるとトルコで生涯を終えたわたしは幸せだったのかな」
そしてヤウズは雪風におまえとは事情が異なっているだろうがと付け加えた。それでも日本から戦後に台湾に移りそこで生涯を終えた雪風は何やら感じることがあったようだ。
わたしもヤウズの話を聞いていてふとあることに気づいた。ヤウズはアヴェロフといがみ合ってはいるけどギリシャ人そのものには憎しみを持っていないんじゃないか...
何やらしんみりした雰囲気になってしばらくたつと急にブザーが鳴った。海峡に接近する艦があるという合図だ。
その瞬間、ジャーヴィスも雪風も失礼しますといって自分の艦に飛ぶように...いや神話の力で飛んで戻っていった。
そしてヤウズはそうだ、忘れていたという顔をして
「今日はトルコ艦がもう一人来るんだ。オルミラルに引き合わせよう」(続く)
ジャーヴィス「ウォースパイトさんたちの会議終わらないわね」
雪風「長びいているようだね」
ジャーヴィス「知ってる? こういうのをアングロサクソン流のダラダラ議会っていうのよ。ウェルズの小説…確か『透明人間』で読んだことあるわ」
雪風「日本でいうなら小田原評定だね。いつまでたっても決まらない会議」
ジャーヴィス「ふーん…どこの国にも同じような言い方があるのね」
ジャーヴィス「そうそう! この間わたしの私書箱にこんな手紙が入ってたのよ。日本語だからあんたのところの艦じゃない? 」
雪風「いいの? その手紙を雪風に見せて」
ジャーヴィス「いいも悪いも誰からの手紙なのかわからないからしょうがないじゃない!」
雪風「じゃあどれどれ…『あなたのことはずっと憧れていました。お付き合いできれば嬉しいけど陰から見守っています。あなたの永遠の恋人駆逐艦〇〇より』」
ジャーヴィス「どう? 誰が書いたのかわかる?」
雪風「んー…筆跡から大体の見当はつくけど本人の気持ちもあるから名前は言わないでおくね…ふーん…でもあの子がこんなことするんだ。ふーん。いつもあの子と二人でくっついているのにね」
ジャーヴィス「後でその子に言っておいて! わたしはシスターフッドの趣味は無いけどお付き合いしたいのなら堂々と言いなさいってね!」
雪風「んー…それもやめておいたほうがいいかもね。あの子がこんな手紙出したって知ったらショック受ける子が他にいるから」
ジャーヴィス「なるほどね。わたしたちのところでも今まで仲が良かったけど別の子と話し出したからケンカになったとか、三角関係とかいろいろあるわ」
雪風「そっかー。ロイヤルネイビーでもそういうことがあるんだー。女の子同士だもんね」
ジャーヴィス「絶交しても内にこもって表に出さない時があるから厄介ね。そうなったら上の人もなかなかわからないわ」
雪風「女心は複雑だね」
ジャーヴィス「ヤウズさんもアヴェロフさんもきっとそうだわ。アドミラルに上手く扱えるかしら?」
雪風「んー...どうだろうね。あ、会議終わったようだよ。出航の準備しなきゃ」
ジャーヴィス「次回『コップの中の希土戦争』2。Not even justice! I want to get truth!」
雪風「見えるといいね、真実…」




